- Diary 2013/02

2013/02/24/Sun.

「一」「二」に続き、米国に研究留学するための J-1 ビザについて書く。今回は面接についてである。私は、大阪の領事館で面接を受けた。

面接の予約

「一」で作成したアカウントから面接の予約を行う。パスポートなどの基本的な情報の他に、ビザ申請料金の支払い受付番号、DS-2019 のプログラム番号、SEVIS ID(SEVIS 費用支払い受付番号ではない)、DS-160 の ID が必要である。入力が完了したら、面接の日時を選択して予約し、パスポートの返却先を指定する。

予約が成功すると、面接予約表がメールで送られてくるので、これを印刷しておく。

書類の準備

必要な書類を定められた順番でクリアファイルに入れる。書類の並べ方は以下の通りである。

また、現在有効なパスポートに加え、過去十年間に発行された古いパスポートも持参しなければならない。

面接

領事館の周辺には警備員(大阪府警?)が立哨しており、なかなかに物々しい雰囲気である。予約時間の十五分ほど前に、ビザの面接に来た旨を伝えたら、入館を許された(飲料は持ち込めない)。ロビーで携帯電話などを預け、セキュリティーチェックを通過してから、エレベーターで三階に上がる。

窓口の職員に書類を提出する。書類のチェックを受けている間に、米国での心得や権利などが書かれた紙を読まされる。至って常識的な注意事項であり、署名や誓約は求められない。提出した書類に問題がなければ、指紋を採取される。

書類を持って階段で二階に降り、領事の面接を受ける。私の場合は、以下のごときであった。

「ミネソタに行くのか」「左様」「何年間か」「三年間である」「医学を研究するのか」「左様」「誰が給料を払うのか」「一年目は助成金、二年目以降は大学である」「質問は以上だ。パスポートと書類は一週間ほどで返却する」「米国に感謝する」

以上の問答は英語でなされたが、領事は日本語を話すことができる。質問事項は、申請者によって大きく異なるようである。十五分ほど面接を受けていた人もいた。私の面接が簡単だったのは、私が研究者で留学の目的が明確であること、それを日米の大学が保証していること、そして、これまで留学されてきた先輩方が確固たる信頼を築いてこられたことなどが理由と思われる。

面接が終わると、注意事項が書かれた紙を渡される。一読して私は驚愕した。

なお、あなたの渡米予定日に間に合うよう手続きを完了することはできませんので、ビザがお手元に届くまで航空券の購入は控えてください。

(傍線引用者)

何てことだ! 間に合わないではないか! 唖然。呆然。……いや、待て。領事は、ビザとパスポートを一週間で郵送すると言ったのではなかったか。四月一日の渡米まで、まだ一ヶ月もあるが——?

私は正文であろう英文に眼をやった。

We cannot guarantee that a visa will be processed in time to meet your travel schedule.

(傍線引用者)

何のことはない、保証はできないというだけである。私は安堵した。

階段で一階に降り、預けていた携帯電話などを受け取ってから退館する。

ビザの発給

ビザとパスポートは二日で郵送されてきた(木曜日の午後に面接し、土曜日の午前に到着)。レターパックで送られてくるので、受け取りが必要である。

パスポートにビザが貼ってあるので、記入されている事項に誤りがないか確認する。

まとめ

米国に研究留学をした人は、私の周りにたくさん——それはもうたくさん——いるが、ビザの申請でトラブルがあっただとか、ましてやビザが降りなかったという話は一度も聞いたことがない。実際、私の場合も、面接は拍子抜けするほど簡単であった。書類さえ整っていれば何の問題もないので、余計な心配は不要である……ということがよくわかった。

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2013/02/23/Sat.

