セミは 7年とか 11年とか 13年とか、とにかく長い期間を土中で過ごすわけだが、その間に頭上一帯がアスファルトに覆われたらどうするのだろう、と考えたら暗い気分になってきた T です。こんばんは。
それにしても、adult になるまでに 13年って、ほとんどヒト並だな。10年以上の生殖周期を持つ生物ってほとんど存在しないんじゃないか。
ところで、セミの幼体が過ごす 7年なり 11年なり 13年なりという数は素数であり、これはセミの大繁殖と天敵の大繁殖の周期ができるだけカブらないようにするためだ、という説がある。真偽のほどは知らない。それはともかく、素数を数えるためにはその素数と同じ数のシグナルというかスイッチが必要になるのではないかと想像できる。例えば 12 を数えたければ、3 つのスイッチが 4回入った、という形で因数分解できるわけだが、素数ではこれができない。システムが冗長になりそうな気がして、進化的にどうなの、という疑問を持った。生物で確認されている最も大きな素数っていくつなんだろうな。
事務仕事に飽きてきた T です。こんばんは。
研究費について、大学で文部科学省のヒアリング。私は末席で黙って聴いていただけだが、色々と勉強になる。これは正直な気持ちでもあり、皮肉でもある。
研究者にとって最も重要なことは、サイエンティフィックな結果が出せたかどうかであるが、役人にとって一番大切なことは、計画通りに予算が執行されたかどうかである。予算を残して研究が成功するよりも、予算を使い切って研究が失敗した方が役所的には「正しい」。あるいは科学的に誠実な報告書よりも、計画書に一対一対応した読みにくい報告書の方が喜ばれる。同じ書類を前にして、我々はサイエンスについて議論し、役人は国語について指摘する。まさに茶番。お互いに馬鹿馬鹿しく思っているんだろうな。
ここまでして書き上げた報告書が、国民一般に広く公開されるのであればまだ浮かばれようが、現実には、提出した報告書がその後どういう経過を辿るのかは誰も知らない。果てしなく無意味なんじゃないか。
脱力感に襲われつつも、こういう場に参加する機会はなかなか得られないので、貴重な経験だとも、一方では思う。とにかく何でも知っておいた方がよろしい。知らないと恥をかくし、目が曇る。批判はその後だ。
新しい仕事をボスからおおせつかる。核内受容体っていわれても、全く知らないんだけど。そう、知らないと恥をかく。勉強するか。
ネカマ初心者の T です。こんばんは。
女装する男の気持ちが、ほんの少しだけわかったような気も。
大腸菌のコロニーが生えていたので、GATEWAY システムによる組換えは成功した模様。形質転換効率もまあまあ。Background が異常に高くなければ、無事に plasmid が取れるはず。
近頃はもっぱら女キャラで遊んでいる。私の男キャラに付き合ってもらったアキラメンには本当に申し訳ないが、ネカマが楽し過ぎるので、男キャラを使うことはしばらくないだろう。
ゲームは娯楽であり、キャラの選択は趣味である。男のプレイヤーが女キャラを操作しただけで即ネカマだなどとは私も思わない。ネカマを標榜するからには、それなりの言動が求められるわけである (誰も求めちゃいないが)。まァなんだ、つまりそういうアレやコレやを、最近の私は実際に演じているのだ。
キモいですね。ホントにゴメンナサイ ><
ネカマをやってみて思ったのは、
1. はともかく、まず 2. であるが、これは理解できるだろう。そもそも、MH シリーズのような難しいアクション・ゲームをオンラインでプレイする女性など、相当に少数なのである。したがって、女キャラを操作しているのもほぼ男なのだ (もちろん彼らの大部分はネカマでも何でもない)。そんなことは、ネカマをやる以前から、オンライン・ビギナーの私にもわかったことである。それはそれで楽しいし、私は一向に気にならない。過半の人はそういう考えだと思う。
ところが驚いたことに、そういう具合に考えない人間が、実は結構な数で存在する。最近知ったことだが、「女キャラ = プレイヤーも女」という思考をする奴を「直結君」と呼ぶらしい。直結君は私が女だと思い込むや否や、アイテムを恵んでくれたり、面倒臭いクエストを助けてくれたりする。男キャラで遊んでいたときに比べ、このような慈善事業に出くわす頻度が極端に増えた。男ってバカだよなあ。そう思って少し哀しくなる。
