- Diary 2004/12

2004/12/31/Fri.

反省、反省の1年だった T です。こんばんは。

大晦日の 1日

大晦日を下宿で迎えるのは初めてである。少し早起きして軽く掃除をした後、買い物に出かけた。今日は(この地方にしては)結構な量の雪が降っている。頭の雪を振り払いながら近くのスーパーへ。酒と年越し蕎麦、もろもろの食料品を買い込む。部屋に戻ってきてから両親に電話すると、もうやることがなくなった。このまま酒でも飲みながら半日が過ぎると、早くも 2005年である。

今年は色々とあった。色々あるのは毎年同じだが、何というか、「我慢のゴルフ」的な1年とでも言えば良いだろうか。阿佐田哲也が書くところの「しのぎ」に近い感覚である。

しのぐ

この「しのぎ」はなかなか説明が難しい、含蓄の深い言葉である。自分に振りかかる攻撃をかわしているのではなく、しっかりと喰らいながら耐えている。耐えてばかりいるのではない。反撃の様子もうかがっている。しかし、この「反撃」は、相手に勝つためのものではない。「勝ち」を狙ってはいけない。どうにか「負けない」ためにする反撃なのである。最終的にイーブンよりも少し上、水面から口と鼻だけを出して、何とか呼吸ができる、息ができれば御の字、そういう状態が「目指すところ」なのである。そのためだけに、しのぐ。

出発地点からしてマイナスの発想である。それに共感できるのは、男特有の「滅びの美学」みたいな点に関してであって、実生活で「しのぐ」奴は負け犬なのではないか。「しのぎ」が魅力的に見えるのは、それが阿佐田哲也が描く博打の世界での倫理だからだろう。阿佐田哲也をヘラヘラと読んでいた20歳の頃は、そんなふうに考えていた。

どうも違うぞ、と思い直したのは最近である。「しのぎ」は「我慢」でも「雌伏」でもない。これらの精妙な違いに気付けたのが、今年最大の収穫かもしれない。新年を迎えるに当たって、あまり景気の良い話でなくて恐縮だが。

読書日記

マルコム・E・ラインズ『物理と数学の不思議な関係 −遠くて近い二つの「科学」』を読了。これはいずれ「Book Review」で御紹介しようと思う。それにしても、ハヤカワ文庫の<数理を愉しむ>シリーズはハズレがない。今度は、E・T・ベル『数学は科学の女王にして奴隷』を読んでみようか。

御挨拶

それでは皆さん、良いお年を。来年もよろしくお願い致します。

2004/12/30/Thu.

日記のタイトルは、よく色んな著作から剽窃している T です。こんばんは。

今日のタイトルはピンクレディー『ドラゴン』の歌詞から。この部分だけ読むと、非常に興味をかき立てられる曲である。「助けてよ、ドラゴン」。どんな歌なんだ。

Web日記

そろそろトップページの絵を代えねば……と思いつつ、いまだに果たせずにいる。サンタのまま年越しか? それでも別に構わんが。季節ものには賞味期限があるから困る。今度からはそのあたりも考慮した上で実行しよう。

読書日記

大槻ケンヂ『我が名は青春のエッセイドラゴン!』を読了。彼の高校時代の思い出には、いつも共感を受ける。「何者かになりたく、何者にもなれず、俺は人とは違うんだと思いながら、それを証明する術はない」。基本的にはそんなところで、これは全ての若者に共通の悩みではないだろうか。しかし共鳴したところで、こういう本を書いている大槻ケンヂは既に「何者」かになってしまっており、そこが決定的に読者とは違う。全ての青春エッセイに関するパラドックス。それでも人はエッセイを読む。青春だよなあ。

2004/12/29/Wed.

ここ数日、寝倒している T です。こんばんは。

無洗米

今この日記を書いているのは 11時半頃なのだが、本気で 28日の午後かと思っていた。実は 29日の午前。大掃除したついでに大量の買い物をしたおかげで、もう 3日ほど、文字通り一歩も部屋を出ていない。年末年始は帰省しない予定で、そのための買い出しだったのだが、これでは正月が来る前にもう一度買い出しをするハメになりそうだ。

この前の買い物で、初めて無洗米を購入した。米の特売日だったのだけど、店に行った時間が遅くて無洗米しか残っていなかったというのが真相なのだが。無洗米の売れ残りが如実に物語るように、俺も「やっぱり米は手と水で洗ってほしいよな」という意見の持ち主である。が、自分で炊いて食したところ、それが(味に関しては)あらぬ偏見だったことに気付く。このクソ寒い時期に、冷たい水で米を研がずに済むところが、何よりも良い。

最近では、値段もほとんど普通の米と変わらないし、どうして今まで買わなかったのだろうか。とかいって、実家の母親が無洗米の飯を出してくれたら、それはそれでちょっとイヤだったりするんだろうけれど。勝手なものである。

Web 日記

OS にパッチを当てたら、ネットワーク関係のソフトにやたらと不具合が起きる。ネットの接続がやや不安定なのは回線のせいかもしれないけれど、メール、FTP、サイト作製ソフトの初期設定ファイルが軒並みやられて、復旧するのが面倒臭いから放っておいた。わはは。

しかしこれでは年が越せんなあ、と考え直して、今日ようやく万全の態勢に。やはり機械は、いつもと同じように動くことが最低限の条件だと思う。ここが「道具」との違いなんだが、そのへんは書くと長くなりそうなので、またいつか。

読書日記

明石散人と篠田正浩の対談『日本史鑑定 天皇と日本文化』を読了。副題に「天皇と日本文化」とあり、博識の二人が天皇をテーマに、日本の歴史と文化を縦横に語り合うという内容。かなり濃い。詳細な脚注が付されており、それを読むだけでも勉強になる。

司馬遼太郎の全エッセイ集、『司馬遼太郎が考えたこと』の配本が始まった。全15巻の予定で、現在手に入るのは2巻までである。これから毎月1巻の配本で、完結は 2006年(司馬遼太郎没後 10周年)となる。第1巻の最初のエッセイの日付は「昭和28年 10月」となっている。こんな文章は、いかにそれが司馬遼太郎が草したものといえど、なかなか目にすることはできない。ネットでもしかり。やはりこの手の文章は、書籍としてまとめられるのが嬉しい。

2004/12/24/Fri.

