- Diary 2004/07

2004/07/31/Sat.

地図を眺めて旅をした気になっている T です。こんばんは。

男に地図が好きな人間が多いのは何故? 別に統計をとったわけではないが、明らかにそういう傾向があると思う。カー・ナビでもつけろよ、と言いたくなる女は多いが、ナビに強い関心を持っているのは男である。ナビには「メカ」の属性もあるから、それがまた男を惹き付けるんだろうな。ETCを搭載しているのも、絶対に男の方が多いはず。これも証拠はないけれど。

娯楽主義と教養主義

「趣味」という言葉には、大きく分けて二つの意味があると思う。いわゆる「ホビー」としての「趣味」と、「それは俺の趣味じゃない」という文脈で使われる「趣味」だ。今日は前者の話。

ホビーとしての趣味も、そのスタンスの取り方によって2種類に分類されるような気がする。一つ目は「娯楽主義」とでも言うべきもので、このスタンスで重要になるのは「快か不快か」のみである。俺にとっての音楽は、まさしく娯楽主義の支配下にある。ノッて聴けるかどうかが全てなのだ。だから、例えばライナーノートに「この曲にはクラシックの要素が色濃く現れており〜」と書いてあっても、「じゃあちょっとクラシックを勉強してみるか」とはならない。

ここでさらに興味を持つと、二つ目の「教養主義」へと足を踏み込むことになる。俺に関して言えば、小説に対するスタンスが教養主義的である。つまらなかろうが、好きになった作家の本は全部揃えないと気持ち悪いし、「XX の影響が強い」なんて解説に書かれていると、つい、その XX を買ってしまう。そうやって「読まなければならない本」が山積されていくわけだ。しまいには「アレも読まなきゃ、コレも買わなきゃ」となって、いつしか義務的に読む本の方が多くなる。もはや趣味ではなく、ほとんど仕事に近い。

教養主義もほどほどに

断っておくが、俺はどちらの考え方も否定しないし、ましてや優劣を付けるつもりもない。ただ、一般的に「教養主義」の方が、趣味として「高尚」と見られがちなのは否定できない。

例えば映画の話で、「この前『スパイダーマン』を見たけど、あれはスカッとするね」と言う娯楽主義者と、「キューブリックに至る系譜で言うと〜」と解説する教養主義者では、明らかに娯楽主義の方がバカっぽい。とはいえ、教養主義も度が過ぎると「キモい」と言われかねないのだが。

昨夜は Dr. A とヒゲマン氏と飲んでいたのだが、何を話していても、いつしか生物学の話題にすり替わっていた。「もう生物の話はやめましょう」と決めて話し出しても、やっぱり最後には生物の話をしている。確かに我々にとって、生物学は「趣味」で済ますことのできるものではないが、だからといってアレはやり過ぎだ。いや、楽しかったんだが、特に俺のような喋り好きは、それを生物に興味のない人の前でもポロッとやってしまいそうで、それが怖い。そういう自戒の話。

趣味は一人か、あるいは同好の士と一緒に楽しみましょう。無難にまとめてみた。

ゴルゴ13

さて、月末恒例の文庫版『ゴルゴ13』、今回の配本で早くも第41巻である。

「ゴルゴ13」ほど、最終回も見たいが終わってほしくもないという、アンビバレントな欲求を抱かせる漫画はないだろう。俺なんかは、普通に生きていれば著者のさいとう・たかをよりは長生きするはずなので、最終回なり、著者の死による終焉なりが見れるわけだが、著者と同年代以上のゴルゴ・ファンは気が気ではないと推察する。「終わりを見届けるまでは死ねない」みたいな。

「ゴルゴ13」に限らず、さいとうプロダクションの作品は、さいとう・たかをが実際にどれくらいペンを入れているかは定かでない。失礼なのは承知だけれど。武田信玄じゃないが、さいとう・たかをが「俺の死を秘匿せよ」という遺言を残していたら、彼の死後も、何事もなかったように連載は続くんじゃないか。

そうなれば、都市伝説が生まれる。ずっと連載は続いているが、著者のプロフィールを見ると、どう考えても 130歳を超えてるとか。さいとう・たかをクローン説なんかも出てきそうだな。ほとんどゴルゴ13 じゃないか。「さいとう・たかをこそゴルゴ13 だった」なんて、虚実が逆転した噂が流れる。

それくらい末長く連載が続いてほしいものである。頑張れ、さいとうプロダクション!

2004/07/30/Fri.

異常な早寝が続いていたため、夜更かしがキツい T です。こんばんは。

今夜は、Dr. A とヒゲマン氏を招いて、我が豪邸で飲み会。半分以上は、俺が無理を言って引き止めたようなもんだが。申し訳ない。しかしながら、昨日届いたビールを飲みつつ、楽しい時間を過ごせた。ありがとうございます。願わくは、お二人にとってもそうであったことを。

研究日記

修士論文(?)の続き。Discussion を書き足したが、もうこれ以上は性根を据えて勉強しないと書けない、というところで足踏み。とりあえず、この時点での references を整理する。非常にダルい作業で、それゆえに凡ミスも頻発しがちだが、おろそかにはできない。コピーした論文の山に埋もれつつ、約 50本、1万字弱の引用論文リストを作製。思ったより文字数を食ってしまった。4万字オーバーは確定か。

いいかげん眠たいので、今日はこれくらいで。

2004/07/29/Thu.

今日は米と海苔しか口にしなかった T です。こんばんは。

両親が宅配便で荷物を送ると言うので、それを待ちながら論文を読んだりして過ごす。送られてきたのは、何と高級銘柄のビール一箱。思わず実家の方に向かって手を合わせてしまった。西方十億万土におわします阿弥陀如来よ、どうぞこの親不孝者にも御慈悲を。

バイク日記

エキパイ
エキゾースト・パイプ (exhaust pipe) の略。排気管のこと。マフラーと混同されやすいが全くの別物。エキパイは、シリンダーからマフラーまでのむき出しの管の部分。マフラーは、排気の消音・浄化のためにエキパイの最後に取り付けられた、太くなっている部分。車ではエキパイが見えないので話題にならないが、バイクでは重要な要素。集合形式によって「4-2-1」などと記述される。これは「シリンダーから出ている 4本のエキパイが 2本の集合管となり、最終的に 1本のマフラーから排気される」ことを意味する。

給油のついでに、今日も 1時間ほどツーリング。帰ってきて駐車したまでは良かったが、キーをマシンの下に落としてしまう。かがんで拾おうとしたのだが、伸ばした腕がエキパイに触れてしまって「ジュッ!」と音を立てた。熱いなんてもんじゃない。急いで冷やしたのだが、水腫れになってしまった。それはしょうがないとしても、エキパイに触れた部分の毛がなくなっているのはどういうことか。溶けたのか? 暑いからといって、やはりジャケットを脱いだのは間違いだった。猛省。

