- Diary 2007/10

2007/10/29/Mon.

ボツボツと空元気ではない元気が出始めている T です。こんばんは。

Mac OS X 10.5 Leopard について、一昨日の日記で「どうも今回はテンションが上がらない」と書いたが、ビデオ・ガイドを見て印象が変わった。スゴいね、Mac。長い付き合いで、これが Apple マジックであることは理解しているが、それにしても……。ガイドの淡々としたプレゼンテーションに余裕を感じる。Aero は元気にしているのかな。

俺も君もシュレディンガーの猫じゃない

「元より『博士後期に進む』って決めた時点で人並の人生も幸福も期待なんかしてない」という記事を見かけたので読んでみた。書かれいていることは、事実として間違いではないと思う。けれど、その現実に対してどう考えるかは個人で異なる。私の考えは折りに触れて日記に書いているので繰り返さないが、このような、世間一般においては非常にディープな話題が至る所で交わされるのがネットの良い点である。

脈絡がないようだが、統計学は手段として「科学的」ではあるが、それ自体は決して「科学」ではない。と私は思っている。どんなにあり得ない確率であろうと、一度それが現実に起こったという fact に対して、統計学は何も言うことができない。統計学的にいえば、この宇宙にヒトが存在する確率も「あり得ない」わけだが、現実に我々は存在する。

で、最初の話に戻るのだが、例えば「博士の半数は無職」というのもあくまで統計学的なセンテンスでしかなく、「私」というユニークな事物に確率論は大した意味を持たない。「確率的に博士はヤバいから云々」という発想は、裏を返せば「大企業は安心」「公務員は安定」と同じであって、それが悪いとは全く思わないが、研究を目指す人の確率観としては頂けないんじゃなかろうか。そりゃ半分は無職になるよ (笑えないがな!)。

「就職する確率が 50% の 1人の人間」なんてものは存在しない。就職する奴としない奴がいるだけ。錯覚しそうになるのはわかるんだけど、それは生きることの放棄なんじゃないかな。

まァ、これでも聴いて元気を出すが良いさ。懐かしくて涙が出るぜ。

研究日記

大学 → 病院。

先週末にボスに送った科研費の書類が添削されて返ってきたので、修正を加えて再送。採択されてほしい。心からそう思う (研究責任者はボスの名前だけど)。やっぱり、論文を書いて研究費を取ってこれるようにならないと端にも棒にも掛からない。一足飛びには無理だろうけれど、いつかはね。あまり時間もないけれど。

夜はセミナー。その後、ボス、助教の先生、院生の K先生、研究員嬢で呑みに行く。私がラボに来た頃はセミナーのたびに連れて行ってもらったものだったが、近頃は御無沙汰になっている。皆、忙しいからなあ。久し振りだったので、良い具合に酔いが回って楽しかった。院生の H先生の論文が accept されたそうで、話題も全般的に明るかったし。

日付が変わる頃に帰宅。充実した 1日であった。

2007/10/28/Sun.

家の中ではまだまだ半袖の T です。こんばんは。

愚痴っぽい日記はもう止めようぜと、ことあるごとに決意するのだが、気付けばまた愚痴を書いている。アホか。

あくまで会話に限定してのことだが、「痩せた」「太った」が問題になるのは、ひとえに「痩せた」という形容詞が定性的であるからだ。「体重が減った」「増えた」であれば定量的であるから白黒がハッキリとする。一般的に、定性的に話すと後でトラブルの生じる可能性が高くなる (例「そのうちやります」)。一方、定量的に話すと今度は責任が生じてしまう (例「今週中にやります」)。

——と書いて気付いたのだが、これではまだ 50点である。「痩せた」が体積を問題にしているのに対し、「体重」は質量の問題である。単位が違うので両者は直接比較できない。例えば筋肉が減って脂肪が増えれば、「体重は減ったけど体積は増した」という現象が起こり得る。厳密に「痩せた・太った」を明示するには MRI の画像を積分するしかないだろうが、こういうことをマジになって語り出すと大抵の人はドン引きするので、日記などに書き殴るわけである。人間って孤独だ。

そういえば以前に元部長氏が、「太っていて体重が減らないとお悩みの方、食べないと確実に体重は減るようになっています」と書いておられたのを読んで爆笑した記憶がある。何だか引用してばかりだが、面白いので仕方がない。妙にツボにハマる。「確実に〜なっています」という係り結び (懐かしい!) が愉快なのだが、ここから「質量保存の法則」という単語を思い浮かべるのは俺だけではあるまい。

質量とエネルギーは保存則があるのに、時間保存則がないのは何故?

