- Diary 2006/03

2006/03/31/Fri.

20日ぶりの休日に、何をして良いのかわからなくて困っている T です。こんばんは。

先悔

後悔先に立たず。後で悔いることのないよう、「先悔」というものを考えてみた。

「明日ああしておけばなあ!」

難しいな、これ。

元型は種を越えて成立するか

昨日の続き。

どうして我々は花を美しいと感じるのか。しかし、これは設問に恐らく誤りがある。我々が「美しい」と感じるように、花は進化してきた。そんな気がする。

花というのは装飾である。花をつけることによって、その個体が生存上有利になるということは、まずない。桜色の染料は、花が咲く直前の幹から採取される。たった 1週間だけ咲かせる花のために、桜の木は 1年間かけて色素を蓄積する。このようなエネルギーの使い方が、個体にとって有益なわけがない。動物の雄がしばしば美しい装飾で身を誇るのと同様、装飾は個体の生存ではなく、種の存続を目的としている。

花に関していえば、花は、昆虫にとって好ましくあるものが進化的に選択されてきた可能性がある。「美しい」花が、花として現在まで残っているのだ。ここで疑問が湧く。花が昆虫にとって「快」であることは納得できる。だが、人間に対してもそうであるのか? 我々は昆虫と同じ感性(といって良いのか)を持っているのだろうか。

人類は元型を共有しているとユングはいった。極論すれば、昨日の日記で触れた「典型」も、元型の一種であるといえる。この元型は、種を越えた生物間でも成立するのか。花について考えると、このようなトンデモ仮説に行き着く。だが、なかなかバカにできない考えではないかという気もする。脳の構造がある程度類似していれば、同じ刺激に対して同じ感覚が惹起されることはあり得ると思う。犬などを飼ったことがある人は、感覚的に理解できよう。

もちろん、彼らと人間の認識する世界は全く違う。昆虫の複眼で見る花と、人間の目で見る花が同じであるはずがない。しかし、形状、色、数、匂いなど、デジタル化された(神経のシグナルに変換された)パターンのある種の組み合わせが、特定の構造を持つニューロンのネットワークを刺激する、というのはどうだろう。回路が同じであれば、入力に対する出力も同じである。具体的に「どのように見えているか」は、あまり問題ではない。

パターンの組み合わせが重要であるからこそ、「実物が良い」という主張が発生するのではないか。写真からは音や匂いが削除されている。組み合わせが生じないから、複合的な刺激に由来する感覚が励起されない。

シグナルの組み合わせの秘密さえ解き明かせれば、明日から大芸術家。これは、芸術はテクニックで作り得るということを意味する。俺は以前からそう思っている。

2006/03/30/Thu.

3月が終わろうとしていることに愕然としている T です。こんばんは。

今日も雪。もうすぐ 4月だぜ?

どうでも良いが、現実に誰かが「〜だぜ?」と口にしているのを聞いたことがない。「〜かしらん」もそうだ。つまり、これらは口語体で書かれているが文語なのである。「〜ざます」とか、例え一時期にせよ、本当に誰かが使っていたのだろうか。あと、語尾が全て「〜アルよ」という中国人とか。

こういう人物像は、もの凄くキャラクターが立っている。何という作家か忘れたが、こんなことを書いていた。「小説で人物を描くということは、典型を作り出すことである」。筒井康隆の小説に出てくる「おれ」などは、その良い例であろう。あの「おれ」は筒井康隆自身であって、そうではない。典型であるということは、抽象化され、一般化され、普遍化されているということだ。「おれ」のモデルが筒井自身であっても、その人物像は典型化のプロセスを経ている。むしろ、自身をそのように眺められる視点にこそ、筒井の異能があるといっても良い。

典型を上手く用いると、それなりのクオリティのものが比較的容易に作れる。数学の定理も、物理のモデルも、プログラムのアルゴリズムも、シンボリックなアイコンも、モジュール化された組織も、記号化されたイメージも、キャッチーなコピーも、衝撃的なシーンも、耳に心地よいコード進行も、機械のパーツも、大抵は典型の組み合わせで成立している。

人がそれを典型的に感じるのは、恐らく進化的な理由がある(と勝手に思っている)。なぜ人は花を「美しい」と思うのか。そんなことを考えていたら話がブッ飛んでしまったが、また明日、書くことにする。

2006/03/29/Wed.

花より団子の T です。こんばんは。

暖かくなったと思ったら、ここ 2、3日はまた寒い。せっかく桜が咲き始めたのに、昨日と今日は雪。あり得ない。花見と雪見が一度にできて、風雅というか風狂というか。

研究日記

水曜日はボスとの個人ディスカッション・デー。今週は学会があったから、データも何もない。というわけではなくて、その間もテクニシャン嬢は実験をしてくれている。間近に迫った先生の留学に備え、実務的な引き継ぎも佳境に入ってきており、どうしてもパソコンの前に座っている時間が長い。正直、若い内からこんな仕事の仕方をしていてはダメになると思う。今週はロクにピペットも握っていない。

研究生になるとかならないとかいう話は、ちょっと保留気味。ボスは「研究生よりも客員研究員の方が良いかもな」という。何が違うのかと問うと、「研究生は金を払わなければならないが、客員研究員は払わなくて良い」とのこと。どちらでも良いけど。大学に出入りするための方便だから。「客員研究員」とは大袈裟な肩書きであるが、申請用紙は藁半紙にコピーされたものだった。ヤル気ねえな、どっちも。

ボスと 2人で昼飯。「論文書けや」「お前がな」という意味の会話をする。日本語の勉強になる。

明日は実験。明後日は久し振りの休日。週が明ければ新人がやってくる。体調はまずまず。時の流れは速いが、流されぬように踏ん張りたい。

2006/03/28/Tue.