バイクは実に熱い。たまに子供が「カッコいい〜」とか言いながら近付いてくるが、うっかり触らせたりなんかすると、とんでもないことになる。管理責任を問われかねない。夏のバイクは、停車しているだけでも危険なのだ。

バイク略語の基礎知識

「エキパイ」ではないが、バイクの略語には難解なものが多い。バイクを買うと決めた数カ月前からバイク雑誌を読み出したのだが、最初の頃はチンプンカンプンだった。そんな略語の中から、幾つかを御紹介しよう。

ライポジ
ライディング・ポジションのこと。シートの高さ、膝の曲がり具合、ハンドルまでの距離等が関係する。「旧バージョンに比べ、ゆったりとしたライポジ」というふうに使う。
カラバリ
カラー・バリエーションのこと。同じマシンでも、車体色によってエンブレムや価格が違う場合もある。最近では、メーカーが車体色のカスタムオーダーを受け付けるマシンもある。「ニューマシンのカラバリは、白、銀、黒の 3色」というふうに使う。
バーハン、セパハン
バー・ハンドル、セパレート・ハンドルのこと。バーハンは、左右のグリップが1本のバーによって構成されるハンドル。セパハンは名前の通り、左右が分離している。そのためにハンドルに角度をつけることができる。自転車でいうところの、「トンボ」と「カマキリ」に相当する、と思う。一般にバーハンの方が運転が容易とされている。セパハンの多くは、レーシングタイプのマシンで採用されているが、構造上、ハンドルを切ることのできる角度が小さく、タンクにぶつかったりもするので、バーハンに改造されることも多い。

どうだろうか。確かに言葉の略し方としては王道を行っているのだが、なんというか、独特のセンスを感じはしないだろうか。ちょっと泥臭いというか。

「今度買ったマシンさ、セパハンだったんでバーハンにしたよ。それだったら最初から買うなよって感じだけど、ライポジが俺に合ってるんだよね。カラバリもイイのがあったし」

なんていう会話ができれば、今日から貴方もバイク通。……なわけないか。

2004/07/28/Wed.

ヒゲマン氏と回転寿司を食ってきた T です。こんばんは。

というか、今夜も我が豪邸で一緒に飲んでいるわけだが。まァ、一人で飲むよりは断然楽しい。

研究日記

修士論文(?)の続き。Discussion を 5千字ほど書いたところで行き詰まる。同じ文章を睨んでいてもしょうがないので、ちょこちょこと references を整えたり。少し時間をおいてから見直した方が良いのかもしれない。読まなければいけない論文もあるし。ちょっと停滞気味。

バイク日記

シャドウ
Shadow。HONDA製の水冷アメリカン・バイク。横長のクラシカルなスタイルが受けて、レトロ嗜好の若者がよく乗っている。

今日は 1時間ほどツーリング。いつものコンビニで休憩していると、トラックに乗ったオッサンから「ちょっとバイク見せて」と声を掛けられる。しばし、シャドウ乗りというオッサンとバイク談義。この夏は、仲間と城崎に行くとか行かないとか。ええなあ。俺も遠出しようかなあ。

遠出といえば、まちゃ氏に「愛知はどう?」みたいなことを掲示板に書き込んでいただいたので、ちょっと調べてみたのだが、高速道路を使うと、新幹線と同じくらいの料金がかかるようなのだ。もちろん、バイクを走らせることはそれだけで楽しいのだが、面白みという点では高速道路に過大な期待はできない。

別にバイクで旅行しなければならないこともないんだけどね。電車でブラリ旅でも良い。寝袋だけ担いで、知らない駅で降りて、適当に見付けた神社の境内で寝るとか。それこそ10代の頃は、毎年のようにそんなことをしていた。懐かしいなあ。涙が出そうだよ。

2004/07/27/Tue.

「ビールが美味い」と熱帯夜を喜んでいる T です。こんばんは。

疲れているときに酒を飲むと、四肢が痺れてくるのは俺だけだろうか。時には、肩が上がらなくなるなんてこともあるのだが。2、3年前から、半年に一度くらいの割合で発症するようになった。

研究日記

修士論文(?)の続き。Abstract、introduction、results、materials & methods を書き終えた時点で 2万字強。まだ discussion、references、legend と残っているので、全部で 4万字くらいか。結構いくもんだなあ。とりあえず肩と目が痛い。日記を書くのも億劫なんだが、まあビールでも飲みながらダラダラと。

愚痴日記

ホント、最近は日記に書くようなパンチのあることもなく、何を書こうかと困る日も少なくない。就職も決まってないんで、おいそれと実家に戻るわけにもいかず、この夏はどうするんだと自分でも考えあぐねている次第だ。アレもコレもやらねば、と思う反面、全てが面倒臭かったりもする。

ヤル気がないというわけではなく、愛情や情熱を注ぐ対象がないという方が近い。持て余しているわけだ。そこまではわかっているんだが、どうもなあ。本気で『The Crazy Songs of The Beatles』でも作ってみようかな。思えば、どんな人の話より、ビートルズの曲を聴いていた時間の方が長いんじゃないか。

音楽 = ビートルズ = カブトムシ、漫画 = 手塚治虫 = オサムシ、小説 = ? = ?

誰にだって、そういう想い出があると思う。別に音楽だけに限らない。本でも良いし、人によっては映画だったりもするだろう。俺の場合、音楽ではビートルズがそうだし、漫画なら断然手塚治虫だ。そこでハタと気付くのだが、一番好きな小説では「これ!」というのが決められない。

変な話だが、一番好きな小説は『吾輩は猫である』で、一番好きな作家は筒井康隆、一番好きなジャンルは探偵小説なのである。バラバラやなあ。無理に一番を選ぶ必要なんて全然ないが、たまには今まで観賞してきたものを振り返るのも良いかもしれない。なんて、とってつけたようにまとめてみるわけだが。

2004/07/26/Mon.

久し振りにヒゲマン氏と飲んでいる T です。こんばんは。

何だか今月は酒を飲んでばっかりだな。楽しいことは楽しいのだが、時間を食う割には得るものがないのは困ったものだ。

研究日記

修士論文(?)を書き始める。文字数の規定が「スペースを含まずに 5万文字」となっているのだが、今一つ英語の文字数制限はピンと来ない。学会発表の要旨が 1千文字程度なので、そのあたりが実感を持って想像できる限界である。

一通り書いてから様子を見てみるか、と思っていたのだが、本文の半分ほどを書き終えて勘定してみると、何とまだ 1万文字辺りをウロウロしているではないか。もっと書き込まないとダメなのか? 国語の小論文ではないから、何も規定ギリギリまで書く必要はないのだけれど。意外と references なんかで大量に消費したりするんだろうが、やっぱりよくわからない。

2004/07/25/Sun.

