- Diary 2008/07

2008/07/31/Thu.

途中から破綻する日記などしょっちゅうなので、特に気にもならない T です。こんばんは。

物語を読む、ということについて書く。

——その前に、俺が考える「物語」を明らかにしておかねばならない。小説を始めとする文芸が物語であることはいうまでもないが、俺にとって歴史や科学も「物語」である。虚構 ↔ 事実という絶対的な対立軸が自分の外側に存在するわけではない (存在したとしても自分では確認できない) と思っているので、実はほとんど何でも「物語」である。以下が参考になるだろうか。

そういう広義の物語を「読む」とは、どういうことなのだろう。

統計を深く学ぶと、任意の母集団から任意の結果を導けるようになれます。

(Twitter / takashyx)

涙が出るほど笑ったが——、同じことが物語の「読み」にもいえるのではないか。まずは、一般的な小説を想定して話を進める。

物語が自明の「構造」があらかじめ内在しているというのは (少なくとも読者にとっては) 幻想だ。そんなものはない。仏師が木片の中にありもしない仏を見出すように、物語の骨組みは読者による任意の「読み」によって浮かび上がる。骨組みを取り出し、物語から引用した断片を適当に貼り付ければ、それらしい「読み」が粘土細工のようにできあがる。だから「読む」とは、ある意味では創造的な行為なのだ。

例えば俺は、ガブリエル・ガルシア = マルケス『予告された殺人の記録』を「古い共同体が自壊する物語」として「読んだ」けれども、それは『予告された〜』がそういう物語であることを意味するわけではない。リンク先の書評は、『予告された〜』を題材として俺が任意に描いた別の物語である、と換言しても良い。その気になれば、「愛と復讐の物語」としての『予告された〜』を別個に描出することも可能だろう。「読み」は自由である。メタ・ゲーム的だと言っても良い。少なくとも俺にとってはそうである。

「古い共同体が自壊する物語」「愛と復讐の物語」という「読み」は、『予告された〜』という大きな物語の一側面、つまりあらかじめ従属ないし内在する下位の物語ではないのか——、そういう疑問はある。けれども、固定されたテキストから任意の「読み」ができるとすれば、「読み」の総体はオリジナルの物語を量的に凌駕することになる。不足分はどこから来るのだろう? もちろんそれは読者の空想ないし妄想に由来する。だから全ての「読み」は誤読であるとも言える (読者は誤読しかできないと言っても良い)。このように読者の想像力を刺激し、解釈の余地が広い物語が「良い物語」(の一つ) であると広く言われている。

読む者それぞれの頭の中に「別の物語」があるのだとすれば、また物語がそのような形でしか存在できないとすれば、実は『予告された〜』という単一の「物語」など実在しない、ということになる。残るのは記号としてのテキストのみ。じゃあ話の基礎をそこに置きましょう、というのが学問としての文学なのだが、それ故につまらないと思う人間も少なくない。

以下は駆け足で述べる。機会があれば、個別に論じたい。

科学は小説とは反対の指向性を持つ。解釈は一意でなければならず、空想を許してはならない。示されるデータが増えれば増えるほど、想像の余地は狭まる (これは極めて特徴的な性質である)。もちろん、現状が明示可能な範囲には限りがある。したがってラインの彼方については討論 (discussion) する。

(暫定的な科学的真実とは可能性を否定されなかった空想である云々)

数学の系は任意の公理群から演繹的に構築される。これはテキスト原理主義的な文学と似てはいるが、その厳密さにおいて、両者の間には圧倒的な差が存在する。が、どちらも記号論理学的な操作を行っていることに変わりはなく、だから俺の興味としては接続している。

(物語のテキストを公理として捉えるなら、それはあまりにも複雑過ぎかつ多分の自己撞着を含むであろうから真に厳密な演繹はできないだろうという仮説。公理としての条件を満たす一群のテキストが物語になり得るかという疑問)

史料によって「読み」の幅を狭めるのが学問としての歴史である。しかし歴史は、基本的に証明不能という宿命を背負っている。史料がないものについては想像をせざるを得ないが、その想像は合理的であるべきという特質もある。このあたりの「読み」は探偵小説やハード SF などに通じるものがある。また、「設定」や「世界観」を重視する創作物語が「偽史」(歴史的) であることは、大塚英志『物語消費論』で指摘されている。

歴史家ではない一般の人間が興味を持つのは、例えば「なぜ明智光秀は本能寺の変を起こしたのか」「邪馬台国と卑弥呼はどこに存在したのか」「天皇家のルーツは」などという、「解釈可能な幅が広い」話題である。これらの話題は、上述した「良い物語」であるとも言えよう。

以下は宿題としての覚書。

Web 日記

MO君の、ここ数回の写真が大変素晴らしく、個人的に注目している。特にミニ四駆の写真が良い。

2008/07/29/Tue.

"Vacation" は「バカチョン」とも読めるな、と思った T です。こんばんは。

研究日記

朝は大学に寄って、研究員君から抗体やらプラスミドやら、色々とマテリアルを貰う。8月はそれらを使った実験がかなりの割合を占める予定。とはいっても、それほど切羽詰まったスケジュールでもない。

夏休みをいつ取るか、そろそろ決めねばならないのだが、特に計画もない。テクニシャン嬢の予定に合わせようかと思ったが、彼女も別にいつでも良いと言う。

どうしてくれよう。何か面白いゲームでもないかな。学生の頃、「義務のない夏休み」をあれほど夢見ていたというのにこのザマ。これだから大人って奴は……。

2008/07/28/Mon.

職場に携帯電話を忘れた T です。こんばんは。

研究日記

朝イチから、ボス、M先生、研究員君、大学院の K先生とミーティング。終了後、昼食へ。食事中から土砂降りの雨と雷に見舞われ、これが帰る間際まで続く。

午後にはついに停電 (一瞬だけだったが) が発生。冷蔵庫や機器のチェックに回る。低温室の空調が停止していたが、庶務係長によって半数が復帰する。廊下の一ヶ所で雨漏り、さらに病棟と研究棟をつなぐ通路では、ほぼ全面から雨水が滴り落ちていた。ちょっとボロ過ぎやしないか。

2008/07/27/Sun.

