- Diary 2007/09

2007/09/30/Sun.

引用ばかりしている T です。こんばんは。

引用先を探すのに時間がかかる。もっとも、それもまた楽しい時間ではあるのだが。

昨日の日記夏目漱石『吾輩は猫である』を引用したが、いくらでも面白い場面があるので、少し長いが今日も引用する。

主人はなんと思ったか、ふいと立って書斎の方へ行ったがやがて一枚の半紙を持って出て来る。「東風君のお作も拝見したから、今度はぼくが短文を読んで諸君の御批評を願おう」といささか本気の沙汰である。「天然居士の墓碑銘ならもう二、三べん拝聴したよ」「まあ、黙っていなさい。東風さん、これはけっして得意のものではありませんが、ほんの座興ですから聞いてください」「ぜひ伺いましょう」「寒月君もついでに聞きたまえ」「ついででなくても聞きますよ。長い物じゃないでしょう」「僅々六十余字さ」と苦沙弥先生いよいよ手製の名文を読み始める。

「大和魂! と叫んで日本人が肺病やみのような咳をした」

「起こし得て突兀 (とっこつ) ですね」と寒月君がほめる。

「大和魂! と新聞屋が言う。大和魂! と掏摸 (すり) が言う。大和魂が一躍して海を渡った。英国で大和魂の演説をする。ドイツで大和魂の芝居をする」

「なるほどこりゃ天然居士以上の作だ」と今度は迷亭先生がそり返ってみせる。

「東郷大将が大和魂をもっている。詐欺師、山師、人殺しも大和魂をもっている」

「先生そこへ寒月ももっているとつけてください」

「大和魂はどんなものかと聞いたら、大和魂さと答えて行き過ぎた。五、六間行ってからエヘンという声が聞こえた」

「その一句は大出来だ、君はなかなか文才があるね。それから次の句は」

「三角なものが大和魂か、四角なものが大和魂か。大和魂は名前の示すごとく魂である。魂であるから常にふらふらしている」

「先生だいぶおもしろうございますが、ちと大和魂が多すぎはしませんか」と東風君が注意する。「賛成」と言ったのはむろん迷亭である。

「だれも口にせぬ者はないが、だれも見た者はない。だれも聞いたことはあるが、だれも会った者がない。大和魂はそれ天狗の類か」

主人は一結杳然(ようぜん)というつもりで読み終ったが、さすがの名文もあまり短か過ぎるのと、主意がどこにあるのかわかりかねるので、三人はまだあとがあることと思って待っている。いくら待っていても、うんとも、すんとも、言わないので、最後に寒月が「それぎりですか」と聞くと主人は軽く「うん」と答えた。うんは少し気楽過ぎる。

(夏目漱石『吾輩は猫である』)

苦沙弥先生の手による作中詩は、漱石による「パロディとしての詩」である。『猫』には他にも、寒月君によるパロディとしての論文、迷亭先生のパロディとしての演説など、様々なものがある。機会があればまた御紹介する。

私は詩を理解せぬ、というかほとんどバカにしている人間なので、なおさらパロディ詩が好きである。詩を読まないといえば、筒井康隆が有名である。その筒井が書いた詩が一つだけある。

二十年以上前に思いついて書きとめておいた詩が出てきたのである。おれは詩という文学形式にいささか疑問を持っているのでこれ以外には一度も書いたことはない。これだって本ものの詩ではなく、いわばパロディ詩である。つまらぬ詩だが、紹介する。

彼がいる 愛がある 味がある
酒が要る
いかにも
恋かしら? キスもよ
あら 不具なのね
甲斐がない
魚屋の店さき

おれの唯一の詩であろうか。

(筒井康隆『玄笑地帯』「われらが不満の初夏」)

私は、芸術はテクニックで作り得るという考えの持ち主であるが、詩なんかは特に技術が要求される文芸であろう。しかし「詩のテクニック」などというと、それだけで鋭い感性をお持ちのポエマーは拒否反応を覚えるらしい。まァ、詩とポエムは別物だけどね。

文章というものは、ある言語体系に存在する有限個の単語の組み合わせである。組み合わせの方法は、文法・慣習その他暗黙のルールによってある程度の制約を受ける。したがって、文章を機械的に解析することは可能である (ルールの破り具合も含めて)。コンピュータが小説なり詩なりを書くのは、全く不可能ではない。私はそう思う。

幻想小説を書く資質と文章力がある人の小説には、明らかにそれなりの証しがある。たとえばスティーヴン・キングだとかブラッドベリだとか、そういった人の文章の中に、明らかに常人と違う筆力による、文学的霧が発生しているような感じとでもいいますか、言葉の選び方や躍動感やうねりや、そういったえもいわれぬもの。これは、印象でしかない。たぶん納得してもらえないでしょう。本当にむずかしいのですけれど、ぼくにはそういうものが見えるわけです。この霧があると、同じ謎を書いたとしても、これが幻想小説になっていくと、ぼくの内でというべきかもわかりませんが。ただこの霧の成分も、分析可能とは考えています。つきつめていくと、単語や形容詞の選び方に、パターン依存が少ないということが、おそらく条件になっているだろうと予想します。

(島田荘司の発言・島田荘司/綾辻行人『本格ミステリー館』)

対談の中での粗削りな議論であるが、島田荘司御大がこのような考え方であることを知ったときには「ヘエ」と思ったものだ。この人こそ「感性」や「経験」に重きを置く人だとう印象があったからである。とはいえ、島田御大は「分析可能」といっているだけで、「再現・展開可能」とはいっていない。つまり、分析したからといって「書ける」かどうか。この問題について島田御大がどう考えているのかはわからない。

どちらにせよ、言語そのものに興味がなければ詩なんぞ書けないだろう。ふいんきっていうんですか最近は、それだけでは無理だと思うよ。

2007/09/29/Sat.