ガラにもなく「27時間テレビ」を観ていた T です。こんばんは。

テレビをほとんど観ないのは本当だが、何も昔からそうだったわけではない。むしろ子供の時分は、平均以上に観ていたんじゃないかと思う。いつからこうなったんだろうなあ。

買物日記

3年前に買った、バイク用のレザーグローブのあちこちに穴が空いてきた。耐寒性能に優れているため、オフシーズンも普通の手袋として使用してきたのだが、そろそろ限界のようである。ヘルメットを除くと、バイクの関連用品として買ったものは、このレザーグローブが最初であり、非常に愛着がある。グローブとして用を足さなくなっても、どこかに大切に保管したいと思う。

確かに俺は、服などには金をかけず、どうでも良いような安物しか持っていない。が、常に身の回りに存在することが前提となるものには、とにかくこだわって、金も惜しみたくない。一つでも気に入らない点があれば、俺の性格上、遠からずその物品を破棄することが目に見えているからだ。

バイクのグローブのような、自分の趣味で身に付けるものには、一切の妥協をしたくない。であるからこそ、ボロボロになるまで使い続けられるんじゃないか。今の若者で、同じものを穴が空くまで着用した経験のあるヤツなんているんだろうか。飽きるなら買うなよ、と思う。

いや、久し振りに買い物なんかに行ったので、血圧が上がってしまった。

バイク日記

短距離ばかりだったが、この週末は何度もバイクを走らせた。でもやっぱり、遠出をしなけりゃダメだな。市街地をウロウロするだけでは、とてもじゃないが涼しむどころではない。上からは日光、下からはエンジンとアスファルトの放熱で、どうかすると歩いているよりも暑い。汗ダクダク。

夏休みに入って最初の週末だからか、どこを走っても人、人、人、そして車、車、車。特に休日は、慣れないドライバーが慣れない道を走っていることも多々あるため、思わずヘルメットの中で「ヘタクソ!」と叫んでしまう車によく出会う。下手だけならまだ良い。中には「俺を殺す気か?」と疑わざるを得ないドライバーもいる。大抵は女なのだが。やっぱ夜中〜夜明けを走るしかないかなあ。

2004/07/24/Sat.

義兄弟と旧交を温めた T です。こんばんは。

昨夜は、義兄弟で唯一の社会人・にはふ兄の奢りで3時間ほど飲む。ごっつぁんです。その後、大学に寄って回顧に浸り(現在大学に所属しているのは俺のみ)、最後は我が豪邸でダベった。朝まで飲むこともなく、狭い部屋で 4人が雑魚寝。何一つ 5年前と変わらない。

変わったといえば、酒量くらいだろうか。明らかに減った。とはいえ、一晩で何本ものウイスキーやワインの瓶を転がしていた頃と比べての話だが。基準が異常なので、この比較は無効だろう。

アホ盤

『赤盤』『青盤』
ビートルズのベスト盤の愛称。正式名称は『赤盤』が『The Beatles / 1962-1966』、『青盤』が『The Beatles / 1967-1970』で、各2枚組。ジャケットのコンセプトカラーが愛称の由来。

所持している CD の一部は、かなり以前からハードディスクにコピーしてパソコンで聴くようになっているが、いまだに全部をエンコードし切れてはいない。例えばビートルズでは、とりあえず『赤盤』『青盤』だけをコピーして、後は手付かずの状態で放置されている。全てをコピーしたいのはやまやまだが、作業量の多さを考えると面倒臭い。しかし、今の音楽鑑賞環境に慣れたため、結局はハードディスクにある曲しか聴かないようになってしまった。これでは本末転倒だ。

特にビートルズについては、近いうちに全部コピーして、長年の懸案だったオリジナル・ベストアルバムを作りたいと思い続けている。こと編集作業においては、パソコン上の方が圧倒的に容易だ。是非とも成し遂げたいものである。

ベストアルバムとは別に、多群兄と語り合っていた『The Crazy Songs of The Beatles』(通称『アホ盤』)の選定もやらなければ。というか、このアルバムの作製が一番大きなモチベーションとなりつつあるのだが。暑いうちにやってしまった方が、良いものが作れそうな気がする。

2004/07/23/Fri.

義兄弟と飲んできた T です。こんばんは。

飲んできたというか、まだ飲んでいる最中なのだが。とりあえず 1次会が終わって、2次会を我が豪邸ですることになった。そういうわけで、皆より一足先に帰ってきたのだ。クーラーで部屋を冷やしつつ、こうして日記を書きながら、義兄達の来訪を待っているところである。

既に朝までの続行が確定の状況だが、俺を始め、義兄達も眠そうなので、案外と大人しいものになるかもしれない。ま、これとて、やってみなければわからないが。ということで、今日はここまで。

2004/07/22/Thu.

買い置きの発泡酒が底を尽きそうな T です。こんばんは。

昨日今日と、昼食を学生食堂で摂った。ずっと学校裏の食堂で食べていたのだが、今まで、何を好き好んでそんなところまで足を運んでいたのかがわからなくなった。学食の利点として、

  1. クーラーが効いており、
  2. 女性がいる。

この 2点が挙げられる。というか、これらが「利点」と称される時点で、何かがおかしいと気付かなければならなかった。どうも何かを勘違いしていたようだ。

研究日記

今朝もバイク出勤。自分の実験を始めたからという理由もあるが、やはりバイクで来るとモチベーションが違う。正確に言うなら、それは残存体力の違い。午前中の身体のキレが別物だ。歩いて来ることによって、いままでどれだけのエネルギーを使ってきたのか、俺よ。

寒くなったらまた歩くのだろうが、それまではバイクに乗ってこよう。今年は記録的な猛暑になるらしい。ヘルメットは暑いと思われがちだが、直射日光が当たらない分、徒歩よりは身体に良さそうな気もする。研究と関係ないことだが、実験も身体が資本ということで。

夏は政治の季節

キャンパスでよく見かける、明らかに「左」な人から話しかけられる。「学生達が今、一番関心を持っていることは何でしょうか」と。

「夏休み」

そう答えてやったら、唖然としていた。そんなに驚くことなのだろうか。考えるまでもないことだと思うが。本気でわかっていないとしたら、それは想像力の欠如というより、むしろ現実世界からの乖離だろう。思想云々に関わらず、浮世離れしていては政治活動なんてできない。その意味で、この「左」氏は失格である。

恐らく彼は、問いの答えとして「就職」や「人間関係」といった、抽象度の高い概念を期待していたのだろう。それは俺もわかっている。「夏休み」という回答は、そういったニュアンスをずらした、いわばジョークのつもりだったのだが、真剣に呆然とされるとこちらが困る。若造のつまらない冗談くらい、軽く受け流せよ。こんなことで動揺しているようじゃあ、革命の日にしっかりと立ち上がれないぜ!

義兄弟・夏の宴

明日の夜は、にはふ兄がこちらに訪れるということで、皆で飲み会の予定。久々に義兄弟全員が揃う、のかな。楽しみなことである。

2004/07/21/Wed.