本棚がいっぱいと言いながら、今日も書籍を購入した T です。こんばんは。

書架の容量も読むペースも減少傾向であるが、本を買う頻度だけは下がらない。困ったものだ。

研究日記

午前中にミーティング。部屋が暖かくて眠かったのと、K先生の話が長かったのが重なって、終始ボンヤリとしていた。終了後、K君に、「1回『はい』って返事しただけだったじゃないですか」と突っ込まれる。反省。

読書日記

久し振りに「Book Review」を更新した。数えてみると、この 1年間で 25冊を紹介している。実際に読んだ数はもっと多いけれど、書評や感想を書く気にさせてくれる本は月に 2冊程度、という勘定になる。この数が多いか少ないかは議論の別れるところだが、今年も良い書物に出会えたことに、まずは感謝。

最近読んだ中では、藤木稟『黄泉津比良坂、暗夜行路』がなかなか面白かった。「Book Review」でもかなり藤木稟を褒めているが、この人は 1作ごとに(作家としての)意外な面を見せてくれるので目が離せない。

もう一つ書いておきたいのが、井沢元彦『歴史「再発見」物語』。大阪の銀行 PR誌に連載した文章をまとめたものだが、これが良かった。連載媒体の性質を考慮してのことだろうが、大阪に関する話題を、古代から近世まで、時代順に書き連ねている。通読してみると、日本史における大阪(あるいは浪速)の浮沈が鮮明に浮かび上がってくる。こういうアプローチもあるのか、と感心した次第。まァ、これは大阪だからできる技ではあるけれど。他の地方でやっても、それはただの郷土史にしかならないからなあ。

CG 日記

細々ながら続いているCG作製。何ヶ月も手を動かさないことはあるが、それでも今日まで続いているのは、断続的に刺激を受け続けているからだ。それが蓄積し、モチベーションが閾値を超えると「久し振りに作ってみるかな」という気になる。

昨今では 3D CG なんて珍しくも何ともない。刺激を受ける機会には事欠かないが、俺にとって最も創作欲を刺激されるのはゲームである。最近のゲームのグラフィックは半端じゃない。特に有名タイトルのオープニング・ムービーなどは、メーカーの威信をかけて作製される。CG 雑誌などを立ち読みすると、下手な映画よりは金も時間も手間もかかっていることがわかる。そんな気合いバリバリの作品を目にすると、とても及ばないとは知りつつも、つい CG ソフトを起動してしまう。おかげで、少しずつだが自作の CG も増えているという案配だ。

趣味の創作に共通する現象だと思うが、立ち上がりは腰が重くとも、いざ作り始めると熱中してしまう。完成すると燃え尽きてしまうことも多いのだが、趣味なんだし、それで良いと思っている。創作が義務化してしまうことほど辛いこともない。それはもはやホビーではなく、仕事である。創作を仕事にしている人は、そこが大変だなあと思う。

昨夜から、デジタルカメラのモデリングをしている。これを題材とした CG のアイデアを 1ヶ月くらい前から温めていて、そろそろ形にしてみようかと奮戦中だ。創作というのもおこがましいし、出来栄えは良いに越したことはないけれど、とにかく今は作っている最中が楽しくてしょうがない。

2004/12/23/Thu.

我が豪邸の大掃除をした T です。こんばんは。

掃除日記

昨日、ラボの大掃除をした余勢を駆って、我が部屋のクリーンアップに乗り出す。こんなものはノリでやらないといつまでも片付かないので、良い機会だ。散らかっているとはいえ、その大半は本と服で、整理するモノの種類は少ない。しかし掃除の進行に伴い、散乱している書籍が本棚に入り切らないことが判明。ついに本棚増設か。来春には引っ越すつもりなので、あまり体積のデカい買い物はしたくないのだが……。

大掃除には欠くことのできないバケツであるが、我が豪邸にはバケツがない。一々水道で雑巾をすすぐのも面倒なので、風呂に湯を張ってバケツ代わりにした。さすがにこれだけ湯があれば足りるだろうと考えたのだが、掃除が終わる頃にはドブ川の水のようになってしまった。

風呂場

汚れ過ぎだろ。おかげで風呂掃除が大変なことに。過ぎたるは猶及ばざるが如し。

研究日記

構造屋・分析屋
生物学では、自分の専門分野を卑下して「〜屋」ということがある。他人に対して使う場合は尊称となる。「構造屋」はタンパク質の立体構造解析のスペシャリスト、「分析屋」は分光測定、酵素活性、化学反応などの専門家である。生物物理学会には、この2者が数多く在籍している。俺が今まで見聞きしたものでは、「タンパク屋」「酵素屋」「計算屋」などがある。しかし何故か「遺伝屋」「発生屋」などは聞かない。物理化学に近い分野ほど「〜屋」を名乗る傾向がある。恐らく屋号の発祥はそちらなのだろう。

