無理矢理にでも考えるというのは大切なことだと思う T です。こんばんは。
本日もテクニシャン嬢が欠勤。今年の風邪は長引くのか。俺の体調もまだ万全ではない。
夕方から大学院の講義。FRET (fluorescence resonance energy transfer) による live imaging スゲー!という話。この技術を自分の研究に使うとしたらどこだろう——と考えてみるが、良いアイデアが思い浮かばない
素直に考えるならば、FRET は既知の interaction を検出する技術であり、未知の interactome では使いにくい。既知の反応を促進・抑制する薬剤の screening などには使えるだろうが、これは何か違うよなァ。FRET の大きな特徴は、連続した時空間における特定の反応を観察できることであり、screening だとか細胞内の局在だとか、そういう静的な実験センスでは面白い発想が出てこない。もっとダイナミックな——、かといって、既知の反応を動的に可視化 (定量化を含む) しただけではあんまり……、というか「ダイナミック」だとわかっているものについて改めて調べても仕方がないのか。もちろん、可視化してみないと本当に「仕方がない」のかどうかはわからないが。しかし難しい宿題だなオイ。で、色々と考えて無理矢理アイデアをひねり出してみた。
Acceptor を持つトランスジェニック体と、donor を持つトランスジェニック体を掛け合わせ、父方の因子と母方の因子が interact するところで子供が FRET! 受精や発生や遺伝の研究とか。具体的なアイデアでは全くないが。ダメかな。
学振の書類選考結果は「採用内定予定」だった。文部省からの通知がまだ届いていないので詳細はわからない。
土日は出勤する予定。
たまには日常の細々とした名詞を記録しておこうと思った T です。こんばんは。
後から読み返すと、そういうものが意外に面白かったりする。
「葡萄酒」という日本語を見かけなくなって久しい。——と唐突に思ったのは、今読んでいる本の著者がワインバーグだからか。そういえば今日の昼はハンバーグだった。
昼に利用する飯屋のメニューは決まっていて、月曜がエビフライ、火曜が鶏の唐揚げ、水曜が豚の生姜焼き、木曜がハンバーグ、金曜がソースカツである。副菜も決まっている。1つはサラダで固定。もう 1つは水曜日が煮物、木曜日が切り干し大根で、あとは曜日がわからないのだが、ひじきだとか酢の物だとかがある。これに味噌汁とコーヒーが付いて 800円になる。
この昼飯を食べながら週刊誌を読む。『週刊文春』『週刊新潮』『週刊ポスト』『週刊現代』の 4種類である。1日に 1冊を読むので、週に 1日は読むものがない。もう一誌取ってくれないものかといつも思う。購読料は俺が払っても良い。それにしても合併号の週は悲惨である。そういうときは本を持って行く。
漫画誌は近所のコンビニで立ち読みする。申し訳ないなァと思ってはいるが、俺はこの店で毎月相当の金額を使っているので、まァ良いかと開き直ってもいる。『少年ジャンプ』『少年マガジン』『少年チャンピオン』『少年サンデー』『ヤングジャンプ』『ヤングマガジン』『ヤングチャンピオン』『ヤングサンデー』(休刊)『ヤングアニマル』『モーニング』『イブニング』『ビッグコミック』『ビッグコミックオリジナル』『ビッグコミックスペリオール』『ビッグコミックスピリッツ』あたりはチェックしている。もう少しあると思うのだが、誌名が出てこない。ちゃんと読んでいるのは、数作/誌である。有名ではなさそうな中から面白いと思う作品を上げるとすれば、『孤高の人』『センゴク 天正記』『きんぼし』あたりか。
店という店がのべつ幕なしに音楽を流しているのは異常だと思う。携帯音楽プレイヤーというものがあり、音楽が聴きたい人は自分が聴きたい音楽を自分にだけ聴こえるように聴くことができる。そういう技術が広く普及しているのだから、複数の人間がいる場所で一方的に音楽をかけるのは野蛮な行為であると、もうそろそろ認識されるべきだ。立ち読みをしながら言うことではないが。
肉じゃがを作る。egbridge で変換すると「肉ジャガ」となって非常に気持ち悪い。試しに変換してみたら「ジャガ芋」というまことに気色の悪い文字が出てきた。何だこれは。食べ物の字面ではない。
昨日に続きテクニシャン嬢が欠勤。細胞の培養を少しと、事務的な仕事をあれこれ。
体調はまずまずの T です。こんばんは。
テクニシャン嬢が体調不良で欠勤。俺の風邪を移してしまったのかもしれん。
Reject された論文を別の journal に投稿。やけに鬱陶しい online submission のシステムだった。Authorship agreement が必要とかで、coauthor の署名も集めねばならん。うぜえ。最近は論文の信憑性を揺るがせるような不正が多いから、編集側 (= 学会) が神経質になるのもわかるんだけど。この journal も、先月の issue に掲載された論文が、別の journal に掲載された論文の盗作だったということで retract (撤回) していた。正直な話、そこまでのリスクを冒して投稿するような journal ではないと思うが……、いや、そういう問題ではないな。
大学院の K先生の論文が英文校閲に出されたらしい。ということで、俺の論文 (上に書いたのとは別物) にボス・チェックの順番が回ってきた。我がラボの manuscript の推敲過程は——、
Manuscript を書く前に figure の作成もある。Figure も結構やりとりがあるのだが、manuscript を書き始めてからリテイクが入ることはほとんどない。今日は 2. の、推敲箇所の解読を頑張った。
リテイクといえば、文部科研の書類を書き直せという指示も本日頂戴した。別に構わんが、施設内の締め切りはもう過ぎたはずでは……。大丈夫なのか?