ここ数日、『Rival』という曲を気に入って何度も聴いている T です。こんばんは。

財布に穴が空いて小銭がポロポロとこぼれる。この財布は丸7年も使っており、しかも常にズボンの後ろポケットに入れているので、これだけ傷むのもしょうがない。修繕できるならしてもらいたいが、どこでやっているのだろう。すぐに直してもらえないと困るし。

俺は同年代の中では異常にモノもちが良い。というよりも、身の回りのモノをなるべく変えたくない性分なのである。何を考えているのか、物心つく以前から使っているスプーンなども、わざわざ実家から大学、そして現在の我が豪邸へと持ってきている。20年以上も使っている。汽車の絵が描いてあったという記憶はあるが、いまやその図柄もかすれて確認できない。

フェティッシュなのか、自分でもよくわからない。一つのモノを長く使っているのは、「こだわり」が理由ではないからだ。むしろ物欲は少ない方だと思っている。ゆえに新しいモノを欲しがらない、古いモノを長く使う、という循環であるような気がする。長く使えば愛着が湧いてくるわけで、モノもちが良いのは、原因ではなくて結果ではなかろうか。まァ、どうでも良い話である。

この日記も、高校時代の部活動のジャージを着て書いている。もうすぐ 10年か。早いなあ。

2006/03/27/Mon.

自分で「良いアイデアだ」と思ったものは大抵ドン引きされるので、ここで書くことにしている T です。こんばんは。

どうして曜日にだけ名前が付いているんだろう。1曜日、2曜日……では不都合があるのか。睦月 (January)、如月 (February) というふうに、月にも名前はある。ひょっとしたら、昔は名前式の方がメジャーだったのかもしれない。数で示すようになったのは、便利で、正確で、簡単だからだろう。

便利だと思うけどな、1曜日。

そもそも七曜というのがよくわからない。古代人が暦法や角度に 60進法を採用したのは、60という数字が他の多くの数字で割り切れるからである。それを、何でわざわざ 7 でブツ切りにするのか。六曜で良かったのに。

研究日記

大学のヒト ES 細胞研究会に参加。現在、我々のグループでは、マウスの他に霊長類 ES 細胞も培養している。プレゼンテーションを聴いた感じでは、霊長類をやっていれば、ヒト ES の培養も技術的にはそれほど困難ではない、という印象を受ける。むしろ面倒臭いのは、各種の申請だろうか。研究会の後半、文部科学省の役人が長々と話していたが、眩暈がしそうなほど手続きが煩雑である。しかしこれはボスの仕事。認可が下りるまでに 1年ほどかかるらしいが、本当にボスは手を出す気なのだろうか。

ヒト ES はマウス ES に比べて growth も遅いし、なかなか分化しない。受精から出産まで、マウスは 2週間、ヒトは 10ヶ月。マウス ES とヒト ES の成長・分化速度が同じであれば、その方がよほどおかしい。そんな話を先生とする。ここでどう考えるか。

  1. マウス ES とヒト ES の違いに興味が湧く。(理学者)
  2. マウスの方がツールとして有利じゃん。(やや理学者)
  3. やっぱりマウスはマウスじゃないか。ヒトでやらないと。(医学者)

独断と偏見で区分してみた。俺は「やや理学者」だろうか。もちろん 1. の志向もあるが、御飯も食べていかないといけないしね。

何て世知辛いんだ、嗚呼!

2006/03/26/Sun.

アンケートを集計した T です。こんばんは。

今月 12日から行っていたアンケートの結果を発表する。予想通りの結果もあれば、そうでないものもあった。実施期間は 2週間で、有効回答数は 15。予想 (〜20) よりやや少なかったものの、回収率でいえば上々ではないだろうか。例えば、いったいどれだけの人が書籍の「愛読者カード」に答えているのだろう。改めてネットの面白さを実感した次第である。

御協力して下さった皆様、ありがとうございました。

以下は集計結果。単位は %。

性別・年齢

男性
66.7
女性
33.3
秘密0.0

男性: 女性 = 2: 1 で、男性が多いのは予想通り。むしろ、意外に女性が多いともいえる。

10代0.0
20〜24歳
40.0
25〜29歳
33.3
30代
26.7
40代以上0.0
秘密0.0

20代: 30代 = 3: 1、25歳未満: 25歳以上 = 2: 3 である。基本的に 20代が中心であるが、実態としては、俺 (25歳) と同年代以上が過半数である。これは非常に嬉しい。もう少し若い人(学生)が多いかと思っていたけれど、アンケート実施期間が春休み中であったことが影響しているかもしれない。毎年、3月と 8〜9 月はアクセス数が落ちる。次回からはアンケートの時期も考慮せねばならないなあ。

興味のある・面白いと思うコンテンツ(複数回答)

身辺雑記
100.0
自然科学
73.3
文学・書評
60.0
歴史
33.3
コンピュータ
33.3
写真・CG
26.7
その他
13.3

この設問の選択肢がどういう順番に並んでいたのかというと、「回答数が多いであろうと俺が予測した順」なわけで、結果も予想通りとなった。

「身辺雑記」の 100% という数字は、とてもありがたい。ネタがない日は、「ダラダラと日常の出来事を垂れ流してもつまらないから」という理由で更新しないこともある。しかしそういう日記でも、書かないよりはマシなのかもしれない。できるだけ更新しようといつも思っているが、こういった形で肯定されると励まされる。

「文学・書評」が 50% を越え、「自然科学」となかなかの接戦を見せているのが印象的だった。「歴史」と「コンピュータ」が同じ程度に低い、という結果と合わせて、色々と考えさせられる(後者 2つはコンテンツの量自体が少ないという理由もあるのだろうけれど)。

全般的に、予想したよりも選択率が高かった。お世辞だとわかっていても、やっぱり嬉しい。

興味がない・つまらないコンテンツ(複数回答)

身辺雑記0.0
自然科学0.0
文学・書評
13.3
歴史
13.3
コンピュータ
13.3
写真・CG
6.7
その他
6.7

日本人的な遠慮の結果なのだろうが、全体的に回答率が低い。その中でも「文学・書評」の高さが目を引く。「興味のある・面白い」と思って下さる方が予想以上に存在する一方で、「興味がない・つまらない」と思われる方も少なくない。やはり「修羅場、どっと混む」におけるメイン・ストリームはサイエンスということか(実験・研究関係のキーワードで検索してここに辿り着かれ、日記を読むようになって下さった方が多い)。書評も、始めてからまだ 2年余りだしな。