米びつに古々米を保存している T です。こんばんは。

米を棄てるのは、やはり抵抗感がある。

食事日記

今月は家族アキラメン元部長氏など、人と会う機会に恵まれ、人間らしい食事にありつけた回数が増えたのは密かな喜びである。金を払えばいくらでも美味いものを食べられるというのは間違いではないが、独りではなかなか難しいことも多い。

会食の頻度が増加した反動で、最近はコンビニ弁当の空しさが一層際立つようになり、このクソ暑い中をわざわざ出歩いて牛丼やカレーを食いに行くことが多くなった。牛丼やカレーもコンビニ弁当と似たり寄ったりではあるが、まだ食事らしい面がある (美味い、不味いの話ではない)。飯を食ったついでにブラブラする機会も増え、出不精がいささか解消された感もあり、まァ良いかなと思っている。

下の Web 漫画を思い出した。

朝ごはんを食べよう

ちなみに俺は朝食を摂らない。

ゲーム日記

プレイ動画の録画・公開環境を整えた途端、MHP2G に対する情熱が急に失せた。よくあることではある。またジワジワとやりたくなるゲームなので、動画環境への投資が無駄だったとは思っていない。

『ととモノ。』は、実は発売週の週末には購入していて、いわゆる表面のボスとの戦闘までは漕ぎ着けたのだが、その時点では全く歯が立たず、これはレベル上げが必要だなあ、と思った時点から 1ヶ月以上放置している。「俺はもうレベル上げという作業ができない身体になってしまったのだ……」ということに気付いて愕然とした (『ととモノ。』の操作性の悪さにも原因はあるのだが)。

今日は下のような記事を読んで、何だかしみじみとした気分になった。

PSP では "God of War" を是非プレイせねばと思っているが、いまだ購入していない。"THE iDOLM@STER" は……さすがに買わないが、PSP が売れたら良いなあと思っているので、個人的には朗報である。

今年の E3 での PS3 の空気っぷりは異常だった。SCE はもう PSP で携帯機の覇権を目指せば良いのではないか。今の勢いなら DS に勝てるだろう。対抗馬はむしろ iPhone であるのかもしれないが。

運動日記

スポーツ・ジム 25回目。

それにしても暑い。ジムで走るよりも、行き帰りの方に体力を使っているのではないか。

2008/07/26/Sat.

がっぷり四つの独り相撲、T です。こんばんは。

よく考えてみれば「独りよがり」っていう言葉も何だかスゴいよな。

取組が 1分を越える相撲を俗に「大相撲」という。延長戦に突入した野球を「大野球」、ロス・タイムに至ってもまだ同点であるサッカーを「大蹴球」、最終セットでタイ・ブレークまでもつれ込んだテニスを「大庭球」……とは言わない。

イッポン

対戦スポーツの終了原則にはターン制 (野球など)、時間制 (サッカーなど)、ポイント制 (テニスなど) がある。相撲は「時間無制限一本勝負」であり、ポイント制の変種と考えられないこともないが、これは実に異様なルールである。本来なら柔道や剣道も時間無制限であったと思われるが、時代の要請で時間制となっている。とはいえ、「一本」を取れば勝ってしまうなど、ユニークな面も残っている (「イッポン」が国際語になったことを思い出そう)。

ボクシングなどの格闘技にも KO や give up が存在するが、これはどちらかというと「続行不可能」による試合の決着であり、イッポンとは根本的に異なる。「俺はまだやれる (never give up)」という言い分は、イッポンには通用しない。イッポンを取られるということは、「これ以上やっても無駄」と宣告されることに等しい。結構残酷だ。

ポイント制のスポーツにも「コールド・ゲーム」というルールがあり、これは「やっても無駄」に近いが、そこに至るまでに少なくともリカバリーの機会は与えられる。イッポンは文字通り一発で決まるために、一瞬の油断やミスも許されない。

Wikipedia からの孫引きになるが、全日本剣道連盟による「一本」の定義は、

充実した気勢、適正な姿勢を持って、竹刀の打突部 (弦の反対側の物打ちを中心とした刃部) で打突部位を刃筋正しく打突し、残心あるもの

(Wikipedia - 剣道)

だという。これがスポーツのルールか、と非難するのは簡単だが、剣道その他はあくまで「道」であるから、別に何の問題もない。スポーツがやりたければスポーツをすれば良い。

Web 日記

Twitter が安定しないので更新せずに放置しているが、思い付いたフレーズを脊髄反射的にメモする場所がないとやっぱり不便だなあ、という。メモならローカルのテキスト・ファイルにでも書いとけ、Web でやりたかったら Google Docs でも使え、となるんだけど、やっぱりこのサイトと連動させたいんだよな。

アクセスするたびに更新されているサイトというのは一つの理想である (このフレーズも Twitter にメモしたはずなのだが見事に消え失せていた)。その意味で、ちょっとした空き時間に書いた独り言を RSS で吐き出す Twitter のような仕組みは面白かった (俺の場合、コミュニケーション・ツールとしての Twitter にはほとんど魅力を感じない)。が、せっかく書いたテキストがなくなってしまうのではとても使えない。

Twitter の不安定さに文句ばかり言っても仕方がないので、独り言の投降/掲載システムを自作してみた。独り言をトップ・ページに掲げているのは、RSS 全盛時にわざわざサイト本体にアクセスして頂いたことに対するボーナス・トラックという意味合いもあるので、大して面白くはなかろうが、楽しんでもらえたらなあと思う。

2008/07/25/Fri.

神戸の暑さに参った T です。こんばんは。

京都も大概だが、神戸の猛暑もなかなか。などと感心している場合か。

研究日記

今日も新神戸へ。午前中は講演を聴講。午後からポスター発表。セッションの座長、演者ともに身内ばかりで、「まるで学芸会やな」とは座長の先生の弁。発表 3分、討論 2分のプレゼンテーションは大過なく終了。同じく発表に来ていた研究員君と、少し仕事の話をして解散。

オフ日記

三宮で時間を潰し、夕刻から元部長氏と差しオフ。仕事の分野が近しく、色々と面白い話を聞かせて頂いた。

俺の誕生日祝いということで、ガルシア = マルケスの本を頂戴する。うおぉ。有り難さのあまりに随喜の涙が零れる。何が嬉しいといって、本を頂いたことも無論だけど、俺が「ガルシア = マルケスを読みたい」と日記に書いたことを知り覚えていてくれたことに感激した。2006年 9月の日記だぞコレ。日記を書いてて良かったなァ。ありがとうございました。

食事後、三宮 - 元町をブラブラして中華街へ。センター街や中華街の灯が、金曜日の 22時にも関わらず、ほとんど落ちていたのが意外だった。こんなに早く暗くなるものなのか。中華街の広場でネズミの邪神像を肴にしながら、北京オリンピックのヤバさについて語ったりと——、大変楽しい一夜であった。

元部長氏の日記はリンク参照。

2008/07/24/Thu.