研究員君の実験も幾つか手伝っているのだが、それについて、ボスとしばし相談。
細胞培養用の血清購入について、業者に伝票処理を依頼。血清は高額なので、まとめ買いをすると結構な金額になる。研究費から一度に落とせないので、数本ずつ分割購入したように伝票を切ってもらう——って、こんなことは研究とは全く関係ないんだよな。クソみたいな、どうでも良い、実につまらぬことだ。何だか悲しくなってきた……。実務関係については他の奴らももう少し、否、やめておこう。
夕方から大学でセミナー。どうも忙しない。やることの種類が多くて疲れた。国際学会も近いし、この 3連休は出勤する予定。
LHC には是非ともブラックホールを作ってもらいたいと思う T です。こんばんは。
研究日記というが、ここしばらくは研究らしい仕事をしていない。
この 3週間ほどで 3つの研究費申請書類を書いた。申請費総額 1億 3000万円。アホか。
研究費の申請は、対象によって上限が決まっている (例えば文部科研の基盤 B であれば 2000万円)。ボスはいつも限度額いっぱいに申請するのだが、これが普通なのだろうか。よくわからん。もちろん、申請が通っても満額が認められるわけではない。交付額は大体、申請額の 7〜8割となる。さらに、交付額から 3割ほどが間接経費としてサッ引かれる。したがって、実際に研究に使えるのは申請額の 5〜6割ということになる (この数字も研究費の種類・研究施設によって変化するのかもしれないが)。海外でもこんな感じなのだろうか。
文系の人にとって、理系の研究費は非常に高額であるらしい。分子・細胞レベルの生物学で使われる高額機器といえばキャピラリー・シーケンサーやセル・ソーターだが、これらの値段はせいぜい数千万円のオーダーである。昨今話題の CERN の LHC は、その建設費、実に 5000億円にも上るという。あまりにも膨大な金額なので、日本も 170億円ほど出して共同研究に当たっているらしい。スペースシャトルは 1回の打ち上げに 500億円、スーパーカミオカンデの建設費は 104億円 (+ 全面復旧費 25億円) という。これらに比べれば、ゲノム・プロジェクトなんて安い安い。
医薬関係の特許などを考えると、生物学は社会経済から資金を回収しやすい分野でもあるから、なおさらそのコスト・パフォーマンスが際立つ。ヒッグス粒子を発見したところで、LHC の建設費なんて (少なくとも俺たちが生きている間には) とても回収できんだろ。——もちろん、だからこそ素晴らしいのは言うまでもない。
今月投稿した論文が reject された T です。こんばんは。
どうにも体調が悪く、思い切って欠勤した。
ハンニバル・レクター博士の「記憶の宮殿」は非常に印象的だよなァ、と思う T です。こんばんは。
体調はまずまず。昨日作ったシチューを啜りながら澁澤龍彦の本を読むなどして過ごす。
所持している澁澤本の大半は、河出文庫の「澁澤龍彦コレクション」のもので、それも順番に読んでいるわけではなく、散漫に手に入れたものである。そろそろちゃんと読まなくちゃいけない、まずはこのシリーズを揃えようと以前から思っているのだが、なかなか進んでいない。
澁澤の文章——特に随筆——は、まさに彼の脳髄から生まれ出でたものである。いつもそう思う。澁澤は典型的な書斎人であり、そのブッキッシュな姿勢は自らも認めている。澁澤の文章は、その博学から極めて衒学的だけれども、書いてあることはとてもロジカルで、慣れれば「アタマで」理解することが容易い。経験だとか感覚だとか……、外界の世界が澁澤の肉体に反射され投影されたような文章は非常に少ない。必ず脳髄を通過している。現実世界などは汚くつまらないもので、ココロというものはドロドロとしてよくわからぬものである。そんなものどもはどうでも良いじゃないか。そういう認識。
要するに澁澤は一個のオタクであるわけだが、少なくともそこには彼独特の美学があり——それは幼稚なナルシシズムの発露でもあるのだが、もちろんそのことも承知の上で——、人生の黒甜郷裡に遊んでいるといった風がある。それが澁澤のダンディズムなのだろう。羨ましい、と思わざるを得ない。
1年 365日、書斎で本を繙くだけで過ごすことができるだろうか。これはなかなか興味深い問いである。よほど壮大で精緻で確固たる内的世界を構築していないと、無理なのではないか。自らが倦まぬ世界が自らの内にあるか。私にはない。大抵の人にもないであろう。
ジョジョは読むたびに発見があるなァと感心する T です。こんばんは。
荒木飛呂彦『ジョジョの奇妙な冒険』第4部「ダイヤモンドは砕けない」に登場する『ハイウェイ・スター』は、60 km/h で標的を追いかけてくるスタンドである。東方仗助は、このスタンドからバイクで逃げるわけだが、60 km/h 以下に減速すると『ハイウェイ・スター』に追い付かれてしまうので、なかなか道を曲ることができない。
「コーナーで減速すると追い付かれる」ということはつまり、『ハイウェイ・スター』はコーナーでも減速せずに 60 km/h を保ったままである、ということを意味する。この『ハイウェイ・スター』の「あるべき」動きを漫画で表現すること、そして読者である俺たちが想像することは、実はとても難しいのではないか。なぜなら、「等速でコーナリングするという動き」を、俺たちが日常生活で見たり感じたりすることはないからだ。「見たことがない動き」を脳内で再現するのは非常に困難だし、また漫画は、「見たことがない動き」を表現するには不適なメディアでもある。