書いてあることが面白いのと、文章が面白いのとは、別のことであると思う T です。こんばんは。

先程から部屋のどこかで微かな異音がしている。カリカリガリガリという、ハードディスクの読み込み時に聞こえるような音。あるいは炭酸酒がプツプツと泡を出している音に聞こえないこともない。音源を探しながら部屋を歩き回っているが、どこから聞こえてくるのかわからない。いい加減に飽きてきたので日記を書く。

急に涼しくなってきた。「秋だねえ」などと言いながら、研究員嬢と実験に励む。これから 1ヶ月余りの間に、中国とアメリカの学会で発表せねばならない。慌ただしいことである。

筒井康隆『笑犬樓の逆襲』が契機となって、再び本を手に取り出した。ゲームに現を抜かしている間も、面白そうな本は買い溜めしていたから、当分は読むものに困らない。むしろキチンと消化できるかが心配だ。

それとは全く無関係であるのだが、以前にも紹介したことのある坂口安吾『風博士』の冒頭を引用する。

諸君、彼は禿頭である。然り、彼は禿頭である。禿頭以外の何物でも、断じてこれある筈はない。彼は鬘 (かつら) を以て之の隠蔽をなしおるのである。ああこれ実に何たる滑稽! 然り何たる滑稽である。ああ何たる滑稽である。かりに諸君、一撃を加えて彼の毛髪を強奪せりと想像し給え。突如諸君は気絶せんとするのである。而して諸君は気絶以外の何物にも遭遇することは不可能である。即ち諸君は、猥褻名状すべからざる無毛赤色の突起体に深く心魄を打たるるであろう。異様なる臭気は諸氏の余生に消えざる歎きを与えるに相違ない。忌憚なく言えば、彼こそ憎むべき蛸である、人間の仮面を被り、内にあらゆる悪計を蔵すところの蛸は即ち彼に外ならぬのである。

(坂口安吾『風博士』)

引用に特に意味はない。愉快であるから御紹介した。特に「一撃を加えて彼の毛髪を強奪せり」のあたりなどは爆笑である。

次は、夏目漱石『吾輩は猫である』の一場面で、猫が風呂屋を覗いたシーンである。

こちらの方では小桶を欲張って三つかかえ込んだ男が、隣の人にシャボンを使え使えと言いながらしきりに長談義をしている。なんだろうと聞いてみるとこんなことを言っていた。「鉄砲は外国から渡ったもんだね。昔は切り合いばかりさ。外国は卑怯だからね、それであんなものができたんだ。どうもシナじゃねえようだ、やっぱり外国のようだ。和唐内 (わとうない) の時にゃなかったね。和唐内はやっぱり清和源氏さ。なんでも義経が蝦夷から満州へ渡った時に、蝦夷の男でたいへん学のできる人がくっついて行ったってえ話だね。それでその義経のむすこが大明を攻めたんだが大明じゃ困るから、三代将軍へ使いをよこして三千人の兵隊を借してくれろと言うと、三代様がそいつをとめおいて帰さねえ。——なんとか言ったっけ。——なんでもなんとかいう使いだ。——それでその使いを二年とめておいてしまいに長崎で女郎を見せたんだがね。その女郎にできた子が和唐内さ。それから国へ帰ってみると大明は国賊に亡ぼされていた。……」何を言うのかさっぱりわからない。

(夏目漱石『吾輩は猫である』)

夏目漱石を主人公にした、島田荘司『漱石と倫敦ミイラ殺人事件』も面白い。ロンドンに来たばかりの漱石が、イギリス人を観察した部分が以下である。

当初、この異人たちが皆シルクハットをかぶっているのでずいぶん驚いた。貴族から煙突の掃除人にいたるまでこれをかぶっている。ある時は、裏街で自分に一ペネーくれと言った物乞いまでがシルクハットを愛用していた。

女たちは、頭に軍艦を載せたような、飾りがたくさんある重そうな帽子を着用し、道をひきずるほどの長いスカートをはいている。顔の前に網を垂らしたレデーもいた。まるで角兵衛獅子である。自分は最初、あれは蚊よけの蚊帳のようなものなのかしらんと考えた。これが当世風のお洒落と見える。

(中略) (自分が) 背が低いのにも閉口する。女でさえ自分より背の低い者は少ない。男たちとなると、まるで二階に頭が載っているような印象である。自分は軒下をこそこそ歩くような気分で擦れ違う。

(島田荘司『漱石と倫敦ミイラ殺人事件』)

引用ばかりしても仕方がないので、このへんで終わることにする。まァ何だ、私はこういう文章が好きなのである。

2007/09/28/Fri.

多群兄にメールを書いてみた T です。こんばんは。

東京でジョー兄と会ったときに多群兄の話が出て、これは一度連絡を取らねばなあと思っていたのだが、つい失念していた。

さて、ジョー兄との会話では様々なことが俎上に上がったが、その中で「最近の blog はつまらん」という話題があった。私も同感である。どこのソーシャル・ブックマークも「〜を……する X の方法」というエントリーで埋まっておるわ。白痴か、こいつら。海外の blog 記事を簡易翻訳しただけのものも多く、またその劣化コピーが、blogosphere っていうんですか、そういう狭いコミュニティの中でグルグルと回っている。トラックバックやコメントには情報乞食の汚い足跡がベタベタと付着しており、こういうものまでが検索で引っかかってくるから堪ったものではない。

1次情報でないから面白くないのだ、というのがジョー兄の意見であって、それには私も賛同する。じゃあ 1次情報って何よ、となるのだが、それは「個人的なもの」でしかあり得ないというのが私の意見だ。だから、「昨日は〜を食べた」「今日は〜へ行った」というような、いわゆるチラシの裏的な blog が最もユニークなんじゃないか。少なくとも、これらの情報はその blog を読まなければ得られないわけだから。もっとも、面白いかどうかは別問題、ではある。けれど、それは技術的なことなんじゃないか。とまれ、ユニークであることは面白いことの必要条件であることには違いない。チラシの裏、上等じゃないか。

ところで、チラシやプリントの裏にチョコチョコッと落書きした絵が、たびたび会心の出来になるのは不思議なことである。ちゃんとした紙にいざ描こうとすると、何故か落書きに及ばなかったりする。本番に弱いとか、そういう類とは別の現象だと思うのだが。

研究日記

大学のテクニシャン君が、「大学院への進学を考えていて、ボスに相談してみようと思うのだがどうか」みたいな話を振ってきた。私は彼を支持する。現在の私が端的に示している通り、ボスはこの種のヤル気に対しては真剣に応えてくれるので、真面目に考えているのならば相談して損はない。