研究日記

大学 → 病院 → 大学。

電車の中でプロトコルを立てつつ移動。手帳に升目を引っ張って、ああでもないこうでもないと検討する。ところで寡聞にして知らないのだが、「表」(table) という表現形式の初出は何だろう。これを考え出した奴は天才だと思うのだが。表は単なる項目の羅列ではない。変項や変数という、代数学 (方程式) 的な概念がなければ成立しないことは、少し考えてみれば想像がつく。表がなければ文明の進歩はもっと遅かっただろうなあ。人類って偉大だ。

電車で向かい側に座っていた人が、「福田総理はカタそう」と言っていたのを耳にした。前後の文脈が解らないので、「カタい」の意味するところが硬派なのか堅物なのか頑固なのかは判然としないが、確かにカタそうといえばカタそうではある。

もっと柔らかくできないものかと思って手帳に落書きをする。「福田康夫 (笑)」「福田☆康夫」「総理だもの やすを」。バカバカしくなってきたので止める。総理大臣も大変だよな。

2007/10/27/Sat.

Mac を使い始めて 12年目の T です。こんばんは。

Mac OS X 10.5 Leopard が発売になった。これまで、新しい OS は嬉々としてインストールしてきたが、どうも今回はテンションが上がらない (Leopard 自体は魅力的な製品だと思うが)。現状で満足しているんだよね。まァ、いずれ購入することにはなるだろうけれど。

迂闊にも少し前まで気付かなかったのだが、今年度から私は学生であって、各種学割が利用できる。Leopard もアカデミック・プライスで購入できるし、本も生協で買えば 1割引だ。でも、なかなか利用する気にはなれない。

本来、学割というものは、金銭的に苦労しがちな学生の学業 (= 将来の可能性) を支えるために、彼らの負担の一部を提供者側が肩代わりする制度である。私は学生である一方、社会人でもあり給料も頂戴している。その賃金の財源は (何度でも書くが) 研究費であり、その大半が税金である。——その上で学割を利用するのは気が引ける。損な性格だとは思うが。

学割にも色々とある。「学割」という名前の、単なる値引きも多い。携帯電話、旅行などなど。学業とは直接関係がないし、これらのサービスは学割価格でも充分な利益が出ているはずである。もちろん、日本は資本主義経済社会であり、私企業は自らの利益を追求するべく自由な競争を行うことが許される。「学割」という名前の値引きで将来の消費者を早い段階から囲い込むのは立派な戦略だ。安いサービスを求めるのもまた、消費者としては当然である。

さて、そういうことを考えていくと、そもそも学生と社会人の兼業をやっている私はどうなのだ、という自問に行き着く。片方を辞めて、もう一方に専念するのが「本来」なのではないか。ぶっちゃけ「セコい」のではないか。そういうふうに (婉曲に) 言われたこともないではないし、極めて日本的なその感情もよく理解できる。そのたびに「いや、ありがたいことだと思っております」などと、これまた日本的な言葉を返すわけだが、何なんだろうねコレは (「ありがたい」というのは本音だが)。

このあたりのことを書くとスゴく嫌な話になるのでもう止める。結果を出すしかないのかね。というわけで、この週末も実験。

2007/10/25/Thu.

来月 4日からアメリカの学会に参加する T です。こんばんは。

今日、ようやくホテルを予約した。遅過ぎ。

日記を書く順番は、本文 → タイトル → 「〜の T です。こんばんは」→ (それを受けた次の段落。ないときもある)、である。

タイトルを付けるのには難儀する。主婦が毎日献立を考えるような気分である。面倒なので、何かの引用やパロディか、その日記のキーワードを英語にして済ますことが多い。その程度なら、題の代わりに天気でも書けば良さそうなものだが、やっぱりタイトルを付けたい日記というのもある。

後から引用しそうな日記は、検索しやすい題名にする。自分が何を書いたのかは意外に覚えているものだが、記憶はいつも正確ではない。そこで、できるだけ検索に引っかかるように工夫する (これは本文においてもそうである)。この工夫は私の検索の癖に依存するから、一般的なものではない。また、自分のための検索なので、人の目を惹くようなコピーにする気もあまりない。

「〜の T です。こんばんは」の部分は、タイトル以上に苦労する。どうでも良いといえばどうでも良いのだが、これが決まらないと投稿できないから困ったものだ。冒頭の一行を考えるのが億劫なあまりに更新しなかった日もある (たまに「T です。こんばんは」だけで投げるときもあるが)。自分でもバカげていると思うが、ずっと継続している形式なので、止めるに止めれない。もはや継続しているというその事実のみが存在価値となっている。一度でも止めたら、きっと後悔するんだろうなあ。でも、それほどでもなかったりして。

2007/10/24/Wed.