久し振りに朝の新快速に乗った T です。こんばんは。

このクソ暑いのにスーツで満員電車とか……、サラリーマンってスゴいわ。尊敬する。

研究日記

BBRC
速報誌 "Biochemical and Biophysical Research Communications" の略。2007年の IF は 2.749。週刊。

朝から神戸に出向いて学会。

神戸で学会といえばポートアイランドの国際会議場、というイメージが強いが、今回は小規模の学術集会なので、会場は新神戸のホテル。部屋も、講演会場とポスター会場の 2ヶ所のみ。あちこち動いて疲れることもないし、これくらいの方がよく勉強できる。若い人がバンバン発表するというスタイルではなく (そういう研究はポスターに回される)、実績のある人が割と長い時間をもらって口演するという形式であり、馴染みのない分野の話をじっくり聴けたのが良かった。

宿泊せずに帰京。帰宅してメールをチェックすると、W先生が投降した論文が accept されたという報せが来ていた。Submit してから 1週間とか早過ぎるだろ。これが BBRC か……。

ちなみに、Google で "BBRC" を検索すると、羽留氏の日記が 8番目くらいに出てくる。

2008/07/23/Wed.

学会の準備はいつも前日の T です。こんばんは。

研究日記

研究員君の論文について、ボス、M 先生とディスカッション。なかなか厳しい。

不調の thermal cycler だが、努力空しく回復に至らず、素人の我々ではお手上げという状態に追い込まれた (素人でもできることは全てやったがダメだった)。仕方がないので修理の見積もりをしてもらう。業者に書き込まれた金額は数十万。私では決裁しかねるので上へ回す。どうなることやら。

明日から学会。

2008/07/22/Tue.

ラオウが好きな T です。こんばんは。

Web 日記

いつまで経っても Twitter の調子が安定しないので、トップ・ページに掲げるのをしばらく見合わせることにした。せっかく書いたものが度々消え去るなど、ちょっと使用に耐えないというか。

元号表現

現在も正式に元号を使用している国は日本だけであり、したがって「昭和の大スター」のような表現を、そのニュアンスとともに翻訳するのは極めて困難である。「昭和」を直訳しようとすると「テンノー・ヒロヒトの在位期間」となるわけだが、これでは何だかローマの記録 (「ウンタラスとナンタラスが執政官であった年」) のようでもある。

特に「昭和」には戦前と戦後の区別があり、また昭和帝の強烈な歴史的個性と、それに対する畏敬あるいは反発といった複雑な思想的事情が絡み合い、何とも言えない微妙な国民的コンセンサスと同時に、細分化すればどこまでも細かくなる亜流の系譜が存在する。一口に「昭和の大スター」といっても、その意味するところは文脈を読まねば正確に理解できないのだ。

極めて便利であるとともに難儀でもある元号表現は、我々の日常的な歴史観にも知らない内に影響を与えている。元号表現を全く廃して時代の流れを記述することの困難を考えてみれば良い。この問題は近代天皇制と細い糸でつながっているが、普段の我々がそれを意識することは少ない。そこがまたミソというか。

天皇問題を論じるには、上記の元号に代表される単語を注意深く排除するなり定義しなければならないはずだが、それらが無意識にまで食い込んでいるケースがあまりにも多く、考えの至らぬことが多々ある。あるいは、考え出した途端に全く思考が進まなくなる。そんなときに、ふと歴史の重みのようなものを実感する。分厚い。

別に歴史に限ったことではない。いつも何気なく使っている言葉こそ、慎重に吟味すべきなんじゃないか。

漫画日記

『北斗の拳』を再読して。

2008/07/21/Mon.

動画のエンコーディングと格闘している T です。こんばんは。

研究日記

Santa Cruz
米国の抗体メーカー、Santa Cruz Biotechnology, Inc. のこと。品揃えが豊富で、世界中でよく使われている。歌詞の関係で「値の高い」と歌ったが、実際にはそれほど高価ではない。

午頃に目覚めると隣の研究員嬢からメールが入っていた。俺達が使っている冷蔵庫の温度が上がっているから確認されたし、とのこと。どちらにせよ今日は出勤する予定だったので、職場へ出向いて検分する。冷蔵庫のフィルターが目詰まりを起こしていて、冷却機能が十全に発揮されていないようだ。フィルター清掃後は温度が下がってきたので、故障ではないだろう。隣の研究室が連絡してくれたのか、我らがボスや事務係長まで駆け付けてくれたのには恐縮した。(結果的に) 大した用事ではなくとも、男はこういうときに足を運ばねば、後で何を言われるかわかったものではないのが辛いところだよなあ。今日なんて特に暑いのに。

その後、培養細胞のメンテナンスと、大腸菌の grow up。

誰もいない実験室で、「♪抗体が Santa Cruz〜 値の高い Santa Cruz〜 アメリカから買った〜」と歌ってストレスを発散する。

動画日記

PSP のゲーム・プレイをテレビ de ポータブル P2 を介して HDD レコーダに記録し、ニコニコ動画にアップロードするための覚書。

2008/07/20/Sun.

28歳になった T です。こんばんは。

先日の Game Review で「角をヘシ折り」と書いたときに引っかかったのだが、「へし」とは何か。辞書によると「圧 (へ) し」であるらしい。擬音で書くなら「メキメキ……ッ」といったところか。調べてみるものだ。

全く関係ないが、『平家物語』のいわゆる「鹿ノ谷の陰謀」の場面で、大納言が瓶子 (へいし) を倒すシーンがある。これを見た後白河法皇は、「平氏が倒れた」といって小躍りし、調子に乗った西光が瓶子の首を折る。しかし御承知のように、鹿ノ谷の陰謀は平家方に筒抜けであり、参画者は縛に捕らわれる。皮肉なことに、西光は自信の首が刎ねられてしまった。

後世の歴史を知る我々は、無意識に「源氏史観」で物事を見てしまう。鹿ノ谷の陰謀は失敗したけれど、それは以仁王の令旨につながり、最終的には頼朝の挙兵に至る——という具合に解釈してしまいがちだ。もちろんそうなのだが、俺はもう少し違う印象を持っている。

