今日は昼食の代わりに午睡を貪った T です。こんばんは。
先日の日記で物語とテキストを区別したのは、以前から気になっている昔話や怪談や都市伝説が念頭にあったからだ。昔話や怪談や都市伝説は歴とした物語だが、文学のようにテキストを基盤にしているわけでは必ずしもない。むしろ物語が先行していて後にテキストに落とし込まれるケースが多い。これは昔話や怪談や都市伝説のヴァリアント問題 (「臨床例としてのエピソード」「昔話のヴァリアントとしての小説」) とも深く関係するし、「読者は皆、自らの内に描いたユニークな物語に独特の構造を、また別途に見出す」ことの裏返しでもある。文芸の実にこの点が面白いと思う。
テキストに物語が内包されているわけではない。むしろ逆で、テキストは一定の範囲の中で不定形に流動する物語をある一つの形で固定化したものなんだよね。
だから、テキストからある物語を導き出すことはできても、テキストの構造解析をすることでその物語を分析することはできない。『源氏物語』に何回「あはれ」という言葉が出て来るかを数えたところでどうなるというのだ。数えられるということは、それぞれの「あはれ」が均質であることを前提にしているのだと思われるが、そんなバカな。各「あはれ」の差異を物語上に位置付けることこそが文学じゃあないのか。
——などと独りで興奮しておるわ。いやまァ、この問題については割としつこく考えているので。
ところで、「一定の範囲の中で不定形に流動する物語をある一つの形で固定化」する行為を一言で表せば、それが「書く」ということになるんだろうな。単語の選択の振幅とか、そういうことにも関わってくるのではないかと今は思っている。
IP-Western が上手くいかなくて途方に暮れる。
感動した。