宮沢賢治『雨ニモマケズ』(まァこれもタイトルではないのだが) のハイライトは、どう考えても最後の「南無妙法蓮華経」だろ、と思う T です。こんばんは。

それにしてもスゴい字だ。

もっと簡潔に書きたい。と定期的に思う。文章量と情報量は必ずしも比例はしないが、基本的には正の相関関係にある。書きたいことが沢山あれば、必然的に文章量は多くなる。それでも構わない。私が望む簡潔というのは、むしろ印象の問題であって、切れ味と言い換えても良い。

ここで、「切れ味が良くなるとどうなるのか。何故それを望むのか」という素朴な疑問が出てくる。年々、こういう純朴な問い掛けが貴重に思えてくる。世知に長けてくると、この種の引っ掛かりを自動的に端折ってしまうようになるのが悲しい。感性の劣化である。なので、このような質問を運良く思い付いたら、ゴチャゴチャと理屈をこねず、素直に考えるようにしている。

さて、今回の質問に対する答えは、「頭が良さそうに見えるから」である。要するに単なる見栄。まことにつまらない。

日々の生活において、自分が血道を上げているその動機が、存外と下らないものであることは多い。それが普通だと思う。重要なのは、そのことに気付いた後だろう。手の平を返したように否定するのは簡単だし、反論のための反論を構築して自らを保守することも容易である。居心地もよろしい。

けれども、そのような断続や硬直を繰り返してばかりでは何も進まないんだよね。しなやかで強靭な精神でありたい。なかなか理想通りにはならないけれども。

2007/10/23/Tue.

体調不良で早退した T です。こんばんは。

熱っぽいのは治ったが、咳と鼻水が止まらない。特に、右の鼻腔から茶色い鼻汁が出るのは気味が悪い。血の色ではなく、冷奴に薄口醤油をかけたときのような茶色。何なの。死ぬの? 冗談はともかく、右眼の下の骨が痛くて、階段を昇降するたびにズビズビと響く。このあたりで内出血か化膿でもしているのかしら。それが鼻から出てくる、と。それにしても何でこんなところが。

あまりにも皆から痩せた痩せたと言われるので、冬を前にして太ろうかと考えている。昨夜はシチューを作って爆食。今朝、残りを平らげて完食した。野菜が余っていたので、肉とルーだけ買ってきて今夜もシチュー。幼い頃から、シチュー (ホワイトシチュー) はどれだけ食べても飽きない。これで体重が回復すれば良いのだが。

研究日記

押し付けられたサンプルの解析にも終わりが見えてきた。意外に早く片付くものである。っていうか、押し付けるほどのものか、コレ……? 腹が立つ以前に呆れてきた。

元部長氏の日記で、「無能を悪意ととらないようにしましょう。仕事をしないのではなく、仕事ができないのです」という引用文を読んで爆笑した。確かにその通りかもしれない。広言できる言い種ではないが、一時のストレス緩和くらいにはなる。

では私からも一つ。

だから主人のこの命令は狡猾の極に出でたのではない。つまり知恵の足りないところからわいた孑孑 (ぼうふら) のようなものと思惟する。

(夏目漱石『吾輩は猫である』)

頭を冷やして考えれば、仕事もできない愚物が奸計を巡らすことなどできるわけがない。彼らに「悪意」を感じてしまうのは、受け取る側が真面目である証拠。ストレス・フリーな生活には憧れるが、そんな暮らしは頭がアホになりそうで怖いという気持ちもある。

ジョー兄とも Skype で話したのだが、例えば DS の脳トレで頭が鍛えられる連中って、普段どんな生活をしているんだろうね。ちょっと知的にお粗末に過ぎやしないか。

2007/10/21/Sun.

体調が回復してきた T です。こんばんは。

昨日の日記で哺乳類の体毛の話を書いた。その後で少し気になったのだが、毛が生えている皮膚と、その隣の無毛の皮膚では絶対に遺伝子の発現プログラムが違うわけで、一体これはどのように制御されているのか。何らかの位置情報を細胞が保持している (あるいは受け取っている) ことは間違いないはずで、そのシグナルを解明する方が、あるいはハゲ解消の早道になるかもしれない。

昨日の日記では哺乳類の体毛のことを「毛」と書いた。ところが「毛」というものは意外に定義が難しい。細胞学的に全く異なるものが、同じ「毛」という名前で呼ばれているのが現実である。