エピソードを 1つ。私があるクエストで死亡したとき、直結君に「守れなくてゴメン……」と言われたときには、どう反応したら良いのか困った。というか引いた。いや、そういうゲームじゃないから。
しかしここで反応できないあたり、私もネカマとしてまだまだである。「ううん、アリガト。。。」くらいは咄嗟に返せるようにならねばならんな。精進しよう。ま、そんなドン引きも含めて、ネカマ・プレイを楽しんでいる。
直結君とは逆に、ネカマの方々は総じて上手く、また話も面白い。マジになっている人間と、シャレでやっている人間の違いだろうか (付け加えると、それぞれのプレイ・スタイルを否定するつもりは全くない)。最近はネカマ友達を作ることが楽しくて、その内にネカマ猟団でも創設しようかと考えている。
ジョー兄のネカマ参戦も決まったし、アキラメンも新しいキャラでネカマ・ライフを送ってみないか。と煽ってみる。何だか別のゲームみたいだが。
思い込みの激しい T です。こんばんは。
Invitrogen の GATEWAY システムを初めて使う。こんなので本当に遺伝子が組換わるのか、というくらいに簡単。結果は明日。
実験用アプリケーションは、とても難しい商品だと思う。実験というのは失敗するものだが、それが「商品」となる以上、できるだけ失敗の確率が低くなるように配慮しなければならない。メーカーに基礎資料を問い合わせると、(モノにもよるが) 膨大なデータが送られてくる。説明書には微に入り細に渡る注意点が記載されており、ときには数十頁に及ぶ場合もある。
研究とは、誰も知らなかったこと、誰もやらなかったことを追求する行為である。失敗は当たり前。誤解を恐れずに極論すれば、実験は「成功すれば良い」。しかしメーカーにとって実験とは、「失敗すると困る」ものである。「成功すれば良い」と「失敗すると困る」、これは似ているようで少し異なる。研究者は失敗する条件を探す必要はほとんどない。しかし開発者は、考えられ得る限りの「失敗するケース」まで知らなければならない。減点法というか、マイナス思考というか、そういう指向が大切になってくるんだろうなあ。
こういった減点法に基づく開発は、日本ではとても重要視されてきた。日本のモノ作りにおける耐久テスト、破壊・非破壊検査は大変に厳しい。この厳格さが made in Japan を世界一に押し上げたといえる。
といっても、これはハード面に顕著なことであって、ソフトな部分では今一つという印象がある。ソフトウェアとかアプリケーションの伝承が、日本人は極めて不得意なのではないか。例えば各種の日本的「道」がある。これらは優れたソフトウェアだが、伝達は個人的であり秘教的である。口伝に秘伝に一子相伝。これが我が伝統であり、それはそれで良い面もあるのだが、どうも競争に弱い。
神道がその典型例だろうな。原典となる教典がない宗教なんて、冷静に考えると物凄くヘンだよ。仏教には仏典があり、キリスト教には聖書があり、イスラム教にはコーランがある。神道には何にもない。
海外メーカーの実験キットに添付されたマニュアルを読みながら、そんなことを考えた。日本人がこれを書くのは難しいだろうな。日本人なら、優秀なキットを作ることはできるはずだ。ただ、間違った使い方をされて実験が失敗したとき、「おいおい、ちゃんと使ってよ」と思ってしまうんじゃないか。
注意点というのは、「相手はこういうことをするかもしれない」という想像力によって生まれる。日本人はこの種の想像が下手なんじゃないか。自分の考えもしなかった行動を相手がすると、すぐに「常識がない」となる。ムラ理論だな。一方で、モノは流通するから、「変なモノを出すと恥ずかしい」。いきおい、検査が厳しくなる。これは恥の理論。などと無理矢理まとめてみた。
想像力って大事だと思うよ。目に見えている世界は凄く狭い。例えばこの日記だって、物質的には単なるディスプレイの滲みにしか過ぎない。文字に見えるのは、貴方に想像力があるからだ。
