- 木材という死骸

2006/04/09/Sun.木材という死骸

早い時間に寝て、深夜に目覚めている T です。こんばんは。

何で木なのか

要するに、木材というのは植物の死骸である。木製のデスクの代わりに、犬や猫の死骸を組み合わせて作った机があっても良さそうなものだが、当然そんなものはない(この方向で想像を膨らませると、江戸川乱歩のような小説が書けそうだ)。してみると「木のぬくもり」「絹の肌触り」という言葉は、すこぶる気味の悪いものに思えてくる。

木製のスプーンでスープを飲む行為は、死んだ猫の手で飯をよそうことと、どのような違いがあるのだろう。未来の極めて進んだエコロジストから見れば、我々は、髑髏の杯で酒を呑んだ織田信長と大して変わらないのではないか。思えば、割りばしというのも残酷な代物である。我々が、乾燥させられ、実用に供せられるときには股から引き裂かれることを考えてみれば良い!

で、だ。樹木が優れた材料であるのは、単にコストが低いからという経済的な理由によるのではないか。特に日本では、木材を手に入れるのに、苗木を植える手間暇と、30年という時間があれば充分なのである。だが、潜在的な存在量とリサイクル率という点から考えれば、地殻中に存在する膨大なアルミニウム等の方が、よほど優れている。それを使わないのは、金がかかるからだろう。

エコロジー・ジャパン

環境に優しいとはどういうことか。東京 10個分の面積があれば、全ての日本人が暮らしていける。固まって住めば、あらゆる(物理的ではないものも含めた)エネルギーが節約できるだろう。広大な大阪平野や濃尾平野を全て耕地牧場にすれば、食料自給率など問題にならない。そして、建てられるだけの原子力発電所を佐渡島にでも作れば良い。

社会は気候温暖な場所から発達する。なので、近代においては、生物に住みやすい土地から工業化・都市化が進行する。日本では、稲の栽培に適した表日本に工場や団地が立ち並び、雪が吹きすさぶ裏日本や北海道が米の産地になるという、まるで気の狂ったような土地の使い方をしている。

そこで、西日本はアイダホやテキサスのような穀倉地帯にし、工業地帯は東北から北陸にかけて形成する。工業地帯への出勤は、大東京から限りなく直線的に引かれた「真幹線」で実現する。多分、1時間やそこらで行けるだろう。現在の平均通勤時間と大差ない(そして、快適さでいえば比較にならないだろう)。もちろん、全ての第3次産業は大東京に集中している……。

あくまで妄想である。そのような社会に住みたいと思っているわけではない。それほど悪いという印象もないが。

エコロジーとエコノミー

エコロジーとエコノミーは対立するものではなく、むしろ比例関係にある。系が最適化されていないとき、投資に対するリターンは少ない。いい加減、我々を系に含めて勘定すべきだ。自然が、自然がとわめいたところで、そんな手付かずの自然 (nature) はもうない。我々が存在するケースの方が、圧倒的に自然 (natural) なのである。

俺自身は、あまり環境問題に興味はないのだが。