- Diary 2005/01

2005/01/30/Sun.

金曜日の夜に洗った靴がいまだ乾かず、明日は就職活動用の革靴で出動するハメになりそうな T です。こんばんは。

普段履いているのはゴアテックスのトレッキング・シューズなのだが、これがちっとも乾かない。本当にゴアテックスなのか? 別に革靴でも良いけど、あれで往復 6 km も歩くと疲れるんだよなあ。

座して天命を待つ

週末はスクリプトを書いたりネットをしたりで、まったりと過ごした。家事も結構した。本来なら修士論文を書かねばいけないのだろうが、まァ平日にしっかり書いているし、ずっと論文と睨めっこをしていても効率が悪い。少し頭から追い払って、また新鮮な目で読み直してみることも必要なんじゃないだろうか。と考えることにしている。

残すは discussion の推敲が半分ほどと、figure の手直しが少々。余裕で間に合うだろ。それより来週は、気になる公募の結果が帰ってくる予定で、そちらの方が気になる。どうなることやら。結果がわかれば日記に書くつもり。

2005/01/28/Fri.

飯屋R での昼飯、飯屋Hでの晩飯を1週間続け切った T です。こんばんは。

「皆勤」というよりは、同じものばかり食べているだけというような気もするが。よく飼いならされた犬みたいな話だが、たまに違うものを食べると不安になる。

ゲーム発売日覚書

昨日は「DEGITAL DEVIL SAGA アバタールチューナー 2」というゲームの発売日だったのだが、結局は買わず。修士論文を控えているから、というよりも、むしろ発表後に控えている「DEVIL MAY CRY 3」(2月 17日発売)や「真・三國無双 4」(同 24日発売)に心を惹かれているから、という理由の方が強い。3作品ともシリーズを通してプレイしているが、やはり後者 2作が面白そうである。三つとも遊ぶ金も暇もないので、とりあえず「アバタール〜」は見送り。「DEVIL〜」と「三國無双」の発売間隔が短いのが気になるが、「DEVIL〜」はクリアするだけならそれほど手間取らないので、「三國無双」が売り出されるまでに一通り終えることは可能だろう。

あと 3週間の辛抱。頑張れ、俺。

2005/01/27/Thu.

T です。こんばんは。

研究日記

Discussion を半分ほど書き直す。ちょっと構成を変えてみた。読みやすくなったと思う。「読みやすい」順番と、「自分にとって書きやすい」順番というのは、また別物なんだなあ、と。

2005/01/26/Wed.

飯屋で観た『遊戯王』のアニメに爆笑した T です。こんばんは。

セクハラと喫煙

ある女性に対して同じことをしたとしても、男A は「セクハラ」として訴えられ、男B はその行為を喜んで迎えられる。ひょっとして、これと同じことが喫煙にも当てはまるのではないかと最近気付いた。

高倉健やブルース・ウィルスがいくら煙草を吸おうと何も言われないのに対し、小汚いオッサンが紫煙を吐こうものなら、ただちに「煙草臭い」と言われて文字通り煙たがられる。もしかすると、苦労して禁煙するくらいなら、称賛されるほど煙草の似合う男になった方が、八方うまく収まるのかもしれない。難しいと思うが。

ヘビースモーカーで知られる筒井康隆は、よく彼のエッセイで「何が喫煙は身体に悪いだ。ぼけ。妻はおれが吐いた煙を、ああこれがあなたの吸った煙なのねといっては深々と吸い込んでうっとりする」という小話を披露する。これは誇張の入った筒井一流のギャグには違いないが、しかし彼が、妻との間で喫煙に関してコンセンサスを確立している事実は疑いようがない。

セクハラや喫煙の問題は、最終的には対人関係に収斂すると思う。煙草が身体に悪いなんて都市伝説だろ。

研究日記

久々に吉野家で朝食。今年 9回目。やっぱり朝飯を食わないと腹が減る。食っても減るんだけど。

修士論文の続き。Word で書いているのだが、普段はオフにしている文章校正機能を今日は使ってみた。しかしスペルチェックはともかく、Word が指摘する文法の過ちというのは、いったいどこまで信用したら良いのだろうか。こちらもネイティブではないから自信がないし、かといって Word を鵜呑みにするのも危ない気がする。チェックに引っ掛かった部分は辞書で調べることにしているけれど、ちょうど良い例文が載っているとは限らない。困った。

今日のトリビア:Wordのヘルプで登場するイルカの名前は、「カイル」。

2005/01/25/Tue.

切れていたインスタントコーヒーを買ってきた T です。こんばんは。

ここ 2日はコーヒーなしの夜を過ごしていたわけで、これが非常に寂しい。煙草を吸うと咽喉が渇くのだが、それを潤すのがアクエリアスでは様にならない。様の問題ではないんだけど、やっぱりコーヒーだよなあ。

研究日記

修士論文の要旨集のための要旨(論文の abstract とは別物)を書く。夕刻からはセミナー。

今日は昼食後、デスクで居眠りしてしまった。昼寝というか、2時間ほど熟睡。誰か起こせよ。最近は皆、自分のデスクで論文執筆に忙しく、我がデスクの周りには人がいない。場所的にも寒いし、ラボ内の孤島状態。日記でもそうなんだけど、何かを聴きながら文章を書くという習慣がないので、ヘッドホンを耳に当てながら論文を書いている人を羨ましく思う。俺もせめて、目に楽しいものでも持っていくかな。

2005/01/24/Mon.