24歳になって一夜明けた T です。こんばんは。

俺の誕生日ということで、昨夜はヒゲマン氏に酒に誘って頂いた。ありがとうございます。去年も同じパターンだったが、あれから 1年が経ったのかと思うと、時の流れの早さにゾッとする。

研究日記

飲んだ夜は眠りが浅い。御多分に漏れず、今朝も早起きであった。ウダウダしていても仕様がない。かねてより計画していた自分の実験でもしようかと考えたら、ちょっとヤル気が湧いてきたので、朝の 5時なんかにバイクで出勤。アホか。

大腸菌の形質転換でもするかとコンピテントセルを取りに行ったのだが、ディープフリーザーのドアに結露した霜が厚くて開くことができない。大学の予算が厳しいらしく、節電節電とやかましい。だからといってクーラーを切ってばかりいるとこういうことになる。シーケンサーが不調なのも、共通実験室が暑いまま放置されているからに違いない。ちょっとは考えろよ。

愚痴っても仕方がない。K先生の部屋から金槌を持ってきて、フリーザーのドアをガンガンと叩き、氷のような霜を撃砕。ようやくコンピテントセルを手に入れた頃には、床がビショビショになっていた。早朝からモップをかついで掃除ですよ貴方。自分のせいとはいえ、どうも腑に落ちない。

煙草日記

大学生協の前にある煙草の自動販売機が、今月末で撤去される。昨年秋に我がキャンパスでは、建物内での完全禁煙が通達された。屋外での喫煙スペースも縮小傾向にある。既に医・歯学部のあるキャンパスでは、全面禁煙が実施されているそうな。いずれこの波が我が、キャンパスにも訪れることは間違いない。

ちょうど去年の今頃、始めての禁煙に失敗し、それ以後、大小何度かの禁煙・減煙が頓挫してきたのだが、そろそろ本気で考えないといけないのかもしれない。喫煙によって健康が害されるという珍説はハナから信じていないが、わけのわからんヒステリックな論調の矢面に立たされるのは御免こうむる。

よく言われることだが、禁煙は絶対に 1回では成功しないらしい。皆、何度かの挫折の後で、ようやく成し遂げる。俺も、もうちょっと頑張ってみようか。

2004/07/20/Tue.

T の姉です。こんばんは。

という書き出しで、あたかも姉が書いたような日記をアップしたら面白いだろうかと考えたが、断念することにした。俺に姉がいないと知っている人は楽しめるかもしれないが、そうでなければ全くの意味不明である。本当に姉がいると思われても困る。

「〜な T です。こんばんは」という書き出しにも飽きてきて、どうしようかと思案中である。そんなわけで、今日はマンネリズムについて考えてみた。

2種類のマンネリズム

マンネリズムには 2種類ある。ただのマンネリズムと、偉大なマンネリズムである。「サザエさん」などは、後者の典型的な例だろう。この場合、読者がマンネリズムに求めているのは「安心」である。極端に言うと、面白いかどうかすら関係がない。「つまらない」ことこそが安心となり得るケースもある。

マンネリズムの現れ方にも2種類がある。結果としてのマンネリズムと、意図したマンネリズムである。「サザエさん」も、初期では月日とともに作中人物達も歳を取っていた。少なくとも、連載当初はマンネリズムを目指してはいなかったのである。「サザエさん」の成功を受けた後発には、最初から意図したマンネリズムを発揮している作品が多い。「ちびまる子ちゃん」なんかが良い例だと思う。

継続だけが力なり

俺が日記の一番最初に「〜な T です。こんばんは」と毎回書いているのは、意識的なことである。かといって「偉大なマンネリズム」を目指しているわけではない。では「ただのマンネリズム」と堕すことになっても良いのか、と問われると返答に困る。何となくイヤな気がするのだ。

俺が書き出しを固定しているのは、それが楽だからである。あらかじめ決まっているフォーマットを埋める方が、白紙状態から始めるよりは容易なのだ。形式が決まっているからこそ、それを破る楽しみというのも出てくる。俳句というものがなければ、「咳をしても一人」なんてのはただの独り言だ。

こういう悩みと葛藤しつつ、それでも繰り返し続けていると、いつしかそれは「偉大なマンネリズム」として昇華するのではないか、という楽観的な期待もある。ことマンネリズムに限れば、「継続だけが力」なのだ。こんなサイトに力をつけてどうするのか、という疑問はさておき。

2004/07/19/Mon.

育った環境のせいか、店や客には割と敏感な T です。こんばんは。

客をナメている店は許せないが、横暴な客というのも、見ていて腹が立つ。「お客様は神様です」というのは、言うまでもなく方便だ。少なくとも店側の理論である。客が真に受ける必要はない。商行為というのは、それ以前に人間と人間のやり取りだと思うのだが、どうだろうか。

外食日記

連休中には色々と外食もしたが、中華料理屋B で、びっくりするような出来事があった。その中華料理屋はいわゆるファミリーレストランで、値段も味もそこそこ、何より深夜まで開いているという点で重宝している。そこで御飯物を食っていたのだが、中から 5 × 10 cm 程度のビニール袋の切れ端が出てきたのだ。

ファミレスのメニューがレトルトであることは承知の上だし、あれだけの客を回しているのだから、ミスが皆無ということはあり得ない。しかし「見落とす」にしては、あまりにも混入していたビニールはデカ過ぎた。「さすがにコレは気付くやろ」と、怒る気にもならず、むしろ笑ってしまったが。

一応、店の人を呼んで事のあらましを伝えた。えらく恐縮して詫びていたが、腹も立っていなかったので、何だかこちらが悪い気がしてくる。深夜だったし、バイトの人も疲れていたのだろう。誰も休日の夜に働きたくなんかない。その上、客からクレームが来た日には……と、すぐに店側の人間に感情移入するようになったのは、自分がバイトを始めてからである。俺も良き客でありたい。

客はいつも店員より上位にある。特に今回のような、客に全く非がない場合では、店員に対してどこまでも居丈高になることができる。しかし、そこで欲しいがままに振る舞うということはしたくない。これは俺が店員だった頃の希望を踏まえてもいる。絶対に勝てる相手にこそ、自制心は発揮されるべきだ。反撃してこないとわかっている相手を集中攻撃して、いったい何が楽しいのか。これは何も、客−店に限ったことではないと思う。

2004/07/18/Sun.

寝過ぎの T です。こんばんは。

この 24時間のうち、16時間は寝ていた。面白いように眠れる。とはいえ、実際には面白くも何ともないのだが。まァ寝ている間は、つまらなくも苦しくもないし、少なくとも不眠よりは絶対に良い。という、後ろ向きの考え方が良くないのか。前向きに生きよう。

公立と私立

付近の私立女子大の周りを初めて散歩した。不必要に高い壁に覆われた敷地には、鬱蒼となるほど木々が植えられており、早朝という理由もあったが、寮の周辺は森閑としている。窮屈そうだなあ、と思う反面、ずっと公立の学校で過ごしてきた俺には、こういう雰囲気が憧れだったりもする。

結局、男子(女子)校どころか私立にも縁がなかったわけだが……、と考えながら、全ての企業は私立であることに気付く。公務員にならない限り、ほとんどの社会人が私立の所属になるわけだ。変な感じ。

2004/07/17/Sat.