(漫画で「動き」を表現しようとすると、どうしても「動線」「残像」「コマ割」といった記号に頼らざるを得なくなる。で、記号の解釈には、無意識に俺たちの現実世界の感覚が投影されてしまう。というか、「読者の無意識な感覚の投影による解釈」を期待しているのが漫画の記号表現なんだよな。直感的に理解できるから記号化が可能ともいえる。逆にいうと、記号化された表現は直感的にしか理解できない)
「『ハイウェイ・スター』がいかなる経路も等速で移動する様子」を動画で正確に再現してみたら、極めて異様な動きとして俺たちの目に映るのではないか。——そういう想像 (妄想) がないと、漫画を読んでも何だかもったいないよな、っていう話。
昨日は早退したので体調はまずまず。夕方以降、また少し悪化する。
シチューを作る。牛肉と鶏肉では灰汁の形状が違うように思う。あと、200 ml の牛乳パックをハサミで開封するときに必ず刃が汚れるのが気に入らない。汚さずに切る方法はないものだろうか。
Firefox のアドオン "Adblock Plus" に感動した T です。こんばんは。
これはそろそろ、自宅の Mac も Safari から Firefox に乗り換えるべきかもしれん。
グズグズの体調でラボへ。夕方までに何とか書類を書き終えて帰宅。
駅を出た途端、猛烈な土砂降りに見舞われる。側を車が通るたびに「コントかよ」というくらいの水しぶきを浴びる。
風邪っぽい T です。こんばんは。
早めに帰宅した。シチューを作り、たらふく食べてから寝る予定。
鼻汁を垂らしておる T です。こんばんは。
終日書類仕事。論文は自宅でも読み書きするのだが、作文は職場でしかヤル気が起きないのは何故なんだぜ。まァ、単純につまらないからなんだろうけれど。
肩が凝った T です。こんばんは。
今日も目がシパシパするまで書類仕事。ボスは明日から出張なので、こまごまとした打ち合わせをする。
昼はボス、隣の元研究員嬢と食事。夜はボス、大学院の K先生、テクニシャン嬢、研究員嬢、隣の元研究員嬢とイタリア料理。
東京土産のごまたまごが好評だった T です。こんばんは。
逆から読んでも「ごまたまご」なんだよな。と呟いたら、誰も気付いていなかったようで、えらく驚いていた。そんなものなんだろうか。
終日書類仕事。かなり根を詰めて書いた。おかげで何とか書き終える。
夜はセミナー。終了後、ボスに「書類終わりました」と報告したら、「じゃあもう一個頼むわ」と返された。それからまたシコシコと書類を書く。俺の後ろではボスと大学院の K先生が論文をガシガシやっている。24時頃にひとまず終了。3人でタクシーに乗って、ギトギトのラーメンを食べに行く。
ボスに「元気ですね先生」と言ったら、「ワシは今日、腹の調子が悪くて昼間は寝てたから夜は元気や」と返された。どこから突っ込んだら良いのか。あー、だから腹の具合が悪いのにギトギトの汁を飲み干すんじゃねえよ、ったくこのオヤジは……。どうしようもねえな。
2万歩ほど歩いた T です。こんばんは。
今日から京阪電鉄中之島線が開通ということで、テクニシャン嬢および隣の元研究員嬢と一緒に乗ってきた。
京橋駅から新型車両「コンフォート・サルーン」に乗って中之島駅へ。全長 3.6 km (全線地下)、僅々 10分ほどで到着。
中之島駅を出てから、今度は歩いて京橋駅へと戻った。すなわち、中之島 - 渡辺橋 - 大江橋 - なにわ橋 - 天満橋 - 京橋。4つの新駅 (中之島駅〜なにわ橋駅) に立ち寄りつつ、日本銀行大阪支店、中之島図書館、中央公会堂、大阪証券取引所、大坂城などを見て回った。古くて味のある建物がある一方、新しいビルが林立し、その幾つかは工事中であるところなんかは、シカゴを思い出させる。
天気も良く、素晴らしい散策であった。もっと大阪をよく見て回りたくなる——。
大都市の内部を高架が縦横に走っているのは恐らく日本だけだと思われるが (外国人にはこの景色が無計画にも未来的にも見えるらしい。"Star Wars" などでエア・カーが摩天楼の間を縫うように走っている風景は、日本の都市の影響が強いという)、このへんをもうちょっと詳しく見てみたい。大阪には水路もあって、景色が立体的なんだよな。
しばらくぶりにコンビニ弁当を食べた T です。こんばんは。
本を読んで、書評を書いて、蔵書リストを更新して、本棚を整理した。本に半日を費やしてしまった。やれやれと思ってネットをブラブラするのだけど、これも文字なんだよな。ジムに行こうかとも思ったが、既に閉館 1時間前だったので諦めた。まァ、ジムに行っても自転車を漕ぎながら本を読むわけだが。
日付が変わる頃にボスからメールあり。文部科研の書類を月曜日中、論文を火曜日中に仕上げろなどと、不可能でないあたりを突いてくるあたりが絶妙というか、しかし最近では俺も、締め切りが来た時点の状態をもって「完成」と定義していたりするので、いい加減なものである。
理研のことを「理科学研究所」だと思っていた T です。こんばんは。
正しくは「理化学研究所」。
学会でポスター発表。セッション形式で 1人 4分。このテーマで発表するのは初めてだったが、まァまァ喋れた。
男子のロマンをくすぐるヤバい領域の二大巨頭として、宇宙と深海がよく挙げられる。宇宙は、その途方もない時空間のスケールによって。深海は、地球の一部でありながらいまだ判然としない未知の神秘によって。