まずは「瓶子 (平氏) が倒れた」だけでテンションが上がる公家の幼児性が目に付く。言葉遊びに現を抜かして当時の日本社会をダメにしたのは彼らなのだが、その自覚もないし、まさにそれゆえに平氏・源氏という武家が台頭してきたのだということも、もちろん理解していない。

鹿ノ谷の陰謀の失敗は、平家の凋落の前奏曲ではなく、歴史の表舞台から姿を消す公家達への葬送曲なんだよね。実際、頼朝が武家政権を確立してから、公家が再び実権を握ることはなかった。

そもそも、法皇までが参加している計画が「陰謀」っていうのもどうなの。後に「承久の乱」というのも起こるが、これも「乱」か「変」かで随分と話がややこしい (征夷大将軍を任命している天皇家が「反乱」というのは原理的におかしい)。……などと、建前という名の「言葉遊び」は日本史を貫く問題でもある。実態と記述が乖離してしまいがちなので、右から左まで、奇妙な事柄には枚挙に暇がない。面白いんだけどね。

運動日記

スポーツ・ジム 24回目。

走り出してから 2 km くらいで脇腹が痛くなり、今日は 3 km でリタイア。原因不明。体脂肪率は食後の測定。

2008/07/19/Sat.

全休したのは 7月になって今日が初めての T です。こんばんは。

まァこれくらいがちょうど良い。

ゲーム日記

新型 PSP の画像を S 端子で出力できるダウン・コンバータ (テレビ de ポータブル P2) を買ってきた。早速接続。構成は以下の通り。

PSPD 端子——ダウン・コンバータ——S 端子HDD レコーダHDMI——HDMITV

ゲームをプレイしながら HDD レコーダに録画することに成功した。ダウン・コンバートによる画質の劣化はまずまずのレベルだが、細かい文字を読まねばならない RPG や SLG では気になるかもしれない。

コンバータをかますことによるラグはなさそうだったが、いつもは成功するアクションが微妙に失敗したりするので、1〜2 フレームのラグがあるかもしれない。このラグが、HDD レコーダを経由していることによるものかどうかは不明。ちなみに MHP2G は 30 fps である。PSP で 60 fps のゲームというのは聞いたことがないので、このラグも許容範囲内か。

あとは HDD レコーダに録画した動画を DVD に焼いて、Mac (別に Win でも良いんだけど) で吸い出せば編集できる。近い内に晒してみる予定。

運動日記

スポーツ・ジム 23回目。

今日の体脂肪率は食後の測定。

2008/07/18/Fri.

「それが粋」という感覚は無粋だと思う T です。こんばんは。

間口が狭く奥に細長い間取りを、京都では「鰻の寝床」と称する。鰻の寝相を実際に見たことはないが、全身をだらしなく伸ばして眠る鰻、という絵にはリアリティが感じられない。内骨格系の生物は、基本的に身体を丸めて眠る。睡眠時も背筋を伸ばしているのはヒトくらいのものか。人間でも、子供のうちはよく丸まって寝ている。

余談だが、魚が睡眠時も眼を開けているのは、瞼がないからという単純な理由に依る。魚類はレム睡眠しかしない (基本的に脳は覚醒している) ので、視覚情報を閉じる必要がないのだろう。眼球が乾燥することもないから、どちらにせよ瞼はいらない。

さらにどうでも良い話だが、ヒトの動作で最も速いのは「瞬き」、つまり瞼の筋肉の動きである。——などと、トリビア親父か俺は。

ゲーム日記

新型 PSP の画像を S 端子で出力できるダウン・コンバータが本日発売された。

これを使うと PSP のゲーム動画が簡単に作成できるんだよなあ。やってみたいけど、そのためだけに画質を下げる機器を買うのもどうなの、という。MHP2G の動画は作ってみたいところではあるが……。

2008/07/17/Thu.

精度が求められない実験はバッド・ノウハウでやっつける T です。こんばんは。

Cloning なんかは、その典型だよな。アタリが 1個取れれば良いっていう。

研究日記

先日、thermal cycler (Q-PCR 用の共通機器) が突然不調に陥った。業者と連絡しながら何とかならないものかと調整している。その結果、随分と検出感度が戻ってきた。calibrate すれば復調しそうな感じである。色々と勉強になった。こういう地味なノウハウの蓄積が後に生きる (こともある) んだよなあ。

どうでも良いが、実験もバッド・ノウハウ (BK) の塊だよな。

Web 日記

アキラメンの mixi の日記を拝見する。彼の人柄がよく出ていて非常に面白かった。どうも俺の文章は刺々しくていかん。

2008/07/16/Wed.

眼底が痛い T です。こんばんは。

二晩一緒に遊んだアキラメンが帰っていった。久し振りで随分と楽しかった。ありがとう。

研究日記

論文を執筆中。今週中に書き上げてボスに送る予定。

失敗したシーケンスのやり直し。病院で PCR をかけ、大学でシーケンサーに apply する (病院のシーケンサーは旧式なので、面倒だが大学まで運んで解析した方が早く終わる)。

研究員君と情報交換。彼の投稿論文が返ってきたのだが、reviewer のコメントが非常に厳しい内容だった。全ての注文をこなすのは、ちょっと無理がある。来週、共著者が集まってミーティングをする予定だが、ボスはどのような判断を下すのだろうか。

W先生の投稿論文の manuscript が回ってきた。今年は皆書きまくってるなあ。来年の研究費に結実すると良いのだけど。

「日本語で良いから materials & methods と results をとにかく書いて」とボスに厳命された研究員嬢が、うーうーと唸りながら文字を書いている。どうせ他の人が英語に書き直すんだから日本語の微妙な表現に苦吟しなくとも適当で良いだろ。と思っても口に出さないのは俺の性格が九十九坂のように曲がっているからだ。研究員嬢は素朴な努力主義者であり——以下はあくまで俺の妄想だが——、彼女が今日やっているような作業の繰り返しがいずれ何らかのステップ・アップに結び付くと信じているフシがある。努力による漸近的進化論者なのだ。善人だよなあ。

俺のような断続平衡進化論者は、例えば、英語の論文を書けるようになりたければ英語で論文を書くしかない、という考え方をするし、また (結果はともかく) 実行する。「何とかなるだろう」という幾ばくかの楽観もこれに寄与する。この楽観は「何とかなった」という実体験によって支えられるが、それは背伸びをしない限りは得られない。漸近的に物事を考える人間は「何とかなった」という経験がないので何事にも及び腰になるのだろう。