これらの項目がつまらない理由として、「更新頻度が少ない」と指摘して下さった方もおられた。逆にいえば、まだまだ、ここで挙げられた項目にも挽回のチャンスがあるのかもしれない。

コメント

コメント欄の記入率は、実に 80% であった。この高さは本当に予想外で、ただただ感謝するより他はない。大半は激励のお言葉で、何度も目を通させて頂いた。

記入率が高い一因として、「俺しか読まない」という前提が考えられる。掲示板だと他人の目に触れるし、メールを書くのは面倒臭い(俺もそうである)。今回のような形でのコミュニケーションの可能性について、一考させられた。選択肢は多いほど良い。

さて、以下は冗談である。傑作だったのが、「博士号を取れ」というメッセージが数件あったこと。これは我が「修羅場」における、一つの巨大なテーマである。確かに、日記で開陳されている我が人生を一つの「物語」として読むならば、「博士号」はチラチラと影が見えている中ボスのような感もある。読む側にとっては、俺の人生が文字通り「修羅場」である方が面白いわけで、俺自身、好んで悲惨なエピソードを選択して書いているフシもある。これは関西的なサービス精神の発露であるわけだが、皆様が望んでおられるならば、ネタで博士課程に行くのも良いかな、とすら思った。

面接官「入学を希望する動機を教えて下さい」
俺「ネタです」

笑える。

まとめ

アンケートを実施するのは今回が初めてであり、回答して下さった方々には本当に感謝している。ありがとうございました。不手際も多く、設問も適切ではなかったかもしれないが、自分が知りたいと思っていたことの一端を垣間見れたのは大きな収穫だった。

また時期を改めて、2回、3回と続けていきたい。次回は、もう少し簡便な質問、回答方法も考えねばならないだろう。「こんなアンケートをしてくれ」という提案があれば、是非とも教えて頂きたい。「回答者側が提案するアンケート」というのも面白いと思う。そんな試みがあっても良いだろう。

2006/03/25/Sat.

学会から帰ってきた T です。こんばんは。

学会日記

午後まではブラブラ。先輩の発表を聞いてから、ボスが座長を務めるセッションへ。かなりハイ・レベルなセッションだった。自分が理解できない場合は、「レベル高かったですね」と褒めれば OK。

その後、栄の鳥屋で、セッションに招聘された米国教授を囲んで晩飯。最終の新幹線で帰京。何だかんだいって、京都 - 名古屋間は短い。タクシーで帰宅。京都は異様にタクシーが多く、しかも運転手には話し好きが多い。「大阪のタクシー運転手の平均年収は 80万円」という話を聞く。ホンマかな。

明日も仕事。おえ。

2006/03/24/Fri.

発表してきた T です。こんばんは。

学会日記

早朝の新幹線で名古屋へ。会場は広くて綺麗。良い会議場だった。学会の規模はかなり大きめ。分子生物学会くらいだろうか。とはいってもこの学会、「分子生物」のような広いくくりの学会ではなく、あくまで医学の一分科なのである。改めて、医学会の得体の知れぬ巨大さを実感する。

最初のセッションで発表。かなりテンパる。ポスター発表ではあるが、セッション形式は初めて。しかも英語。しかも今の研究内容で話をするのは初めて。しかもトップ・バッター。しかも学会発表は 14ヶ月ぶり。しかも……。言い訳が多過ぎるな。

午後は、近くの美術館にブラリと寄ってから熱田神宮へ。素晴らしい社と杜であった。天気も良く、京都よりは随分と暖かい。境内のベンチに腰掛けて、少し昼寝。あまりに気持ちが良かったので、そのまま読書を開始。澁澤龍彦『夢の宇宙誌』を読む。熱田神宮の境内で、ホムンクルスがどうこうという話は非常に不謹慎な気がしたが、そのギャップもまた良い。

今回、初めてカプセル・ホテルに泊まった。狭苦しくて嫌だという人もいるが、俺はそれなりに面白く快適に過ごせた。サウナに入って、マッサージを受ける。マッサージ師に、「椅子に座るとき、いつも右足を上にして足を組むでしょ」といわれる。正解。わかるものなのか。

一眠りしてから晩酌。大沢在昌『風化水脈 新宿鮫 VIII』を読む。なんか遊んでばっかりだな。しかし、こういう機会でないと、なかなかゆっくりできないのもまた事実。と、これも言い訳だな。

2006/03/23/Thu.

明日、明後日と学会に参加する T です。こんばんは。

研究日記

学会発表に向けた最後の追い込み。加えて、前日だろうが何だろうが、通常業務を遅滞させるわけにはいかなくて、これが結構しんどい。だからこそ給料が出るわけだし、学会も出張扱いになるわけだが。ポスター作りに専念するだけなら、学生にもできる。と自分に言い聞かせる。

大学に寄って、先生とポスターの最終チェック。それから、今後の予定を少し(これも学会に関係ない)。かろうじて日付が変わる前に帰宅。明日は 6時起き。寝るか寝ないか迷う。発表は朝一番なので、不眠でも大丈夫だと思うけど。ただ、学会場の近くに熱田神宮があって、どうしてもここを訪れたい。そのための体力は確保しておきたいのだ。今回の学会に対するモチベーションの大半は、熱田神宮にある。ダメ? 草薙剣を祀る神域には、大いに期待しているのだが。

カメラを忘れないようにしないとね。撮影してきた写真は、「Photo Album」にアップするつもり。……ここに書いておかないと忘れそうなので。

ラーメン屋オープン

近所にラーメン屋がオープンした。午前 1時まで開店しているという。我が豪邸周辺では、平均的な帰宅時間に食物を入手できる所はコンビニが 1軒、ハンバーガー屋が 1軒あるのみ。要するに、ほとんど毎晩コンビニ弁当を食べているわけだ。別に不満じゃないけど、ラーメンという選択肢が追加されるのは嬉しい。