真新しいアスファルトの上をバイクで走るのが好きな T です。こんばんは。

「14時のアスファルト」。何かのタイトルに使えそうだな。実はこれの有効利用を考えている。

単位面積辺りの太陽エネルギー受容量が最大になるのは正午である。が、熱エネルギーが空気の層を通過して地表に到達するには、1時間ほどかかる。昼下がりが暑いのはこのためだ。その熱がアスファルトに吸収されるのに、また 1時間かかる。つまり、アスファルトが一番熱くなるのは 14時なのだ。

アスファルトの熱保有能力は凄まじい。恐らく大量の空気を含んでいるからなのだろうが、夜になって道路を触ってみても、まだほんのりと暖かい。この熱を何かに生かすことはできないだろうか。ライダーとしては、タイヤのグリップ力が上がって嬉しいのだが、それだけでは勿体ない。

研究日記

昼夜逆転の生活リズムをどうにか誤魔化し、午前中のプログレスレポートに出席。まァ何だかんだいって、最終的には真面目なのである。なんてことをアピールしたいのではない。むしろその逆だ。

どうして堂々とサボらない、俺よ。いや、サボりを称揚しているわけではないのだが、ちょろっとプレゼンテーションしてお茶を濁そうとする、その俺自身のキンタマの小ささに嫌気が差す。そうなるように企図したわけではないが、参席した以上、結果は同じだ。だったら最初からサボるなというのだ。

進化論あれこれ

ダーウィンの自然淘汰説
生物集団の中では、生育する環境に適した個体が確率的に生き残りやすく、結果、その個体の形質を継承する子孫が繁栄するようになる(適者生存)という説。遺伝的変異についても、その有利・不利が重要なポイントとされる。
中立進化説
1968年、木村資生が提唱。生物集団の中では様々な遺伝的変異が生ずるが、世代を経て集団に固定されるのは、そのうち有利でも不利でもない(=中立な)変異であるという説。中立というのは象徴的な意味で、実質的に有利・不利という概念を重視しない。

この時期、夜中や明け方にウロウロしていると、セミの羽化によく出会う。羽化という現象は非常に興味深い。中で何が起こっているのか、さっぱりわからない。

セミなどはまだ、幼虫−成虫の間における不自由な時間が、比較的短い。理解できんのが、幼虫−サナギ−成虫という形態変化を取る種である。よくそれで今まで生き残れたな。サナギなんて動くどころか、外界を察知することすらできない。一応擬態はしているが、最初にサナギになった個体は、そんなことしていないだろ。

動物の睡眠についてもそうだが、細かい表現型では、ダーウィンの自然淘汰説だけでは説明が苦しくなる現象がいくつもある。だからこそ中立進化説なんてものが出てきたのだが。

あわわ、注釈まで書いてしまった。これ以上の深入りは避けよう。俺はそれぞれの学説に詳しくないし、むしろ進化論というものを意識的に遠巻きにしてきた。確かに進化の話は面白い。ロマンもある。あれこれ考えるのは実に楽しいのだが、どうも進化論というのは、論文のディスカッションや科研費申請書類のネタにされているフシがある。天文学の本を出版するとき、とりあえずビッグバンやブラックホールの話を書いとけ、というのと同じ匂いがする。そのようなレベルで議論に巻き込まれるのはゴメンだ。

進化の話になると顔を真っ赤にして、彼我の論議の理非を尽くそうとする人がたまにいる。進化論に罪はないが、そこが俺の嫌いなところである。そんなもの、いくら話したって答えは出ないでしょうが。だったら実験科学なんてやめちまえよ。

……いかん、八つ当たりしてしまった。日記には全然関係なかったな。

2004/07/16/Fri.

10時就寝、17時起床、完全に昼夜逆転の T です。こんばんは。

生活リズムを半日ズラすのは簡単なのに、もう一回ズラして元に戻すのは、どうしてこんなにも難しいのだろうか。俺がダメ人間だから、というのが恐らく正解ではないかとにらんでいる。

研究日記

昨夜もラボを深夜徘徊。K君が実験をしていた。人と会話するのが久し振りなんで、つい色々と話しかけてしまう。すまん、邪魔ばかりして。

とある論文を読むが、読解が苦痛で挫折する。いまだに結合定数や解離定数、化学平衡が出てくると混乱する。複雑な単位や細かい数字に幻惑されるのだ。というわけで、結論が定性的に書かれた文章だけを抜き読み。実のところ、俺としてはこれで事足りる。とはいえ、生物物理学会などに行って定量的な話をされると、やはり困ってしまうのだが。

生物学科は数学や物理ができない人間の溜まり場である、という現状は、早急に解決されなければいけないと思う。俺のような数学音痴が言うのもなんだが、さもないと、早晩困ったことになるんじゃないか。

税込み価格の表示義務化に異議あり

今さら話題にするのもなんだが、今年の 4月 1日より、店頭での税込み価格の表示が義務付けされた。消費者が混乱しないように、という理由が挙げられているが、これに俺は反対である。

税抜き価格というのは、店舗の良心がダイレクトに反映された数字だ。ところが、税込み価格の表示により、小売店の営業努力の成果が曖昧になる。これは売る側のモラールの低下を招くのではないか。反対理由の、これが一点。

二点目。これまでは、表示価格(税抜き)と、実際に支払う額(税込み)が違っていた。ここで我々は、常に「消費税を払っている」という事実を再認識していた。しかし、最初から税込み価格で表示されていることに慣れてくると、徐々にこの事実に対する意識が希薄になっていくのではないか。

結局、税込み価格の表示によって利益を得るのは、消費税を課している政府だけである。税を払う者が課税に対して無頓着なことほど、為政者にとって都合の良い状況はない。我々はこれまで、「消費税を払う」という行為に実感を伴ってきた。が、現在の状況が 20年も続くとどうなるか。新たな若者達にとって、消費税というものが知識の中だけの存在になりはしまいか。これは怖い。

今のところ、税抜き価格と税込み価格を併記することは認められている。煩雑ではあるが、できるだけ併記してほしいと思う。国民の政治離れが指摘されて久しいが、このような論評を見たことがない。「政治離れをどうするか」といった抽象的な総論を述べる前に、各論として、どうして具体的に「税込み価格表示反対」とは言えないのか。

実のところ、為政者にとって、国民の政治離れほど歓迎すべき事態はない。また、いつの時代もマスメディアは為政者寄りである。各論が出ないのは、実は当然のことなのだ。自分の頭で考えたいものである(今日はいつになく左寄りの論調になったなあ)。

2004/07/15/Thu.