のび太「もう少しうまくなってから練習したほうが……」

(藤子・F・不二雄『ドラえもん』)

「やったことがないのでできない」というのは研究員嬢がよく使うロジックであるが、もちろんこの命題は撞着している。筒井康隆ばりにその心理を妄想すれば「成功の保証はできない」「失敗したときの責任は負えない」「っていうかやりたくない」となるのであり、恐ろしいのは、研究員嬢の深層意識が上記のようなものであるかどうかではなく、そのように解釈する俺のごとき人間が周囲にいるかもしれない、ということである。ボスは、研究員嬢の話に時折イラついた様子を見せるのだが、そのたびに俺は他人事ながら冷やッとする。

恐怖の実相を理解していない人間を見ることはまた別種の恐怖である。カメラが、ジェイソンの肩越しに被害者のカップルを映すようなものだ。何とか伝えてあげたいものだが、もちろんそんな手段はなくて、それがまた恐ろしいというか。

2008/07/15/Tue.

久しぶりによく喋った T です。こんばんは。

研究日記

朝イチで大学に寄ったが、昨夜しかけたシーケンスは読めておらず。仕事は適当に切り上げて (というか切り捨てて)、夕刻には退散。

やっちもねえ

大学近くの焼き鳥屋でアキラメンと飲む。彼は今日、下鴨神社、知恩院、建仁寺あたりを訪ねたらしい。

飲み食いをしながらアレコレと話す。アレコレと言っても、話題といえば仕事か女か趣味くらいしかないわけで、これは要するに「時間と金」の話でもある。時間と金は基本的に負の相関関係にあるから、実はパラメータとしては一つなんだよねっていう。単純といえば単純ではある。とはいえ、そのあたりがわかっていない奴はやっちもねえよなあ、などと云々。

アキラメンが mixi をやっていることを不覚にも知らなかったのだが、なかなか活発に活動しているようで、随分と面白い話を聞かせてもらった。バイク友達との交流なんかは、元ライダーである俺にとっては実に羨ましい限りである。それから車が……の……とオフ……云々。いやぁ、やっちもねえ。

しこたま食べてから、帰宅して軽く MHP2G をプレイ。ちょっと疲れ気味だったので、早めに就寝。

2008/07/14/Mon.

学びて時に之を習……ってはいない T です。こんばんは。

研究日記

午前中は実験。午後からボスとディスカッション、夕方は会議、夜はセミナー。その合間にも実験をチョコチョコと。

セミナー後は大学に寄ってシーケンスをかけようとサンプルも用意していたのだが、「祇園祭に行くか」というボスの一声で、大学院の K先生、研究員嬢とともに四条へ。屋台で買い食いをしながらブラブラと歩く。湿気でクソ暑かったが、皆で鉾に上ったのは楽しかった。

散策中に、大学生時代のバイト友達であるアキラメンから電話を頂戴する。休暇を取って、車で京都に来ているらしい。何と間の悪い。ボス達と解散後、大学に寄ってシーケンスをかけ、日付が変わる頃にようやく彼と合流することができた。適当に腹ごしらえをしてから我が家へ。

あれこれと話す内に、彼が「一戦するか」と言うので何かと思ったら MHP2G だった。そういえば去年の今頃は、アキラメンと一緒にマゾい盛りの MHF をやっていたんだよなあ。久々に彼の狩猟笛の音が聴けて楽しかった。俺ももう少し頑張って MHP2G のエントリーを更新することにしよう。

明け方近くまでウダウダと話してから就寝。

2008/07/13/Sun.

物持ちは良い方だと思う T です。こんばんは。

20世紀に買った服をいまだに着ていたりする。ビンテージ、というわけではもちろんない。

物持ちが良くても、時間が経てばモノは劣化してくる。どれほど大事に使っても、消費財は捨てる日がいつか来る。今日はパソコンのバックアップを取りながら、幾つかのモノを捨てた。

モノが増えて困る、という感覚が僕には希薄だ。購入するモノは大抵、廃棄した分の「補充」である。補充であるから、減りこそすれ増えはしない。これは、廃棄したモノと補充したモノが (僕にとって) 交換可能である、と換言しても良い。

「増える」のは、だから交換不能のものである。一言で表すとコンテンツだ。新しい本を買ったから古い本を捨てよう、とはならない。両者は別物だから、両方を置いておくことに価値がある。我が家にあるコンテンツといえば、そこそこの書籍と幾ばくかの漫画、それから少しばかりのコンピュータ・ソフトウェアと音楽 CD くらいのものだ。昨今、後二者は媒体という呪縛から解放されつつある (ダウンロード販売など)。一方、電子書籍の普及には今しばらくかかるだろう。また、解像度の問題で、電子コミックの一般化はその後にならざるを得ない。記号純度の高いものからデジタル化されていく。

「音楽より文字の方が記号度が高くね?」という疑問があるかもしれない。これは難しい問題である。文章と同様に、器楽は楽譜があれば再現できる (MIDI を想起すれば良い)。記号論的な劣化もない。これが文学と音楽に「古典」が存在する理由である。それでも「声楽はアナログにならざるを得ないなあ」と思っていたが、初音ミクの登場でそれもわからなくなってきた。考えてみれば、音は全て波として定義可能であるから、それほど不思議なことでもない。

言葉も、有限種類の文字の、有限個の並びとして定義できる。ただ、言語の「文脈」は常に変化する。「ド」の音 (波) は未来永劫「ド」の音であり続けるが、「ヒト」という文字がいつまでも "ヒト" を「意味」し続けるかはわからない。僕達が古語を理解できないことを思い出そう。

言語はシニフィアンでもあると同時にシニフィエでもある。音楽は今のところ、シニフィアン (音) でしかない。ビバルディの『春』(というシニフィアン) を聴いて、"春" というイメージ (シニフィエ) を思い浮かべることは可能である。しかし言葉ほど厳密な対応や普遍性はなく、ましてその「意味」「理由」を尋ねられて答えられる人間となると絶無だろう。

シニフィエを考慮する必要がない分、器楽の方が言語より純記号的だという議論は成立する (そうなると「記号」の定義から話を始めなければならないが。何をもって「純粋」とするか)。というか、そもそも器楽にシニフィエは存在しないのか、という疑問は抱かれてしかるべきだろう。恐らく、存在はするのだろう。棚上げになっているだけだと思われる。そんなことを考えながら音楽を聴く人間は少ない。

ところで、声楽になると話は一気に難しくなる。言語としての歌詞の意味に、音楽としてのメロディが掛け合わされるからだ。"Let It Be" の歌詞を言語学的に解析することは困難ではないだろう。しかし、あの音階に乗せて歌われたときの感動を分析することは不可能だ。それを記述する言葉を僕達は持たない。音楽の意味論を構築できれば、それは「音学」となるかもしれない。

2008/07/12/Sat.