俺はどちらも好きなのだが、やはり宇宙の方が「ヤバい」と思ってしまう。深海のヤバさの大半は、そこに棲む驚異的な生物 (の形態や機能) によって代表されるのだけど、俺にとっては深海生物もやっぱり「生物」であり、たとえその存在が想像を絶していたとしても、後付けで理解は可能であるし、実感も湧く。驚いてもヤバいとはあまり思わない。逆に宇宙のヤバさは、理解可能なものでも実感が伴わないので、ヤバい。
というわけで、今日の「宇宙ヤバい」。
「渦巻雲の幅は約25,000 km で、地球が 2個その中におさまってしまう」。ヤバい。というか怖い。個人的な趣味を述べるなら、100億光年の彼方にあるブラックホールよりも、身近な天体の驚異にヤバさを感じる。木星の大赤斑とか相当ヤバい。
……などと思いながら、ニコニコ動画や YouTube 宇宙動画を漁った秋の夜更け。一つだけ紹介する。
欲をいえば Grate Wall まで見せてほしかった。それにしても、セフィロスのテーマは応用範囲が広いよな。
O型の T です。こんばんは。
paru氏が紹介されていたので俺もやってみた。
俺の ID は 509683。paru氏との相性は 96点でした。高ぇ。
我がボスもこの種の性格診断が大好きで、特に血液型にうるさいのだが、いささか常軌を逸している部分もある。いつだったか、テクニシャンの面接をする前に、「血液型を訊いたらアカンのかな」と尋ねられて驚いたことがある。「アウトですよ。落ちた奴から訴えられますよ」と慌てて諌めたものだ。ダメだこいつ、早くなんとかしないと……。
「臨床データ (例えば喫煙者/非喫煙者) と血液型の相関を調べたい」と言ったこともある。酒の席の与太話かと皆は思ったかもしれないが——、ボスは呑まないんだよな。素面で言っているんだよ、このオッサンは。
血液型の他に、ボスは動物占いにも精通している。動物「占い」というが、あれは単なる生年月日の関数であって、いうなれば大安や仏滅みたいなもんだろう。などと真面目に書いている自分がバカバカしいわ。
ところで、俺の動物はゾウなのだが、その性質の一つに「頼まれると断れない」というのがある。ボスが俺に雑用を回してくるのは、このためではないだろうな。まさかとは思うが。ははは。
「1種の細菌のみで構成される生態系が見つかった」というニュースには本当に驚いた T です。こんばんは。
「過去に何があったのか」というのは証明不可能な問い掛けであり、それへの回答はどうしても「物語」にならざるを得ない——。これが歴史というものに対する俺の印象であり、そのことについては何度か書いた。
史料が豊富になる時代以降、「過去に何があったのか」は、主にテキストを基礎にして語られる。例えば『信長公記』に「織田信長が桶狭間で今川義元を討ち取った」とある。じゃあそうなのか。
ことと、
ことは全く別物であり、『信長公記』の内容の真偽を判断する術というものは実はない。『信長公記』の記述によって『信長公記』の信憑性を担保することは不可能なのだ。考えれば当たり前の話である。
日本の歴史において、『信長公記』の内容は大体において嘘ではないと認められているが、この認定は他の史料との整合性によって成立している。『信長公記』の無謬性は他のテキスト群が形成する文脈によって保証されている、と換言しても良い。仮に『信長公記』に嘘が書かれていても、その部分が前後の史料から断絶して浮いてしまい、嘘であることがバレてしまう。つまり、ある史料の価値は他の史料の価値に依存しているわけで、この相互依存的な関係が文脈を形成する。
『古事記』を始めとする古代世界の記述では、初期の天皇は何百年も生きたことになっている。どのテキストでもそうなっている。では彼らは本当に何百年も命を長らえたのかといえば、やはりこれは嘘だろう。そんなことは現代の生物学の文脈が許さないからである。どうして生物学 (を含む科学体系) の文脈を無視できないのかというと、過去と現在の世界が一貫して連続している (と信じられており、またそれを否定する文脈が見当たらない) からである。
ちなみに科学の法則とは、観測された facts が形成する文脈であって、法則のような形の真理が存在するわけでは決してない。観測されたある fact の信頼性は、また別に観測された fact によって担保される。実験でいうなら、それは control であり追試の再現性であるわけだ。
本当に世界は文脈的な存在であるのか——。この問いに答えることはできない (なぜなら私たちがその世界の中にいるから)。しかし少なくとも、このことを前提としないと、生きる意味がなくなるんだよな (というか、恐らく生きていけない)。「私」が文脈的な存在でないとすれば、それはもう「私」ではない。
口の中が砕けた硝子片でいっぱいになっている。唾液や血液と一緒に、硝子の破片をペッペッと吐き出す。大抵は四つん這いになっている。一所懸命にペッペッとやるのだが、口内の硝子はなかなかなくならない。——という夢を一年に一回くらいの割合で見る。いつもペッペッとやっている最中で目が覚めるのだが、昨夜はついに最後まで吐き出すことに成功した。何かをクリアしたのだろうか。よくわからん。
ボスから書類仕事を頂戴する。「明日まで」。いや、俺は明日から学会なんだが……。まァ、やるけどさ。他に人はいないのかよ、という。
早くもクリスマス商戦が始まっていて吹いた T です。こんばんは。
クリスマスは去年やっただろ!