絵画教室四十四回目。一枚目の鉛筆画の四回目。モチーフは道具袋(の写真)。

モチーフの袋は、濃緑の合成繊維とビニル、橙色の合成皮革、白い麻からできている。質感と色彩と陰影を描き分けるのが難しい。暗い色が大きな面積を占めるので、柔らかい鉛筆でグリグリと塗り潰すように描いていると、すぐに芯の先が丸くなってしまう。そのたびにカッターナイフで鉛筆を削ることになるのだが、これはこれで楽しい。

袋の形状はゴワゴワとしているので、面に沿って鉛筆を走らせれば、比較的簡単に立体感を出すことができる。このような面取りは、立体物をワイヤーフレームで表現するのと似ている。私は一時期、コンピュータで 3D モデリングをして遊んでいたことがあるので、あまり苦労を感じずに面取りを楽しんでいる。

夜は、ネパール料理屋でカレー鍋なるものを頼んだ。食べ過ぎて、少々苦しむ。

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過去の絵画教室

2013/02/22/Fri.

「一」に引き続き、米国に研究留学するための J-1 ビザについて書く。

DS-2019

最も重要かつ、律速となる書類である。

DS-2019 は、受入先(私の場合は大学)が発行する許可証である。発行してもらうには、大学なら ISSS (international student and scholar services)、ないし研究室のボスまたは秘書に問い合わせると良いだろう。

DS-2019 は連邦政府ではなく受入先が発行する書類なので、具体的な作成手順はそれぞれ異なる。私の場合は、大学が定める DS-2019 申請用紙とパスポートのコピーを ISSS に提出する必要があった。留学期間、給料、ポジション、研究内容などは、その前にボスと話し合って決めておかねばならない。給料の一部ないし全部を、自費もしくは日本の金銭(助成金や海外学振)で賄う場合は、その証明書も必要である。

私とボスで作成した DS-2019 申請用紙は、学科長や学部長に回され、関係者全員の諒承が得られると、ISSS が DS-2019 を発行してくれる。具体的には、発行者の署名が入った DS-2019 が郵送されてくる。この DS-2019 に自分の署名を入れると完成である。私の場合、申請から発行まで六週間ほどかかった。

DS-2019 に記されているプログラム番号と SEVIS ID が、以降の手続きに決定的に重要である。

家族で留学する場合、各人に DS-2019 が必要だが、ISSS への申請はまとめてできる。

SEVIS 費用の支払い

SEVIS (student and exchange visitor information system) 費用を以下のサイトから支払う。

支払い後に表示されるページを印刷しておく (A)。

後日、SEVIS 費用の支払いを証明する I-797C が郵送されてくる。大使館(領事館)でのビザ申請には、A か I-797C の一方があれば充分なようである。

DS-160

DS-160 の作成については「一」で書いた。この書類を complete するには SEVIS ID(SEVIS 費用支払い受付番号ではない)が必要であり、順番としては DS-2019 の後になる。

改めて調べてみたら、以下の動画が見付かった。大変な労作である。

DS-160 の記入を完了すると、顔写真とバーコードが表示されたページが表示される(このページの PDF ファイルを自分にメールで送ることもできる)。これを印刷しておく。

顔写真

DS-160 のデジタルデータとは別に、5 cm × 5 cm の顔写真が一枚求められる。私は、自販機型の証明写真を切り抜いて提出した。大阪の米国領事館内にも、この証明写真機が置いてある。万が一クレームを付けられても、その場で撮影して対応できるようである。

本国に財務的、社会的、家族的な強いつながりがあり、米国での留学プログラムの終了後に確実に帰国することを示す書類

戸籍謄本で良いとされる。英訳が必要なので、私は、原本のコピーに対訳を手で書き込んだ。原本と、対訳付コピーの両方を提出する。

米国滞在期間の全学費および生活費を賄う十分な資金があることを証明する財政証明およびその他の書類

私は、財団に発行してもらった英文の助成証明書と、給料が明記されているボスからの offer letter を提出した。

銀行の残高証明書原本もしくは預金通帳原本

私は、英文の残高証明書を提出した。三井住友銀行は、発行に一週間はかかるなどと眠たいことを言ってくるが、郵貯なら五百円で即日発行してくれる。

成績証明書

私は、英文の学位証明書を提出した。PhD であれば成績証明書は要らないと思われる。

完全な履歴書・全ての出版物のリスト

私は、Word で作成した自作の CV と publication list を提出した。

学校からの受入状/招待状

私は、ボスからの offer letter を提出した。

まとめ

ビザの申請に必要な書類を列挙した。DS-2019 さえクリアできれば、他は大したものではない。次回は、大使館(領事館)での面接について書く。

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2013/02/21/Thu.