社会がドンドンと実力主義になっていく中で、これはある意味では逆説なのだが、学歴の価値は再び高まりつつある、というのが私の感じていることだ。若い我々の実力など高が知れているのであり、実績が山のようにあるわけでもない。私達は若さが持つ唯一の価値である「将来性」「潜在性」を売り込む他はなく、それを保証するのは学歴を含む経歴くらいしかない。キャリアとは「私の経験」ではなく、客観的な担保が存在する何かである。テクニシャンとして実験をするのと、大学院生として実験をするのとでは大きく意味が異なってくるのだ。

もちろん、どちらの選択が人生で有利になるかは別の問題であり、それは彼が何を求めているのかによって決まる。大学院生になれば、色んな面で生活が今より苦しくなることは自明であり、いずれ「代償と獲得」の問題に頭を悩ますかもしれない。テクニシャン君が大学院生になることで失うものは絶対にあるだろうし、スゴく嫌な話だが、それが取り返しのつかないものになる可能性もある。逆に、かけがえのないものもまた得られるだろう。

それが眩しく目に映るのなら、進学すればよろしい。ナニ、大学院なんて場所は、嫌ならいつでも出て行けるのだ。学費を踏み倒したって構わない。大してケチも付かないから、迷わず行けよ。行けばわかるさ、ありがとう。

2007/09/26/Wed.

雅号でも考えようかな、と思った T です。こんばんは。

「みやび」という字が使われているものの、雅号の多くが洒落であったり自虐であったりするのはどういうことか。雅びやかな号は、逆に中二病のように思えてくるから困ったものだ。

さて、先週、先々週と 3連休が続いたわけだが、もちろん私は仕事なわけで、電車の中で楽しそうにしている人々を見ると、時折やり場のない感情に襲われて目の前が真ッ赤になる。アブない人だなあ。好きでやっている仕事だし、忙しさの原因の大半は大学院生との兼業であることに由来する。進学は私が望んだものであり、職場にも大学院にも随分と便宜を図ってもらっているから、感謝こそすれ、怒ったり腹が立ったりする理由はどこにもない。恥ずかしいことだ。

それでもやっぱりしんどいと思うことはあるわけで。週末は適当に仕事を切り上げて、家ではゲームに没頭したりしていたのだけど、何だかなあという気分を引きずったまま、今日は 1日不貞腐れていた。が、それを吹き飛ばすような事柄が 2つ。

1つは、Dr. A からメールを頂戴したこと。私もほんの少しだけお手伝いしていた仕事が publish されるということで、大変うれしい。本当にお疲れさまでした。

もう 1つは、筒井康隆『笑犬樓の逆襲』の文庫を手に入れたこと。笑犬樓 (しょうけんろう) というのは筒井の居場所というか雅号のようなもので、遠藤周作の狐狸庵を想像してもらえればよろしい。「噂の真相」に連載された『笑犬樓よりの眺望』の最終回があの「断筆宣言」であり、今回の『〜逆襲』は断筆解除後に再開された連載をまとめたものである。

わははははははははははははははは。

笑犬樓、息を吹き返して狂犬樓となり、逆襲モードで連載を再開します。

(筒井康隆『笑犬樓の逆襲』「断筆解除後の戦果を報告する」)

のっけからコレである。「来た来たァ!」と思うのは私だけではあるまい。たったこの 2行で、随分と元気になった。

こういう日記を書きたいものだなあ。そう思って今年度の自分の日記をザッと読み返してみたが、何と暗いことよ! 愚痴と泣き言ばかりではないか。これではイカン (しかし何故かジワジワとアクセスが増えているのは不思議である)。

東京でジョー兄に会ったときにも話したのだけど、どうも最近は blog その他がつまらないんだよね。自分が書くことも含めて。もっとこう、読んだ人が引くくらいのものを書かねばなあ。そして一部の人だけが爆笑なりニヤニヤなりしてくれれば良い。昔はそう思って書いていたけれど、どうも近頃は下らないことに気を使い過ぎていたようだ。何に遠慮しているんだ、俺は。

2007/09/25/Tue.

『FINAL FANTASY VII CRISIS CORE』をクリアした T です。こんばんは。

戦闘システムは神の領域。実機ムービー、フィールド画面、戦闘画面がシームレスなのも素晴らしい。携帯ゲーム機の限界があるとはいえ、グラフィックも美しい。人物のモーションなんかは素直にスゴいと思った。一方で、マップが単調だったのが悔やまれる。シナリオは好き嫌いが別れると思う。オリジナルの FFVII をやっていないと、細かいところで引っ掛かりを覚えるかもしれない。とはいえ、総じて良作。プレイして損はない。熱心な FF ファンなら是非やるべきだ。

で、ひとまずクリアした後、アイテムやミッションをコンプリートしようと楽しみにしていたのだが、クリア後のセーブで強制的に 2週目 (つまり最初から) に飛ばされてしまって涙目になっている。引き継ぎはレベルと所持アイテムのみ。うわぁ、クリア後のセーブって、ボス戦前の状態じゃないのか。最近の FF は 2週目がなかったから油断していたぞ (いや、X-2 というのもあったな……)。思わず上書きセーブしてしまった私が悪いのだが、もう一回最初からやるのはちょっとキツい。召喚獣、まだ揃えてなかったのに。召喚ムービーの出来が良かったから、全部観たかったのになあ。ま、YouTube にでもアップされるだろうから、観れないことはないのだが。

科学省

福田康夫内閣の閣僚名簿を見ていると「科学技術・岸田文雄」とあって、アレッと思った。科学技術庁は文部省と統合されて文部科学省になったのは周知の通り。何だこれはと調べてみたら、特命担当大臣らしい。Wikipedia によれば、

科学技術政策部局を統括する特命担当大臣 (科学技術政策担当大臣) を置くことができ、法律上は必置とはされていないが、実際の閣僚人事では欠かさず置かれている。

(Wikipedia - 科学技術庁)

「実際の閣僚人事では欠かさず置かれている」というくだりが、いかにも胡散臭い。こういう微妙な特命大臣はいらないから、さっさと「科学省」を作ったらどうか。環境省なんて科学省の一部門で充分だろ。

ところで、科学の子・鉄腕アトムが生まれたのは 2003年 4月 7日、場所は「科学省」である。さらにどうでも良い話だが、アトムの妹はウラン、弟はコバルト、母はリンという名前である。ところが、父はエタノールという。エタノール——。原子ですらないし、名前としてのセンスもどうかと思う。ウランやコバルトよりも環境には良さそうだが……。

2007/09/23/Sun.