生物物理学会などに行くと、構造屋分析屋と話をする機会があるのだが、彼らのタンパク質に対するスタンスは、俺とは大きく異なる。俺は線虫の変異体を解析しており、関連している研究分野と言えば、遺伝学・発生学・形態学・組織学といった、本当に「生物」を扱うものが多い。細かくやったところで、せいぜい細胞生物学くらいのものだろうか。あとは、生化学の真似事を少し。

俺のような、いわゆる普通(?)の生物学を学んでいる人は、タンパク質を「生命の最小単位」として捉えがちな気がする。たった20種類のアミノ酸から構成されるというシンプルなシステム、しかしながら立体構造や化学修飾によって大きく変化する性質、複雑な相互作用、そして何よりも膨大な種類と数。何となく、「生命」を彷彿とさせるような特徴に溢れているではないか。タンパク質こそ、生命の謎を解く秘鍵である。とまあ、そんなイメージが俺にはある。

一方、構造屋は「タンパク質は化学物質」と主張する。いや、一々主張などしない。それが前提となって話を進める。「タンパク質は化学物質」。確かにそうなんだが、発想というか出発点というか、それがもう俺とは全然違う。「タンパク質は化学物質」。しつこく繰り返すが、何度聞いても新鮮な言葉だ。ショッキングでさえある。そしてそれは悪い心地ではない。M先生のラボでプレゼンテーションしたときにも、同じ衝撃を受けた。かのラボは、構造屋の集団なのである。

「タンパク質は化学物質」。この言葉に覚える違和感は、まだまだ俺の知らない世界が存在するという証左でもある。核酸も、膜脂質も、水も、全て化学物質である。生物は化学物質の集合体であり、熱力学の法則に準じた反応を繰り返している。そのことを頭では理解できるが、具体的にイメージして再構成する能力が俺にはない。構造屋は「細胞はデカ過ぎる」と言う。色んな見方があるんだなあ、と思う。学問の何と豊かなことよ。

2004/12/22/Wed.

餃子20個を肴に発泡酒を飲んだら気分が悪くなった T です。こんばんは。

研究日記

ラボの大掃除。終了後、レポートを作成。修士論文のアウトラインを書けということなのだが、それは何のため? この夏、投稿論文を書き上げて K先生に提出したのだが、いまだに放置され続けている。そんなに修士論文の中身が知りたかったら、さっさと投稿論文を読めば良かろう。こんなことで……、おっと。ムニャムニャ。

就職活動日記

昨日届いた、気になる公募の審査結果は合格であった。これはまだ書類審査の段階で、年明けに面接を受けねばならない。これをパスすると採用される。この面接がまた曲者っぽい。日程の案内を見る限り、受験者一人に与えられる時間は、研究概要・志望動機の発表が 5分、質疑応答が 7分。短い。5分で何が話せるんだろう。この 1年間でいくつも面接を受けたが、合計 12分というのは最短である。

しかしまァ、受けるからには真面目に準備をしなければならない。発表時間が短いほど、用意するべき事柄が増える。後から挽回できないため、その場でズバリ的確に応答する必要があるからだ。どこに転ぶかはまだまだわからないが、もう少し転がり続けてみるか。

着想の獲得

……と、ここまで書いてアップしようとしたのだが、どうにも FTP サーバにつながらない。なので、もう少し書いて時間を潰すことにする。

先週、先々週の学会には電車で通っていたのだが、電車の中というのは大層ヒマである。俺は今まで電車やバスに乗って通学した経験がないので、乗物の中で時間を潰すノウハウに疎い。本でも読めば良いのだろうが、窓からの景色を眺めているだけで飽きないので、大抵はボーッとしている。たとえボンヤリしていても、頭というものは活動を止めることはないので、時折、フッと奇妙なことを思い付いたりする。それがまた楽しい。

こういう変な着想は、後から思い出して再現するのが難しい。意識が明晰でないときに浮かぶアイデアは、起きながらにして見る夢のようなものだ。こういう断片的なイメージが創作には重要であると、筒井康隆は『着想の技術』で論じている。俺もそれに倣い、下らない思い付きは、なるべく書き留めるようにしている。このことは以前の日記にも書いた。

さて、どれくらい下らないかと言えば、これはもう、どうしようもないくらいに下らない。実際に俺の頭に浮かんできた断片というのは、例えば次のようなものである。

「神狂鐘(ジングルベル)」「年中無給」「悠久休暇」

ホントにバカバカしい限りである。恐らく車内の吊り広告から、無意識にインスパイアされたものだろう、ということも容易に想像がつく。このような、イメージの源泉が簡単に突き止められるような断片は、総じて面白みがない。どうしてそんなことを考えたのだろうか、というふうなフラグメントの方が、断然スゴ味がある。しかしそんなアイデアが出てくるのは、数十回に一度くらいのものだ。しかもそんなときに限って、メモを持ち合わせていない場合が多い。着想は鮮度が命であるから、これは致命的である。

着想の点検

運良く優れたイメージが得られたとしよう。重要なのは、時間を置いてから、もう一度そのイメージを味わうことである。奇妙なフラグメントというのは、意識の検閲が緩んだ隙を突いて浮かび上がってきたものであると考えられる。逆に言うと、検閲が機能しているとき、つまり意識が明瞭なときには、いくら考えても出てこない発想なのである。これは貴重だ。であるから、無意識の産物を意識的に点検するということは、是非ともやっておきたい。そこからまた、新しい何かが得られる(かもしれない)。

言葉で書くと何やら複雑であるが、大して難しいことではない。誰でも、変な考えがフト浮かぶことはあるだろう。大抵は、それをつまらないものとして忘却の彼方に追いやってしまうが、そうせずに、少し頭を使ってみようというだけの話である。俺自身、このような方法で得たアイデアを元に日記を書くことも少なくない。当たりを引き当てる確率は高くないが、やってみる価値はある。

2004/12/21/Tue.

