- 代償と獲得

2007/05/17/Thu.代償と獲得

布団のシーツが破れてしまった T です。こんばんは。

研究日記

大学 → 病院。

学会の抄録を書く。Not including space で 2000文字という量は、抄録にしては長い方だろう。明日中にボスへ発送する予定。

その学会にエントリーしないかも、と研究員嬢がこぼしていた。これまでのプロジェクトで芳しい結果が得られていないようで、このテーマを深追いするのはやめようか、という話になっているらしい。まことに残念なことだが、よくあることでもある。私も経験した。彼女は至って真面目だから、プロジェクトの中止によって生じた「遅れ」を「取り戻そう」と一所懸命になっている。少なくとも、私にはそのように見える。そういう考え方は辛いだろうと思うのだが、性格だから変えようもないのだろう。私にも似たような面があるから、何となく理解はできる。

本人から聞いたわけではないが、恐らく彼女は、私が週末にも実験していることを気にしている。であるから (かどうかは知らないけれど)、平日はいつも私より遅くまで残っている。酷い言い方だが、しかし、そのようなやり方で得られる効率は高が知れている。短時間でも土日に実験する方が絶対に効率が良い。このことは「グループ・ワークの効率化」でも書いた。だからといって、研究員嬢に私のような生活を勧めているわけではない。むしろ逆である。そもそも——、私と比較することには何の意味もない。

私は私のやり方を推奨するつもりは全くないし、他人のやり方を批判するつもりもない (明らかに怠惰である場合は別だけど)。人はそれぞれ、求めるもの、そのために支払える代償が異なる。「土日の実験は効率が良い」といっても、それはただそれだけの話である。研究以外の事柄が大事な人にとっては、クソのような考え方だろう。

研究員嬢の働きぶりは、私ばかりではなく、ボスや助教の先生も心配しておられる。彼女が新婚だから、という理由も大きい。人の価値観は様々だが、自分が所持しているものの価値は、他人の方が正確に査定できることもある。一方で、隣の芝生は青く見える、という経験則もある。悩んでいるときに、他人の意見を聴くか、それとも自分の信念を貫き通すか。これは微妙な判断である。判別できるくらいなら、そもそも悩みはしない。

悩みというのは、可能性の幅でもある。その最中に気付くことは難しいが、悩めるだけの選択肢が目の前にある、ということなのだ。だから大抵の悩みは、後から「何であんなに悩んでいたのか」という形で思い出される。とまァ、ポジティブ過ぎるくらいで、ちょうど良いのではないか。