『FINAL FANTASY VII CRISIS CORE』を買ってきた T です。こんばんは。

これは面白いな。

2007/09/22/Sat.

新型 PSP (PSP-2000) を買ってきた T です。こんばんは。

ゲーム日記

PSP-2000 は結構売れているようだ。ゲーム屋を 3軒ほど回ったが、ブラック、ホワイト、シルバーはいずれの店でも品切れ。仕方がないので百貨店のオモチャ売り場で購入した。ソフトの発売日なんかでも、百貨店のゲーム・コーナーは閑散としていて、容易に新作を手に入れることができる。普段は百貨店で買い物なんてしないが、ときどきこのような使い方をする。

とりあえず今日は、PSP 本体だけを買ってきて、ワンセグ・チューナーは見送り。我が家でワンセグ受信ができるかどうか、まだ確認していない。それよりも、PSP の D端子ビデオ出力の方が気になる。PC のディスプレイにアウトプットできたら嬉しいのだが。

ところで、SONY の製品は初期ロットに問題が発生しがち、という噂 (あえて「噂」と書く) はよく知られている。一方、初期ロットは不具合が出ないように高価なパーツが使われるから実は大丈夫、という話もよく聞く。PS2 の初期ロットは非常に優秀だったそうだ。まァ、PSP-2000 の 2万円という価格をどう見るかだな。私は安いと思う。1ヶ月の書籍代程度だし、FOMA 対応の携帯電話より安価である。欲しければさっさと買って遊んだ方がよろしい。

ケッサクだったのは、いまだに MHP2 が売れまくっているという事実。3軒のうち 2軒では品切れだった。PSP-2000 が 1台目、という人が買ってるんだろうな。MHP2 は PSP でミリオンを記録しただけのことはある神作。私も久し振りに MHP2 で遊んでみたが、やっぱり面白いよコレ。PSP-2000 は薄くて軽くて読み込みも速いし、何よりも布団の中で遊べるのが快適。ゲームに飽きたらネットもできるし、チューナーを買えばテレビも観れる。

PSP-2000 と同時に発売された『FINAL FANTASY VII CRISIS CORE』も面白いとの評判だ。PSP の今後に期待。『ドラゴンクエスト IX 星空の守り人』が DS で出るのがイタいなあ。DS で出るのが悔しいのではなく、DS で出ることによってドラクエのクオリティが下がるのがイヤだ。サンプル画像を見ただけだが、ちょっとヤル気が出てこない。他ならぬドラクエだし、本当に面白そうであれば何の躊躇もなく DS を買うんだが。

料理漫画というジャンル

料理漫画、特に職人系主人公の料理漫画って、本当に変なジャンルだと思うのは俺だけか。「手塚治虫はあらゆるジャンルの漫画を描いたが、スポーツ漫画だけは描かなかった」という評言は有名であるが、俺に言わせれば、手塚治虫は料理漫画も描いていない。なぜ手塚はスポーツ漫画、料理漫画を描かなかった (描けなかった・描こうとしなかった) のか。それは彼が「お坊ちゃん」だったからであろう。

料理漫画とは要するに、出された料理についてグチャグチャと文句を垂れる漫画である。このような行為は、まともな教育を受けた人間のすることではない。俺は『美味しんぼ』が大嫌いなのだが、それはときどき山岡士郎 (あるいは海原雄山) が、「何だこのベチャベチャの飯は!」などと怒鳴り出すのに吐き気を覚えるからである。何このキチガイ? 栗田あたりがまた調子に乗って、「言われてみればこの御飯は具材の汁を多く吸って野菜の味を殺しているわ」とかヌカしやがる。アホか。お前にも汁かけたろか。「いるいる、こういう女」という意味では物凄くリアリティがあるのだが、そういう読み方をしているのは恐らく俺だけだろうなあ。

ちょっと興奮してしまったが、料理漫画の最大の欠点は「バトル制」を導入していることにある (究極 vs 至高!)。「どっちの料理が旨いか」という所に論点が置かれてしまうから、一方は片方より「不味い」料理でなければならず、また、そのことを指摘されなければならない。これで下品にならない方がおかしい。

もちろん、バトルではない料理漫画 (大抵は人情系) もあるにはある。しかしそういう漫画は、やはり読んでいて退屈だから、人気が出ないまま連載が終了してしまう、あるいは作者の方でネタが尽きてしまうことが多い。中盤から料理バトルに変質するというパターンもある。

料理漫画、という観点はとてもユニークだと俺は思っている。多分、日本以外ではないだろう。「米に魚を載せるだけの料理」で漫画を連載する奴なんて日本人しかいないぞ。素晴らしいアイデアと、それを支える日本文化。だからこそ、料理漫画にはもうそろそろ新たな進化を遂げてほしいのだ。

料理は楽しんで作ったり味わったりしたいものである。

2007/09/21/Fri.

ようやく携帯電話を買い替えた T です。こんばんは。

以前に機種変更をしたのは 2年半前。これまでは FOMA だったけど、私は通話とメールでしか携帯電話を使わないので、今回は機種が安価な mova にした。まァ、何でも良いだけなんだが。ナンバー・ポータビリティ制度が導入されてからは、DoCoMo も囲い込みに必死なようで、プランを変更したら基本料金が半額ほどになった。その代わり、しばらく DoCoMo を使い続けなければならないのだけど。

キャリアを変えても携帯電話の番号に変化がないとはいえ、メール・アドレスは変わってしまうから、やっぱり乗り換えるのは面倒なことに違いない。携帯電話のメールは転送専用にしてしまうという方法 (連絡は全て Web メールを通じて行う) も考えられるが、絶対にどこかでストレスが発生するのだろうなあ。

そもそも、1人の人間が複数のメール・アドレスを使うことが不自然といえば不自然なのである。現実問題として、複数のアドレスを使い分けないと困ってしまうわけだが、それはひとえにメール・システム、アドレス・システムが秘密を保つには充分ではないからだろうね。現状、メールを送ろうと思えばアドレスを知る・知らせる以外に方法がない。これでは限界がある。

ゲーム日記

新型 PSP (PSP-2000) が発売になったと思ったら、早速「Monster Hunter Portable 2nd G」の発売決定が発表された。発売時期は未定だが、恐らく年末、でなければ来春だろうか。MHP2 は良いゲームだったので、MHP2G も期待できる。MHP2 のデータが MHP2G に「がっつり引き継げる」とのことなので、PSP-2000 を買ってきて MHP2 をやり込もうかな。PSP-2000 があればテレビも観れるし。観ないけど、多分。

MHF の方は運営がカオスになってきて、古くからの MH ファンの間では「シリーズの黒歴史」という評価が定まりつつある。オンライン・ゲームが初めての私には、色んなことが目新しかったけれども、じゃあ MHF がコンシューマで発売されていたら、と考えれば疑問符は限りなく出てくる。MHP2G/PSP2 のニュースで盛り上がっているのは私だけではない。

MHF をどうしようかな、と迷っている。回線の向こう側にいる人と遊んで、チャットができて、というのはとても楽しいんだけどね。

覚書

次回は料理漫画 (特に寿司職人) について書く。忘れないようにメモしておく。

2007/09/19/Wed.