学会が終わってから、ロクにラボに行ってない T です。こんばんは。

就職活動日記

今日もセミナーがあったはずだが、結局は行かずじまい。何がイヤかって、そろそろ気になる公募の書類審査の結果が返ってくるのだが、それを見るのがイヤ。落ちているかもしれないからイヤなのではなくて、落としてくれねえかなあ、と半ば本気で思っている。自分から応募して何を言うのか、という勝手な話であるのはわかっている。しかし、応募してからも色々あったというか。ムニャムニャ。

ネットで就職情報を検索。二つほど気になる情報があったのだが、公募を放置しておきながら、別の応募にコンタクトを取るのは筋が通らない気がして、取り敢えず保留することに。いや、だからラボに行って公募の結果を確認すれば良いんだけど。もう自分でも何をしているのかわからない。

……などと書いているまさにその最中、B氏より「公募結果が封書で来ているよ」という電話があった。連絡ありがとうございます。てっきりメールで来るものとばかり思っていたが、これでは見に行かねばなるまい。これから吉野家にでも寄って、結果を確かめに行こう。

2004/12/20/Mon.

KID JOE 兄に教えてもらった「MAD GEAR SOLID」に大笑いした T です。こんばんは。

「MAD GEAR SOLID」は「METAL GEAR SOLID」のパロディ・フラッシュなのだが、あまりにもバカバカしくて大いにウケた。バカバカしいんだけど、いわゆる一発モノではなく、長編にも関わらず非常に作り込まれている。こういうフラッシュを見ていつも気になるのが、「いったい誰が作っているのだろうか」ということである。スキルと時間と情熱をかけてくだらないものを作る、それはとても尊く羨ましい行為だ。

ドラゴンクエスト VIII 日記

一応のエンディングを見る。一応の、というのは、それがあくまで表のボスを倒して見たものだからだ。歴代の「ドラゴンクエスト」シリーズは、充実した裏面がクリア後に楽しめるようになっている。ドラゴンクエスト VIII も例外ではなく、クリア後に新たな旅路へといざなわれた。

本日の我がゼシカ
Lv.: 39、HP: 308、MP: 297、おいろけ: 100。「セクシーダイナマイト」になる。

クリアしたので攻略情報を完全解禁。裏面制覇を目指しつつ、諸々のコンプリートに挑戦する旅が始まった。後半では、往年のドラクエファンをニヤリとさせるお遊び要素もたくさんあり、これからも何か出てきそうで楽しみだ。

ファンタジーとは

ドラゴンクエストのような RPG をプレイすると、いつも「ファンタジーとは」という問題を考えてしまう。もちろん、ドラゴンクエストの第一義はゲームであり、「どうしてモンスターを倒すと金銭が得られるのか」などと考えるのは野暮である。企業は営利目的でゲームを作っており、ゲームとして面白くなければ売れない。当たり前の話だ。

しかし一方で、巷間に溢れる三文ファンタジー小説、あるいはコミックを見ると、どうしてそこまでゲームに追従するかなあ、と思ってしまう。もう少し文学的実験を試みても良いのではないか。現実的に考えると、ゲームの中にはおかしな点がいっぱいある。どうして後半に訪れる街になるほど、優れたアイテムを売っているのか? フィールドや洞窟に落ちている宝箱は、誰が何のつもりで置いたものなのか? そういうおかしな話を、そのまま小説にしている売文家は何を考えているのだろう。

さらに、ゲーム製作技術の進歩によって、この問題はそのままゲームの世界へも流れ込んでいる。今のゲームは、「リアルに、よりリアルに」を合言葉に進化しているような気がするのだが(その代表的な例こそ「METAL GEAR SOLID」である)、リアルになればなるほど、これまで気にならなかった問題点が目に付くようになる。

いわゆるファミコン時代、「これはゲームなんですよ。宝箱に見えないかもしれないけれど、私達はこれを宝箱のつもりで描写しているんです。仕方ないんですよ。ハードがショボいから。本当は私達だってもう少しリアルにしたいんですよ。御理解下さい」ということで、メーカーとプレイヤーの間に交わされた「お約束」が無数にある。このコードは、これだけリアルになった昨今のゲームでも受け継がれている。それは悪いことではないが、低速のハードを前提とした「お約束」が、今度は反対に、高度な技術が可能にする奔放な空想を妨げているのではないか。真に次世代のゲームを作製するとき、そこはどうしても越えなければならない壁のような気がするのである。

2004/12/18/Sat.