どうも最近は日記が億劫な T です。こんばんは。

まァよくあること。周期的に訪れるものとわかっているので、特に頑張ったりはしない。

研究日記

大腸菌のコロニーをチェックするためにラボへ。無事に生えていたので安堵する。昼飯を摂って帰宅。

買物日記

クリーニング屋に行く。汗抜きはどうするかと訊かれるのだが、「汗抜き」の原理と効果や、どの程度の頻度でするべきかの知識がないのでいつも返答に困る。

靴と本を買う。帰宅して夕寝。起きたら 20時を過ぎていたのでジムには行けず。

2008/07/11/Fri.

セブン・イレブンが大したキャンペーンをしていないことにガッカリした T です。こんばんは。

研究日記

ベクターを作成中。随分と以前の話だが、卒業研究を始めた俺が最初につまずいた実験がライゲーションであった。その頃のトラウマが残っているせいか、今でも大腸菌のコロニーをチェックするのは緊張する。生えてきていると妙に嬉しいし、生えていないと必要以上に落胆する。土日はコロニーのチェックと grow up (生えていればだが!) で、少しだけラボに赴く予定。

夜は隣の研究員嬢 (7月 7日生) の誕生会。テクニシャン嬢と研究員嬢が店を確保してくれた。俺 (7月 20日生) も誕生日が近いからということで御馳走になる。豚の角煮がやけに美味かった。

2008/07/10/Thu.

PubMed の微妙な Web 2.0 化って不要だよなあ、と思う T です。こんばんは。

ところで、WebLSD の API の公開を楽しみに待っているのは俺だけではあるまい。

運動日記

スポーツ・ジム 22回目。

前回に引き続き、3% の傾斜を 1.5 km ほど組み込んでみた。結構キツい。

シャワーを浴びてジムを出ても、何だかぬるりと生暖かくて爽快感がない。

2008/07/09/Wed.

久し振りに本屋に寄ってきた T です。こんばんは。

家族日記

父と母が京都に来ており、大阪で仕事をしている妹も休みだったので、皆で集まって食事をした。両親に会うのは正月以来、妹とは去年の大文字焼き以来。弟は仕事。母の手術以来、彼とはもう 4年以上会っていない。

この春から、弟は実家に戻ってきており、妹は大阪で職に就いた。全員が関西に居るわけで、これでも以前に比べれば集まってきた方である。

解散後、雨が降っていたのでタクシーで帰宅。話し好きな運転手で、延々とオリンピックの話を聞かされた。やたらと「女子バレーは良い」と繰り返していた。

運動日記

ジムへ行くたびに 500 ml のスポーツ・ドリンクを買うのだが、当日中に飲み切ることはない。残りは毎回持ち帰る。結果、中途半端に中身の入ったペットボトルが十数本、我家の机上を占拠している。順番に飲んで空けようとはしているが、家ではコーヒーを飲むことが多いので、スポーツ・ドリンクはなかなか消費されない。その内、どれが古くてどれが新しいのかわからなくなってくる。それでも捨てるのは何だか勿体ないので、これはと思ったボトルに手を伸ばして口を付ける。後に腹痛が起こることも多い。因果関係は不明であるが、恐らく私や貴方が抱いた推測は正しい。しかしトイレに籠っている間に、問題のボトルがどれであったか区別が付かなくなってしまうから、ロシアン・ルーレットはいつまでも終わらない。無理矢理に全てを飲み干して、大腹痛を一度やり過ごすのが最善の策かなと考えている。

割箸のこと

間伐材を利用した、いわば廃材リサイクル品である割箸がエコ猿の目の敵にされる一方で、木材をふんだんに利用した、なんちゃってアジア・テイストのインテリア・ショップが攻撃されないのはなぜか。バカじゃねえの。

割箸を燃やすと CO2 が出るというが、塗箸を洗うと汚水が発生する。生分解できる洗剤もあるが、そんなことを言えば、割箸だって生分解され得るので一緒だろう。

エコロジー問題に興味はない。ロジカルでないのがイヤなだけだ。ロジカルでないからエコロジー議論に興味が持てない、というのが正しいのかもしれん。

2008/07/07/Mon.

共通機器の予約カレンダーに添えられているイラストが、福田康夫首相に似ていると思った T です。こんばんは。

福田康夫内閣総理大臣

運動日記

スポーツ・ジム 21回目。

今日の体脂肪率は食事後の計測である。

ベルト・コンベアーの傾斜機能を使ってみた。3% の傾斜を 1 km 挟むだけで、随分と体力の消耗が異なってくる。単純に疲労が増えるだけではなく、傾斜なしのランニングとはまた違った筋肉を使うので、エクササイズの効率も良いような気がする。しばらく続けてみよう。

ベルトを用いたランニングでは体幹温度が下がりにくいので、運動する時間を延ばしても全体の効率は悪くなる一方だ。短時間で効果的な成果を上げるには、負荷の最大値を上げる、異なる部位の筋肉を動かす、などが重要であると思われる。ジムの設備を勘案すると、速いスピードで早めにランニングを終え、プールで筋肉の熱を冷ましながら泳ぐのが理想的か。でも水泳は、全身的な疲労が次の日に残るんだよなあ。

ゲーム日記

「ジムの記録を付けているのは、これが体脂肪率を減少させるゲームだから」と以前に書いたが、それにも関係する話。

ゲームをしない人がゲーマーの行為を理解できないのは、メタ・ゲームの存在を知らないからではあるまいか。

例えば、あるゲームのアイテムをコンプリートしようとする。これは「アイテムをコンプリートする」というメタ・ゲームなのであって、その段階に至ればゲーム・タイトルが何であるかはそれほど関係なかったりする。世にはクソゲーと称される、全く面白みのないゲームが存在するが、「クソゲーを極める」「クソゲーを愉快に遊ぶ」というメタ・ゲームもまた存在する。他にも、いわゆる「縛りプレイ」などの比較的よく知られた遊びから、「システム解析」というマニアックなものに至るまで、様々なメタ・ゲームが存在する。

したがって極端な話、そのゲーム・タイトルが面白いかどうかもあまり重要ではない (というゲーマーもいる)。メタ・ゲームには脳内補完と創意工夫と試行錯誤が絶えず必要であり、本質的には男子の基地ごっこや女子のままごとと大差はない。割と創造的な遊びである。と俺は思っている。こういう指向こそ「ゲーム脳」と呼ばれてしかるべきだが、巷間での用法はそれと少し違う。一般にいわれる「ゲーム脳」の定義は極めて幼稚で未熟であり、この国のゲーム (これはコンピュータ・ゲームに限らない) に対する理解性の低さを如実に示している。

少し話は逸れるが、「罰ゲーム」というのもメタ・ゲームの一形態だよね。クソゲー遊びは罰ゲームとよく似ている。罰ゲームで膨れっ面をするような、余裕のない大人にはなりたくない。

2008/07/06/Sun.

