- 迷わず行けよ

2008/07/16/Wed.迷わず行けよ

眼底が痛い T です。こんばんは。

二晩一緒に遊んだアキラメンが帰っていった。久し振りで随分と楽しかった。ありがとう。

研究日記

論文を執筆中。今週中に書き上げてボスに送る予定。

失敗したシーケンスのやり直し。病院で PCR をかけ、大学でシーケンサーに apply する (病院のシーケンサーは旧式なので、面倒だが大学まで運んで解析した方が早く終わる)。

研究員君と情報交換。彼の投稿論文が返ってきたのだが、reviewer のコメントが非常に厳しい内容だった。全ての注文をこなすのは、ちょっと無理がある。来週、共著者が集まってミーティングをする予定だが、ボスはどのような判断を下すのだろうか。

W先生の投稿論文の manuscript が回ってきた。今年は皆書きまくってるなあ。来年の研究費に結実すると良いのだけど。

「日本語で良いから materials & methods と results をとにかく書いて」とボスに厳命された研究員嬢が、うーうーと唸りながら文字を書いている。どうせ他の人が英語に書き直すんだから日本語の微妙な表現に苦吟しなくとも適当で良いだろ。と思っても口に出さないのは俺の性格が九十九坂のように曲がっているからだ。研究員嬢は素朴な努力主義者であり——以下はあくまで俺の妄想だが——、彼女が今日やっているような作業の繰り返しがいずれ何らかのステップ・アップに結び付くと信じているフシがある。努力による漸近的進化論者なのだ。善人だよなあ。

俺のような断続平衡進化論者は、例えば、英語の論文を書けるようになりたければ英語で論文を書くしかない、という考え方をするし、また (結果はともかく) 実行する。「何とかなるだろう」という幾ばくかの楽観もこれに寄与する。この楽観は「何とかなった」という実体験によって支えられるが、それは背伸びをしない限りは得られない。漸近的に物事を考える人間は「何とかなった」という経験がないので何事にも及び腰になるのだろう。

のび太「もう少しうまくなってから練習したほうが……」

(藤子・F・不二雄『ドラえもん』)

「やったことがないのでできない」というのは研究員嬢がよく使うロジックであるが、もちろんこの命題は撞着している。筒井康隆ばりにその心理を妄想すれば「成功の保証はできない」「失敗したときの責任は負えない」「っていうかやりたくない」となるのであり、恐ろしいのは、研究員嬢の深層意識が上記のようなものであるかどうかではなく、そのように解釈する俺のごとき人間が周囲にいるかもしれない、ということである。ボスは、研究員嬢の話に時折イラついた様子を見せるのだが、そのたびに俺は他人事ながら冷やッとする。

恐怖の実相を理解していない人間を見ることはまた別種の恐怖である。カメラが、ジェイソンの肩越しに被害者のカップルを映すようなものだ。何とか伝えてあげたいものだが、もちろんそんな手段はなくて、それがまた恐ろしいというか。