ビザを申請するために米国領事館へ赴き、手続きを済ませてきた。

四月からは米国で生活をする。大きな転機といって良いのだろう。この瑞々しい気持ちを忘れないように……という殊勝な考えは、しかし私にはない。

瑞々しい気持ちの大半は、単なる上ずった、真っ当な判断を阻む、独りよがりの、無知から来る、緊張と失敗を誤魔化すための、ストレス回避を目的として神経系が見せる、客観的には滑稽で醜悪な——幻覚ないし興奮である。この種の振る舞いは、新たな環境における個体の生存・繁殖の可能性を高めるため、そして同種の個体に警告を発するためのものであろう。私は、そのような状態を長く続けるべきではないと考える。

瑞々しい気持ちに麻薬的な効果があるのは確かである。したがって、リスクを承知で「新たな」瑞々しさを得るために行動する、ということはあり得る。これは挑戦と言われる。挑戦なら私もしてみたい。

つまり瑞々しい気持ちで重要なのは、その獲得と処理の仕方である。瑞々しい気持ち自体が素晴らしいのではない。むしろ生物としては異常な状態ですらある。瑞々しい気持ちばかりを過剰に希求すると、浪費癖やギャンブル依存症を患う。

肝心なのは、一時的であるべき瑞々しい気持ちを、より大きく持続的な満足へと昇華すること、そして、そのために相応の努力をすることであろう。

2013/02/20/Wed.

アメリカ人が盛んに世界史を書くのは、イギリス人がローマ史を、日本人が中国史を書くのと似た理由からではないか。

自らの根源や、より大きな帰属意識を求めて。中央や本流に対する、純粋な憧憬と羨望を抱いて。同時に、周辺であるがゆえの冷静さと客観性をもって。複雑な劣等感とともに、しかし今は違うぞという自負心を発揮して。

別の話をする。ノアの方舟についてである。

ヤハウェが言われるには、「わたしはわたしが創造した人を地の面[おもて]から絶滅しよう。人のみならず、家畜も這うものも天[そら]の鳥もみな滅[ほろぼ]してしまおう。わたしはそれらのものを造ったことを悔いているのだ」。しかしノアはヤハウェの前に恵みを受ける者となった。

(関根正雄・訳『創世記』「第6章 7-8」)

この話でよくわからないのは、ヤハウェとノアは、海生生物についてどう考えていたのか、ということである。「四十日四十夜地上に雨を降らせ」たところで、深海生物には特に影響がないように思われる。

上の問いをより一般化すると、どうすれば地球から生命を根絶できるのか、となる。高熱硫黄細菌の存在などを考えると、これは生半のことではない。太陽が赤色巨星となり、地球の水が全て蒸発するまで、生命の営みは続くのではないか。そしてもちろん、それまでの数十億年の間に、地球の生物が地球以外の星へと進出する可能性もある。

脱線するが、ヤハウェは全宇宙を創り給うたのであるから、どこかに存在するであろう地球外生命の神もまた、ヤハウェであるはずである。デスラー総統もバルタン星人もヤハウェの創造物である。さもなくば、サタンということになる。

——これで争いが起こらない方がおかしい。宇宙戦争というのも、しょせんは宗教戦争であるのかもしれない。

2013/02/07/Thu.

先日の日記で、「明確な文章」について書いた。

明確な文章は、良い文章や正しい文章とは異なる。文学的に良い文章はしばしば不明確である。また、敬語は正しく使わねばならないが、情報の伝達という目的に限ってはそもそも不要である。

明確な文章、良い文章、正しい文章の間に優劣はない。互いに独立もしていない。明確で良い文章は存在し得る。さらにいえば、不正確な文章、悪文、誤用でさえ、特定の表現(隠喩、ユーモアなど)には不可欠である。

私が明確な文章を書きたいと思うのは、それが研究者である私にとって極めて実用的だからである。もちろん、明確な言葉は万能ではない。例えば、友人に明確な言葉で話しかけると、大抵は喧嘩になる。