これから風呂に入って、ラーメンを食べに行くつもり。ビールとか頼めたら超幸せ。可哀想って言わないで。

で、

ラーメンを食ってきた(こういう日記って blog っぽいな)。ラーメンは旨かったし、ビールも飲めたし、大将夫妻も感じの良い人だった。仕事が遅くなったときは、迷わず通ってしまいそうだ。

1人で暮らしていると、このような個人経営で落ち着ける店の馴染みになってしまうことが多い。チェーン店より高く付くが、それゆえに 1人でゆっくりと時間を過ごせる。安い店は客の回転を早くする、あるいは一度に大人数をさばかねばならない。安くて旨い店というのは確かにあるけれど、コストを抑えているからには、必ずどこかが犠牲になっている(それが資本主義だ)。俺が通っているような店の料金には、場所代や時間代なども含まれているわけで、たとえビール 1本が 1,000円でも、その価格には理由がある。

もちろん、今でもコンビニや牛丼にはお世話になっている。切り替えたわけではなく、選択肢が増えたということ。お金って、そういうことのために存在するのだと思う。

2006/03/20/Mon.

前世は聖徳太子らしい T です。こんばんは。

研究日記

今週末は学会。就職してから初の発表である。場所は名古屋。俺のわずかな経歴の中において、なぜか名古屋とは縁が深い。

学会からプログラムが届く。会員登録がギリギリだったので、プログラムもギリギリ。先月末の時点でヤバい状態だったスライドは、今もほとんどそのまま。こっちもギリギリ。学生の頃から、学会だけはやたらと行かされていたので、これくらいのヤバさはまだヤバくない、という変な余裕もある。何だろう、この俺のフレッシュ感のなさ。

臨床検査技師嬢に動物占いをしてもらったら、俺は「親分肌の象」だという。自分の心配をしている余裕なんてない、親分だから。子分いないけど。ギリギリだ。

明日は休日(春分の日)なんだな。俺も先生も気付いていなかった。半日儲けた気分。実験はさっさと終わらせて、スライドを作ります。

2006/03/19/Sun.

『刃牙』を大人買いしようかどうかを迷っている T です。こんばんは。

高校生までは相当漫画を買っていたが、大学生になってからはやめた。読むのをやめたわけではない。漫画は非常に場所を食うからである。読破に時間もかからない。おまけに安い。本を買う勢いで漫画を購入していたら、いくら部屋があっても足りない。

それでも良いものは手元に置きたくて、手塚治虫とゴルゴ13、そして幾つかの例外が我が書斎には存在する。『刃牙』をそこに加えるかどうか。

『刃牙』覚書

一連の『刃牙』という物語の構造において最も顕著なのは、揺るがない「最強」、つまり範馬勇次郎が最初から存在していることである。週間連載という場では、『ドラゴンボール』が典型的にそうであったように、「最強」が泥縄式に出てくる。人気がなければ打ち切り、人気のある間はいつまでも続けさせられるという漫画週刊誌において、どちらの要望にも応じることができ、かつ泥縄式から脱却できるという点で、この構造は興味深い。

意地悪くいえば、中間の全ての部分が「つなぎ」といえなくもないが。それにしても「勇次郎」という名前が気になる。兄(勇太郎)がいるのだろうか。

問題意識

教条的なことは大事だと思うが、取り立てて書いてみようとは思わない。かといって、常識とは違う視点、というアプローチも嫌だ。アンチな主張をして、それを理論化するというのは、意外と容易な作業である。レベルの低い文章指南には、「普通とは反対の視点を」なんて書かれていたりする。誰にでもできることだから、啓蒙が成立する。

それに比べて、「問題化する」というのは高度な思考である。問題として認識されていないものを、問題として「見付ける」。それを考える。答えを出す。なかなかできることではない。高度だから有益であるとは限らない。面白いという保証もない。そもそも、意味がない。「意味がある」のなら、その問題は既に認識されている。後付けで意味が発生する。それが創造(の一側面)だ。

言うまでもないことだが、創造がエラいわけでも何でもない。第一、上述したことが正しいかどうかもわからない。これは懐疑主義ではない。ところで、懐疑主義において、「疑うこと」自体は疑われないのだろうか。「我疑う、ゆえに我あり」。懐疑しているのか、肯定しているのか、ヘンな人である。

とまあ、これが(俺の考える)「問題化」のプロセスの 1例である。あまり高度な例ではないが。これが「面白い」と思えたなら、その人は少し幸せである。つまらないと思う人より、面白いことを 1つ多く持っているのだから。メリットがあるとすれば、その程度だろうか。

2006/03/18/Sat.

安全について考えてしまった T です。こんばんは。

研究日記

夜間休日は、研究棟に入るための自動ドア(1つしかない) が施錠される。もちろん、働いている人はカード・キーを持っているのだけれど、それは、カードがないと職員でも入れないという意味でもある。

今日は愚かなことに、カードを研究室に置き忘れたまま外に出てしまった。土曜日なので、研究棟には誰もいない。少なくとも、俺の知っている人はいなかった。電話で呼び出して開けてもらうのは不可能である。どうしようかと思案している内に、研究棟にやってくる人影が見えた。便乗して研究棟に入ろうと考えた俺は、不自然にならないよう、彼の後ろを付いていった。

俺に気付かない様子の彼は、ドアの前で立ち止まり、ポケットからカードを出……すのかと思いきや、いきなり両手の指先を自動ドアの隙間に差し込んだ。「フンッ!」という気合もろとも、力づくでドアを開ける。呆気に取られる俺。アカンやろ、それは。

ちなみに、彼はれっきとした職員である。俺も呼び止めはしなかった。ただ、我が職場のセキュリティの甘さに愕然とさせられる。俺が従事しているのは基礎研究だが、臨床研究のラボもある。当然、患者のデータも保管されているだろう。どう考えても問題だ。

だが、とにかく、彼のおかげで俺が研究棟に戻れたのは確かである。ありがとう。で良いのか?

