ハンニバル・レクター博士の「記憶の宮殿」は非常に印象的だよなァ、と思う T です。こんばんは。
体調はまずまず。昨日作ったシチューを啜りながら澁澤龍彦の本を読むなどして過ごす。
所持している澁澤本の大半は、河出文庫の「澁澤龍彦コレクション」のもので、それも順番に読んでいるわけではなく、散漫に手に入れたものである。そろそろちゃんと読まなくちゃいけない、まずはこのシリーズを揃えようと以前から思っているのだが、なかなか進んでいない。
澁澤の文章——特に随筆——は、まさに彼の脳髄から生まれ出でたものである。いつもそう思う。澁澤は典型的な書斎人であり、そのブッキッシュな姿勢は自らも認めている。澁澤の文章は、その博学から極めて衒学的だけれども、書いてあることはとてもロジカルで、慣れれば「アタマで」理解することが容易い。経験だとか感覚だとか……、外界の世界が澁澤の肉体に反射され投影されたような文章は非常に少ない。必ず脳髄を通過している。現実世界などは汚くつまらないもので、ココロというものはドロドロとしてよくわからぬものである。そんなものどもはどうでも良いじゃないか。そういう認識。
要するに澁澤は一個のオタクであるわけだが、少なくともそこには彼独特の美学があり——それは幼稚なナルシシズムの発露でもあるのだが、もちろんそのことも承知の上で——、人生の黒甜郷裡に遊んでいるといった風がある。それが澁澤のダンディズムなのだろう。羨ましい、と思わざるを得ない。
1年 365日、書斎で本を繙くだけで過ごすことができるだろうか。これはなかなか興味深い問いである。よほど壮大で精緻で確固たる内的世界を構築していないと、無理なのではないか。自らが倦まぬ世界が自らの内にあるか。私にはない。大抵の人にもないであろう。