デスクワークを溜めている T です。こんばんは。
サイトのリニューアル案を少しずつ考えている。この段階が一番楽しい。
ずっと以前から参考にしている ADP というサイトがあって、長らく更新が途絶えていたのだが、最近になってリニューアルおよび更新再開となり、ファンである私は密かに喜んでいる。ADP では (X)HTML/CSS が strict であり valid であることを重視しており、そこから私は色々なことを学んだものである。
しかし、近頃は私の考え方も少し変わってきた。(X)HTML/CSS の構文に、それほど気を付ける必要もないんじゃないか。日記の「続きを読む」で少し触れ、その後、BBS でも Retus 氏の書き込みに対して述べたけれど、要するに「中身」を知るだけなら RSS を読めば良い。逆に、わざわざ本家を訪れる人は、「中身」だけではなくサイトの雰囲気なども好きだからではないか。そんな推測ができる (実際に私がそうである)。
ならば、多少ソースが汚れようと、オリジナルのサイトでは見た目やギミックに凝るのも良いんじゃないか。内容さえわかればそれで良い、という人は RSS を読んでね。そういう棲み分け。
ここ数日、現実の日付に日記が追い付いていない T です。こんばんは。
そろそろまたサイトをイジろうかなあ、と考えている。やるなら、次は IE 6 を考慮に入れない予定。とりあえずディレクトリの整理からかな。画像やリンクの接続が切れているようでしたらお知らせ下さい。
少し話は逸れるが、ゲームばかりやっていると、「ああ自分も何かしなきゃなあ」という気持ちにいつもなる。ゲーム、特にコンピュータ・ゲームを、私は完全な消費であると認識している。ゲームの世界は、プログラム中にあるコード、リソースから一歩も抜け出せない。そういう時空間の中で遊んでいる、遊ばせてもらっている、という考えなんだな。もっとも、楽しければそれで良いのだが。娯楽なんだから。
というわけで私は、ゲームに過剰な意味を見出すのは嫌いだ。それはちょっと違うだろ、と。クリエイトしたければ、自分の手を動かすしか方法がない。だから、ゲームにハマった後は仕事やサイトに打ち込みたくなる。私だけではあるまい、と密かに思っているのだが、確認する術はない。
それでも、ゲームをプレイすることによって創作欲が昂進するというのは、割と一般的な現象のように観察される。大量にアップされる MAD ムービーはその典型例ではないか。消費者とエンターテイナーの中間的な存在になるだろうか。こういう指向は大事だと思う。創作欲って結局のところ、サービス精神のことだと思うんだよね。クリエイティブな人間って、大抵は面白い奴だし。
キャラの性別が選べるゲームでは基本的に男キャラを選択する T です。こんばんは。
MHF は継続中。ただ、男キャラのグラフィックがあまりにもあまりなので、新しい装備を作るモチベーションが低下気味。MH は、モンスターを狩って手に入れた素材から武器防具を作るのが全てのゲームなのに、これじゃあダメだ。当然の流れとして、最近は段々とログイン時間も短くなってきた。
そんな私の心にトドメを刺したのが下の動画。
これはヒドい。でも、こういう格好をしなければ強いモンスターと渡り合えないのである。ちなみに現在の私は下の写真のような格好。
やっぱりダサい。まだこれから何十時間、何百時間と付き合うのに、全く愛着が湧かない。
で、魔が差して女キャラを作ってみた。それが下の写真。
何だか普通に可愛いんだけど。いや、正直いって、こういうゲームで可愛いだの可愛くないだのというのは私の趣味ではない。むしろ嫌いだ。しかしそれにしても、上のキャラと下のキャラ、グラフィックに差があり過ぎないか。諸賢ならどちらを選ぶ? 同じゲームなんだぜ、これで……。
どちらをメインに使うかは悩むところ (女キャラは一から育て直しなので)。男はサーバ 1、女はサーバ 3 にいる。などと書くのは、ジョー兄の参戦を待っているからである。
この 1ヶ月は 1冊も本を読まなかった T です。こんばんは。
病院 → 大学。