やしきたかじんや浜村淳が、関西以外で全く知られていないことに愕然とした経験がある T です。こんばんは。

上岡龍太郎とか、キダ・タローとか、上沼恵美子とか、太平サブローとか、関西でのみ超有名、という人間は結構たくさん存在する。そして、関西にずっといると、そのことに気付かない。

実験日記

IP-Western と Q-PCR で良い結果が出る。明日はボスとディスカッションの予定なので、ちょうど良いタイミング。夜は大学でセミナー。

2007/09/17/Mon.

MHF のプレイ中に寝てしまった T です。こんばんは。

女キャラのバスト・サイズが装備によって大きく変化する (ように見える) のは MH シリーズにおける長年の謎としてよく知られているが、それはともかく。

世の中には貧乳好き・巨乳好きなどがいるわけだが、例えば果たして、貧乳好きの男は『ルパン三世』の峰不二子ですら貧乳の方が良いとでもいうのだろうか。峰不二子というキャラクターのアイデンティティは、あのナイス・バディと不可分であり、貧乳の峰不二子は峰不二子として成立しない。あえて貧乳の峰不二子を想像してみると、これはこれで劣情を掻き立てる要素が大いにあることに気付くが、チンポを 頭を冷やしてよく考えると、この興奮は「巨乳の峰不二子」というオリジナル像が前提として存在しているからだということがわかる。

逆の例を出すなら、そうだな、ジブリ作品に登場する女の子がけしからんほどの巨乳である場合を考えればよろしい。アニメから引用するのは、彼女達の性格がステレオ・タイプで理解しやすいからである。別に貧乳のマリリン・モンローであっても構わない。

フェティッシュな域にまで達すればまた違うのかもしれないが、男がいうところの貧乳・巨乳は、そのような (多分に妄想を含む) バックグラウンドと関係している。非常につまらぬことであるから、女性の方で気にすることはない。

2007/09/16/Sun.

そろそろ Excel のマクロも勉強しようかと思っている T です。こんばんは。

生物学の分野では、例えば t 検定で p の値が 0.05 未満ならば、2つの群は統計学的に有意な差をもって異なる、と (ひとまず) 結論付ける。p < 0.05 というのは、乱暴にいえば、両者が同等の群である確率が 5% 未満、つまり異なる群である確率が 95% より大きい、ということである。p の値が小さければ小さいほど、両者が異なる群であることが確からしい、といえる。実験によっては、p < 0.01 やそれ以下の値で線引きすることもある。

この「確からしい」というのが曲者で、0.05 や 0.01 という値で線引きするのは単なる慣習、厳しい言い方をすれば恣意的な行為以外の何物でもない。p の値は統計学的に厳密な定義がなされているが、統計学が現実を反映しているという保証はどこにもない。統計は数学であり、数学は自然に対して何ら責任を持たない。

非常に極端な話をすれば、ヒトとチンパンジーのゲノム配列は 99% 以上が一致している。だからといって、ヒトとチンパンジーが同じであると主張する人間はいない。もちろん、何万人ものヒト、何万匹ものチンパンジーのゲノム配列を全て読んで比較すれば、統計的に有意差は出るかもしれない (恐らく出るだろう)。どこまでが誤差か、というのは、実に難しい問題である。逆にいえば、恣意的に操作できる余地があるともいえる。

p = 0.049 だと有意な差があって、p = 0.051 だと有意な差はないのか? 数字ばかり見ていると、とっても危うい道に迷い込んでしまう。ちょっと考えてみればわかることだ。Excel の計算式にバグがあったら、なんて想像をしたら笑えなくなった。

2007/09/15/Sat.

まだ壊れた携帯電話を買い替えていない T です。こんばんは。

週末は実験に集中できる貴重な時間である。とかいって、仕事は仕事なわけで。連休初日の朝なんかは、「この週末は静かなラボで実験に集中するか」という気分のときもあれば、「連休に何をやっているんだ俺は」という気持ちになることもある。モチベーションのコントロールが難しい。できるだけ心穏やかに暮らしたいものである。

チャレンジ精神とかハングリー精神といった言葉は嫌いではない。むしろ大事なことだと思う。ただ、上ッ面だけを捉えての物言いは好きじゃない。チャレンジ精神の根源は欲望であり、ハングリー精神の本質は不満である。人間の動機の多くは、そのような暗い (と一概に言い切るのも難しいが) 一面を伴っている。

……どうも話が楽しいものにならないな。

2007/09/14/Fri.

日記の更新頻度が下がっていることは申し訳ないかも、と微妙に反省している T です。こんばんは。

今日は休み。朝から MHF をしている。疲れたら昼寝。幸せだ。

最近は本当に仕事と MHF しかしていない。オンライン・ゲームをやり始めると、自分は廃人になってしまうのではないかという危惧は、半分アタリで半分ハズレといえる。仕事量は減っていない (当たり前なんだがな!)。この 3連休ももちろん出勤。仕事に少しでも影響が出るようなら永久にゲームは封印しようと思っていたが、その必要もなさそうだ。

で、全く本も読まなくなったのだが、いかんなあ、という気持ちはない。ゲームはいずれ確実に飽きる。それはよくわかっている。飽きたらまた、読書なり何なりをすればよろしい。それで構わないではないか。就職してから、自分の生活を無駄に反省することが少なくなった。仕事さえきちんとしていれば良い、自分の力で生きているのだから。そういう、開き直りにも似た、変な自信がある。とはいえ、このような考え方もいずれ変質する可能性はあるし、恐らく変わっていくのだろうとは思う。

まぁアレだ、ちょっと疲れていて、単に逃避しているだけということは、自分でもよくわかっている。

2007/09/13/Thu.