防犯ブザー携帯中

セキュリティといえば、先日、少し衝撃的な光景に出会った。集団下校する小学生とすれ違ったのだが、彼らが背負うランドセルには全て、「防犯ブザー携帯中」というデカいシールが貼ってあったのだ。俺の個人的な感覚からすれば、やはり異常だ。都市部だけの光景かもしれないし、彼らが本当にブザーを携帯しているのかどうかも知らない。しかしブラフだとしても、そのような対策が必要なまでに彼らの日常は危険なものとなっている(少なくとも、親や学校はそのように認識している)。

異常だといっても、そんなマネをやめろと主張しているわけではない。それだけ、俺が小学生の頃は平和だったのだろう。わずか 15〜20年前のことであるが。あえて反社会的に書くけれども、当時は宮崎勤ごときが大事件だった。今日び、彼が犯した程度の犯罪では社会的ショックは惹起されない。この感覚の鈍磨。あるいは、一度閾値を超えたときには、次からそれが基準になること。ちょっと考えてしまうね。人間の適応性や順応性、または進歩といった善的な部分とも深く関わってくるだけに、なおさら。

少子化もむべなるかな。あんな光景を見れば、単純に「子供が欲しい」とは思えなくなる。

2006/03/17/Fri.

日記を書く時に一番頭を悩ますのが、この最初の 1行であることが多い T です。こんばんは。

形式であって目的ではないから動機に欠ける、それが原因だ。何を書いても成立するが、書かないと成立しない。形状はどうあれ、ポストが常に赤いことと似ている。苦労する割に、「ああ、T か」という認識が得やすくなるという効果しかない。もちろん、重要なことである。赤くないポストを想像すれば良い。

逆にいえば、毎日同じ文章でも成立するわけだが (ほとんどのポストが同じ形であるように)。

研究日記

PBS
Phosphate-buffered saline。汎用的なリン酸バッファー。実験によってはリットル単位で使用する。
DEPC 水
Diethylpyrocarbonate 処理された水。RNA の実験などに用いる。定価で数百円/ml と非常に高価。

大学の動物実験講習会に参加。職場での動物実験講習会は既に受けたが、大学の施設を利用するには大学の講習会を受けねばならない。実験動物あるいは動物実験の基準が、それぞれの施設で微妙に異なっているからだ。これは非常に不合理ではないか。全国で統一した基準を策定し、レベルごとのライセンスを発行すべきである。一定以上のライセンスを持つ者ならば、どの施設でも簡単な登録だけで利用可能にしたらどうか (そういう傾向になりつつあるようだが)。

各施設で基準が異なるため、ときに問題も起こる。例えば実験動物は、病原検査をパスしたもの (SPF; specific phasogen-free などのレベルがある) しか飼育できない。が、動物を施設に搬入するための検査項目には、各施設で微妙な異同がある。施設 A では、病原 a の検査に合格した動物しか搬入できないとする。この場合、病原 a が検査項目に入っていない施設 B から、施設 A に動物を移すことは基本的に不可能である (どうしてもという場合、再び業者に検査を依頼することになる)。この動物は、施設 B においては SPF であるが、施設 A から見ると SPF ではない。何だそれ。

基本的に、検査項目の厳しさと研究の優劣に相関関係はない。しかし、世の中には頭のおかしな人間がいるもので、とにかく検査項目の多い方がエラいと信じている宗教家もいる。求められるグレードは実験ごとに異なる。必要なのは、基準の厳格さではなくバリエーションだ。非常にクリーンなものを必要とする実験がある一方で、そうでない実験もある。PBSDEPC 水で作っていたら、いくら金があっても足りない。

簡易保険

職場で自動的に入っている保険 (名称は知らぬ) 以外の保険には入っていない (はずである)。こういう世事に疎い。そもそも必要性がない。生命保険に入ったところで、誰が俺の死に金を受け取るのか。せいぜいが両親であろうが、そのようなことを喜ぶ親に育ててもらった覚えはない。

簡易保険の案内が来る。2行ほど読んだが、何が書いてあるのかさっぱりわからない。どこが「簡易」か。

筑波鮫

買い物をする。危うく『ファイナルファンタジー XII』を手に取りそうになる。こんなものをプレイし始めたら、間違いなくクビである。

文庫を 3冊。著者は吉田戦車、森博嗣、大沢在昌。スゴい組み合わせだ。森博嗣と大沢在昌はどちらも大変な売れっ子であるが、両者をハイブリッドさせれば、天文学的な売れ行きになるのではないか。少し考えてみた。

国籍を問わず、世界の研究者が 24時間蠢き続ける不夜城、筑波学園都市。捏造、陰謀、莫大な研究費が飛び交うこの空間で、元エリート研究者である鮫島 (仮称) は、誰ともコラボレーションすることなく、己が信じる研究を行ってきた。セミナーなどで鋭い質問を浴びせるその姿から、いつしか彼は「筑波鮫」と恐れられるようになる……。新感覚、理系ハードボイルド!

ダメかな。こういう下らないパロディならいくらでも思い付く。先日考えたのは、「出会い系サイト - いま、会いにゆきます」。もうどこかで使われているかもしれないが。

2006/03/16/Thu.