ホット・コーヒーとアイス・コーヒーとインスタント・コーヒーと缶コーヒーは別の飲み物だと思っている T です。こんばんは。

ここ数日、缶コーヒーを自重している。暑くなってくると、缶コーヒーを飲むと余計に咽喉が渇くからである。甘過ぎるんだよなあ。それが缶コーヒーであるのだが。

研究日記

テクニシャン嬢と Q-PCR の続き。最後のプレートをセットしたところでテクニシャン嬢に御帰宅願う。俺は PCR が終わるのを待ち、データを取り込んでから帰宅。解析は明日。早く詳細な結果を検討したいが、こういう数字 (実験動物のサンプルなので個体差や誤差が比較的大きい) は、頭を冷やしてからよくよく注意して見ないと騙されることがあるので、一晩寝かせておくことにする。

2008/07/05/Sat.

自分探しなんてちゃんちゃらおかしいぜ、と思っている T です。こんばんは。

本当の自分とは探し当てるものではない、棚に上げるものだ。

夢日記

今月末に人と会う約束をしているのだが、そのときの夢、つまり未来夢を見た。

ハッと気が付いて腕時計を見ると、針が 23時を指している。もちろん遅刻も遅刻、というより音信不通に近い状態である。慌てて先方に連絡をしてみると、「ずっと待ってるんだけど」みたいなことを言われて、恐縮のあまりに脇の下を冷たい汗がつつと流れた——ところで目が覚めた。

「間に合いそうにない」という遅刻夢の話はよく聞くし、俺もたびたび見るのだが、ここまでの大遅刻を演じた夢は初めてだ。実に嫌なものである。

研究日記

久々の休日出勤。木曜、金曜と代休を取ってもらったテクニシャン嬢にも来てもらう。2人でひたすら 96-well プレートにサンプルを注ぎ、PCR をブン回す。今日で半分が終了。残りは明日。

2008/07/04/Fri.

不立文字な主題について考えると日記が止まってしまう T です。こんばんは。

研究日記

大学院のセミナーに出席。1分子イメージングの話。

以前に、「僕が何かしらの生命現象をイメージするときは、いつも個々の登場人物 (多くはタンパク質) がそれぞれ独自の相貌を持ってカチャカチャと動いたり組み合わさったりする。とても機械的なのだ」と書いた。それに補足して、「僕が機械的にイメージするのはあくまでその抽象化された機構であって、例えば細胞自体を精密に組み合わされたマシンのように捉えているわけではない。細胞内の部品は、個々の単位では常に分解と生成が繰り返されている。例えば筋肉繊維は絶えず重合と脱重合に晒されているわけだ。イオンは細胞膜を頻繁に行き来するし、細胞自体も組織の中で死んだり分裂したりと様々な運命の輪廻を巡る」とも書いた。いよいよそれが実際に「見えて」くるようになってきた。

上記の議論で抜けている点を補足するなら、細胞は驚くほど省エネであることをまず指摘したい。例えばブラウン運動のような、ランダムだがエネルギーを要しない動きが上手く使われている。重要なのは、ランダムな運動を基盤にしているにも関わらず秩序があるということ。エネルギー論的に換言すれば、恐ろしいほどに効率が良い、ということになる。

その上、細胞 (組織、生命) には冗長性まである。この冗長性はどう理解すれば良いのだろう。ある目的に向かって進化したシステムがコピーされる過程で冗長性が現れるという、目的 (効率) > 冗長性 (安全性) という仮説。あるいは逆に、試行錯誤のジャンク生成の過程で、創発的に冗長性のある合目的的なシステムが現れるという可能性。どっちなんだろうね。

一般的な生物のイメージは、後者であるかのような印象が強い。けれども、ウイルスなんかは前者のタイプのような気もする。ウイルスは潔いほどまでに無駄なものがない。

——というようなことを考えるとき、「目的」だとか「冗長性」という、どうしようもないほどに人間的な概念の窮屈さを感じる。生物というシステムは、明確な意志をもってそのような事柄を指向しているわけではないからだ (というのが俺の生物観である)。「意志」とか「指向」もスゴく言葉的な言葉なんだよね。そういう檻を全て取っ払って考えたいのだけど……それは僕達には不可能なんだよなあ。

さて、何となくだが、じわじわと忙しい感じ。

先日 publish した俺の研究で、あるタンパク質の修飾部位を同定した。修飾部位がわかればペプチドも合成できるわけで、要するに、修飾型 (これは活性型でもある) タンパク質を抗原とする抗体が作成可能になる。というか、既に M先生が業者に作成を依頼している。それが来週にもでき上がるらしい。こいつが使えるようであれば、Western は当然のことながら、培養細胞や組織切片でもタンパク質の活性を可視化できるようになる。

楽しみではあるが、実際に使える抗体かどうかは試してみないとわからない。ボスは、とりあえず「こんな抗体できました」で論文 1本を書くつもりらしい。こういうのって、どういう journal に出せば良いのだろう。

2008/07/03/Thu.