最近はあまり実験をしていない T です。こんばんは。

複数のプロジェクトから手伝いを頼まれて、もちろん仕事だから否やはないのだけれど、そのたびに background を勉強したり、するべき実験のプロトコルを調べたり、そのために必要な機器・試薬を調達したり——、そんなことばかりをやっている。実際の実験は我らがテクニシャン嬢 2人にやってもらい、私は、出てきた結果を解析して、また次の実験を検討する。机の前に座ってばかりで、いったい何をやっているのか、という気になることもある。

サイエンスの目的は自然現象を何らかの論理で説明することである。そのためには実験が不可欠であるが、実験そのものが目的ではない。現実問題として、何かを明らかにしようと思えば、資金を調達し、場所を確保し、資材を注文し、何度も実験し、結果を解析し、論理を構築し、論文を発表せねばならない。これら全てを遂行するには、多数の人間が必要になる。大きなプロジェクトともなれば、分業が欠かせないだろう。私は実験を行うことができるけれど、他の事柄でも少しは役に立てる。テクニシャン嬢達はとりあえず実験しかできない (それにやりたくないであろう)。となれば、今のような体制になるのは必然である。私が実験に集中しても、全体としての効率が上がるかどうかは疑問だ。ましてや今は、職業としてやっているのである。

私は研究がしたいのか、実験がしたいのか、ふとそんなことを考えた。

2007/09/10/Mon.

阪神の首位奪回に 1人で湧いている T です。こんばんは。

土曜の夕方に東京駅でジョー兄と落ち合う。実際に会うのは約2年ぶり (他の連中にはもっと会ってない)。茶をシバいて一服してから、適当に呑み屋へ。仕事の話を中心に、色々と伺う。義兄弟とかいって、普段はお互いに全く連絡がないからね。それで充分なんだけれども。で、多群兄についての噂も色々と伺う。にはふ兄は最近どうしているのか、という話になったので、急遽電話。色々と伺う。皆、何だかんだと動きがあって、話が盛り上がる。近い内に総会を開かねばな。年末に関西のどこかで、ということだけは決まった。

その後、私の携帯電話が壊れる。アンテナを認識しなくなったようで、「圏外」の表示すらされない。私はホテルの予約もせずに来たのだが (バカ)、ジョー兄が携帯電話のネット検索で探してくれた。感謝! 無事に神田のビジネス・ホテルで就寝。

翌朝は 6時に起きて千葉の学会場へ。ポスター発表をして、午後には新幹線に乗って京都へ。いささか疲れたが、ジョー兄に会えたのは収穫だった。また呑みましょう。

学会のことについて少し

学会は会員の参加費によって運営されるわけであるが、学会員のほとんどが何らかの公的機関の人間であること、また多くの場合、彼らの支払う参加費が研究費から拠出されることを考えると、学会のかなりの部分が税金で運営されていることになる。したがって、学会はもっと一般市民に公開されるべきではないのか、という議論が成立する。あくまで考え方の 1つで、私がそのように思っているというわけではない。

さて、現在、学会発表を活性化させるため、多くの学会では発表者にディスカウントが適用される。単に聴講するだけだと、より多くの参加費を払わねばならない。これって逆じゃないのか、というロジックもあり得る。発表者は金銭を支払って、市民に自分の発表を「聴いてもらう」(ノリとしては、論文の publish や offprint に金を払う感じ)。学会員は、自分が関わっている学問の発展のため、会費を払って学会を運営する。これらの成果は国民に無料で開陳される。

とまあ、理想を語るのは簡単だが、なかなかそういうわけにはいかないだろう。学問にはある一定の水準が要求されるべきだし、国際的な競争もある。また、あまりにも公的な姿勢を前に出し過ぎて自由が失われる恐れも存在する。

だからといって、内輪ばかりが集まる小さな会を、毎年遊興地の近辺で開催するという (一部の) 学会のあり方がいつまでも罷り通るとは思えない。多過ぎるんだと思うよ、学会。

2007/09/09/Sun.

今回の学会ではボスが座長をするので気がラクな T です。こんばんは。

身内のセッションっていうのは、あまり好きではないけどね。

研究日記

午前は病院で実験。明日の準備や計画をザッと済ませ、午後から新幹線で東京へ向かい、夜はジョー兄と久々に会う予定。そのまま泊まって、月曜の朝イチから学会で発表。日曜から月曜にかけて学会、というのは珍しいと思う。来週も再来週も月曜は休みなのに、何でまた今週なんだろうな。ややこしい。

2007/09/08/Sat.

オンライン・ゲームもネカマもまだまだ初級レベルの T です。こんばんは。

ネカマ MHF 日記

仕事を適当に切り上げて、午後から MHF で遊ぶ。ネカマ道を極めるべく、エロカッコイイ装備を求めて、求人区で素材を収集。ここのプレイヤーはスキルも高くて勉強になる。こういう野良修行をしないと、なかなか上手にならない。私も頑張ろう。

その後、配下のミツグ君の 1人に声をかけられたので、ネカマ・モードに切り替えて付き合ってあげた。が、出会った頃に比べ、加速度的に慣れ慣れしくなっていく彼の態度にウンザリする。こっちが女のフリをしていると、一部のバカは付け上がってくるから困る。「どこ住んでるの?」とか訊いてくるなよ。ゲームをやってるヒマがあったらコンパにでも行け。特に MHF はネカマばっかりなんだから。まあ、こういう人間を観察するのがネカマの楽しみなのだが。

夜からジョー兄、アキラメンと合流し、雑談しながらプレイ。日付が変わる頃から眠たくなってきて、最後の方がグダグダだった。何でもない敵に対して死にまくり。1人ならともかく、パーティを組んでいるときは、集中力が切れてきたら素直に落ちた方が良いな。申し訳ない。

2007/09/07/Fri.

久しぶりによく呑んだ T です。こんばんは。

テクニシャン嬢 2人、研究員嬢、テクニシャン君、隣の研究員嬢と四条で晩飯。その後、1人で例のバーに飲みに行った。最後にこの店を訪れたのは去年の暮れだから、これではもう常連でも何でもない。また通うか。店は相変わらず空いている。御無沙汰していた間の出来事なんかをマスターと話して、多分、日付が変わる頃に店を出た。

2007/09/06/Thu.