今週の後半に東京の学会で発表する。プレゼンテーションの準備なんて前日からで充分だろ、と余裕をかましていたのだが、今回発表するのは新しいテーマの研究で、これまでの資産 (スライドや言い回し、ストーリー構成など) がいつものように使えないことに気付いて慌てている。
来月の国際学会でも同じテーマで発表するから、気合いを入れて用意をしないと……。
理学二等兵の T です。こんばんは。
以下は妄想である。
軍人が政権を握るとそれは軍事政権となるわけだが、別に国家そのものが軍隊となるわけではない。軍事政権においてその権限・権能が大きく拡がるとはいえ、軍隊は政権の一機関のままである。
さて、ときに軍隊は「小さな国家」と喩えられるが、それは軍という存在がそれ自体で独立かつ完結しているからである (そうでないと作戦を遂行できない)。したがって軍隊には実に様々な職能部隊が含まれる。軍医や軍楽隊などは最も有名な例であろうが、その他にも通信、情報、輸送、衛生、技術、研究、経理などがあり、憲兵を含むならばそこには司法も関係してくる。
これらの職能部隊員にも当然階級があり、例えば森鷗外は軍医総監 (軍医中将) まで昇り詰めた。中将といえば相当な高位である。731部隊の石井四郎は、その研究と成果によって初の軍医大将になることを夢見た (青木冨貴子『731』)。このような階級はもちろん軍医以外にも存在する。例えば技術部には技術大佐などがあり、衛生部には衛生少尉などがいるわけである。
で、仮に、軍事政権において行政が軍制に取り込まれたら、やはり財務大将 (大臣相当) や外務中将 (副大臣相当) という言葉ができるんだろうか、なかなか格好良い響きじゃないか——、というのが今日の妄想である。法務少将、厚生中尉、文部大佐とか、結構イケてる。
総理は元帥かなと思ったが、よく考えれば軍事政権なので総理大臣は特に要らないよな。行政 (政策遂行) の長としての国務大臣は必要かもしれないけれど、政策決定機関は議会ではないから、官僚機構の階級 (局長とか課長とか) をそのまま軍の階級に横滑りすれば良い。次官ともなれば中将・少将クラスになるだろうか。
この妄想軍事政権では大学も軍隊に吸収される。教授というのは中佐くらいか。理学大佐 (学部長)、理学中佐 (教授)、理学少佐 (准教授)、理学大尉 (講師)、理学中尉 (助教) みたいな。学位取得で曹長 (軍学校卒業後の最初の任官がこれ)、ポスドクなどで少尉に昇進するとすれば、まァ妥当な階級だろう。学部長が大佐だから学長は少将か。帝国大学の長を中将クラスに引っぱり上げれば、文部大将 (大臣) ともまずまず釣り合う。
——などと、「職能 + 階級」で構成される造語が「カッコいい」というのが、今日の妄想のポイントである。軍事政権云々はどうでも良い。
ミリタリー・マニアが兵器や階級などに異常に詳しいのは、それらの言葉一つ一つがとても魅惑的であり、口にしたり文字にしたりすること自体に快感があるからなんだよな。これは科学用語についても同じ。ハード SF の魅力のかなりの部分が、科学用語の使用による異化効果にあるというのは、既に古典的な議論である。文系の人が、理系の言葉を意味も分からずに援用するのも同じ (逆もまたしかり)。
リンク先の人の気持ちはよくわかる。エクリチュールの快楽だよな、などと俺もよく意味がわからずに使っておるわ。そういった言葉の魅力や魔力が、ミリタリー・タームには豊富に含まれている。
自衛隊は、とにかく旧軍を否定する形で生まれたので、階級の呼称もいわゆる軍隊のものではない。陸上自衛隊の階級は、陸将 (中将、幕僚長の場合は大将相当)、陸将補 (少将)、一等陸佐 (大佐)、二等陸佐 (中佐)、三等陸佐 (少佐)、一等陸尉 (大尉)、二等陸尉 (中尉)、三等陸尉 (少尉)……という具合になっており、お世辞にも「カッコいい」とは言えない。
国家と国民を護る軍隊というのは「カッコいい」ものであるべきだと思うのだが、それは軍人が全人的な職業であるからだ。全人的とはつまり、「勤務時間以外も軍人」であることを本人が意識し、また周囲もそれを求めるということである。警察官、医者、教師、政治家、そして学者などもこれに当たる。職業というよりは、むしろ「属性」に近いかもしれない。「先生」と呼ばれることも多い。これらの人々は、少なくとも一昔前までは社会的な尊敬を受けてきた。ノーベル賞の受賞者などを見ると、何事かを成す人はやはり全人的であるように思われる。
階級というのは身分であって、これは所属する組織への帰属意識 = 全人性に決定的な影響を及ぼす。過酷な職務であるのなら尚更。したがって、階級の呼称は格好良いに越したことはない。そういう観点からいえば、「助教授 → 准教授」「助手 → 助教」の呼称変更は、どうなんだろう、ちょっとは「カッコいい」方向に進んだかな。
肉じゃがを作った T です。こんばんは。
東京の肉じゃがには豚肉が入っていることは既に書いた。テクニシャン嬢の彼氏は愛知在住なのだが、かの地の肉じゃがは牛肉であったという。そういえば、鶏じゃがというのもあるなあ。鶏屋でよく食べるが、あれはあれで旨いものである。今度作ってみよう。