哺乳類の体毛には神経が通っていない。神経が通っているものは洞毛と呼ばれ、ネコのヒゲなどがその例である (「毛の話あれこれ」)。

精子や大腸菌には鞭毛があり、これは多くの場合、細胞本体よりも長い。エネルギーを消費して精密に鞭毛を動かすことによって、細胞は液体の中を泳ぐことができる。鞭毛を動かすタンパク質複合体は極めてよく研究されており、分子モーター云々という話の源はこのあたりにある。鞭毛モーターのエネルギー効率の高さ (ほぼ 100%!) は驚くべきもので、これもまたタンパク質モーターが注目されている理由である。

鞭毛と似たものに繊毛がある。基本的な構造は同じである。長くて少なければ鞭毛、短くて多ければ繊毛と思えばよろしい。

鱗と毛は関係がある。ただし、以下はうろ覚えだから不正確な情報かもしれない。爬虫類の鱗は皮膚由来で、哺乳類の毛と同じ起源を持つ。だが、魚の鱗は骨格由来だから別物である。昆虫は外骨格系であり、羽などの毛もまた、哺乳類とは異なった構造を持つ。繰り返すが、以上は曖昧な情報である。

そういえば植物にも毛があるな。あれは何だろう。研究員嬢が Arabidopsis (シロイヌナズナ) の出身だから、また訊ねてみよう。

——という具合に、一口に「毛」といっても様々な種類がある。表面に飛び出ている細長いものは全て「毛」と呼ばれている反面、昆虫の触角などが「角」であったりするのはまた解せないところである。触覚の細長さや柔らかさは、「毛」といっても構わないと思うのだが、どういう使い分けなんだろうな。

2007/10/20/Sat.

松本清張は本当に文章が上手いと思う T です。こんばんは。

たまたま時間が合ったので、Skype でジョー兄としばらく会話。チャットで文字やファイルのやり取りをしながら通話できるのが便利。メッセンジャーや電話の存在意義が感じられなくなるなあ。Skype ユーザを増やそうぜ、という話になったので、かなり褒めてみた。いや、別に提灯記事を書いているわけではなくて、実際に面白いよ。しばらくはできるだけオンラインにしておくので、お気軽にどうぞ。ページ左下のメールアドレスで検索すれば出てくるはず。

ジョー兄との会話では、本にしろ漫画にしろゲームにしろ、最近は本当に面白いものがないなあ、という爺むさい話が多かった。「面白さ」というものは極めて主観的な印象である。「面白いものがない」のと「面白いと感じられなくなった」との区別は難しい。後者であるならば、それはすなわち私の脳の老化であって、とても悲しいことである。できるだけ色々な物事を楽しみたいものだ。

陰毛について

話は変わるが、「チン毛の機動力は異常」というスレッド・タイトルを見かけたときは爆笑した。確かにその通りで、陰毛は知らない間に抜け落ち、至る所に出現する。あれは何なのだろう。「古本にチン毛が挟まっていた」などという笑い話はよくある。珍しいことではない。しかし冷静に考えれば、どのような姿勢で読めば陰毛が頁の隙間に侵入するのかは全くの謎である。

さて、掌などの一部を除き、哺乳類の皮膚は基本的に体毛に覆われている。サルからヒトへ進化するにつれ、徐々に体毛の生える部位が減っていったと考えられる。現生人類において、まとまった量の体毛が密生している部位は頭、脇、陰部くらいのものだ。どうしてこれらの部位にだけ体毛が残ったのか。

「脳への衝撃を緩和するために頭髪は残った」という説がある。何となく納得しそうになる。しかしだからといって、「陰部も大事だから毛が残っている」というのは無理がある。多くの格闘技で「金的」が反則になっているように、男が悶絶するのは睾丸に衝撃を受けたときである。陰茎ではない。そして、その衝撃は多くの場合、睾丸の下から訪れる。もし、体毛の存在理由が「衝撃の緩和」であるのならば、陰毛は陰茎の上部にではなく睾丸から根が生えるような形で残っていなければ筋が通らない。

だがこれはあり得ない。ヒトだけではなく、他の哺乳類でも、睾丸に毛が密集していることは少ない。そもそも急所である睾丸が体外に露出しているのは、放熱のためである。精子は熱に弱い。したがって、睾丸に毛を生やして保温するというのは愚策なのである。

ではヒトに現存する陰毛には何のメリットがあるのか。どうも思い浮かばない。少なくとも私は、これまでの人生で恩恵を感じたことはない。むしろ、性病の媒介地などのデメリットばかりが脳裏をよぎる。不必要なのではないか (だからといって私に無毛趣味はないが)。

ひょっとしてチン毛が抜けやすいのは、いずれこの部位からも毛がなくなっていくという進化の移行期における現象なのかもしれない。

2007/10/19/Fri.

