- 紙 - メモリにしてディスプレイ

2004/07/04/Sun.紙 - メモリにしてディスプレイ

今週末はビデオをよく観た T です。こんばんは。

DVD の普及は目覚ましい。VHS じゃないと観られないコンテンツなんて、かなり昔の B級モノしかないんじゃないか。久し振りに VHS のテープを手に取ったのだが、ただただ「デカイなあ」という印象しかない。そのくせ、頭出しはできないわ、巻き戻さなければならないわ、全く信じられない低機能だ。

出版社はデジタルテキストの夢を見るか?

技術的な観点から言えば、音楽や映像よりも、文章の方がよほどデジタル化に適している。そもそも、文字自体が記号なのだ。テキストという概念が、既にデジタルなのである。

何が問題なのかというと、記憶媒体の話だ。書籍というのは、インクの染みがついた紙の束にしか過ぎない。記録されたデータの本質的な再利用は絶望的だ。容量が大きくて複雑な音楽や映像が、デジタル媒体に記録されるようになったのに、どうしてテキストだけが、いまだにアナログ媒体で流通しているのか。

記憶媒体、再生装置、出力装置

CD にしろ DVD にしろ、最終的に人間がコンテンツを観賞するには、複数の装置が必要だ。まずはコンテンツが記憶された媒体、それを読み込んで信号を送る再生装置、その信号を人間が観賞できる形で再現する出力装置、この三つから構成される。DVD の場合だと、DVD ディスク(記憶媒体)、DVD プレーヤ(再生装置)、ディスプレイ(出力装置)となる。

数年来、大騒ぎになっているデジタル化とは、すなわち記憶媒体の変更と、それに伴う再生装置の買い替えに他ならない。再生装置さえ買えば、最終的な出力装置を買い替えずとも、コンテンツは観賞できる。実にこの点が、音楽・映像とテキストの違いではないか。

書籍というメディアは、記憶媒体であると同時に、出力装置でもある。本のページというのは、文字が記録されているメモリ空間なのだが、読者が観賞するためのディスプレイでもある。テキストをデジタル化しようとすると、一部分だけを交換というわけにはいかなくなる。

紙というディスプレイ

書籍というハードウェアの欠点について書いたこともあるが、視点を変えて、「紙」を出力装置として評価した場合、実に驚異的な性能であることに気付く。視認性が良く、大きくも小さくもでき、薄くて軽く、容易に記録でき、なおかつ安価で大量に生産できる。可塑性のなさは問題だが、それにしても優秀だ。

要するに、人間誰しも、良いものに慣れた後で、明らかに性能が劣っているものには戻りたくないのだ。テキストのデジタル化くらい、技術的に何の困難もないだろう。しかし、最終的な人間との接点として、紙並の出力装置が現れないと、誰も書籍を手放さなんじゃないか。

今だって、科学論文の多くがパソコンのディスプレイ上で読める。けれど、ちょっと気合いを入れて読む論文は、みんな印刷してから読んでいる。「検索できる」「コピーできる」といった、デジタルの利点を捨ててまでそうするのは、それだけの魅力が、紙というディスプレイにあるからだ。

それ以上の付加価値を、デジタル化した文章に与えることができるか。でも、この問い掛けはクリエイターへの課題となる。デジタル化自体はエンジニアリングの問題だから、筋違いとも言えよう。かなり奥が深い問題だな。やはり、デジタルテキストはまだ先の話になりそうだ。