話を戻す。

何らかの条件を満たした文字列が、「明確な文章」という性質を獲得するのではない。ある一つの文字列は、読者 A には明確であり、読者 B には不明確であり、読者 C には概ね明確であり、読者 D には一部不明確であり、外国人 E には意味不明である。

私が書き得るのは、私にとって明確な文章だけである。したがって、明確な文章を書くには私自身が明確になるしかない。文章を書くことの意義(の一つ)がここにある。

私が書くようなことは、既に過去の誰かによって書かれている。だから、私が書いたモノは、他者にはほとんど無価値である。ただ、私が書いたというコトは、私にとって価値を生じ得る。私にとって明確な文章を書こうとする、その行為こそが重要なのだと思う。

2013/02/06/Wed.

先日の日記で、「明確な文章」について述べた。

一つ思うのは、「私が書いた文章」を「私」の延長として捉えているうちは、文章は明確にならないだろう、ということである。

若い人には少し難しいかもしれない。学校で散々、「文章で自分を表現しなさい」と言われてきたからである。

以下、曖昧な部分もあるが、現在考えていることを書く。

そもそもは、文体とは何かということを考えていた。

特定の集団で特異な文体が発達するのはなぜか(例えば、左翼の独特の文章)。あるいは逆に、直接関係のない者たちの文体が似るのはなぜか(例えば、精神病患者の手記)。文体と内容は不可分であるのか(左翼の文体で右翼の檄文を書くとどうなるか)。文体のない文章はあり得るのか(「標準的な文章」は存在するか)。

これら文体に関する疑問の根本には、文章が書き手の人となりを、否応なく、如実に顕すことに対する興味がある。

文章は書き手を映す鏡である。わざわざ自分を表現しなくとも、そこには、これ以上なく明瞭に私の姿が刻み込まれている。一度でも日記を書いてみれば理解できる。そして、我々が文章を書く上で学ぶべきは、私を表現する技法ではなく、私を滅却する精神だということに気付くはずである。

冒頭の主張に戻ろう。「私が書いた文章」を「私」の延長として捉えているとどうなるか。明確な文章を書きたい=文章を正確に理解されたいという動機が、私を正確に理解してほしいという願望と混じり合う。だが、私を正確に理解してほしいという欲求は、実のところ偽りである。私の劣等感、欲望、短所、性癖、無力で孤独な存在であるという事実……、これらまで正確に理解されては困るからである。つまり本音は、私のことをより良く——できるなら現実よりも良いように——見てほしい、なのである。

この、誰しもが持つ無意識の心理が、文章に無用の語句を挿入させる。嘘を吐くときは、口数が減るのではなく増えるのと同じである。無意味な語の典型は、ちなみに、ひょんな、一応、やはり、ちょっと、とりあえず、などである。我々は深く考えずにこれらの言葉を使うが、果たしてその意味するところを正確に説明できるだろうか。自分が書いた文章である。説明できないはずがない。

どうだろう。これらはわかりやすい例である。無論、さらに大胆な粉飾もあれば、より微妙な隠蔽もある。この種の用例は無数にあるが、いずれにせよ、注意深く読まないと気付くのは難しい。

最後に、私自身の実例も書いておく。最前の日記には次のような一文がある。

漫然と描いていると、ついつい小さな箇所に拘ってしまうのである。

「ついつい」とはどういう意味か。不可抗力と言いたいのか。「小さな箇所に拘」る責任を自分以外に転嫁していないか。

文章の明確さを損なうこのような表現は、可能な限り排除しようと努めているが、根絶は至難である。

2013/02/02/Sat.

絵画教室四十三回目。一枚目の鉛筆画の三回目。モチーフは道具袋(の写真)。

前回までに描き終えた輪郭の中に、ガシガシと陰影を付けていく。今回は意識して、暗い部分を大きく強く塗り込んでいった。いつも細かい作業に没頭しがちなので、その反省を踏まえてのことだが、今回を含め絵画教室もあと四回、といった事情もある。集中して、大ざっぱに描くことができた。何だか逆説めいているが、漫然と描いていると、ついつい小さな箇所に拘ってしまうのである。他の生徒さんの作業を眺めていると、全体と部分の関係にはその人の性分が色濃く反映されることがよくわかる。

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