アルミの鍋焼きうどんばかり食べている T です。こんばんは。

本日は休み。ニコニコ動画をダラダラ観ながら過ごす。今更だが、初音ミクってスゴいな。これまで "Ievan Polkka" しか観たことがなかったのが、今日一日、浴びるように他の動画を流しまくっていたらアタマがオカしくなってきた。これは良い。

純粋に、音声合成ソフトとして面白いと思う。ソフトの function を、初音ミクというキャラクターの ability とした設定で人気なわけだが、それもソフトの完成度が高いから成立するわけで。だって音声合成ソフトだぜ? 普通そこまで需要があるモノじゃないだろ……。ちょっと初音ミク買ってくる。

それにしても、画像検索から初音ミクが消え失せているのは何なのだろうな。Wikipedia の初音ミクも削除依頼が出てるし、不可解なことだ。どこかから圧力でもかかっているのだろうが、プレッシャーをかけるにしてももう少しスマートな方法があるだろう。野暮だよなあ。

初音ミクとは関係ないけど、今日一番笑った動画。

せっかくの休日だったが、あいにくと終日雨天だった。明日は細胞の培養液を交換するだけで、引き続きゆっくりする予定。

2007/10/18/Thu.

今週は咳で腹筋を鍛えた T です。こんばんは。

体調はまずまず。明日は休む。

昨日の日記を読み返して、今一つ意味不明だったので少し書き直した。熱で頭をやられていたのか。どうして小難しく書こうとするかな。バカか。

研究日記

大学 → 病院。

少し前に頂戴した質問への回答をここにも書いておく。大学には大学病院というものがあるが、我が職場であるところの「病院」は大学病院ではない。大学とは全く別の組織である。病院と大学で共同研究をしている関係から、私は前年度より大学に出入りさせてもらっている。今年度からは大学院生になったので、現在は両方に籍がある。

複数の機関に籍を置くのは、それほど珍しい話ではない。特に、給料の発生しないような、単に共同研究をするためだけの籍ならば、ちょっとした研究機関はすぐに発行してくれる。私も前年度は大学の「協力研究員」であった。機器の利用申請をするためだけの肩書きである。

さて、大学院・博士号もまた、世間一般の人にとっては謎の組織・制度であるようだ。私の父母なんかもよくわかっていない。

博士号の奇妙な性格を理解する上での最大のポイントは何か。博士号は資格でも免許でもなく、単なる称号に過ぎないということ。これである。それから、博士号の授与は各大学においてなされる点。基本的に国や政府は関係ない。したがって、「どこの大学で得た博士号か」は割と重要な問題である。

海外の私立大学などでは、寄付などによって簡単に博士号を得ることができる。某宗教法人の名誉会長がやたらと博士号を所持しているのも頷ける。通常、このようにして手に入れた学位は、日本国内では学位として通用しない。しかしたまに、この種の学位をもって「博士」を称する行為があり、教授選における問題としてニュースになることもある。

というわけで、真っ当な博士になろうとすれば、しかるべき大学でしかるべき過程を踏まなければならない。「しかるべき過程」の第一は、大学院に入学し、博士課程 (博士後期課程) において単位を修得することである。しかしこれは必要条件であって充分条件ではない。博士号を得るためには、外部の客観的な評価も要求される。これは大抵、査読付きの専門誌に論文を発表することで代えられる。博士号の信頼性は、大部分がこのプロセスによって担保される。

必要とされる論文の数は、各大学・各学部・各専攻によって異なる。3本の論文を出さねばならないところもあれば、1本でよろしいという分野もある。研究領域によって論文執筆の難易度は異なるから、3本の方が 1本よりも難しい、とは一概に言えない。かといって、各分野の間で充分な公平性が保たれているかというと、かなり疑問でもある。明らかに取得しやすい博士号、取得しにくい博士号は存在する。これは是か非か。前述の通り、博士号は資格でも免許でもないから、何とも微妙なところではある。

2007/10/17/Wed.

mixi を再開した T です。こんばんは。

再開というのもヘンな話なのだが、とりあえず顛末を簡単に書く。「SNS」でも触れた通り、私は以前から mixi のアカウントを持っているが、ずっと放置状態が続いていた。理由は色々とあるけれど、つまるところは「俺には shuraba.com がある」、これに尽きると思う。

それなのに何で復帰したのか。テクニシャン嬢達や研究員嬢が mixi でゴソゴソとやっているからである。テクニシャン S嬢なんかは、しばしば私のことを日記に書くらしい。そんなことを言われると気になるではないか。「T もやらないか?」みたいな感じで誘われたので、わざわざ招待してもらって新しいアカウントを作成した (古いアカウントは放置し過ぎたせいか、機能しなかったので)。

職場の人間はこのサイトの存在を知らないので、mixi と shuraba.com の関係は非対称である。既に mixi のアカウントをお持ちの方は、ページ左下からどうぞ。アカウントをお持ちでない方は、メールして頂ければ御招待する。今のところ、mixi では冷やかし以上の活動をする予定はないけれど。

研究日記

病院 → 大学。

大学では来月の国際学会の予演。準備不足で冷や汗を掻きながら原稿を読む始末。プレゼンテーションで原稿を用意することはまずないのだが、この学会だけは原稿がないと不安である。中国では使わなかったけどね。

体調はまずまず。週末は意識的にゆっくりとする予定。

2007/10/16/Tue.