手羽先を上品に箸でせせる男の人って……と思う T です。こんばんは。

研究日記

この週末に大量の実験を計画しているのだが、俺一人では大変なのでテクニシャン嬢に手伝ってもらうことにした。その代わり、今日と明日は彼女に休んでもらっている。出勤日数の帳尻さえ合わせれば良い、というものではないが、致し方ない。

国際学会の日本部局会という微妙な学会に演題を応募した。12月に横浜、だったかな。就職してからは横浜に行ったことはないと思う。

職場の健康診断で、X線撮影。

OB の先生が残していったデータで俺が文章を書いた論文は昨日 submit されたらしい。2週間以内に accept か reject が決まるというから早いものだ。

運動日記

スポーツ・ジム 20回目。

早い時間にジムへ行くと、スタジオでエアロビクスをやっていることが多い。これがなかなかハードなようである。俺が来る前から踊っていて、1時間後に帰るときもまだ踊っている。かなりキツいんじゃないか。驚嘆すべきはやはりインストラクターで、踊るだけではなく大声で、「ハーイ、ここで回って前後にステップ、ハイ、ハイ」などと号令している。大したものだ。

ところで、「カモシカのような脚」という表現があるが、あれは一体どのような脚を指すのだろうか。よくわからない。長距離走者だった俺が魅力的に思うのは「手羽先のような脚」だが、この表現はどうも不評である。褒め言葉になっていない、というのだ。個人的には、「脚なのに手かよ」というあたりも含めて気に入っているフレーズなのだが。

賛辞はできるだけオリジナルな言葉で贈りたいと常々思っている。自動化された言語で褒めるのは非常に簡単なのだが、それはお世辞の域を出るものではない。とはいえ、unique な表現とはなかなか難しい。

2008/07/01/Tue.

今日のジムで一番バカなことをやっていた自信がある T です。こんばんは。

コンビニエンス・ストアの 24時間営業規制について

俺は重度のコンビニ依存症なので、各種店舗の 24時間営業については賛成というよりも、24時間営業でないと困る (飢死その他の危機に瀕する) という立場である。当然、規制には反対だ。何でも「エコ」と言って規制すれば良いものではなかろう。

とはいえ、感情的に叫ぶだけでは、それこそ低能エコ猿と同じレベルに堕してしまうので、色々と理由を探して反論を試みる。

考えれば考えるほど、24時間営業の規制は思い付きレベルのアイデアだと思えてくる。アホ過ぎるだろエコ猿。俺が金持ちだったら、24時間営業の鯨専門店でも開業して顰蹙の一つや二つは買ってやるところだ。

ゲーム日記

『テトリス』や『ぷよぷよ』は、落ちゲーの古典として万人が認めるところである。しかして『ドクター・マリオ』が定番足り得なかったのは何故か。ゲームを構成する要素は、『テトリス』では「ブロック」、『ぷよぷよ』では「ぷよ」の一種類だけなのに対し、『ドクター・マリオ』は「ワクチン」と「ウイルス」の二種類である。自律的で閉鎖的なゲーム・システム (独りで遊ぶゲーム) という観点から眺めたとき、『ドクター・マリオ』は複雑にして煩瑣であるといえる。

(『ドクター・マリオ』では「ステージ」を用意する必要があるということに注意しよう)

(『ぷよぷよ』にも「おじゃまぷよ」という二次的要素が存在するが、これは対戦時に登場するもので独りプレイを考察するときに勘案する必要はない)

以下は数学の問題である。

ブロック (あるいは「ぷよ」) の落下時間 (および回転、水平移動に要する時間) を無視したとき、『テトリス』あるいは『ぷよぷよ』でゲーム・オーバーする条件とは何か。

『テトリス』の場合、答えは簡単である。横幅のマス数が奇数のとき、田の字ブロックが連続して落ちてくるとゲーム・オーバーになる。

『ぷよぷよ』の場合は難しい。問題を書き換えると、

x × y マスのステージを、同色の「ぷよ」が 4個以上連続しないように塗り分けるには、n 色の「ぷよ」が必要である。ただし「ぷよ」は一度に 2個が固まって落ちてくる。

となる。四色定理のようだ。

運動日記

スポーツ・ジム 19回目。

入会して 3ヶ月目を迎えたということで、記念品 (?) のタオルを頂戴した。

昨日は、インナーに染み込んだ汗の模様によってチンポに汗腺がないという知見を得た。今日は追試を行った。

Introduction

以前に筆者は、体表面の発汗をインナーに吸収し、転写された染みの像から汗腺の分布を検出する方法 (sweat blotting 法) を用いて、男性生殖器に汗腺が存在しない可能性を示した (T, 2008)。本研究では、sweat blotting 法の再現性を検証し、男性生殖器における汗腺の有無をさらに詳細に解析した。

Materials & Methods

前回の実験と同じく、被験者には筆者を用いた。本実験では、前回とは色のみが異なるインナーを着用した (前回, 黒; 今回, 白)。男性生殖器の位置は、前回と今回とで左右を逆にした。前回 (5 km 走行時) 以上の発汗量を確保するため、今回は 6 km 走行時のインナーを解析した。走行はいずれも空腹時に行い、インナーの解析は走行後 5分以内に行った。インナーに転写された染みの分布は目視によって解析した。

Results

発汗するために 6 km を走行した。5 km 地点までは前回と同じ速度で走行し、最終 1 km はさらに速度を上げて走行した。マシンに表示された消費カロリーは、5 km 走行時で約 330 kcal、6 km 走行時で約 400 kcal であった。ジム室内の諸条件は、前回と今回の実験で有意な差を認めなかった。

目視によるインナーの解析で、上半身には肩・脇・背中に大量の発汗を認めた。腹・腰にも充分な発汗が検出された。しかし、左右両脇腹に発汗は認められなかった。下半身には、内股・尻・腰に多量の発汗像が得られた。一方、男性生殖器が接触している部分には全く発汗が認められなかった。

以上の結果は、筆者の男性生殖器に汗腺がないことを強く示唆する。

Discussion

Sweat blotting 法を用いた体表面の汗腺分布の解析結果は、2回の実験を通じて同様の傾向を示した。特に、前回と今回では男性生殖器の位置を逆にしたが、どちらの実験でも生殖器接触部位に発汗像が認められなかった。これは、生殖器接触部位における発汗像の欠如が、検出感度の不足によるものではなく、汗腺の不在を反映していることを強く示唆する。

筆者を用いた実験では、sweat blotting 法による実験結果は高い再現性を示した。しかし、sweat blotting 法をより確実にするためには、他の被験者を用いた実験が要求されるだろう。

本実験の結果から、少なくとも筆者の男性生殖器には汗腺が存在しないことが示された。生殖器は種の保存に重要な器官であるため、組織の構成は個体間でよく保存されていると考えられる。一方、生殖器の形態には大きな個人差があることも報告されている。男性生殖器における汗腺の不在を証明するには、他の被験者を用いた実験が必要であるだろう。

References