大学の RI 実験はまずまず成功。途中、乾燥させたゲルが割れる (幸いにもサンプルとは関係のない部分だった) などのトラブルもあったが、思っていたような結果が出て安堵する。このデータを加えて論文を投稿するわけだが、エラく時間がかかってしまった。まァ、データの追加 = publish ではないので、まだまだこれからが大変なのだけれど。などと思いつつ、とりあえず明日は休もうかなと考えている。良いのか、それで。
病院にて、隣のテクニシャン嬢に FACS の解析方法を教授。ある血球における表面抗原の発現を見たいらしいが、私には単球とリンパ球と赤血球を見分けられる程度の知識しかない。機器の使い方は教えてあげられるけれども、実験の背景に関しては全くの素人である。例えば抗体に反応する細胞群を囲んで、その割合を出すことはできる。でも、はじき出された数字が妥当なのかどうか、私には判断できない。
「こうしたら一応数字は出る。他の論文でもこんなもんなの?」
「う……、調べておきます」
こういうやり取りが何度かあった。彼女がテクニシャンである内は、これでもまだ良いと私は思う。
ところが、彼女は近く研究員になるらしく、同時に、雇い主である先生から大学院への進学を勧められている、という話を以前に書いた。色々と悩んでいるらしく、少しだけ話を聞いた。ケッサクだったのは、彼女の両親が「学歴が高くなると結婚に不利になる」と言って反対しているというエピソード。こういう考えが、21世紀の日本にもまだ残っているのだなあ、などと変な意味で感心してしまった。
女性の学歴を気にする男って、そんなにいるのか? 仮に存在したとして、そんなことを気にする男との結婚が不利になることに、何か問題があるのか? よくわからん。
1番が好きな T です。こんばんは。
自分が 1番になることにはあまり興味はないが (というか能力的に無理)、だからといって 1番の価値を貶める考えには全く賛同できない。1番は尊い。1番をケナす奴はバカじゃないかとすら思う。
以前にも書いたが、10人中 1位になるのと、100人中 10位以内に入るのとでは、その難易度は全く異なる。この違いを知っているかどうかはとても重要だ。今日は高校野球の決勝だったが、たまに「両方のチームを優勝させてあげたい」という奴がいる。アホか。優勝校を決めないのなら、40℃になんなんとする炎天下で大会を開催する意味がない。球児もガックリだろう。トーナメントの機能はただ 1つ、勝利者の決定である。その頂点に魅力ある栄誉があるから、競技者はトーナメントに参加する。
そもそも、「優勝させてあげたい」っていうエラそうな発言をするお前は何様? こういう人間は人生でロクな勝負をしたことがないのだろう。不愉快極まりない。
1番になった人間が抱える最大の困難は、「1番であり続けること」だろう。この難事を成し遂げる人間を天才という。以前から思っていたのだが、イチロー、羽生善治、武豊がスゴいのは、野球や将棋や競馬に興味のない人からも「天才」と認められていることである。冷静に考えて、これはトンデモないことですよ。彼らは一定の期間「1番であり続けた」。理由はそれに尽きると私は思う。
1番にならなくても良い、と私も思う。でも、1番のスゴさを理解できるくらいにはなりたい。
原理を知らなくても成功するように書かれたのが良いプロトコルだと思う T です。こんばんは。
良いプロトコルを書くには、原理を知らないといけないんだけどね。
これが怖かった。
まだ最後までオチてないんだけど。続きが気になる。
病院 → 大学。
という書き方も久し振りだな。大学では引き続き、RI の実験。空調と照明の悪い部屋で 1人、放射線を浴びながら実験をする。RI 施設に出たり入ったりするのは面倒だから、SDS-PAGE をしている間、バンドが泳動されるのをずっと眺めて時間を潰した。本でも持ってくりゃあ良かったなあ、などと思いながら、この半年のことをつらつらと考えたりして。
ところで、RI 標識したサンプルをフィルムに暴露するときは -80℃で行うというプロトコルなのだが、この温度にはどういう意味があるんだろう。必ずしも低温に置く必要はなさそうだが、冷やした方が better、と色んなところに書いてある。何で?