昨日は下鴨神社経由で室町まで歩き、夜は祇園で遊んだのだが、その折に鴨川で UFO らしきものを見た。GFP の励起光で見える自家蛍光のような色をした小さな物体が、かなりの低空をフラフラと飛んでいた。何だったのだろう。
UFO は "Unidentified Flying Object" の略だが、「未確認飛行物体」という訳は正確さに欠ける、と以前から思っている。だって、「UFO を見た」という時点で、その object はもう「確認」されているわけだろう? 訳すなら「未同定 (未特定) 飛行物体」だろう。
昼間と夕方に爆睡。寝過ぎだろ。
久々の休日を非常に楽しく過ごせた T です。こんばんは。
昨日、おけいはん (京阪電鉄の現イメージ・キャラクター「森小路けい子」の愛称) が歌う『はじまりは中之島』という CD を買った。『鴨リバーサイド物語』という曲がカップリングされている。いずれも作曲はキダ・タロー (音大生という設定であるおけいはんの教師役「モーツァルト北浜」を演じている)。今月 19日に京阪電鉄中之島線が開通するとともに、「丸太町」「四条」「五条」という鴨川沿いの駅がそれぞれ、「神宮丸太町」「祇園四条」「清水五条」に改称される。『はじまりは中之島』『鴨リバーサイド物語』は、これらのプロモーションであるわけだ。ちなみに、おけいはんが通い、モーツァルト北浜が教鞭を取る音大の名を「鴨リバー音楽学院」という。
そんなことはどうでも良い。このシングル CD の話を鉄子であるテクニシャン嬢としていたのだが、「シングルということは、細長いジャケットに 6 cm CD が入っているんだよな」と俺が言うと、彼女がゲラゲラと笑い出したので何事かと思った。今はもう 6 cm CD なんて存在しないという。「お前はいつの時代の人間なんだ」と爆笑された。テクニシャン嬢の記憶では、モーニング娘。のシングル『LOVE マシーン』(1999年) が既に 12 cm であったという。前世紀の話である。何ということだ。6 cm CD が消えてから 10年近い年月が経つというのに、俺はそのことに全く気付くことなく暮らしていたのだ。——とはいえ、別に何の不便もなかったのだけど。
この週末は全休するつもりの T です。こんばんは。
締め切りを週明けに設定するのは、「週末の内に仕事を終わらせろよ」という暗黙のメッセージであり、これは休日出勤を婉曲に強要するという意味で、実はパワー・ハラスメントの一種なのではないか。という仮説。
念のために断っておくが、俺自身は、週明けの締め切りについて上記のように受け止めているわけではない。自分の性格を鑑みれば、むしろ加害者になることの方に気を付けねばならないだろう。
学会の抄録の登録など、書類仕事を少し。
TGS では PSP/PS3 が頑張っているなと思った T です。こんばんは。
さすがに疲れが溜まっているのか、ここ数日は、目覚めてからしばらくは身体が重く、頭もボンヤリとしておる。早起きすることで対処している。といえば聞こえは良いが、単に早寝をしているだけである。早寝をしているのは疲れているからで、結局は何のことやらわからない。
研究費の申請書の下書きを仕上げる。
学会の抄録を書き上げてボスのチェックを受ける。登録は明日。
来月の学会 (New Orleans, USA) の旅程に関する手続きを少し。
夜はボス、大学院の K先生、研究員嬢と食事。四条東洞院下ルあたりだったか、魚が旨かった。
GFP の蛍光が好きな T です。こんばんは。
Reject された論文を少し手直しして別の雑誌に投稿した。
今年のノーベル化学賞は、GFP 発見の功績で下村脩博士他に授与された。確かに GFP の使用頻度はスゴいよな。例に挙げるのが俺で申し訳ないが、修士論文でも、初めて publish した論文でも、今回 submit した論文でも使った。というか、今日も実験で使ったし。PCR や RNAi が受賞したのだから、普及の度合いからいえば GFP の受賞も当然か。
本当にどうでも良い話だが、前から気になっていることが一つ。ノーベル賞の賞金 1000万クローナって、3 で割り切れないんだよな。3人同時受賞のとき、いつも気持ち悪く思う。
昨日のノーベル物理学賞については全くの門外漢なので何もコメントできないのだが、次の記事を読んでいたく感心するとともに爆笑した。
あくまで素人考えだが、ノーベル物理学賞が他の分野に比べて授賞のタイミングを逸しやすいのは、物理学では「理論による予想」を「実験によって証明」するのに、しばしば長い時間がかかるからではないか。医学・生物学は基本的に事実先行型で、理論による予想というのはあまりない。大体において「発見」の学問であるよな。化学がどうなのかはよくわからないが、この分野は少々ネタ切れの感もあって、ここ数年は「基礎生物学賞・生化学賞」みたいになっている。試みに挙げてみると、
生物学関係がかなり多い。21世紀は生物学の時代だよなあ。