T です。こんばんは。

就職活動日記

昨日送った催促メールの返事が来た。

貴殿を最終面接の第三候補として検討中。面接するかどうかは未定。追って連絡する。

一読して「?」となったが、どうやら首の皮一枚でつながっているようだ。少なくとも切れてはいない。生殺しとも言うが。しかし、それがわかっていれば催促メールなんぞしなかったんだがなあ。

それにしても「第三候補」とは何だろうか。俺は「第三の男」か。映画じゃあるまいし。「第三候補」が「3番目」を意味するのかどうかはわからないが、もしそうであれば、この研究所は来年度、2名以下の人員しか採用する気がないというのか。門、狭過ぎ。

自炊日記

土曜日に義兄達と飲んだとき、口々に「痩せたのではないか」と言われたので、できるだけ大量に食べるよう、心がけている。元々俺は「食う方」ではあるのだが、よく考えると、多量に食べられるのは主に炭水化物なのである。こんなものをいくら食べたところで、肉にはならない。便通の調子が良いのは、喜ぶべきことだが。って、出してばかりじゃあ、当初の目的とは反対じゃねえか。

2004/07/14/Wed.

引きこもりつつある T です。こんばんは。

「事故る」という言い方は機能的ではない。「事故」に対する動詞は、「事故を起こす」(加害側)と「事故に遭う」(被害側)の2種類の視点が存在する。しかし「X氏が事故った」という文章では、X氏が事故を「起こした」のか、事故に「遭った」のかがわからない。

意味合いが保全されるのならば、略すのも良いだろう。しかし「事故る」のように、略した結果、問い直す必要が出てくるのであれば、そもそも略す意味がない。合理性に欠ける。

就職活動日記

昨日の日記で「どうしようか」と書いた面接結果の催促メールだが、思い切って出してやった。いくら文面を練ったところで、しょせん催促は催促、もらって嬉しいものになるわけではない。「3週間の内には返事をする」と言明したのは先方だ。丁重に礼は尽くしつつ、しっかりとこちらの事情も書いて送ってやった。すっきりしたが、あるいはここらへんが俺の就職活動における限界なのかもしれない。

それとは別に、他の仕事も探してみる。これは自分でも逃避だとわかっているのだが、膨大な就職情報を見ていると、何かしら「やった」という気持ちになれる。何も前進してはいないんだが。

観念を捨てよ、町へ出よう

「♪職業選択の自由/アハハ〜ン」。懐かしい響きだなあ。

選択肢が多いことは、絶対的な「善」である。しかし「善」が「幸福」に結びつくかは、また別問題だ。選択肢は未来の可能性であると同時に、後悔の候補にもなり得る。全ては俺の責任において決断されることなのだが、それでも、あまりの情報の多さに「助けてくれ」と叫びたくもなる。

とまあ、このように観念へと逃げ込むのは俺の悪い癖だ。こんなことをしていても、内定が貰えるわけではない。実効性こそ尊ぶべきだ(という書き方が観念的なのだ)。

2004/07/13/Tue.

T です。こんばんは。

就職活動日記

夏休みを踏まえてのことなのか、ここ数週間、派遣の仕事を報せるメールが、物凄い勢いで増加中である。求人の数が多いという事実には意を強くするが、それがすぐさま求職、ひいては就職に直結するとは限らない。下手な人員で定員を埋めるなら、いっそ定員割れでも構わないというのが、昨今の企業の考え方である。就職活動で、そんな話をたくさん聞いた。向こうだって選んでいるのである。

ところで、一向に帰ってこない面接結果だが、いい加減に催促してみようかと考えている。で、昨日から何度も催促の文面を推敲しているのだが、どう書いたものか、非常に苦悩している。要するに、そんな催促文は誰も読みたくないのだ。いくら気を使って書いたところで、不愉快になるのは違いない。俺だって催促なんぞしたくないが、だからといって、待たされ続けるのも辛い。困ったところだ。

研究日記

最近、またもや K先生が「論文を書け」とうるさい。半年前にもそんなことがあった。あのときも色々あって、いっそ学校をやめてやろうと考えたくらいだから、今回は最初から書く気がない。

俺はサイエンスに対して、ある種の幻想的なロマンを抱いているので、実のところ、論文を書くというのは研究者に課された神聖な義務だと信じている。誰も知りえなかった事実を手に入れるという、その特権的な権利と対をなす使命ではないのかと。大袈裟に言えばの話だが。

さらに即物的に言えば、現在求職中の俺にとって、論文の発表は経歴的に著しいプラスとなる。情理両面において、論文を書かないという手はない。それでも「書く気がない」(書きたくないのではない)のだから、まァ御賢察願いたい。

そんなこんなで、昨日今日とサボっている。さすがにラボには出ないとなあ、と思ってはいるのだが。とりあえず論文を書くフリをして、修士論文でも書こうかと考えたりもするが、それもなあ。

2004/07/12/Mon.

日曜日は、久し振りに映画館へ足を運んだ T です。こんばんは。

『世界の中心で、愛を叫ぶ』の主題歌で、平井堅が「♪瞳を閉じて〜」と歌っているけれど、瞳は決して閉じることができない。

スパイダーマン2

映画館で観たのは『スパイダーマン 2』である。今作では、主人公の苦悩がさらに色濃く描かれており、等身大のヒーローとして親近感を感じる。アクションシーンも素晴らしい出来栄えで、一瞬も飽きることなく観終えることができた。

『スパイダーマン』は、元々のストーリーが単純なだけに、すんなりと入れるし、色々と付け加えるのも楽しい。ラストでは次回への伏線も張られていて、今から 3作目が待ち遠しい。

劇中の科学描写(1作目の DNA や、今回の核融合など)には、突っ込もうと思えばいくらでも突っ込めるが、それは野暮なのでやめる。が、どうしてスパイダーマンは腕から糸を出すのか、これだけは気になる。クモってケツから糸を出しているのだが。「3」では、是非とも尻から出してほしい。

迷惑かけまくり隊・夏の集い

土曜の夜は多群兄、KID JOE 兄らとビアガーデンで飲み会。お互いの近況を報告しあったのだが、俺を含めて、どいつも「最近は遊んでばっかりで」という有り様。反省するわけもなく、「いいんじゃないの」で片付けられる。良くはないのだが。ダメ人間。

2004/07/10/Sat.

ダラダラと過ごしている T です。こんばんは。

SILENT HILL 4 THE ROOM

昨日、一昨日と、コナミの「SILENT HILL 4 THE ROOM」をやっていた。かなり怖かった。が、恐怖には免疫ができるもので、2週目以降はただのアドベンチャー・ゲームになってしまうのが残念だ。

そこで重要になってくるのが、クリア以後の隠し要素や追加アイテム、分岐エンディングなどだ。「SILENT HILL」シリーズでは、伝統的にこれらの要素が充実していたのだが、本作ではそれが薄く、早々に手放すユーザーが多いという。俺も早速、売っ払ってきたわけだが。

ホラーというジャンルと、ゲームというメディアの関係については、色々と書いてみたいこともあるのだが、あいにくと今日は時間がないので、また次の機会に。

今夜、すべてのビアガーデンで

今夜は多群兄、KID JOE 兄らとビアガーデンにて飲み会の予定。幸い晴れたので、席さえ空いていれば美味いビールが堪能できるだろう。

2004/07/08/Thu.