御存知の方がおられましたら御教示下さい。
「慈悲を垂れる」って物凄く上からの目線だよな、と思う T です。こんばんは。
研究をやっていて良かったと思える (数少ない) ことの 1つに、頭の良い人間との出会いがある。低頻度で存在する人種と高頻度で交錯するわけで、まァこれが本当に「良いこと」なのかどうかは微妙なところでもあるのだが、それでもやっぱり刺激になることは否めない。ただ残念なことに、頭の良さというものは才能に因る部分が大きいので、努力だけでカヴァーするにも限界がある。刺激は受けたが諦める、というパターンも多い。それでも、空を見上げるのは気持ちの良いことだ。
私は努力の可能性と同じくらいに、才能の存在を信じている。2週間前の日記に、「適性があったからといって生かさなければならない、という決まりもない」と書いた。才能の使い方はその人の自由だ。それが生き方の定義である、と断定しても良い。ネット上には「才能の無駄遣い」が溢れている (知らない人のために書いておくと、これは褒め言葉である)。無駄がどれほど素晴らしいことであるかは、全ての文化が証明している。文化とは無駄の様式だ。無駄がないのが文明。どちらも豊かな人類社会には必須であることは言うまでもない。
研究という行為には、重箱の隅を突くような矮小極まる自己満足と、人類全体の福祉に貢献するという誇大妄想的な理想が同居している。「私の研究は無駄ではないのか」。4年前の私が現在の進路を選択した理由の 1つに、この感情がある。だが今は、それほどこの問題について考えることはなくなった。何故だかは上手く説明できないのだけれど。
夜は職場で ES 細胞の講習会。招待講演の先生のプレゼンテーションが素晴らしかった。講演後、その先生を囲んで懇親会。
唐突に思い出したが、さくらももこが「優しさは頭の良さで補える」と書いていた。「ポーズでも良い、優しく振る舞ってほしい」。しない善より、する偽善。優しくあることは難しくて、とても簡単だ。
なかなか充実した 1週間を送ることができた T です。こんばんは。
午前中に妹と下鴨神社を参拝。大炊殿に初めて入る。午後から大学で実験。今週は、半日遊んで、半日実験して、という感じだった。
夜は隣の実験助手女史のセカンド・ハウスにて納涼会。参加者は私、テクニシャン K嬢、研究員嬢、隣のテクニシャン嬢。隣のテクニシャン嬢は、近く研究員に昇格するとのことだった。それに伴い、私のように働きながら大学院に進むことを、雇い主である先生から勧められたらしい。どうしましょう、と訊ねられたが、なかなか難しい問題である。
(この仕事を続けるのなら) 大学院に進んだ方が絶対によろしい。彼女が進学するのは修士課程だから、真面目にやりさえすれば確実に 2年で修了できる。金の心配をせずに大学院に行けるというのは非常にありがたいことだ。そんなチャンスはそうそうない。
とはいえ、実際に社会人と大学院生の二足の草鞋 (わらじ) を履くのは相当に大変である。大学院に「行かせて頂く」立場になるわけだから、ちょっとやそっとの無茶は全て飲み込まねばならない。頼りになるのは自分のヤル気と覚悟だけ。それが貴女にありますか、そこまでしてやりたいことがありますか、という話に尽きると思う。
まあ、最後に決めるのは自分であるわけだが。これは私自身が働き出してから思うようになったことだが、1年や 2年は保留するのもアリだと思うよ。悩んでいるくらいならね。
京都の大文字焼きを見て夏を過ごすのも 3回目となった T です。こんばんは。
大文字焼きを見たいということで、妹とその友人が遊びに来た。夕食を一緒に済ませてから、我が家の屋上から大文字焼きを観賞。
相変わらず迫力があるぜ、と眺めていたら、
いつの間にか「太文字焼き」になっていた。何だこれ。
いつもの駅から、いつもとは反対方向へ走る電車に乗ってみたい T です。こんばんは。
なんてな。
ところで「キショい」というのは関西弁なんだろうか。念のため説明しておくと、「キショい」は「気色悪い」のことである。「気持ち悪い」ことを「キモい」というのに似ている。