などと言われるが、そのココロは「21世紀はいよいよ生物学の結果が産業化される時代」なのであって、基礎研究がアツくなるのは生物学とは違うまた別のフィールドなんじゃないかと思う。
肉じゃがを作った T です。こんばんは。
シチューと同じ材料を 3 × 肉じゃが buffer (すき焼きのタレともいう) で煮込むだけなんだけどな。
肉じゃがを初めて作らせたのは東郷平八郎である、というのは有名な話だ。東京で肉じゃがを頼むと豚肉が入っていたので、バカにしてんのかと思ったという記憶もある (関西では肉じゃがに牛肉を使う)。
事務の係長が異動になって、今月から新しい人に替わっている。これから科研費の申請が始まるのだが、引き継ぎは大丈夫だったのかなァ、などと多くの人間が心配していたその矢先、新任係長がストレスでブッ倒れたと聞いてこちらがひっくり返る。ストレスってお前。まだ 1週間 (営業日でいえば 5日) も経ってないだろうが。
それでも科研費の申請はしなければならないわけだが、事務がこの有り様ではとても任せることなどできぬ。とにかく早めに書類を作ってしまおうということで、ボスから申請書の下書きを 1つ命じられた。大事な仕事であるから否やはないけれど、何だかなァという。
Reject された論文を修正してボスとディスカッション。「何か unknown な factor があるのだろう」って、そりゃそうだ、違えねえ。
今週末は休む予定の T です。こんばんは。
何となく作ってみた。自分で書かないとなかなか覚えられない。
( ) 内は派閥名等、太字は総裁、数字は総理代数。総理総裁は必ずしも派閥領袖ではないことに注意。
じっくり眺めると、なかなか面白い。
ぼつぼつ。夜はセミナー。
最近は昭和史に興味を持っている T です。こんばんは。
「連合艦隊」とは何と何の連合なのだろう。疑問である。満州の軍隊はなぜ「関東軍」なのか。陸軍が参謀本部で海軍が軍令部であるのは何故か。これらもわからない。時代の大筋を追うのに必要な知識ではないから、いまだ調べておらぬ。どちらかといえばマニアックな情報ではあるだろう。けれども、帝国軍のことを本当に理解しようと思えば、こういう一々を知っていかねばならんのだろうなァ、とも思う。
以上はあくまで例である。何も歴史に限った話ではない。
やれやれ。
午前中に培養細胞のメンテナンス。雨が降っていたので、運動や外出は諦め、職場でプリント・アウトした論文を家に持ち帰り、10本程を精読。ふと思うのだが、学部生の頃に比べて、随分と読むのが早くなったものだ。当時のあの苦吟は何だったのだろう。
Reject された論文の書き直し。来週末からボスが出張なので、それまでには submit したいが、どうしてもやりたい追加実験があるので、再来週に持ち越しかもしれぬ。
話が本線から逸脱すると、「閑話休題」などといって仕切り直したりするわけだが、休題しないでくれ!と頼みたくなるような面白いエピソードも多い。
ある逸話が「閑話である/ない」という判断は、あくまで相対的なものである。その文章が目的とするところの主題と関係があれば本筋、関係が閾値以下であれば閑話と見做される。閑話論とはすなわち主題との関係性に他ならない。逆にいうなら、主題がない文章とはこれすなわち全て閑話である。そういう話が好きだ。夏目漱石『吾輩は猫である』はその最たるもので、あれは閑話も閑話、大閑話である。あんな与太話を、「我が国最高の文学者の代表作」などという風に学校で教えるのはよろしくない。
閑話休題。
というのは冗談で、まァそのような、与太話の連続体みたいなものを書けないかと以前から考えている。肝心なのは、閑話でありながら連続していることで、単なる雑学の寄せ集めではダメである。あくまで一つの「話」であること、しかしながら特に主題があるわけではないこと、これが望ましい。閑話が巡り巡って、派生元の話題に戻ってくる、あるいは閑話で展開される議論が堂々巡りになる、時間軸を遡ってしまう、立場が逆になってしまう、などといった構成を (図らずも) 呈したりすれば面白そうだ。徳川家康の話をしていたのだが、その来歴の紹介をしている内に、いつの間にか新田義貞の話になってしまっている。単純な例だが、イメージとしてはこういう感じである。
閑話から閑話への変調は計算によってではなく、作者の気分次第である方が愉快だろう。各閑話の内容の精密さ、文章量などが、作者の興味をダイレクトに反映しているわけである。雑学的な興味を除けば、これが一等の興趣になるだろうか。
今夜もシチューを作った T です。こんばんは。
ぼちぼち。
ペダルを漕ぎながら読書。尻が痛くなってきたので、45分程で終了。
切腹は、自死の中でも最高度の勇気と苦痛を伴うものだと思われる。余程のことがないとできない。したがって、「思想だけで腹が切れるものだろうか」という疑問が湧く。
「切腹列伝」というものを作ってみたら面白いかもしれない——。松本清張『昭和史発掘 5』を読みながら、そんなことを考えた。はたして、この本にも幾つかの自殺が登場する。