数学のできない理系、T です。こんばんは。

7月に入ってから俺の読書リズムは上向きで、既に 10冊くらい読破した。夏休みを前に、良い傾向である。クーラーの効いた部屋で、布団に潜りながら読書するくらい楽しいこともない。

サイエンス・ノンフィクション

これは年齢的なものかもしれないが、数年前から、ノンフィクションやドキュメントに強い関心を示すようになってきた。

俺が読むノンフィクションのほとんどは、サイエンスに関するものである。専攻の生物学よりは、数学や物理が多い。興味はあるが、学問としては疎いので、一般向けに書かれた書物は重宝する。「一般向け」とは言え、一応、理系の大学院生なので、それなりのレベルでないと不満である。その点、国内の書籍には期待できない。海外、特にアメリカのものが良い。

"TIME" などには、専属のサイエンス・ライターがいて、しっかりとした記事を書く。「はあ?」と首をかしげる記事が平然と載るような、日本の新聞とは大違いだ。そんな彼等の書くノンフィクションが面白い。『カオス』『複雑系』『科学の終焉』など、定番とも言えるこれらの本は何度も読んだ (一度だけでは理解し切れないという理由もある)。

数理を愉しむ

この手の本が、系統的に揃っているのがハヤカワ文庫である。ミステリー、SF の印象が強いが、科学書のラインナップも充実している。古典的なところでは「アシモフの科学エッセイ」シリーズなどはよく読んだ。

最近では「数理を愉しむ」シリーズが良い。昨日から読んでいるのが『物理学者はマルがお好き』だ。副題に「牛を球とみなして始める物理学的発想法」とある。非常に面白い。「時間と長さと質量は、等価に交換可能である」とか、「『なぜ』とは問わない。『どのように』を記述するだけ」など、もちろんディティールも興味深いのだが、その背景にある物理学的思想や哲学が、わかりやすく書かれてある。この本については、また「Book Review」で紹介するつもりだ。

知の英雄・数学者

シャルガフの法則
DNA は A (アデニン)、T (チミン)、G (グアニン)、C (シトシン) の 4種の塩基からなるが、A と T は同量、G と C も同量に存在するという法則。ここから A-T、G-C は対合し、DNA は 2本鎖であるという推論が導かれた。

「数理を愉しむ」シリーズでは、既に『天才数学者たちが挑んだ最大の難関 フェルマーの最終定理が解けるまで』を読んでいたのだが、これも良かった。ハズレがなさそうなので、同じシリーズの『数学をつくった人びと』(全3巻) をエイヤッと買ってしまった。

数学者や物理学者は凄いと思う。「知の英雄」と言っても良い。専門外の俺でも知っている名前がゴロゴロある。ガリレオ、ニュートン、ガロア、マックスウェル、ハイゼンベルグ、アインシュタイン、ホーキング。格好良いよな。そしてまた、法則や単位に、よく人の名前が冠される。「ケプラーの法則」とか「ファラデー」とか。

そういう意味で、一般人にも認識されている生物学者のなんと少ないことよ。メンデル、ダーウィンくらいじゃないのか。ワトソンとクリックでも危ない。「シャルガフの法則」なんて、誰も知らないだろ (「シャルガフ」が一発で変換できなかったのがその証拠だ)。頑張れ、生物学者!

2004/07/07/Wed.

笹の葉サラサラ、T です。こんばんは。

ライダーはマイノリティーだ。マイノリティーを叩いたり抑圧するのは容易なこと。しかし、それでは子供のイジメと変わらない。格好悪いことである。格好良く生きたまえ。

自主回収と自主規制

廃棄するバイクのリサイクルが始まるらしい。既に家電製品では回収が行われており、車も数年後には回収が始まるのだが、フロンなどが使われていないバイクには、法律による回収義務はない。今回の回収開始は、バイク業界の自主的な行動である。まことに良いことだ。

一方、理に合わない「自主規制」もある。例えば馬力規制だ。日本のバイク社会がまだ未成熟な頃、メーカーは商品の「売り」として、飽くなき馬力競争に明け暮れた。それが原因ではないのだが、当時の交通事故件数は増加する一方。世論を鑑みて、いつの頃からか馬力の自主規制が始まった。

現在、国内向けに販売されているバイクの最大馬力は 100 ps である。当たり前だが、馬力は大きいほど良い。スピードを出すためではない。低速運転にこそ、馬力が必要なのである。勿論、スペックとして、馬力が大きいマシンが欲しいという所有欲もある。

100 ps 以上の馬力が欲しければ、欧米向けに輸出されているマシンを逆輸入することになる。リミッターがかかっていないというだけの、同じマシンをである。こんなバカな話はない。抜け道が用意されている以上、規制する意味がない。それなら自主規制なんかやめちまえ!

法律規制と規制緩和

実際の法律規制の中にも、バカげた話がある。現在、高速道路上でのバイクの二人乗りは禁止されている。ライダーには、誰かを乗せて遠くへ快適に移動する権利がないのだ。「危険だから」というのが警察の見解なのだが、これには何の根拠もないことが明らかになっている。

輪をかけてバカバカしいのが、高速道路の利用料金だ。バイクには、車と同じ料金が課せられている。車に対するバイクの道路占有面積は 1/2 以下、アスファルトへのダメージは実に 1/10 以下である。なのに同じ金額を払わされる。ふざけているとしか思えない。

昨今、規制緩和が進んでおり、高速道路での二人乗りと利用料金にも改善の動きがある。是非とも実現してほしいものだ。と、短冊に書いてみようか。七夕だし。

2004/07/06/Tue.

あまりに暑いので、バイク出勤を解禁した T です。こんばんは。

昨日の日記の答え)
 自転車から降りるに降りれない彼女は、ペダルの上で踏ん張ったまま、腕だけを動かしてハンドルを切り、ゆっくりとターンして坂道を下っていった。そして適当なところで停車、見事に自転車から降りたのだった。あっぱれ!

まあ、勿体ぶるほどの解答ではないのだが、それでも俺は感心してしまった。自転車を漕ごうとして「ムキーッ!」となっているときに、なかなかそういう風に頭は回らんよ。

2004/07/05/Mon.