「気色悪い」はもちろん「きしょくわるい」と読むわけだが、「気色ばむ」と書けば「けしきばむ」と読まねばならない。「気色」という字を、この 2語以外で見かけることはほとんどない。一応辞書も引いておく。
- きしょく【気色】
- (1) 顔などに現れた、心の内面の様子。「——をうかがう」。(2) 物事や人などに対して抱く、気分。「——が悪い」。(3) (顔色・表情などに現れた) 体の状態。「——がすぐれない」。
- けしき【気色】
- (1) 顔色や態度などにあらわれでた心の動き。「臆する——もなく進み出た」。(2) 何かが起ころうとする気配。きざし。「雨は止む——もない」。
(『新辞林』)
どうも使い分けの境界が不分明である。日本語は難しいな。
夏が好きな T です。こんばんは。
清少納言は夏の朝が好きらしいが、俺は断然、夕暮れ時が好きだ。でもそれは歳を取ってからのことで、昔は昼間、午になる少し前が一番良かったような気がする。土曜日の半ドンとか最高だったね。関西人なら、昼食を食べながら吉本新喜劇を観たはずだ。あの半ドンの感覚は、週休 2日制になって失われた文化 (?) の 1つだと思う。
昨日の日記で、「国際学会で世界中から人が集まるのは無駄ではないのか?」という問題提起をしておいた。私は無駄ではないと思う。
大抵の情報はネットを通じて手に入るようになったが、ネットに流通している情報は常に 2次情報であるという事実もまた、しっかりと認識しておきたい。「ネットでしか手に入らない情報はあるか?」。この問題は少し考えてみる価値はある。また、ネット以外のメディアにおいても、同様の懐疑が成立することはいうまでもない。
究極的にいえば、全ての 1次情報は「誰か」が個人的に保持しているものである。だから、最も高級な情報収集の方法は「人に会う」ことなのだ。政治家が密室で会合するのも、就職試験の最終段階が面接であるのも、理由は同じ。そうしないと得られない情報があるからなのだ。
どれだけ通信方法が発達しても、人と人が会うことは絶対になくならないと思うよ。
学会について思うことのある T です。こんばんは。
「国際学会で世界中から人が集まるのは無駄ではないのか?」という人がいる。私は必ずしもそうは思わないが、その理由はまた後日。
ところで、「環境問題の国際シンポジウムが環境を破壊する」という笑い話がある。国際的な会には、世界中から参加者がジェット機に乗ってやって来る。環境問題の国際会議を全廃すれば、ちょっとした量の CO2 やら電気やらが削減できるらしい。そういう話である。
アメリカの学会から演題採択のメールが来た。今年も oral で発表できることになった。この学会はレベルが高いので、嬉しいことである。
というわけで、秋の学会は 9月が東京、10月が北京、11月がフロリダということになった。頑張って乗り越えれば正月だ。アッという間なんだろうなあ。
パーティでプレイするときは、強い敵に皆で挑んで、やれ「勝った」だの「やられた」だのと遊ぶわけだが、それだけではやっていけないのが MHF (というか MH シリーズ全般) というゲーム。
1人のときは縄文人のような狩猟採集生活を送っている。MH では店にロクなアイテムが売っておらず、大抵のものはフィールドから集めてこなければならない。最近の作品では幾らかヌルくなっている (農場などが導入されている) とはいえ、ゲームのコンセプトとなる部分であるから、この作業がなくなることはないだろう。もちろん、それもまた楽しいのだが。
久々に花火を見た T です。こんばんは。
我が家には現在テレビがないわけだが、そういえば、新型 PSP (PSP2000) ではワンセグ受信ができるんだっけ。卓上テレビ兼 Web ブラウザとして、デスクで使いたいなあ。ますます欲しくなってきたぞ。手元にある旧型は半年ほどしか使っていないが、今のうちに売っておこうかしら。