ボスの物真似をしたら「似過ぎなのでやめて下さい」と言われた T です。こんばんは。

研究日記

Dominant negative
野生型に対して変異型が優位 (dominant) に劣性 (negative) であること。この場合、野生型の遺伝子 (タンパク質、etc) が存在しても、変異型の表現型が出る。劣性遺伝が典型例。逆に優性遺伝の場合、その変異は dominant negative ではないことになる。「ドミネガ」と略せば貴方も立派な業界人。
Submit
論文を投稿すること。その後、投稿論文の採択拒否 (reject)、修正要求 (revise)、受理 (accept) のいずれかが通知される。無修正で accept (俗にいう「一発 accept」) は滅多にないため、revise が来てからの方が一般的に大変である(経験ないけど)。Revise が来る頃には先生は留学しているという事情を合わせて、彼の発言を読んで頂きたい。

なかなか安定して再現性が取れなかった IP Western だが、ここ 2回は喜ばしい結果が続いている。時間のかかる実験なので、この傾向が数回は続くよう精進したい。Double-luciferase assay も好調。Mutant が dominant negative であれば嬉しいのだが、それっぽいような、そうでないような。微妙な点も残るが、確実に抑制はしている。Dominant negative である必要まではないので、結果としては及第点か。

「GW 明けには submit する」とは先生の弁。「結果が出ている今の時期が一番楽しいな」だって。その通りであります。

他のグループの研究員嬢が、俺と同年同大学同学部出身(学科は違う)と聞いて驚く。学科が別だと会うこともないから、全く見覚えもない。それにしても奇妙な縁が多い。先輩研究員の旦那様の元ボスは、俺の元ボスの隣の教授であったりとか。あるいは、某マウス ES 細胞株を分与して頂いたラボに Dr. T が勤務されていたとか。室長先生もそのセンターに勤務されていたとか。

狭い世界だといえば、それまでなんだけどね。

2006/03/15/Wed.

帰宅途中の電車で爆睡してしまった T です。こんばんは。

ここ数週間、毎週水曜はボスとのディスカッションの日と化している。ちょっと大変。何せ時間がかかる。

来年度より、先生が留学先輩研究員女史が退職される。その穴埋めに研究員 2人が雇われたらしい。どちらも俺と同じ経歴で、つまり 1つ年下。男生と女性が 1人ずつ。是非とも仕事を 押し付けたい 分かち合いたいものである。今日は顔合わせということで、ボス、先生とともに夕食。彼らの瞳がキラキラしているのが印象的だった。1年前の俺は、いや、まあ、いい。頑張って下さい。

2006/03/14/Tue.

テクニシャン君が女性陣のために持ってきたホワイト・デーのクッキーを、単なるおやつだと思い込み、いの一番に食べてしまった T です。こんばんは。

「やることが違いますね」と臨床検査技師嬢に褒められる。違いのわかる良い娘だ。

昨日今日と、2日連続で雪。しかも 2夜連続で午前帰宅(今夜は実験だったが)。やや疲れ気味。今月末の学会が終わるまでは休みも取れそうにない。が、これ以上書くと愚痴になりそうなので別の話題に変える。

と書いたが、特にネタもないので、各サイトを巡回してからシャワーを浴びてきた。プログラムをチョコチョコっとイジって、1日に複数回の投稿ができるようにしてみる。何で今までこうしなかったんだろう(答え:そんなに書くことがないから)。まァ、更新頻度は特に変化しないと思う。

実施中のアンケートも、ボツボツと回答が集まっている。こんな得体の知れぬサイトのアンケートに答えてくれる人がいるのだろうかと危惧していたが、そうでもなかった。やってみるものだなあ。色々と思うことはあるが、それは結果発表のときにでも。御協力下さった皆様、ありがとうございます。まだまだアンケートの回答は募集しているので、どしどし御意見をお寄せ下さい。

どうでも良いが、「どしどし」って死語だよなあ。

2006/03/13/Mon.

久々に「月曜午前様」の最凶コンボを喰らった T です。こんばんは。

研究日記

今夜のセミナーは、先生方の予定が揃わずに流局。セミナーのために早めに仕事を切り上げていたので、ボスに誘われ、先生と共に 3者面談。1軒目はつくね屋で鳥と日本酒。2軒目はオシャレっぽいカフェで軽く呑む。

話題は(相変わらず)先生の留学。その矛先がとうとう俺の方にも回ってきた。現在、病院で行えない実験は、先生がサンプルを大学に持ち込んで解析している。先生が留学されると、この裏技(別に規則を犯しているわけではないが)が使えなくなるわけで、これは大きな打撃である。打開策としてボスが打ち出したのは、俺が 4月から大学院の研究生となり、自由に大学へ出入りできるようにすることであった。

少し解説がいるかもしれない。多くの大学院には「研究生」という身分がある。正規の授業料の半額程度を納めれば、大学院に籍が置けるというシステムである。企業などから派遣される社会人大学院生によく利用される制度だ。簡単な面接をパスするだけで、申請すれば時期を問わずなることができる。この身分で数年間研究を行い、論文を書けば、博士号を取得することも可能。このような博士を、一般に「論文博士」という。一方、正規の院試に合格し、規定の授業料を払って博士課程に入学した場合は、「課程博士」を目指すことになる。

こう書くと、研究生とはリーズナブルな制度であるようだが、実は問題点も多い。国が論文博士を減らそうとしている事実は、「どうなる、論文博士」で既に紹介した。もちろん、立派な論文博士もたくさんいらっしゃる。この点は強調しておきたい。

さて、結論からいうと、俺が 4月から研究生になることはほぼ決定。授業料は給料に上乗せする、というのがボスの条件。授業料を払って仕事が増えたのでは、俺にとってメリットがない(今のところ、研究生という身分に魅力を感じていない)ので、まァ妥当な線か。この 1年は病院と大学を往復することになるやもしれぬ。色々な環境で実験できるのは勉強になるが……。

次の年は、研究生を続けるなり、博士課程に入学するなり、好きにすれば良い、とボス。博士課程なあ。本当に行くのか。研究生を続けるくらいなら、課程に入学するけれど。と、俺に思わせるのがボスの作戦に違いない。何てヤツ!

ペーパーレスのための処方箋

ペーパーレス、ペーパーレスと叫びながら、一向に紙の消費が減っていないらしい。原因は単純で、オフィスにコピー機、プリンタ、FAX が存在するからである。本気でペーパーレスにしたいなら、これらの機器を全て叩き壊せば良い。なければないで何とかなる、これが組織を組織する最大のメリットだ。それなのに実行しないのは、要するに本気ではないからだろう。メールをプリント・アウトして FAX で送り付けるのは、いい加減やめにしないか?