今夜は Dr. A の栄転を祝う酒宴に行ってきた T です。こんばんは。

N.N.嬢が予約してくれた店にて 1次会。2次会はカラオケに行こうということになったのだが、どの店も満室で 1〜2時間の待ちとなっている。1時間くらい街を彷徨したのだが、結局、部屋の空いている店を見付けることはできなかった。俺が言い出しっぺだったこともあり、非常に申し訳ない。最後はヒゲマン氏の案内で、ちょっと辛めの美味しい台湾ラーメンを食って帰る。大変楽しい会でした。ありがとうございました。

ドラゴンクエスト VIII 日記

昨夜は多群兄、KID JOE 兄と鍋をつつきながらドラゴンクエスト VIII をプレイ。ゼシカの魅力に、義兄達からもどよめきの声があがる。酒を飲みながらプレイしていたので、街からダンジョンに向かっているうちに、「どうしてここに向かっているんだろう?」と訳がわからなくなる。しかし義兄達のアシストを受け、それなりにゲームは進行。中盤の山を越えた感じ。

本日の我がゼシカ
Lv.: 32、HP: 210、MP: 225、おいろけ: 84。魔物がよく見とれてしまう。

遮断していた攻略情報だが、錬金釜に関しては解禁することに。錬金釜とは、二つないし三つのアイテムを調合することにより、より強力なアイテムを合成するための装置である。ファイナルファンタジーなどではよく採用されているシステムであるが、ドラゴンクエストでは初めて。金がないなりにも、それなりに強力なアイテムを合成し、幾分か攻略が容易になった。後半に向け、気合いが入る。

2004/12/17/Fri.

今夜は多群兄、KID JOE 兄と忘年会の T です。こんばんは。

ドラゴンクエスト VIII 日記

K君から、ゼシカに関する様々な情報を入手。っていうか、ゲームをやってないのにどうしてそんなに詳しいんだ、君は。今のところ、攻略サイトなどは見ずに楽しんでいるが、エンディングが近くなったら、情報を解禁してやり込もうかと考えている。

本日の我がゼシカ
Lv.: 28、HP: 165、MP: 183、おいろけ: 63。「セクシービーム」を習得。

昨日の日記でゼシカの「ぱふぱふ」について書いたが、実は「ぱふぱふ」を使う奴が敵の中にもいる。で、敵がゼシカに「ぱふぱふ」するとどうなるか。運良くその光景を目にすることができたのだが、「ゼシカは勝ち誇った笑みを浮かべている」というメッセージが表示され、ゼシカには何の影響も与えないという結果となった。同時に、女性は他人のバストを見て勝ち誇ったりするのだ、ということに気付かされる。ドラゴンクエストは、こういうところが面白いんだよなあ。

2004/12/16/Thu.

「ドラゴンクエスト」というゲームには特別の思い入れがある T です。こんばんは。

俺の世代の男子(の一部)にとって、ドラゴンクエスト、そして鳥山明は、非常に大きな意味を持つゲームであり漫画家である。俺が「ゼシカ、ゼシカ」と叫んでいるのは、それが他ならぬ「ドラゴンクエスト」のキャラクターであり、鳥山明がデザインしたからなのである。

ドラゴンクエスト VIII 日記

装備品によってはゼシカの服装が変化することに気付く。今のところ、この現象は他のキャラクターでは確認されておらず、開発者のゼシカへの愛情が垣間見えて意を強くする。着せ替えて街中を走り回せるも良し、戦闘で「ぱふぱふ」をさせるも良し、操作していて飽きることがない。

本日の我がゼシカ
Lv.: 23、HP: 122、MP: 117、おいろけ: 44。「ぱふぱふ」を習得。

ゲームの方は中盤に差しかかったようで、これまでのシリーズでお馴染のものから新しいものまで、様々なミニイベント、ミニゲームが登場してきた。寄り道が楽しくてしょうがない。金が貯まらないのが少し辛いけど。

2004/12/15/Wed.

T です。こんばんは。

生物物理学会日記

12月 13〜15日に国立京都国際会館で開かれた、第42回日本生物物理学会年会に参加してきた。といっても、実際に顔を出したのは 1日目だけ。国際会館は京都駅からは少し遠いのだが、建物はデカくて綺麗、おまけに美しく広大な日本庭園まである。こんな感じ。

国立京都国際会館

ということで、今月は神戸、京都と二つの学会に参加した。年明けは大阪で研究班会議。こんな三都物語はいらないのだが。……このギャグ、関西人にしかわからんかなあ。

ドラゴンクエスト VIII 日記

ゼシカって初期メンバーじゃないのかよ。とりあえず昨夜は、ゼシカが仲間になるまでゲームを進めることにした。イベントバトルでの全滅などを乗り越え、無事にゼシカをゲット。ということで、パーティ加入時のゼシカの初期能力。

本日の我がゼシカ
Lv.: 9、HP: 41、MP: 22、おいろけ: 0。

「おいろけ」というのは、新システム「スキル」の 1項目である。キャラクター毎に「剣スキル」や「ゆうきスキル」などが複数設定されており、レベルアップ時に得られるスキルポイントを割り振ることによって、様々なスキルを入手することができる。もちろんゼシカは「おいろけ」優先で育成する。

さて、ドラゴンクエスト VIII では、パーティの先頭になっているキャラクターがフィールドで表示される。ゼシカを先頭にすると、彼女がフィールド上で走ることとなる。これからプレイを予定されている方は、是非ともゼシカの爆乳が揺れる様を堪能して頂きたい。

2004/12/14/Tue.