明日から私のグループは夏休みということで、仕事を早めに終えて宇治川の花火大会に行ってきた。参加者は私、テクニシャン嬢 2人、研究員嬢。
6個入り 1000円というボリ過ぎなたこ焼きを食べながら、花火って日本独特の技術であり娯楽なんだよなあ、日本人で良かったなあ、などと思うのであった。
久し振りに大学に行った T です。こんばんは。
大学院生でもあるのにね。これではダメだ。
書くのを忘れていたが、この前の日曜日に頭を丸刈りにした。最後に丸刈りにしたのは 4年以上も前だから、随分と久し振りである。爽快だ。気分もサッパリしてよろしい。
Win で Safari
を使う人が少しずつ増えてきた。position: fixed;
などはそろそろ解禁でも良いんじゃないかと思う。それか、もう RSS しか読まないとか。
それにしても、記事が途中で切れる形式の blog や RSS って何だろうね。「続きを読む」のクリック率ってどれくらいなんだろう。あれを見るたびに「CM の後もまだまだ続きます!」という惹句を思い出す。興味を引いているつもりかもしれないが、実際に引いているのは読者や視聴者の気分である。少なくとも私はそうだ。もちろん、面白いものなら最後まで見るけれど。でも、面白いコンテンツが「続きを〜」や「CM の後も〜」で引っ張っている、という印象はあまりない。
職場から更新している T です。こんばんは。
私のグループは今週末から 1週間の夏休みを頂くことになっている。なので、細胞の培養も停止し、ダラけて日記なんぞを書いている (日記の日付は 8月 8日だが、書いているのは 9日)。たまには良いだろう。
来週は職場の仕事を気にする必要がない、実に貴重な機会だ。前々から、この間は大学の実験に専念しようと計画している。早く論文を再投稿したいのだが、そのためには大学でしかできない実験で figure を 1つ作る必要がある。残りはこれだけなんだよなあ。
「イオから見た木星の大きさ」について補足。
「地球から見た太陽の視野角が 0.5度だったと記憶している」と書いたが、これは概ね正しい値だった。太陽の視野角は 34分だという。ちなみに月は 33分。僅かに月が小さい (ように見える) から、皆既日食時に太陽の美しいコロナが観測できるわけだ。
イオについての日記を書いてから、空を見上げるたびに、太陽の 36.6倍に達する木星を想像する癖がついてしまった。実際に空を見ながらイメージしてみればわかるが、これは相当に大きい。
日記では「イオから見た木星の視野角は 18.3度」と計算した。数字は小さいように思える。が、一般的なカメラの視野角は 25~50度であることを考えよう。画角に対する木星の視野角の比は 36.6~73.2% にも及ぶ。合成写真を作ってみても良いな。
リアリティのない正論をどう評価するかで悩む T です。こんばんは。
今日の仕事はほとんどミーティング。
時間が取れなかったので、今夜は少しだけ。アクション・ゲームだから、1日やらないと勘が鈍る気がする。歳だなあ。
というわけでジョー兄も参戦しましょう。
ネトゲ廃人にはならないと思う T です。こんばんは。
要するに、ゲーム > オンラインである人が廃人になるわけで。今のところ私は、オンライン > ゲームだから、そういう要素はないと思う。
ジョー兄がもうすぐ堕ちそうなので、気合いを入れて MHF 日記を書いてみる。
今夜もアキラメンに会えたので一緒にプレイ。彼も結構ゲームはやる方だが、MH シリーズは初めてということなので、ウザいくらいに色々と教える。ごめんね。オッサン、嬉しいんだよ。
とにかく MH シリーズは覚えるべきことが多い。それがまた面白いんだけど。ということで、今夜はモンスターの捕獲に挑戦した。3回も凡ミスを連発した後、ようやく捕獲に成功する。
チャットでアキラメン (あきらん) が「そして伝説へ……」と言っているのは、彼がキーボードでプレイしていることについて。いくら PC ゲームでもアクションでそれはねえよ。奴め、正気じゃないぜ。