Skype を始めた T です。こんばんは。

このサイトで公開しているメール・アドレスで Skype のアカウントを作成した。お気軽にどうぞ。という気分のときは、ステータスを Skype Me! にしておくので突撃大歓迎。

Skype が様々なプラットフォームで使えるのは素晴らしいことだと思う。しかし、

Skype

Windows のロゴが Mac で、Mac のロゴが Linux で、Linux のロゴが Windows なのはどうかと思った。

研究日記

終日病院。

体調はやや回復。昨夜、助教の先生に「痩せた?」と訊かれたのが気になったので、テクニシャン嬢達からも感想を頂戴した。「秋口から痩せてきてますよ」「Yシャツ余ってるし」「ズボンが腰のあたりでダブついてるし」「白衣を着たときのシルエットが崩れてるし」。うわあ。教えてくれよ。そういえば先月、ジョー兄と会ったときも「痩せた?」って言われたんだよなあ。ジョー兄と会ったのは 2年ぶりだったので、あのときは彼の気のせいだろうとばかり思っていたが違ったのか。っていうか、皆よく気付くもんだなあ。

午前中の Western でそこそこの結果を得る。色々なグループを回り回って私に押し付けられた忌ま忌ましいサンプルなのだが、データが出ればそれなりに嬉しくなってしまうから困ったものだ。本当ならこういう仕事は、サラリと断ったり、あるいはビジネスライクにさっさと終わらせてしまわなければいけない。のだろうか?

自分の立ち位置に悩むことが最近は多い。

午後は研究費の関係で、科学技術振興財団の担当者にプレゼンテーション。研究費を得るためのデモンストレーションではなく、研究費を使って行ったことの報告なので、プレッシャーはない。ただの雑用である。とはいえ、この査察の間にも種々の情報が当事者の間では交わされるわけで、このような見聞が後で役立つことになるのかもしれぬ。なんてことも思う。一方で、この時間があれば、あんな実験やこんな解析ができたのに、とも思う。どちらが良いのかはわからない。

何らかの成果が得られたとき、人は自らが費やした時間を肯定できる。あるいは、肯定したいがために成果を求める。それが間違いだとは思わないが、全く正しいのかと問われれば即座に首肯しかねる部分もある。今この瞬間に何をするべきかを決定するのは非常に難しい。

時間は瞬く間に過ぎていく。それはまた救いでもあるんだけどね。自分がどうすべきかを決めなければ時間が進まなかったとしたら、それはそれで大いなる苦痛だ。

2007/10/15/Mon.

体温計を持っていない T です。こんばんは。

温度も測れる pH メータの電極を脇に挟もうとしたらテクニシャン嬢達に怒られた。嘘です。すみません。

研究日記

終日病院。

やはり調子が悪い。酷く咳が出る。身体が熱い。

Submit した論文の返事が来た。コメントは概ね好意的。指摘された追加実験も、特に難しいものはない。

夜はセミナーで発表。せっかくなので、reviewer の comment について先生方の意見を頂戴した。言われたことを真面目にやれば accept されるのでは、というのが大勢だったが、まァそりゃそうだわな。それ以外にすることがないともいえる。

助教の先生から「痩せた?」と言われる。どうだろう。体重を計る習慣がない (というか体重計を持ってない) ので正確なことはわからない。咳き込みながら「どうですかねえ」と応えたら、「結核じゃない?」と笑われた。結核だったら転地療養したいなあ。結核じゃなくてもしたい。

転居を考えているテクニシャン S嬢が、とうとう決心したらしい。今年度いっぱいで退職するという。おめでとう。

後任をどうするのかとボスに訊ねたら、「人員の補充はしない。っていうか金がない」とのことなので、大幅な戦力ダウンとなる。それなら仕事は減らしてくれよ?

2007/10/14/Sun.