ゲームや読書はできるだけ短期間に、濃密に行うのが好きな T です。こんばんは。

でも、オンラインでダラダラやるのも楽しいな。1人でやるか、複数人でやるかの違いなんだろうか。

きのこの山 vs たけのこの里

まだまだ調査中。御協力頂ける方は BBS まで。

きのこの山派

名簿 (3名)
私、テクニシャン K嬢、アキラメン
好きである主な理由
「チョコレートとビスケットが分離できる」

たけのこの里派

名簿 (7名)
テクニシャン S嬢、研究員嬢、テクニシャン君、隣の実験助手女史、隣の研究員嬢、院生のK先生、ジョー兄
好きである主な理由
「チョコレートの量がきのこの山より多い」「食感が良い」

MHF 日記

私、アキラメン、ジョー兄という 20代後半の野郎 3人が女キャラを操りながら、猟団を結成しようという話になった。名付けて猟団「大人の時間」。団長は不肖・私が務めている。サーバ 3 でまったりと活動中。

Monster Hunter Frontier Online (MHF)

paru氏が参戦されるとのことなので、今から楽しみにしております。面白そうだな、と思っている貴方。必要なのは PS2 のコントローラーと USB アダプタ、そしてちょっとした出来心だけです。

2007/09/05/Wed.

というか、チョコレートは滅多に食べない T です。こんばんは。

明治製菓の「きのこの山」と「たけのこの里」のどちらが好きか、という話になったので、職場でアンケートをとってみた。きのこの山が好きだったのは私とテクニシャン K嬢のみ。理由は「チョコとビスケットが分離できるから」。テクニシャン S嬢、研究員嬢、テクニシャン君、隣の実験助手女史、隣のテクニシャン嬢改め研究員嬢、院生の K先生などなど、ほとんどの人がたけのこの里を支持した。理由は色々とあったが、私が一番合理的だと思ったのは、テクニシャン君の「きのこの山よりチョコが多いから」。何だか知らないが納得させられてしまった。

それにしても、きのこの山がこれほどまでに惨敗するとは。ロールケーキをはがしたり、オレオをはがしたりするような分解癖のある人間としては、絶対にきのこの山だろ。

MHF 日記

昨夜は、女キャラでサーバ 3 に移住してきたアキラメンに会った。彼も相当にハマってるな。アキラメンはきのこの山を分解して食べると言ってたな。

2007/09/04/Tue.

それでもパソコンは安いと思う T です。こんばんは。

研究日記

懸案の論文を submit する。私がやったのは PDF ファイルの作成までで、submission はボスがやったわけだが。そういえば、今回は cover letter を書かされなかった。ボスが書いたのか、それとも以前に投稿したものを使い回したのか。返事が来るのは 1ヶ月後くらいかな。学会で忙しい頃だ。

論文は、投稿しようとする雑誌の instructions for authors に則って作成する。「アプリケーションの開発と想像力」でも少し触れたけど、instruction の指定はかなり細かい。特に figure では、解像度だとか、RGB か CMYK かなどが決められているのだが、高齢の方々はほとんど理解できていない。

まだまだコンピュータやネットワークの発達は不充分だな、と思う。コンピューティング環境がもっとパワフルになれば、データ量や転送量や処理時間に縛られることもなく、常にクオリティの高いデータを扱うことができる。これは印刷用、あれは Web 用などと気を遣わずに、人間だけができる仕事に打ち込むことができる。それがコンピュータの目指すところなんじゃないか。パソコンは、ネットは、もっと高速に、もっと大容量に進化する必要がある。現状では、何もかもが全く足りていない。

パソコンを使用中にイライラすることはよくあると思うのだが、これって実は大変な問題だと思うよ。テレビや洗濯機や冷蔵庫にイライラすることなんてないわけだし。

2007/09/02/Sun.

ゲームというものは必ずしも進化しないことを知りながら、それでも新作が楽しみな T です。こんばんは。

ゲームっていうのは、やはりルールとアイデアがコアなんだな、と思う。映像やサウンドってのは、2次的なものなんだよね。もっとも、傑作になるには全ての要素が高水準で有機的に結合していなければならないのだけど。

Web 日記

サイトの見た目を変更する作業をボチボチと進めている。表示確認は Safari 2 (Mac)、Safari 3 (Win)、Firefox 2 (Mac/Win)、Opera 9 (Mac/Win)、IE 7 (Win)。ちなみに Win は XP。IE 6 では確実に表示が乱れるけれど、もう気にしないことにした。

少なくとも私以上〜定年以下の世代において、コンピュータその他に時間や金銭をかけない人間は、情報収集に興味がないのだと判断されても仕方がないように思える。運転免許証みたいなものだろう。車に乗るとか乗らないとか、そういうこととはあまり関係がないのと一緒。

ゲーム日記

ネタがないので、シリーズもののゲームにおける最高傑作を独断と偏見で選んでみた。異論は認める。というか、それぞれのシリーズの愛好者には、自分が好きな作品を熱く語ってほしい。