一人は山田長三郎帝国陸軍兵務課長である。彼は相沢事件 (軍務局長永田鉄山少将が、皇道派の相沢三郎中佐に殺害された事件) の後に自刃する。事件当時、山田はまさに永田の部屋に居た。
正面に坐って二人と話していた永田は、入口から軍刀を抜いて入ってきた相沢を見ると、椅子からすっくと起ち上がった。永田は難を避けるように二人の将校 (T 註、前記山田と新見英夫東京憲兵隊長) のほうへ寄った。
ところがその相沢に気付かなかったのかどうか、山田兵務課長はさっさとその部屋を出て行ってしまった。つまり、相沢が抜刀して闖入したのと入れ違いに退室したのである。当然にあとで大問題となった。山田は上官の危機を見捨てて卑怯にも逃げたと非難された。のち山田は自刃する。
(松本清張『昭和史発掘 5』「相沢事件」)
この本には「自刃」としか書いていないが、調べてみると、軍刀で頚動脈を切ったものらしい。切腹ではない。
もう一人は帝国海軍軍令部参謀、草刈英治少佐である。ワシントンおよびロンドン海軍軍縮条約によって、帝国海軍の艦船保有量は米英の 7割とすることが決められた。ロンドン条約を受け容れた首席全権は若槻礼次郎であるが、海軍大臣財部彪 (たからべ・たけし) も全権として参加していた。大臣は軍政の長であるから当然である。
草刈少佐の所属する軍令部 (陸軍の参謀本部に当たる) はロンドン条約の締結に絶対反対であった。軍政が軍令に上位するのがシビリアン・コントロールだが、この当時の日本にそんなものはない (そも大臣からして軍人なのだ)。帝国軍では軍政と軍令が並立しておるような状態で、大臣と参謀総長も同格であるとされていた。
大日本帝国憲法では、軍令は陸海軍の大元帥、つまり「軍人としての」天皇が統帥するところであると解釈されており、これを天皇の統帥権という。軍政が軍令に介入したり、軍令の意向を無視したりすると、それは「統帥権干犯」として非難される。これは最大級の罪であるとされた。司馬遼太郎はこのことを指して「鬼胎」と呼んだ (『この国のかたち 一』「"雑貨屋" の帝国主義」)。
一方、軍政を担当する軍部大臣は「国家元首としての」天皇から親任され、これを輔弼する。だから、別に軍政が軍令より下というわけでは決してない。軍政と軍令のこの関係は、大日本帝国憲法における天皇の鵺的な性格を反映している (美濃部達吉の天皇機関説問題もこれと多いに関係する)。
話が逸れた。とにかく、ロンドン条約反対派の軍令部・草刈少佐は、条約内容を呑んだ財部海軍大臣を暗殺しようと考えた。ところがである。
軍令部参謀の草刈英治少佐は帰国した財部全権を統帥権干犯で暗殺するつもりだったが、自分が海軍大臣を暗殺することも「統帥権干犯」になるのではないかと悩んで決行ができず、東海道線の寝台車の中で自刃した。
(松本清張『昭和史発掘 5』「軍閥の暗闘」)
上記山田長三郎の自死もそうであるが、淡々と書いてあるその最後で唐突に自刃するから、読んでいるこちらは驚いてしまう。
清張はやはり詳細を書いていないが、草刈少佐の自刃は「割腹自殺」、つまり切腹であったらしい。統帥権の論理的解釈に悩んだ揚げ句に電車内で腹を切るというのはどういうことなのだろう。やはり理解に苦しむ。
いや、理解に苦しむからこそ、切腹の事例を集めようかなと思ったわけだけれども。
ここ数日は日付が変わる前に就寝している T です。こんばんは。
無能の尻拭いをしておる。この週末も出勤。
再来週に学会があって、その折にジョー兄に会えるかもと期待していたのだが、彼も忙しいようで、再会は困難なようである。
もうどこで愚痴を吐いたら良いのやら。
ペダルを漕ぎながら読書。2時間でも 3時間でも続けられそうな気がするが、実際は 1時間を超えたあたりから尻が痛くなってくるので、頑張っても 90分が限度である。
エアロバイクのこのシートの固さは、長時間居座られないように (客の回転率を上げるために) ジム側が設定したものなのかと邪推したり。今度からは座布団を持参しようかな。
今夜もシチューを作った T です。こんばんは。
このシリーズ好きだわ。
体調はまずまずの T です。こんばんは。
8月に投稿した論文が reject された。にべもないような返事であった。
辞書を引いて知ったのだが、「にべない」は漢字で「鰾膠 (鮸膠) ない」と書く。「愛想がない。そっけない」(大辞林) の意であることは言うまでもない。じゃあ「鰾膠」って何よ、という話になるわけだが、
- 鮸膠・鰾膠
- ニベ科の魚の鰾 (うきぶくろ) を原料とする膠 (にかわ)。粘着力が強い。
(大辞林)
最後の一行がいかにも豆知識っぽくて良い。
Reject されたのとはまた別の論文を書き終えたのでボスに送った。Reject を喰らったのに何してんだか、という気もするが、publish できそうなものは並行してでもドンドン進めなければなァ、とも思う。1本ずつ順番にといったところで、その 1本がすぐに accept されるのか、はたまた 1年くらいかかってしまうのか、わかったものではない。
夕方は大学のセミナーを聴講。