学会から帰ってきた T です。こんばんは。

今日の日記は、写真が多くて重くなってしまったかもしれない。

玄関開けたら 2秒で足場

この話はまだ日記に書いていなかったと思うが、実はこの秋、我が実家でボヤがあった。俺も詳しくは知らないのだが、地下で使っていた古い乾燥機から出火したらしい。火事には至らなかったが、そのときに巻き上げられたススで、壁という壁、床という床、家具から服から、とにかく何もかもが灰かぶりの状態になってしまったという。写真を見せてもらったが、それはヒドい有り様だった。

幸いにも保険が下りたので、家中の洗浄と壁紙の張り替えを業者に依頼することとなった。そんなときに帰省したので、

玄関開けたら 2秒で足場

何だコレ。玄関開けたら 2秒で足場。どんな家やねん。

分子生物学会日記

12月 8〜11日に神戸ポートアイランドで開かれた、第27回日本分子生物学会年会に参加してきた。1日目はポスター発表を聴いただけで帰宅。

2日目。午前中に自分のポスター発表があったのだが、人が絶えることもなく、1時間で 20〜30人くらいを相手に喋り通しだった。いくつか面白い話をしたので御紹介しよう。

俺は線虫の筋収縮を調節する複合体を研究している。この複合体の中に「T」と呼ばれるサブユニットがある。その T遺伝子のスプライシングに関与する因子を研究している、という女性が現れた。

俺「T遺伝子は四つありますよね。どれのスプライシングに関わっているんですか?」
女「えっ? 四つあるんですか」
俺「(おいおい)……いや、スプライシングされるのは三つですけどね。T-1 はアイソフォームがないという予測が、データベースで出てます」
女「T-1 はスプライシングされないんですか」
俺「正式には『MUP』っていう名前なんですけど、これは論文が出てますよ」
女「ちょ、ちょっとメモします」

と言って、ノートに「MAP」と書き始める女性。いや、だから「MUP」なんだって。もう少し勉強しなさい、さすがに。まだ学部生だったのかもしれないけれど。

もう一人、ヒトの培養細胞をやっているという男性が現れた。彼が研究している遺伝子を潰すと、俺が研究している「C」サブユニットの発現が劇的に下がるらしい。そういう結果がマイクロアレイで出たという。

俺「じゃあ筋細胞なんですね」
男「いや、それが違うんですよ」
俺「……」
男「やっぱ、C遺伝子って筋肉以外で発現しないですよねえ」
俺「しないと思います」
男「マイクロアレイの結果だから、こういうこともあるんでしょうけど。で、これからノックアウトマウスを作ろうと思ってるんですが、この結果が本当だったとして、筋肉細胞で C遺伝子の発現がなくなると、どういうことになると予想できますか?」
俺「死ぬと思います」
男「死にますか……」

「ハズレかなあ」と苦笑しながら、男性は去っていった。スクリーニングは大変だなあ、というのが俺の感想である。

神戸日記

とまあ、それなりに真面目な議論もしたのだけれど、ブラブラと遊んだりもした。2日目の夜には、B氏、N.N.嬢、K.N.嬢とともに神戸の中華街・南京町へ。屋台で買い食い。

南京町

3日目はヒゲマン氏とともに港へ。海上保安庁の巡視艇を目の前にしながら、明らかな私有地である堤防へ侵入。黒ずくめの男二人で、たそがれてきた。

港(撮影: ヒゲマン氏)

夜は向かいのハーバーランドへ。なぜか「ハーバーランド」という言葉が出てこず、ずっと「パールハーバー」と言っていた俺。まァ時期的には確かに真珠湾攻撃の頃なんだけど。

ハーバーランド

良いね、神戸。俺のように、なまじ神戸の近くに住んでいると、「いつでも行ける」という意識が離れず、結果的に疎遠となったりする。もう少し出歩くとしよう。

ドラゴンクエスト VIII 日記

京都の生物物理学会については、明日の日記で書く予定。

今日はこれから、待ちに待った「ドラゴンクエスト VIII」を買ってくる。ハマり過ぎて更新もしなくなりそうなので、しばらくは「ドラゴンクエスト VIII 日記」を書こうと思う。ネタバレは避けるつもり。恐らく、設定画を見たときからのファンである、ゼシカの育成日記になってしまうのではないか。待ってろ、俺のゼシカ!

2004/12/06/Mon.

久し振りにヒゲマン氏の車で送ってもらった T です。こんばんは。

帰りに寄り道して、駅前のイルミネーションを見てきた。イルミネーションというか、「電飾」と表現するべきショボさ。しばらく語ってから帰宅。ありがとうございました。

寝癖と鉄腕アトム

今日は寝癖を直してから登校した。「今日は」とか言っている時点でダメなんだが。俺の頭髪は硬くて太く、天然パーマがかかっており、しかも量が多い。クシを通したくらいでは寝癖が直らんのだ。否、そもそもクシが通らない。無理に通そうとして、何度クシを折ってしまったことか。安物のクシだから折れてしまうということはわかっているのだが、だからといって、折れるかもしれないのに値の張るクシを使う気にもならない。結局、いつもペラペラのクシを使う。折れる。ああ寝癖スパイラル。

したがって、寝癖を直すためには、いつも頭髪全体を濡らすことになる。朝からシャンプーなど使いはしないが、まァほとんど洗髪である。夏ならまだ良いが、冬になるとこれが激烈に面倒臭い。何より寒い。風呂場に行くのが寒い、服を脱ぐのが寒い、濡れた頭髪が寒い。だもんで、寝癖のまま出勤してしまう。鏡すら見ない日も多い。自分の顔を眺めて、何が楽しいというのか。

手塚治虫の寝癖もヒドいものだったらしい。年少の頃、彼の渾名は「ジャガボーイ」だったという。「ジャガイモ・ボーイ」の略である。それほど頭がデコボコだったようだ。特に側頭部の寝癖が強烈で、魔法使いサリーの父親のようであった。この髪形が、あの鉄腕アトムの頭部をデザインする際のヒントになったという。アトムのツノは寝癖だったのだ。

アトムのツノには面白い話がある。漫画では、どのアングルから彼を描写しても、必ず 2本のツノが見えるようになっている。あるとき、アトムの模型を作ろうという企画が持ち上がり、いくつかのプロトタイプが作製された。しかし、実際に立体に起こしてみると、観賞する角度によってはツノが1本しか見えないことがある。もちろん、「常に 2本のツノが見える」というのは「2次元のウソ」である。しかし諦めるわけにもいかない。模型の製作者達は、「アトムのツノはどこについているんだ」と悩みながら試行錯誤を繰り返したという。因果な話である。

お知らせ

明日の夜から学会に備えて帰省するため、しばらく更新できません。学会は、8〜11日が神戸、13〜15日が京都。次回の更新は、15日の夜(に余力があれば)ということになる。実家でもネットは利用できるため、メモ代わりの学会日記を「BBS」に投下する予定。帰ってきたら、きちんと日記にまとめるつもり。このへんは例年と一緒。

2004/12/05/Sun.

