- 『ハンニバル・ライジング』トマス・ハリス

2007/04/05/Thu.『ハンニバル・ライジング』トマス・ハリス

ハンニバル・レクター博士のシリーズ第4作。高見浩・訳。原題も『HANNIBAL RISING』。

希代の怪物、ハンニバル・レクターはいかにして生まれたか。本書では、彼の幼少から青年期までの物語を追った、ルーツものである。アナキン・スカイウォーカーが暗黒面に墜ちるまでを描いた「STAR WARS」新3部作もそうだが、「ルーツもの」は作中で扱う時間が必然的に長くなるので、1つ 1つの事件に対する描写は駆け足にならざるをえない。濃厚な筆致が魅力であった、これまでのレクター・シリーズとは、そういう意味で本書はいささか趣を異にする。

ハンニバル・レクターはリトアニアの貴族の末裔として、先祖代々が領する古城で何不自由なく育った。しかし彼が 8歳のとき、ナチス・ドイツがソ連と戦端を開き、彼の生地も東部戦線に巻き込まれる。そのため彼は、財産・家族・そして一部の記憶を失ってしまう。これが本書の最初の山場である。

孤児となった彼は戦後、フランスの叔父夫妻に引き取られてパリで暮らすようになる。叔父は高名な画家であり、ハンニバルの美術的な素養は彼によって養われる。だが、彼により大きな影響を与えたのは叔母である日本人女性・紫であった。彼女はレクターに日本語、和歌、習字などなどの日本文化を教授する。日本人から見れば爆笑ものの説明も多々あるが、トマス・ハリスはまだよく勉強している方だろう。しかしまた、この「ちょっとヘンなニッポン」のおかげで、本書のクオリティがこれまでに比べて低く感じられるのもまた事実である。我々が日本人だから仕方ないのだけれど。

日本に対する個々の勘違いは大目に見て、レクターの精神的支柱の 1つに日本文化が選ばれたことの意味について考察してみるのは面白い。「解説」で訳者はこう述べている。

仇敵の身許を探るべく故郷リトアニアに単身もどったハンニバルが、亡き妹に語りかけるシーン。そこで彼はこう言っているのだ——「この世に神は存在しないという事実に、ぼくらは心の平安を見出しているんだよな、ミーシャ。だからこそおまえは、天国で奴隷にされることもないし、この先永久に神の尻にキスさせられることもないんだ……」

ハンニバルが反対キリスト教的無神論者であることをはっきりと宣明した印象的なシーンである。こういう——西洋人から見て——不逞な世界観を持つに至った若者が、その成長期につちかうに相応しい教養の素地は何か。それを考えた結果、ハリスは、キリスト教文明の影響とは一切無縁で、なおかつ歴史的な深みと一貫性を併せ持つ日本の伝統に着目したのではあるまいか。

(高見浩「解説」)

己の世界観を築きつつあったハンニバルは、先に引用した「仇敵」の処刑を繰り返す。指摘しておきたいのは、ここではまだ、彼の残忍性に「報復」という大義名分があることだ。後年の彼に見られるような快楽殺人的な要素はまだ、少なくとも、最重要ではない。ハンニバル青年が、「人喰いハンニバル」(ハンニバル・カンニバル) に変貌したのは何故か。それが本書後半の山場である。とはいえ、それも半ばは予想できる理由によるものであったが。

純粋に小説として評価するなら、『羊たちの沈黙』『ハンニバル』の方が面白いとは思う。ただ、ハンニバル・レクターの出生譚として、本書が非常に興味深いものである点は間違いない。シリーズの読者なら必読だろう。