- 趣味の話あれこれ

2004/07/31/Sat.趣味の話あれこれ

地図を眺めて旅をした気になっている T です。こんばんは。

男に地図が好きな人間が多いのは何故? 別に統計をとったわけではないが、明らかにそういう傾向があると思う。カー・ナビでもつけろよ、と言いたくなる女は多いが、ナビに強い関心を持っているのは男である。ナビには「メカ」の属性もあるから、それがまた男を惹き付けるんだろうな。ETCを搭載しているのも、絶対に男の方が多いはず。これも証拠はないけれど。

娯楽主義と教養主義

「趣味」という言葉には、大きく分けて二つの意味があると思う。いわゆる「ホビー」としての「趣味」と、「それは俺の趣味じゃない」という文脈で使われる「趣味」だ。今日は前者の話。

ホビーとしての趣味も、そのスタンスの取り方によって2種類に分類されるような気がする。一つ目は「娯楽主義」とでも言うべきもので、このスタンスで重要になるのは「快か不快か」のみである。俺にとっての音楽は、まさしく娯楽主義の支配下にある。ノッて聴けるかどうかが全てなのだ。だから、例えばライナーノートに「この曲にはクラシックの要素が色濃く現れており〜」と書いてあっても、「じゃあちょっとクラシックを勉強してみるか」とはならない。

ここでさらに興味を持つと、二つ目の「教養主義」へと足を踏み込むことになる。俺に関して言えば、小説に対するスタンスが教養主義的である。つまらなかろうが、好きになった作家の本は全部揃えないと気持ち悪いし、「XX の影響が強い」なんて解説に書かれていると、つい、その XX を買ってしまう。そうやって「読まなければならない本」が山積されていくわけだ。しまいには「アレも読まなきゃ、コレも買わなきゃ」となって、いつしか義務的に読む本の方が多くなる。もはや趣味ではなく、ほとんど仕事に近い。

教養主義もほどほどに

断っておくが、俺はどちらの考え方も否定しないし、ましてや優劣を付けるつもりもない。ただ、一般的に「教養主義」の方が、趣味として「高尚」と見られがちなのは否定できない。

例えば映画の話で、「この前『スパイダーマン』を見たけど、あれはスカッとするね」と言う娯楽主義者と、「キューブリックに至る系譜で言うと〜」と解説する教養主義者では、明らかに娯楽主義の方がバカっぽい。とはいえ、教養主義も度が過ぎると「キモい」と言われかねないのだが。

昨夜は Dr. A とヒゲマン氏と飲んでいたのだが、何を話していても、いつしか生物学の話題にすり替わっていた。「もう生物の話はやめましょう」と決めて話し出しても、やっぱり最後には生物の話をしている。確かに我々にとって、生物学は「趣味」で済ますことのできるものではないが、だからといってアレはやり過ぎだ。いや、楽しかったんだが、特に俺のような喋り好きは、それを生物に興味のない人の前でもポロッとやってしまいそうで、それが怖い。そういう自戒の話。

趣味は一人か、あるいは同好の士と一緒に楽しみましょう。無難にまとめてみた。

ゴルゴ13

さて、月末恒例の文庫版『ゴルゴ13』、今回の配本で早くも第41巻である。

「ゴルゴ13」ほど、最終回も見たいが終わってほしくもないという、アンビバレントな欲求を抱かせる漫画はないだろう。俺なんかは、普通に生きていれば著者のさいとう・たかをよりは長生きするはずなので、最終回なり、著者の死による終焉なりが見れるわけだが、著者と同年代以上のゴルゴ・ファンは気が気ではないと推察する。「終わりを見届けるまでは死ねない」みたいな。

「ゴルゴ13」に限らず、さいとうプロダクションの作品は、さいとう・たかをが実際にどれくらいペンを入れているかは定かでない。失礼なのは承知だけれど。武田信玄じゃないが、さいとう・たかをが「俺の死を秘匿せよ」という遺言を残していたら、彼の死後も、何事もなかったように連載は続くんじゃないか。

そうなれば、都市伝説が生まれる。ずっと連載は続いているが、著者のプロフィールを見ると、どう考えても 130歳を超えてるとか。さいとう・たかをクローン説なんかも出てきそうだな。ほとんどゴルゴ13 じゃないか。「さいとう・たかをこそゴルゴ13 だった」なんて、虚実が逆転した噂が流れる。

それくらい末長く連載が続いてほしいものである。頑張れ、さいとうプロダクション!