ようやく今月の文庫版『ゴルゴ13』を読んだ T です。こんばんは。

精神的な遺書

ドナーカードは一種の遺書である。また、安楽死先進国では、「植物状態になったら安楽死にしてくれ」という意思表明を、あらかじめしておくことができるという。これもまた一種の遺書である。このような肉体的な遺書があるのだから、精神的な遺書も作ったらどうだろうか。

そこで「キチガイカード」を提案する。ネーミングとしては大問題だが、まァそれは誰かに考えてもらうとしよう。要するに、「キチガイになったら殺してくれ」と表明するためのカードである。かなり過激だが、俺は大真面目である。もう少し詳しく書く。

キチガイカード

キチガイになったら即座に殺してほしいというのが俺の意見ではない(そうしてほしいという人もいるかもしれんが)。例えば現行法では、心神喪失者による犯罪は、容疑者に責任能力がないものとして罪に問われない。これはおかしいと俺は思う。が、「自分は絶対的に正常である」という立場からそのような主張をするのも趣味ではない。「まかり間違えば自分も殺人者になるかもしれない、という想像力を持つ者だけが犯罪を語り得る」という筒井康隆の言葉に従うならば、「いつ自分がキチガイとなって人を殺してもおかしくない」ということも考えなければならないだろう。

あくまで俺個人の考えだが、仮に自分がキチガイとなって犯罪を犯しても、心神喪失による無罪放免ではなく、キッチリと罰を与えてほしい。しかし実際、キチガイとなった俺は、そのように訴えることもできないわけで。そこで「キチガイカード」の登場だ。健康である内に臓器提供の意思を示すドナーカードのように、精神が正常である内に、キチガイとなったときの処遇を記しておくカードである。

もっとも、これは非常にデリケートな問題であり、俺の考え方も、捉えようによっては相当に危険な思想である。だからこそのカードなのだ。持ちたい人だけ持てば良い。ただ、こうでもしない限り、精神的な死を迎えるにあたっての不安は払拭できないのではないだろうか。

肉体的な安楽死の容認は、世界的な兆候である。いずれこの流れは、必ずや精神的な死にもやってくる。何もキチガイばかりではない。ボケもしかり。肉体的寿命が伸び続ける昨今、ボケ問題はこれからますます深刻になる。「ボケは精神的な死である」などと言うと、これはまた大問題なのだろうが、それはさておき、選択肢を用意する必要性は確実に出来するはずだ。

というわけで、「キチガイカード」を提案してみた。プリミティブゆえに、かなり過激な発案になってしまったが。

2004/12/04/Sat.

吉本隆明の『悪人正機』を読んだ T です。こんばんは。

吉本自身が「中学生に読んでもらえると嬉しい」と述べている通り、平易な言葉で語り下ろされた愉快な人生訓である。しかし、『悪人正機』というタイトルで中学生に訴求するのはあんまりだ。普通の中学生は、こんな題名の本は手に取らない。吉本隆明の愛読者なら別かもしれないが、中学生で吉本隆明ってのもなあ。ちょっといないだろ。

Web 日記

こうして日記を書いていると、たまには文体を変えてみようかなあ、と考えることもある。このサイトの文章は、基本的に「だ・である」調で書かれている。俺にとって書きやすいから採用しているだけのことで、特に理由はない。

とはいえ、礼を言ったり謝ったり、お祝いしたりお願いをするときには「です・ます」で書いているし、主観的なことを書く場合には口語体になったりもする。使用する口語も一様ではない。多くは標準語を使っているが、突っ込んだりするときは使い慣れた関西弁を用いるし、啖呵を切ったり悪態をつくときには江戸弁になったりする。結構いい加減なものだ。

ネット上で個人の日記を閲覧する機会も多いが、主流は「です・ます」もしくは口語体であり、俺のような書き方は少数派である印象が強い。そういえば、「俺」という一人称もあまり見かけないなあ。「個人日記における文体の傾向」というのは興味深いテーマであり、いずれ考えてみようと思う。

一人称の使い分け

一人称の話に戻る。一般的に、女性が「私」以外の一人称を許されていないのに比べ、男は「私」「僕」「俺」という使い分けが可能である。これはフェミニズムの基礎知識であり、今さら俺がアレコレと述べることもないが、乱暴に結論を要約すれば、「男は一人称を使い分けることによって、自分の立場も使い分けている」ということになる。身も蓋もない言い方をすれば「ズルい」ということだ。

この指摘はもっともであり、異を唱えるつもりはない。ただ、この指摘が有効なのは現実世界においてのみであり、ネット上での使い分けには適用できない。俺自身が、現実世界で「俺」と言う理由と、このサイトで「俺」と書く理由は、根本的に異なる。

まず、現実世界における「一人称の使い分け」であるが、これは半ば自動的に決定される。同年代以下の相手に対しては「俺」、親しい年配が相手だと「僕」、公的な場では「私」を使用する。以上は俺自身の使い分けの例であるが、他の多くの男性も似たり寄ったりだろう。重要なのは、使用する一人称が、対象となる相手に依存して決まるということだ。環境要因的、つまりは受動的なのである。