以下、思い付くままに挙げる。

ドラゴンクエスト
「III そして伝説へ」が断トツでトップ。しかし「III」の感動、特にアレフガルドに辿り着いたときのそれは、「I」および「II」が下敷きとなっているので、正確には初期 3部作というべきか。次点で「VIII 空と海と大地と呪われし姫君」。
FINAL FANTASY
「X」かな。戦闘、各種イベントやミニゲーム、ストーリーにグラフィック、どれも密度と完成度が高かった。次点で「IX」。この作品において PS というハードの性能を限界にまで引き出したことが、PS2 における「X」の成功を導いたと思われる。
無双シリーズ
「三國無双 2」+「猛将伝」。無双シリーズによって、全く新しいアクション・ゲームのジャンルが切り開かれたといって良い。その後に各種の追随が生まれたが、バランスの取り方、初めて完成形を示したことによるインパクト、麻薬的な魅力などなどで、「三國2」がトップ。
BIO HAZARD
これは難しい。あえて選んで「2」。アリスという女性を主人公にしたことが良かったのだと思う。
モンスターハンター
これは無印だろうか。無双シリーズと同じで、新しい世界を切り開いた (しかも最初から完成度が高かった) という点が大きい。ゲームとしての洗練度は「2nd」が群を抜いている。これが PSP ではなく PS2 で発売されていたら、ミリオンセラーどころの騒ぎではなかっただろう。
SILENT HILL
これは圧倒的に「3」だな。とにかく怖い。ストーリーと演出が素晴らしい。アクション・ゲームではあるのだが、仮にこの作品が単なるアドベンチャー・ゲームだったとしても、相当に評価が高かったのではないか。
Devil May Cry
これは無印だろうか。「2」もストーリーは悪くなかったが、いかんせんヌル過ぎた。「3」のアクションはまあまあだが、ちょっと漢らしさに欠ける。「4」に期待。
信長の野望
「将星録」が一番好きだった。シムシティ的な内政マップと、軍団移動のマップが同一であるというシステムが新しかった。また、それによる駆け引きもなかなか面白い。実際の戦闘システムは、次作「烈風伝」で大幅にブラッシュアップされたが、内政が複雑かつ退屈になってしまったのが悔やまれる。
スーパーマリオブラザーズ
これは「3」だな。SFC だと勘違いしそうになるが、ファミコンで動いているんだぜ、これ。
Front Mission
無印かな。Front Mission はどの作品も今一歩でブレイクに及ばない歯痒さがある。このシリーズはまだ 1つ目の完成形を提出していないのではないか。今後に期待する。
METAL GEAR SOLID
圧倒的に「3 SNAKE EATER」を支持する。シナリオが良いし (以前のシリーズがあってのことではあるのだが)、ゲームとしてのボリュームもある。ネタが細かいのはこのシリーズの大きな特徴だが、そのネタを支える精密なグラフィックをようやく「3」で獲得できた、という感じがあった。「4」に大きく期待。
Wizardry
正伝と日本オリジナルの亜流があり、亜流はさらに細かく分派する。私はスターフィッシュのエンパイア・シリーズが好きだ。グラフィックが日本向けだし、アイテムの豊富さも良い。割とシナリオがしっかりしているしね。これには反対の意見も多そうではあるが。

他にもたくさんあるはずだけど、パッと思い付くのはこれくらいかな。

2007/09/01/Sat.

そろそろ来週の学会の準備をせねば、と思っている (だけの) T です。こんばんは。

今日の日記は、週末にゲームをやりながらダラダラと書いた文章をアップする。まとまりはないが御容赦を。

青酸ポタ

ナトリウムは英語で sodium というが、元素記号は Na なんだし、ラテン語の natrium を使えば良いんじゃないか、といつも思う。しかし、natrium acetate とか natrium salt っていうのは、少し言いにくい気もする。

カリウムは英語の potassium より、元素記号 K の起源である kalium の方が発音しやすい。アルカリという言葉とも関係が深いし。ちなみに kalium はドイツ語である。ところで、青酸カリの「カリ」はカリウムのことだが、もしも明治日本が英語で化学を学んでいたら、青酸カリは「青酸ポタ」になっていたのだろうか。フィクションの世界では、青酸カリが毒物の王として君臨している。が、果たして「青酸ポタ」でも同じ結果になっただろうか。弱そうじゃないか、青酸ポタ。

といえばヒ素も強そうだな。「そもそも『ヒ』って何よ?」という得体の知れなさが不気味である。「砒素」と漢字で書いても良い。「亜ヒ酸」なんて、日本語の文字列としては狂気の域にある。キチガイの日記に出てきそうな字の並びだ。

アセチル化酵素は acetyltransferase、脱アセチル化酵素は deacetylase である。わかりやすくてよろしい。しかしリン酸化酵素は kinase、脱リン酸化酵素は phosphatase という。こういうのは気持ち悪い。余談だが、demethyl (脱メチル) と dimethyl (ジメチル) の区別は日本人には難しい。

ES 細胞の無限増殖能と分化全能性

ES 細胞の定義には結構あやふやなところがあって、胚の内部細胞塊 (ICM; inner cell mass) から取ってきた細胞は全部 ES 細胞、というわけではない。ES 細胞には大きな特徴が 2つあり、

  1. 未分化状態での無限増殖能 (self-renewal)
  2. 分化全能性 (totipotency)

これらの条件を満たす細胞が ES 細胞として樹立される。

まず 1. だが、そもそも「無限」回の増殖を確認する方法はない。せいぜい、数百継体の間は未分化状態を維持できる、ということが確認されているに過ぎない。実験で使うにはそれで充分だが、では 1万回目の継体時に何が起こるか (起こらないか) は誰も知らない。慎重な総説などでは「事実上無限」という書き方がされているはずだ。

次に 2. だが、全能性は、内胚葉、中胚葉、外胚葉への分化能を確認することによって担保される。全ての成体細胞は、これら 3胚葉から発生する。したがって、3胚葉全てに分化できるなら、自ずと全細胞への分化能もあるはずだ、という考えである。ところが、いまだに ES 細胞からの分化が確認されていない最終分化細胞は多数存在する。「全能性」など誰も確認したことはないのだ。

もう 1つ、これは全能性の裏返しなのだが、ES 細胞からは、nature には存在しない細胞が分化してくるケースもある。同時に発現するはずのない 2つのマーカーを合わせ持つ、生体内には存在しない細胞。そういう異常な細胞が ES 細胞からは現れる (こともある)。全能性というポテンシャルは、このような側面も持つ。

都会のネズミと田舎のネズミ、どっちもネズミだろ

あえて逆説的に書くと、辺境にいることで世界の広がりを感じることができる。世界の中心では何でも揃うが、慣れてしまうと、その中心が世界の全てだと勘違いしがちになる。権力の中枢などが、その典型的な場だろうか。

自分は何でも知っている、という感情が、優越感になる意味が私にはよくわからない。知らないことがある方が楽しいし、世界を広く感じる方が面白いと思うんだけど。その上で、知るということが大事なんじゃないのかな。

経験とキャリア

「あなたのキャリアを生かして~」という文句はよく見かけるし、「しっかりとキャリアを積んで~」という考えを持って働く同世代の人間は多い。このキャリアというものを少し考えるに、「~という会社で……という仕事を X 年しました」というのは「経験」ではあるが、いささか主観的に過ぎるようにも思える。それが「キャリア」となるには、他人に証明できる何かが必要とされる。

経験は無意識的にも積み上げられるが、キャリアはそうではない。世知辛いけどね。