多群兄にメールを書いてみた T です。こんばんは。
東京でジョー兄と会ったときに多群兄の話が出て、これは一度連絡を取らねばなあと思っていたのだが、つい失念していた。
さて、ジョー兄との会話では様々なことが俎上に上がったが、その中で「最近の blog はつまらん」という話題があった。私も同感である。どこのソーシャル・ブックマークも「〜を……する X の方法」というエントリーで埋まっておるわ。白痴か、こいつら。海外の blog 記事を簡易翻訳しただけのものも多く、またその劣化コピーが、blogosphere っていうんですか、そういう狭いコミュニティの中でグルグルと回っている。トラックバックやコメントには情報乞食の汚い足跡がベタベタと付着しており、こういうものまでが検索で引っかかってくるから堪ったものではない。
1次情報でないから面白くないのだ、というのがジョー兄の意見であって、それには私も賛同する。じゃあ 1次情報って何よ、となるのだが、それは「個人的なもの」でしかあり得ないというのが私の意見だ。だから、「昨日は〜を食べた」「今日は〜へ行った」というような、いわゆるチラシの裏的な blog が最もユニークなんじゃないか。少なくとも、これらの情報はその blog を読まなければ得られないわけだから。もっとも、面白いかどうかは別問題、ではある。けれど、それは技術的なことなんじゃないか。とまれ、ユニークであることは面白いことの必要条件であることには違いない。チラシの裏、上等じゃないか。
ところで、チラシやプリントの裏にチョコチョコッと落書きした絵が、たびたび会心の出来になるのは不思議なことである。ちゃんとした紙にいざ描こうとすると、何故か落書きに及ばなかったりする。本番に弱いとか、そういう類とは別の現象だと思うのだが。
大学のテクニシャン君が、「大学院への進学を考えていて、ボスに相談してみようと思うのだがどうか」みたいな話を振ってきた。私は彼を支持する。現在の私が端的に示している通り、ボスはこの種のヤル気に対しては真剣に応えてくれるので、真面目に考えているのならば相談して損はない。
社会がドンドンと実力主義になっていく中で、これはある意味では逆説なのだが、学歴の価値は再び高まりつつある、というのが私の感じていることだ。若い我々の実力など高が知れているのであり、実績が山のようにあるわけでもない。私達は若さが持つ唯一の価値である「将来性」「潜在性」を売り込む他はなく、それを保証するのは学歴を含む経歴くらいしかない。キャリアとは「私の経験」ではなく、客観的な担保が存在する何かである。テクニシャンとして実験をするのと、大学院生として実験をするのとでは大きく意味が異なってくるのだ。
もちろん、どちらの選択が人生で有利になるかは別の問題であり、それは彼が何を求めているのかによって決まる。大学院生になれば、色んな面で生活が今より苦しくなることは自明であり、いずれ「代償と獲得」の問題に頭を悩ますかもしれない。テクニシャン君が大学院生になることで失うものは絶対にあるだろうし、スゴく嫌な話だが、それが取り返しのつかないものになる可能性もある。逆に、かけがえのないものもまた得られるだろう。
それが眩しく目に映るのなら、進学すればよろしい。ナニ、大学院なんて場所は、嫌ならいつでも出て行けるのだ。学費を踏み倒したって構わない。大してケチも付かないから、迷わず行けよ。行けばわかるさ、ありがとう。