それにしても、FAX という機械は、どうしてあんなに解像度が低いのだろう。「パソコンの画面を見ると目がチカチカする」という人がいるが、FAX の文面を解析する方が、よほど骨が折れる。俺の仕事はヒエログリフの解読ではない。

2006/03/12/Sun.

アンケートを設置してみた T です。こんばんは。

前々から「どんな人がここを読んでいるのだろう」と気になっていたのだが、実際にこちらからアクションを起こしたのは初めてである。集計結果は日記で発表する予定。ひょっとしたら読者の方も、「自分以外のどんな人がここを読んでいるのだろう」と思っているかもしれず、そのような興味に応えることができたらなあ、と考えている。そのためには、ある程度の有効回答数が必要となる。御協力よろしくお願い致します。

既に数件の回答が寄せられている。ありがとうございます。特に集計期間は設けず、回答が頭打ちになったら終わろうと考えている。結果発表は今月末くらいだろうか。

アンケートの問題点

アンケートの結果は楽しみであるが、そこには罠もある。アンケートの母集団は、読者全体の部分集合に過ぎないin enqueto参照)。では、アンケートの結果には意味がないのか。それは場合によるだろう。俺がいいたいのは、アンケートの傾向は全体の傾向ではないということで、これは厳密に区別するべきである。

新聞社やテレビ局による電話「世論」調査というものがあるが、あれは本当に「世論」なのか。電話帳から無作為に抽出した番号に電話をかけてアンケートを取るらしいが、普通に考えれば、そのようなシチュエーションで、例えばサラリーマンが自宅にいて、電話に出て、しかも質問に答えるという確率は恐ろしく低い。これが世論であるというのだから、よくよく眉に唾してデータを見なければならない(最も賢明なのは、そんな信頼性のないデータに時間を使わないことである)。

何だかアンケートの悪口みたいになってしまったが、要するに、適用条件をしっかり設けようという話である。「アンケートに答えてくれた人がどのように考えているか」を知るには、アンケート結果が役に立つ。当然だが。今回のようなケースでは、アンケートの母集団は平均よりも熱心な読者の集合である、という推測が成り立つ。したがって、俺はアンケートの結果を尊重したい。そういうことが書きたかったのだ。

もちろん、何かを否定しているわけではない。俺自身、アンケートなんて面倒臭いと考える人間だしね。それゆえに、回答には感謝もひとしおである。

2006/03/11/Sat.

リニューアルをするたびに「修羅場、どっと混む」というふざけたサイト名に疑問を覚える T です。こんばんは。

今回のリニューアルを振り返ってみたい。

そもそもの動機は、「サイトの管理をもっと簡便にしないと更新頻度が保てない」という危機意識にある。更新頻度が下がってもどうってことはないのだが、もう少しこの場でやってみたいこともある。目標は「自分が書くのは中身だけ」。しかし本当にこれを実現しようとすると、いささか骨が折れる。

内部的なこと

どうしようかなあと迷っていたときに、「最速インターフェイス研究会」「XML はメタデータというより生データとしての利用価値が高まりつつあり、Ajax による UI の切り離しがそれを加速する」というエントリーに触発された。一部を引用させて頂く。

本来ならば HTML は論理的なマークアップをしてやれば、後はブラウザがユーザーに合わせて勝手に見やすく整形してくれる、そういうものだったはずだが、いつからか 1ピクセル単位で正確にレンダリングされることを求められるようになり、CSS によって文書構造とデザインが分離されるだの言ってもスタイルシートの切り替えボタンがデフォルトで見やすい位置にくっついているのは Opera だけだ。HTML はすでにデータそのものを記述するには複雑怪奇になりすぎていて、その結果 CSS と JavaScript を駆使したバッドノウハウまみれのリッチインターフェースを構築するためのアプリケーションプラットフォームとして再利用されることが業界の主流となり、コンテンツそのものの記述は XML が担うことになる。

俺がモヤモヤと考えていたことがズバッと書いてある。言語化って素晴らしい。それはともかく、重要なのは XML 云々ではない。エッセンスは「raw data の隔離」にある。人間の生産性は raw data の生成に向けるべきであるし、オリジナルの raw data は raw data として残すべきである。なんてことは、実験データの扱いで充分に知っている、つもりだったのだが。

時間をかけて構築されたものは、抜本的な改善が難しい(日本という国もそうだ)。このサイトはもうすぐ 4周年を迎える。日記サイトとしては長い方ではないだろうか。技術の新陳代謝が激しい環境では、ただ継続するだけでもエネルギーが必要となる。継続を達成するにはどうしたら良いか。そんなことを考えながら、内部を大幅に再構成した。

外面的なこと

といっても、見た目はそんなに変わっていない。変更の必要がないという判断もある。趣味的に少しはイジったけれど。

テーマは「殺伐」。「修羅場」というサイト名に相応しい、そして、仕事人となった自分に似付かわしい、無駄も愛想もない殺伐とした画面構成にしてみた。なかなか気に入っている。

2006/03/10/Fri.

リニューアルに手間取って書きたいことが溜まっている T です。こんばんは。

ダン・ブラウン『ダ・ヴィンチ・コード』が文庫化されていたので購入。よほど売れるのだろうか、コンビニに山積みされていたので手に取ってしまった。週末に読破したいと思う。

Web 日記

今日は休み。まとまった時間が取れたのでプログラムをシコシコと書いて、リニューアルを決行。一部のリンク切れなどは、少しずつ直していく予定。

2006/03/07/Tue.

