- Book Review 2007/03

2007/03/03/Sat.

数学の本かと思ったら、数学教育の本だった。著者はまぎれもない数学者であるが、長く数学教育協議会委員長を務めてもいたらしい。

数学教育に色々と問題点があるのはよくわかる。私が最も問題だと思うのは、基本的に教師が文系であるということ。数学の教師は、数学の問題を解く手順を教えてはくれたが、では彼らが数学的な思考をする人物であったかというと、はなはだ疑問である。高校の後半になれば、生徒は理系と文系に分かれる。理系クラスのちょっと知的な連中には、理系担当の教師が本当の意味で「理系の人間」であるかどうかはすぐにわかる。理系の大学を志す若い彼らにとって、文系の理科担当なんかはアマチュアも良いところであって、バカにするか無視するかの対象でしかない。受験テクニックの修得ならば、塾に行けば事足りる。学校とは、効率を度外視した、本当の意味での学問の面白さを教える場所だと思うが、その能力を持つ教師が、とにかく理系の教科には少ない。要点はここに尽きる。教え方の問題ではないのだ。

そういう意味で、若い人にこそ本書を読んでもらいたいと思う。「数学という学問にどういう意味があるのか」という質問に、真摯に答えてある。適当に本書から見出しを拾ってみる。「倍とはなにか」「分数とはなにか」。こういう質問に答えてくれる数学教師が、果たしてどれだけいることやら。

2007/03/02/Fri.

小泉純一郎という総理はいったい何だったのか、というのは、もう少し時間が経たねば正確にはわからないだろう。とまれ、安倍晋三が総理大臣になって半年が過ぎ、そろそろ先の設問に一考してみるのも良いかもしれぬ。

本書は 3部構成である。

  1. 宰相の資質 I: 小泉純一郎
  2. 宰相の資質 II: 森喜朗・野中広務・田中眞紀子・安倍晋三
  3. いかにして日本国はかくもブザマになったか

本書の小泉論は、小泉首相が在任時に書かれたものであり、今から読むといささか情報が古いのは仕方がない。内容は「論」というほどではなく、例えば「『変人宰相』小泉純一郎の食卓」「『食べる総理』森喜朗の胃袋」などでは、小泉や森が行きつけの料亭やレストランに行って料理を食べ、いちゃもんを付けつつ、彼らの教養を論じるというまことに下品な企画である。大した本ではない。

福田和也は、文芸論などでは結構面白いのだが、時事評論になると何だか鼻につくことばかりを書くので下らない。本書の最終章も単なる保守の泣き言ばかりで、何か建設的な意見があるわけでもない。文芸評論とは、既に「ある」作品を論ずるわけで、その手法が現在の政局の評論にも通用するかといえばそうではない。それがよくわかる。逆に、過去の政治史を論評する部分などは興味深く読めたりはする。

2007/03/01/Thu.

足立恒雄は、以前に紹介した『フェルマーの大定理』の著者でもある。本書で気付いたのだが、「恒雄」は「つねお」ではなく「のりお」と読む。読めんよ。

さて、√2 は無理数である。無理数であること (自然数の比、つまり分数によって表現できないこと) は早くから証明されていた。この事実は、自然数こそ万物の根元であると考え、信仰の対象にさえしていたピタゴラス教団にとっては堪え難いものであり、無理数の存在をひた隠しにしたという伝説も残っている。

無理数ばかりではない。0 も、負の数も、そして虚数も、その登場時には非常な批判にさらされた。「そんな数は実際に存在しない」。批判の要約は、この一語に尽きる。

ならば、と著者は問い掛ける。「自然数は実在するのか」。これはなかなか深甚な疑問である。例えば 2個のリンゴは実在する。2人の人間も実在する。そうやって「2つ」からなる事象を全部集めて抽象化したのが「2」という数字である。これが集合論的な考えである。この場合の「2」は基数 (個数) である。しかしそれは、「2」という数字が存在するということとは、微妙に意味が異なる。

数はまた序数 (順番) でもある。1番目、2番目、3番目……という数の数え方である。基数における 2 が two であるのに対し、序数における 2 は second である。この単語の違いは、基数と序数の起源の差異を暗示するものではないか、などという面白い論考もある。序数はまた位置関係を表す、という説も面白かった。京都に住んでいるので余計になるほどと思ったのだが、例えば一条、二条、三条……というのは、順番であると同時に位置関係、つまり幾何学的な関係でもある。昔は数直線というものがなかったらしい。数直線は負数の普及に大いに役立った。つまり、-2 という数字は、0 を原点として、2 と対称の位置にある数である、というイメージだ。確かに、基数として「-2」を理解するよりは、こちらの方がわかりやすい。

などなど、色々と興味深い話が満載である。

話を戻すが、個数にしろ序数にしろ、どちらにせよ自然数ですら抽象的な産物であることには違いない。抽象概念を操るのが人間の特性であるとするならば、恐らく最も早い段階で登場した「数」という概念こそ、人間の黎明を告げるに相応しいものではないか。作者のその想いは、「人間の条件は数学することである」という、第1章のタイトルによく現れている。

数とは何だろうか。たまにはそんなことを考えてみるのも良い。本書のタイトルではないが、もはや我々は「√2」を「不思議」だと思う感覚すら失っている。それは人類の進歩ではあるのだろうが、その過程を知ることで新たな不思議を見出すこともあるだろう。これを温故知新という。