風呂に入ろうかどうかと迷っている T です。こんばんは。

研究日記

病院。

午前中に実験を終わらせて帰宅。体調が悪い。煙草の味がいつもと違うように感じられる。経験上、これが風邪の前触れであることを私は知っている。このように、煙草の味は健康状態のバロメータとして使えるのだが、唯一の欠点は、これがイエローカードではなくレッドカードであること。自重しても必ず発熱する。

月曜、火曜、水曜と 3連続でプレゼンテーションがある。準備できてねえよ。

2007/10/13/Sat.

鼻と咽が痛い T です。こんばんは。

北京の空気が原因か。大気がヒドかった。あんな場所でオリンピックなんて無茶だろ。屋内競技ならともかく、マラソンとかどうするんだ。

研究日記

終日病院。

週末の実験をこなしつつ、学会出張中に溜まった仕事をやっつける。昼食を摂ってから、ちょっとだけ眠る。少し疲れた。全部は片付かなかったので、残りは明日に持ち越し。Dr. A の日記を読んで喜ぶ。

ボスの方は、今日は診察、明日は講演会らしい。タフなオッサンである。

中国のことや、移動中に読んだ本の書評も記しておきたいのだけど、また後日。

2007/10/12/Fri.

中国から帰ってきた T です。こんばんは。

ボスに連れられて色々と回ってきた。おいおい写真もアップする予定。

ゲーム日記

先日の日記で触れた Wikipedia の MHF の項目にも「冤罪 BAN 疑惑」について書かれてあるが、私も全サーバでの永久停止を喰らってしまった。

MH3/Wii の開発が決定されたようだ。ハッキリとは書かれていないが、どうも PS3 は流れてしまうらしい。微妙。Wii 程度のグラフィックなら、新しくテレビを買う必要はないんだよな。それに、Wii のリモコンでどうやって MH をプレイするんだ? 想像がつかないのだが……。

2007/10/08/Mon.

職場で終電まで粘ってみた T です。こんばんは。

火曜から金曜まで、学会で中国に行ってくるので更新はありません。学会自体はラクだし、比較的長期間ゆっくりできるのは嬉しいのだけど、前後のしわ寄せがキツ過ぎる。

2007/10/06/Sat.

バテ気味の T です。こんばんは。

MHF については先日、「運営は少しずつ改善されつつある様子 (まだまだクソなんだがな!)」と書いた。偽らざる私の感想である。ところで、Wikipedia の MHF の項目がスゴいことになっており、一部で噂になっている。わざわざ「今作品の問題点」という小見出しが独立しており、分量も非常に多い (というか、MHF の項目のほとんどを占める)。

批判は多い。それだけ愛されているというゲームともいえる。

仕事の方はますます忙しい。良いことだ、と思うことにしている。

2007/10/05/Fri.

体力の衰えを感ずる T です。こんばんは。

研究日記

テクニシャン嬢 2人、研究員嬢、隣の研究員嬢、隣のバイト嬢と夕食。チゲ鍋っぽい、辛めの鍋を食べに行った。若者 (四捨五入して 20歳) の卓では「辛さが足りない」などと香辛料を足しながら、凄い勢いで鍋の中身が減っていく。一方、年寄り (四捨五入して 30歳) の卓では「辛い辛い」と言いながら、「最近は酒を飲んで寝ると夜中に目が覚める」だの「二度寝ができなくなった。昼寝ならできる」だのといった、実に辛気臭い会話が交わされる。

この違いは純粋に年齢による肉体的なものなのか、それとも年寄りどもに課された仕事上の責任ゆえか。興味は尽きない。

帰りは例のバーに寄って行こうかと思っていたが、若者パワーに押されて疲れたので、そのまま帰宅。少しだけ MHF で遊んだ。来週は北京に行ってくるので、週末はその準備もあるし、あまり疲労を残すわけにもいかない。——という考え方が年寄りなんだよなあ。一晩寝れば体力が回復したのも遠い昔の話。うぬう。

2007/10/03/Wed.

MHF を本格的に再開しようかな、と考えた T です。こんばんは。

関連のある過去の日記へは、なるべくリンクを張るようにしている。実際にリンク先へとジャンプする人もいるだろうから、念のために引用先の日記を読み返す。必ず 1つや 2つは誤記がある。あるいは、時間を置いたことによって気付く文章の不味さ、意味の曖昧さが目に入る。気になるので修正する。その過去の日記から、さらに過去の日記へとリンクが張ってある。恐らく……と思って読み返す。やっぱり気に入らない部分がある。書き直す。こんなことばかりしている。

日記という性質を考えたとき、過去の日付が振られている文章を上書き保存するのは「記録」としてどうなのか、という疑問も覚える。記録論的にいえば、修正は履歴として残すべきだろう。

