ボリボリとラムネを齧っている T です。こんばんは。
細胞の培養とか、明日の下準備とか諸々。
結局、今月は皆勤となってしまった。何だかなァ、といつも思う。これで良いのか、という自問に代えても良い。
これで良いのかと実際に問うならば、別にどうでも良い、という答えになるのだが、「良いわけねえだろ」という、いわゆるところの常識 (= 他人の思考の emulation) もあって、それが「何だかなァ」感の出所であると思われる。しかしこんな分析も別にどうでも良いといえばどうでも良い。
うーん
何だかなァ
みたいな
話は逸れるが、第3回日本ケータイ小説大賞受賞作『あたし彼女』が、各位の毀誉褒貶に晒されながらも、とにかくここまで話題になっているのは、つまるところその特異な文体に依るものであろう。「内容はたいしたことではない。市井のゴミのような話である」(©津本陽)。ありとあらゆる形のコピペ (= 形式のパロディ) が出回っているにも関わらず、話の筋に関してはほとんど触れられていないことがその証拠である。
で、その文体であるが、まァ驚異的であると言って良い。少しでも日本語について考えたことがある者なら、あのような文章 (と言えるのだろうか) は書けない。あの、これ、批判ではないですよ。俺も含めてだが、日本語に多少の拘りがある人間は、その固定観念に縛られて、『あたし彼女』のような破壊的な文章は書けない、書き得ない、という意味である。
だから俺が抱いている一番の興味は、kiki という作者が、どこまであの文体に自覚的であったのかな、という点にある。確信犯だとしたら万歳するより他はなく、そうあってほしいと願っている。無自覚であるのなら、特にコメントはない。評論家あたりがわかりやすい理由を付けてくれるだろう。