見切り発車でリニューアルしてしまおうか、などと考えている T です。こんばんは。

「昔のことばかりを思い出す」という常套句があるが、これは当たり前。現在以降のことを「思い出す」人間はいない。

大人げない指摘だなあ、と自分でも思う。だが、このような怠惰な表現の積み重ねが、あらゆる表現行為を鈍くさせる。

表現力を高めるために、手垢の付いた定石を学ぶことは大切である。しかし極端にいえば、「捨て去るため」「自分が使わないため」に学ぶのである。定型化された表現は思考を束縛する。このことについては、もう何度も書いた(「言説を自動化する仕組み」など)。「自分の考え」と無意識に思ってしまうことが恐ろしいし、そのような自覚がない人間の話ほどつまらないものはない。どれだけの人が「自分の言葉」を持っているのだろう。まァ、「自分の言葉」というフレーズ自体が自動化しているわけだが。「自分の言葉で話せ」と説教を垂れる奴には、「お前もな」と返すのが正解。

ところで、最近の日記には、「既に書いた」「以前に書いた」という引用が多い。考えをコロコロと変えるつもりはないが、かといって繰り返す必要もまたない。リピートによる時間的空間的な場所の確保と、それに伴う定着、という手法はもう古いんじゃないか(有効性が失われたとは思わないが)。頻出する CM の程度が総じて低いのと同様、あまり上品な手法ではあるまい。「ユーザ・エクスペリエンスの向上」ということが盛んに言われているが、極論すると「一期一会」になる。横文字を使わんでも、という気がする。

君子は豹変す。考えが変わったら書く、くらいで良いのかもしれない。

2006/03/06/Mon.

根性は必要条件であるが十分条件ではないと思う T です。こんばんは。

久々の連休でかなりリフレッシュ。「女形のような女」というコピーを思い付くが、どうにも使い途がない。

研究日記

「泥臭い仕事をする」のと、「泥臭く仕事をする」のとは全く異なる行為であるが、混同している人間が多い。それが「泥臭い」仕事であるかどうかを決めつける前に、自分の方法論が「泥臭く」ないかどうかを考えるべきであろう。スマートにハード・ワーク。これもなかなかのフレーズだな(自画自賛)。せめて日記では、そのようなイメージで振る舞おう。と、正直に書いてしまうあたりが俺の限界か。こういう人間は大抵泥臭い。

(断っておくが、泥臭さを否定しているわけではない。否定する人間に限って、泥臭くやっているという印象はあるが)

セミドライ式の Western blotting に挑戦するが、失敗。通電しない。Buffer はマニュアル通り。間に挟むタオル・ペーパーが悪かったのか。メーカー純正のものではなく、その辺のもので代用しようとしたのだが。御経験がある方の助言求む。

2006/03/05/Sun.

この週末はよく遊んだ T です。こんばんは。

洋食のコースを食べに行くと、卓上に何本ものフォークやナイフが並ぶ。その配置は常に右利きを前提としており、左利きの人間には都合が悪い。いや、俺は右利きだけど。そのあたりの対応がどうなっているのか、寡聞にして聞いたことがない。

「行儀は他人に見せるもの」という文章を先日書いた。「見せる」という言葉が端的に示すように、行儀、礼儀、マナーというのは身体言語である。平たくいえば、パフォーマンス。「言葉だけでは足りない」と双方(一方)が思うから、「土下座」という身体表現で上乗せする。言語的であることを、より「人間的」としてみなすのなら、身体言語は一段低級のものであるともいえる。ゆえに、そんなものを要求するのは無意味だ、という意見が成り立つ。一方で、「低級だというのならちゃんとやってみろ」と求められたりもする。これが、行儀不要論・必要論の全貌であるように俺は思う。

俺はどちらかというと行儀必要論者であるが、それ以前に、左利きの人間も快適に食事ができるくらいの基盤が必要なんじゃないか。そんなことを考えてしまった一昨夜の夕食。

2006/03/03/Fri.

今月のゴルゴ13 を拝読した T です。こんばんは。

今日、明日と久し振りの連休。昨夜はホテルで晩飯。たまにはね。本日は少し出歩く予定。

何のために書く、残す

サイトのリニューアルのためのプログラムを少し書く。ほとんど完成しているのだが、宿題と同じで、面倒な物件ほど後回しになっている。

プログラム的な思考というのは、まだまだ俺の身に付いていないものなので、書いている内に頓悟することも多い。突然にパッと視野が広がる。これが趣味の醍醐味であろう。今回の作業で気付いたことを少し。

if 文は条件分岐であって例外処理ではない。if 文が多いということは、システム自体に例外が多い、つまり一貫性がないことを示す。もちろん例外を if 文によって処理することは非常に多いのだが、プログラムのより下層、例えばデータ構造を見直すことによって問題が改善される場合もまた多い。要するに、一次情報の記録の仕方に大きく依存する。再利用しないのならば、書いて残す必要はない。こういう意識の有無が、その人の情報力の根本を形成すると思うのだが、どうだろう。話を文章に限っても、同じことではないか。

エラそうに書いてしまった。「いまさら」と思われる人も多いだろうが、しかし実行しようとすると、なかなか難しい。理解と実感は違う。

2006/03/01/Wed.

家政婦が見るものもない家に住んでいる T です。こんばんは。

今日は早めに帰宅。先週末に買った『戦国無双 2』をボチボチ。問題は今月発売の『ファイナルファンタジー XII』。やる時間がないとかいう以前に、RPG 超大作をプレイしたいという欲求が自分の中から消え去りつつある。アクションや、1日でクリアできるくらいのアドベンチャーならヤル気も湧くのだが。

研究日記

事務員女史より、「年休あるんですけど、知ってました?」と言われる。知ってます。使ってないだけです。正確にいうと、使えないだけです。年休とかいう以前に、毎週が休日出勤です。本当にありがとうございました。

週 1日、日給 1万円くらいで家政婦を頼もうかと、半分以上本気で考えている。給料を使う暇もないし。主な業務は、掃除、洗濯、買い出し。半日で終わるな。晩飯とか作ってくれたら嬉しいなあ。こんなとこで書いてもしょうがないが。いやでも、これを読んで「やりたい」という人がいたら本気で考えるよ、俺は。

色々と検索してみたが、結構あるね、家政婦紹介所。1日 1万円っていう日給も妥当な様子。家政婦雇用、もしくは被雇用経験者がおられましたら、情報をお寄せ下さい。……さすがに無理か。