とはいえ、何事にも限界がある。

二十四時間の出来事をもれなく書いて、もれなく読むには少なくも二十四時間かかるだろう、いくら写生文を鼓吹する吾輩でもこれはとうてい猫の企て及ぶべからざる芸当と自白せざるをえない。(中略) 休養は猫といえども必要である。

(夏目漱石『吾輩は猫である』)

「書かなかった」というのもまた 1つのメタな記録ではあるな。

研究日記

病院 → 大学。

大学のセミナーで発表する。こちらでプレゼンテーションするのは初めて。緊張した。

ゲーム日記

しばらくやらなかったらまたやりたくなるのが MH というゲーム。久し振りに MHF にログインしたら結構変わっている部分もあった。掲示板などを眺めると、運営は少しずつ改善されつつある様子 (まだまだクソなんだがな!)。素材としてのゲームは良いものだから、いつかはマシになると思いたい。そんなことを思いながら、少しだけ遊んだ。

PSP で遊んだ後だと、PC のグラフィックはやはり眩しく映る。さっさと PS3 が普及すれば何の問題もないんだけどね。

2007/10/02/Tue.

一人のときにモノマネの練習をするのは普通のこと、と思っていた T です。こんばんは。

どうも違うらしい。

酒はやめたけれども、何もする気にはなりません。しかたがないから書物を読みます。しかし読めば読んだなりで、うちやっておきます。私は妻からなんのために勉強するのかという質問をたびたび受けました。私はただ苦笑していました。しかし腹の底では、世の中で自分が最も信愛しているたった一人の人間すら、自分を理解していないのかと思うと、悲しかったのです。理解させる手段があるのに、理解させる勇気が出せないのだと思うとますます悲しかったのです。私は寂寞でした。どこからも切り離されて世の中にたった一人住んでいるような気のしたこともよくありました。

(夏目漱石『こヽろ』)

などと、昨日の日記を踏まえた思わせ振りな引用をしてみた。無論、冗談である。昨日の日記について少しだけ触れるならば、人生ってわからんもんだな、ということ。当たり前だが。逆にいえば、俺にもそろそろ何か良いことが起こってもおかしくはないというわけで。などとポジティブに考えてみたりする。

話が逸れた。さて、思わせ振りといったら太宰だろう。そんなことを考えながら頁をめくっていたら、次の文を見付けて椅子からひっくり返った。

自分はことし、二十七になります。

(太宰治『人間失格』)

うわぁ、とうとう俺も葉ちゃんと同い年かよ。参ったなあ。

研究日記

大学 → 病院。

大学院に進もうかと考えているテクニシャン君が、「過去問をもらってきました」と言って、私に見せてくれた。「来年の夏まで勉強ですよ!」と息巻いている。違うよ、一生勉強なんだよ。まァ、その事実を学ぶのが大学院という場所なのだが。ともあれ、彼には頑張ってほしい。

学会の抄録を 2つ書く。その他に申請書、広報用の研究紹介などなど。行き詰まりつつあるテーマを適当にまとめ上げるにはどうすれば良いか、新たなプロジェクトの勉強、共同研究者から頂戴したサンプルを実験に使用するにあたっての検討、明日のセミナー発表の準備……。延々とデスクワークが続く。来週は中国の学会で発表する予定。その翌週は、文部科学省へのプレゼンテーションをボスから依頼されている。あと、別のセミナーでの発表が 2回。こういうものは、当たるときはイヤに固まるものだ。

エレベータの中で「ありがとう、浜村淳です」とモノマネの練習をしていたら、不意に隣の研究員嬢が入ってきて、気まずい空気になった。彼女が気まずいのは、見てはいけないものを見てしまったという想いから。私が気まずいのは、練習中のネタを見られてしまったから。こういうモノマネは、唐突に 1回だけやるからこそウケるのであって、何度も繰り返せるものではない。1回きりだからこそ、似ている必要があり、一発で決めるための練習が要求される。その鍛練をこんなところで見られるとは!

——とりあえず謝っておいた。

「ヘンな人で申し訳ない」

「いえ、そんなこと思ってませんよ」

「ありがとう、浜村淳です」

テクニシャン S嬢の恋人が遠方へと勤務地を変えるらしい。「付いて行こうと思うんですけど」。彼女がいなくなればかなりの戦力不足になるが、それはこちらの問題だ。自分が幸せになれると思った方向に、彼女は進めばよろしい。というのも私の考えに過ぎないから、彼女には「どちらにせよ何か決まったらボスと私には早めに報告するように」とだけ伝えておいた。

人生も色々だな。浜村淳のモノマネをしている俺が一番アレだが。

2007/10/01/Mon.

T です。こんばんは。

半年前に別れた女性が結婚するという。おめでとう。

俺も新たな道を歩まねばならんな。