男同士だと長電話の習慣なんてないから、ゲームでも媒介しないと、遠くの友人と言葉を交わす機会なんてそうそうない。オンライン・ゲームの効能をまた 1つ実感した夜であった。
というわけでジョー兄も参戦しましょう。
チャットでは人格が変わる T です。こんばんは。
何でだろうね。
昨夜、大学生の頃のバイト友達であるアキラメンとゲーム内で出会った。彼はこの日記を読んでくれているし、俺と同じサーバを選んでいたのも全くの偶然ではないと思う。MHF 日記を書いてて良かったなあ。おかげで楽しい時間を過ごせた。ありがとう。またやりましょう。
調子に乗ってもう 1度書いてみる。shuraba という名前で、サーバ 1 にてプレイ中。ジョー兄あたりが参戦してくれると、非常に面白いのだが。と煽っておこう。
ゲームの動画もアップしてみたいのだが、ノート PC でプレイ中のオンライン 3D ゲームを、リアルタイムにキャプチャーするのは現実問題として不可能であることがわかった。解像度を落としても、処理落ちが激し過ぎてキング・クリムゾン状態になる。
もうすぐ就職活動の季節だなあ。既に就職した人間として、適当なことを書いてみよう。実際の就職活動には全く役に立たないどころか、かえって害にすらなる考え方なので、真剣には受け取らないように。
以前から思っているのだが、職業に対する希望と適性は必ずしも一致しない。一致することが当たり前、意に沿わない職業に就くのは負け組、などという強固な幻想が世間にはあるようだが、私はこれを否定する。また、適性があったからといって生かさなければならない、という決まりもない。大学などで学んだことを生かしたい、という気持ちは痛いほどよくわかる (私もそうだから)。しかし、これはわざと書くのだが、「身に付けたスキルを生かして〜」というのは、ある意味ではとても貧しい発想なんだよね。
例えば、私が博士号を取った後に主夫になる、というのは実に魅力的なオプションである。その道を選ぶことによって、それまでの経験が「無駄」になるだろうか。これは考えるに値する問題だ。実現する可能性を棚上げして、希望 vs 適性およびスキルを検討してみるのも、迷ったときには良いかもしれない。もちろん、希望と適性が合致していれば、それは素晴らしいことだが。
shuraba.com は就職活動する人を応援します。
ゲームばっかりやっていないで日記を書け、と怒られたので書いてみる T です。こんばんは。
だらだらと書く。
昨夜は仕事が終わった後、職場から最寄りの駅まで、いつもとは違う道を歩いた。途中に唐揚げ屋を発見したので試しに食べてみる。安くて美味い唐揚げだった。路上で買い食いなんて久し振りのことだから、何だか懐かしい気分になった。
ところで、わんぱく小僧は真っ黒に日焼けしてほしいものだが、漢字では「腕白」と書く。何でだろう。などという疑問を持つのは私だけか。こういうことを面白いと思ってくれる人はなかなか少ないし、自分でこういうヘンなことを考える人はさらに少ない。そして、こういうヘンなことにも意味があるんだよ、と教えてくれる人に出会える確率に至っては奇跡のようなものだ。だから書物というものに価値が出てくるわけだが。
最近はまた少し仕事が忙しくなって、帰宅してからは飯を食い、2〜3時間ほど MHF をプレイしてから寝る、という規則正しい生活を送っている。金も使わないし、とっても健康的だ。
MHF はまだまだこれからもアップデートされるようで、しばらくは楽しく遊べそうな感じ。小出しのアップデートは一部で「延命措置」と悪名高いが、プレイ時間の限られている社会人にはその方がありがたい。ゲーマーが怒る気持ちもよくわかるんだけど。
コーエーの「真・三國無双 5」が PS3 と XBOX で同時に出るみたいだな。実機デモを見る限り、かなり期待できそうだ。ようやく PS3 も盛り上がりの兆しが見えてきた、といったところか。
DQ4, 5, 6 が DS でリメイクされるようだ。プレイはしたいが、DS を購入してまでのものかどうか。