一方、サイトで使う一人称は能動的に決められる。何故なら、誰が読んでいるか、つまり対象がわからないからである。「自分より年上だけが読むサイト」なら、俺だって「僕」を使おうかとも思うが、そんなサイトは事実上あり得ない。あり得ない以上、一人称はこちらが任意に決定するしかない。そこには必ず「自己主張」が含まれる。

ネット上では、ある特定の「キャラ」を演じる人も多数存在する。そこでは、凝った一人称、あるいは自らのハンドルネームが用いられる。現実世界にもそのような人間はいるが、その割合は明らかにネットの方が高い。この現象はネット上における「匿名性」と絡めて論じられることが多いが、それに加えて、上記の「自己主張」も大きく関係しているのではないかと俺は思っている。

少し長くなったが、「個人日記における文体の傾向」を考えるヒントになりそうなので、書き留めておくことにした。

研究日記

学会発表のプレビュー。これといった修羅場もなく、無事終了。

吉野家日記

8月26日以来、久々に O嬢の接客を受ける。鼻血出そう。

2004/12/03/Fri.

今日のタイトルは田中芳樹の『銀河英雄伝説』からパクった T です。こんばんは。

自由惑星同盟の国父、アーレ・ハイネセンの言葉だったと記憶している。クサい言葉の羅列であり、ともすればお経のように題目化しそうではあるが、大事なことだとも思う。

研究日記

アクセプト
Accept。「受け入れる」の意。多くの国際的な科学雑誌では、投稿論文を査読者がチェックする。彼らの審査をパスすることによって初めて論文が掲載される。自然科学系の博士号取得条件として、このような雑誌での論文発表を要求する大学院は多い。

R女史の論文がアクセプトされた。おめでとうございます。この夏に行った頼まれ実験の結果も含まれているため、俺の名前も共著者として並んでいる。正直、あの程度の実験で著者の一人になるのもどうかと思うが、R女史と K先生が「構わん」と言うので、そのまま甘えるという形になった。R女史を初め、他の共著者の方々ともども、素直に喜ぶことにしたい。

ノーベル賞関係の講演会に出席。場所は、キャンパスに新しく建てられた 50周年記念館。何の50周年だか知らないが、立派な建物である。講演の内容も興味深かった。

博士課程の募集要項が出たらしく、K先生にうながされ、学務まで受け取りに行く。受験するかどうかは気になる公募の結果次第だが、要項を読んでいると色々なことを考えてしまう。考えてもどうにもならぬことだし、どの道を歩もうと、必ず満足と不満の両方を抱えてしまうことになるのは、頭ではわかっている。しかしわかっていても、それは決断への引き金にはならないわけで。

学会ポスターの作成も続行中。ほとんど完成したが、改めて全体を見直してみると、この1年はあまり実験していないことを思い知らされる。就職活動や論文執筆にかなりの時間を取られたのは事実だが、しょせんそれは言い訳。自己弁護はしたくないが、なかなかその誘惑から逃れることは難しい……という、この文章自体が自己弁護なのだ。アホか俺は。

もっとも、就職活動や論文執筆にも全力を尽くしたつもりだし、これらに費やした時間を貶めるつもりは毛頭ない。ジュラ紀の化石のように古い考えを持つ俺は、やはり自尊心や自負心というものを大切にしたいと考えている。だが同時に、自負と自己弁護は表裏一体の関係にあり、非常に混同しやすい。気を付けねば。自律、そして自立への道は遠い。

2004/12/02/Thu.

月初めの楽しみである文庫版『ゴルゴ13』が入荷しておらず、意気消沈の T です。こんばんは。

研究日記

引き続き、学会ポスターの作成。今日は K先生が出張のため、比較的まったり。

コンタミした液体培地からドブの臭いがする。さすがにこれはマズいかと案じ、線虫を洗い出すことに。ドブの臭いは消えたが、雑菌は完全に除去できなかった。チューブの底には、黒い雑菌の層と、線虫の白っぽい層の二つがある。検鏡したところ、線虫には別段の異常が見られなかったので、ともにホルマリンで固定してやった。菌が見えるくらいの高倍率で線虫を観察することなんてないし、まァ大丈夫だろう。知らないけど。

2004/12/01/Wed.

コンビニから我が豪邸までのわずかな距離を移動する間に、せっかくの弁当が冷えてしまう寒さが恨めしい T です。こんばんは。

今日の弁当は新作だっただけに、無念も倍増。旨かったけど、どうせなら温かいのが食いたかった(といいつつ、自分では絶対に温め直さない俺)。

研究日記

コンタミ
コンタミネーション (contamination) の略。汚染、混入のこと。ここでは培養系に雑菌が混入してしまったことを指している。

学会発表用のポスターを作成中。ダブルヘッダーとなる二つの学会だが、タイトルだけ変えた同じポスターを使い回す……のは、やはりダメなのだろうか。

液体培養している線虫だが、コンタミした大腸菌が順調に増えている。アカンがな。ちゃんとクリーニングしたつもりだったんだけどなあ。まァ線虫も増えていたので、もうしばらく培養を続けてみる。というのも、線虫のエサは大腸菌なので、このまま放置しておくと、線虫がコンタミした大腸菌を食って勝手に増えるらしい(Dr.A談)。たった 2種からなる生態系。君たちの孤独は我が実験によって癒されるであろう。

……今度からは抗生物質を入れて培養しよう。