常に冷静でありたいと思っている T です。こんばんは。

我が豪邸は山の中腹にあるから、家には坂を上って帰らなければならない。買い物の帰り、坂道を歩いていた俺を、自転車に乗った若い女性が追い抜いていった。何気なく見ていると、自転車を漕ぐのがキツくなったのか、どんどんと失速して、やがて止まってしまった。

自転車を降りたわけではない。ペダルを漕いだ姿勢のまま、ピタリと止まってしまったのである。か弱い女性のパワーと坂の重力が、ちょうど釣り合っている。ペダルの上で踏ん張っている状態であり、しかも女性はスカートをはいていたので、自転車から降りるに降りられない。何とか前進しようと、渾身の力でペダルを踏んでいるため、肩から腰から足から、全身がプルプルと震えている。

彼女には悪いが、おかしくってしょうがない。どうするのかと思っていたら、彼女は合理的な思考の持ち主らしく、なかなかスマートな解決策を見せてくれた。(答えは明日

自炊日記

週末は散財したので、自炊することにした。メニューはさておき、今日は買い物の話。

要するに、毎日は自炊しない俺みたいな者が、ネットに何個も入っているようなタマネギを買っても意味がないということだ。使い切れないので、どうせ腐らせる。結局は割高なのだ。

ということにようやく気付き、今日は使い切れる量を買ってきた。正直、タマネギ 1個やニンジン 1本を買うのはバカバカしいのだが、その方が最終的に安上がりなので仕方がない。

井原西鶴だったか、こんな小噺がある。

「旦那、初ナスビが出てたんで買ってきやした。2個で 1文と、3個で 2文のがありやしたんで、3個で 2文の方を買ってきやした。こっちの方が得ですからね」
「バカをお言いでないよ。縁起物だから買うけれど、どうせ初ナスビは美味くないんだ。だったら、2個で 1文の方を買って、今度は残った 1文で初瓜が買えるだろう?」

なかなか味わい深い。「商人は損して得を取れ」などと言われるが、小噺の丁稚は、得して損を取っているのである。旦那の言うことはもっともだ。何も大量に安く買うだけが能じゃない。これからは「タマネギを 1個だけ」というような買い方を「西鶴買い」と名付けて、大いに広めたいと思う。

2004/07/04/Sun.

今週末はビデオをよく観た T です。こんばんは。

DVD の普及は目覚ましい。VHS じゃないと観られないコンテンツなんて、かなり昔の B級モノしかないんじゃないか。久し振りに VHS のテープを手に取ったのだが、ただただ「デカイなあ」という印象しかない。そのくせ、頭出しはできないわ、巻き戻さなければならないわ、全く信じられない低機能だ。

出版社はデジタルテキストの夢を見るか?

技術的な観点から言えば、音楽や映像よりも、文章の方がよほどデジタル化に適している。そもそも、文字自体が記号なのだ。テキストという概念が、既にデジタルなのである。

何が問題なのかというと、記憶媒体の話だ。書籍というのは、インクの染みがついた紙の束にしか過ぎない。記録されたデータの本質的な再利用は絶望的だ。容量が大きくて複雑な音楽や映像が、デジタル媒体に記録されるようになったのに、どうしてテキストだけが、いまだにアナログ媒体で流通しているのか。

記憶媒体、再生装置、出力装置

CD にしろ DVD にしろ、最終的に人間がコンテンツを観賞するには、複数の装置が必要だ。まずはコンテンツが記憶された媒体、それを読み込んで信号を送る再生装置、その信号を人間が観賞できる形で再現する出力装置、この三つから構成される。DVD の場合だと、DVD ディスク(記憶媒体)、DVD プレーヤ(再生装置)、ディスプレイ(出力装置)となる。

数年来、大騒ぎになっているデジタル化とは、すなわち記憶媒体の変更と、それに伴う再生装置の買い替えに他ならない。再生装置さえ買えば、最終的な出力装置を買い替えずとも、コンテンツは観賞できる。実にこの点が、音楽・映像とテキストの違いではないか。

書籍というメディアは、記憶媒体であると同時に、出力装置でもある。本のページというのは、文字が記録されているメモリ空間なのだが、読者が観賞するためのディスプレイでもある。テキストをデジタル化しようとすると、一部分だけを交換というわけにはいかなくなる。

紙というディスプレイ

書籍というハードウェアの欠点について書いたこともあるが、視点を変えて、「紙」を出力装置として評価した場合、実に驚異的な性能であることに気付く。視認性が良く、大きくも小さくもでき、薄くて軽く、容易に記録でき、なおかつ安価で大量に生産できる。可塑性のなさは問題だが、それにしても優秀だ。

要するに、人間誰しも、良いものに慣れた後で、明らかに性能が劣っているものには戻りたくないのだ。テキストのデジタル化くらい、技術的に何の困難もないだろう。しかし、最終的な人間との接点として、紙並の出力装置が現れないと、誰も書籍を手放さなんじゃないか。

今だって、科学論文の多くがパソコンのディスプレイ上で読める。けれど、ちょっと気合いを入れて読む論文は、みんな印刷してから読んでいる。「検索できる」「コピーできる」といった、デジタルの利点を捨ててまでそうするのは、それだけの魅力が、紙というディスプレイにあるからだ。

それ以上の付加価値を、デジタル化した文章に与えることができるか。でも、この問い掛けはクリエイターへの課題となる。デジタル化自体はエンジニアリングの問題だから、筋違いとも言えよう。かなり奥が深い問題だな。やはり、デジタルテキストはまだ先の話になりそうだ。

2004/07/02/Fri.

あまり映画館では映画を観ない T です。こんばんは。

とりあえず、今年の夏は『スパイダーマン 2』が楽しみである。あとは『ハウルの動く城』か。『ゴジラ FINAL WARS』はいつだったかな。いつもの通り、正月なんだろうか。

出るか、新記録

ところで、長年来の疑問なのだが、毎年のように「全米史上最大の観客動員」というフレーズを聞く気がするのは俺だけか。どうかすると、夏に聞いた後、クリスマスに再び聞くような年もある。

アメリカは映画の国である。それは間違いない。その国で、毎年大量の映画ファンが新たに生まれ続けているという事態は想像しにくい。既に飽和状態なんじゃないか。それでも、毎シーズンのように動員記録が更新される。考えてみると不思議な話だ。

パックス・アメリカーナ

この事態を、日本に置き換えて考えてみよう。日本におけるコミック誌の購買者数も、恐らく飽和状態である。あくまで例えだが、そのような状況下で、少年ジャンプだけが毎年発行部数を伸ばしているとしたらどうだろう。回答として、二つのパターンが考えられる。一つは、マガジンやチャンピオンの読者がジャンプにシフトした場合。もう一つは、マガジンやチャンピオンを買いつつ、さらにジャンプを買う人が増えた場合。

後者なら、全体的なメディア消費量が増えているわけで、その業界が活気づいているだけの話なのだが、前者なら、ちょっと怖いよなあ、と思う。一極集中だ。

アメリカの場合、実際にどうなのかはわからないが、なんとなく前者のような気がする。レンタルのコンテンツがあれだけ豊富なのに、なおかつ映画館まで出向いて観る映画の数が増えているとは思えない。母体数が同じなのに、動員数が更新され続けているのなら、それは寡占化だ。邪推かもしれないが、Microsoft などの典型的な米国型大企業を見るにつけ、こういった傾向があるとは思う。

ここらへんが、オタク文化を持つ日本との違いだろう。オタクとは、すなわちマイノリティーである。多様性があるゆえに、辺境が発生し、オタクが生息する土壌が生まれる。「観客動員数更新」という文句を見るたびに、つくづく違う国だよなあ、と思う。良い悪いの話ではないよ。念のため。