T です。こんばんは。

研究日記

博士課程進学の願書を書く。決められた様式を守れとか、Word の書式設定とか、色々と面倒臭いのだが、何が面倒かといって、自分の研究概要を日本語で書かなければならないことに腹が立つ。今日はずっと、自分が書いた修士論文を自分で和訳していた。何というエネルギーの無駄。

「願書」というだけあって、こちらから「お願いする」ための書類であるから文句は言いたくないんだけれど、それにしてもなあ。

ああ、日記に書くことがない。

2005/01/23/Sun.

久し振りに吉野家に行った T です。こんばんは。

今年 8回目。晩飯だったけど。

新年会

昨夜はK君宅にて、B氏、ヒゲマン氏、N.N.嬢、O君、K.N.嬢とともに新年会。キムチ鍋をつつき、ゲームキャラの太股を堪能し、愛しい先輩・後輩を襲った。……と書くと、非常に怪しい会合のようだな。まァ楽しかったから良いか。ありがとうございました。

2005/01/22/Sat.

休日のたびにサイトをいじり倒している T です。こんばんは。

見た目を変えるよりもコンテンツを増やした方が良いのはわかっているけれど、別に義務があるわけでなし、気楽にやっている。

Web 日記

どうして「左上のバイクの画像が切れている」と指摘されるのかが、ようやくわかった。自分でブラウザの文字サイズを変更していて気が付いたのだが、文字を拡大していくと、画像の高さよりも上段のボックスの高さが大きくなる。画像はボックスの左下に固定していたので、文字サイズを大きめにしていると、本当に画像の境界が見えてしまうことになるのだ。これでは「切れている」と言われてもしょうがない。

そういえばスタイルシートを書き換えたときに、文字サイズの設定方法を変更したのだった。以前はMacとWinでほぼ同じ大きさに見えるようにしていたのだが、今回のリニューアルで、Mac では以前より小さく、Win では以前より大きく文字が表示されるようになったはずである。俺は Mac ユーザだから、Win で画像が切れる可能性まで思い至らなかった。不覚。

ということで、バイクの画像はお払い箱。代わりに我が愛犬・愛猫の写真をあしらってみた。俺らしくないファンシーさだが、女子供が喜びそうな図柄だと思う。まァ俺も一人暮らしだし、単身赴任者が部屋に家族の写真を飾るような感覚で作ってみたというわけ。

Blog っぽくしてみたりなど、なかなかサイトのデザインが落ち着かなくて使い勝手が悪い。しばらく御容赦願います。

2005/01/21/Fri.

パソコンに向かっているだけなのに腹が減る T です。こんばんは。

研究日記

修士論文の続き。Discussion を半分ほど書き直す。

今日も2千字くらい減ってしまった。ダラダラと自明のことを書いている部分が多すぎる。Introduction や discussion を書くには勉強しなければならないわけだが、学んだ当初は、それが新しい知識だと勘違いしてしまいがちでで、つい長々と書いてしまう。しかしもう少し勉強すると、それは単に「自分にとって新しい」というだけであって、専門家にとっては常識の範囲であることがわかる。そんなことを一々講釈するのはバカであり、ともすれば恥をかきかねない。そういう「若気の至り」的な箇所を削除している。

ブラッシュアップした論文を読み直してみると、自分でも驚くほど良くなっているのがわかる。これは自画自賛ではなく、いかに推敲前のものがヒドかったかという自戒である。詳しく書いた部分は自分が一所懸命に学んだ部分であり、執筆にも苦労したから削除するのは後ろ髪が引かれる。だが、時には断を下すのも必要であろう。そのためにパソコンで論文を書いているのであり、積極的に様々なバージョンを比較するべきだと思い知った次第。

修士論文が集大成だなんておこがましい。執筆中も勉強また勉強ですよ貴方。

2005/01/20/Thu.

部屋が寒いので、発泡酒を飲むか飲むまいか悩んでいる T です。こんばんは。

研究日記

B氏の投稿論文がアクセプトされた。おめでとうございます。

修士論文の続き。Results の推敲を大体終える。事実だけを書けば良いので、ここまでは比較的楽なのだ。が、続く discussion を読み返してゲッソリする。何を書いているんだ、半年前の俺。ちょっと手を加えてみたが、全部書き直した方が早いような気もする。

過去の自分が愚かに見えるのは成長の証。そう思って頑張ることにしよう。

2005/01/19/Wed.

縦書きの文章が読みたい T です。こんばんは。

研究日記

修士論文の続き。既に下書きは済んでおり、今は推敲の段階。この日記でもそうだが、とにかく俺の文章は冗長なので、いかに簡潔に表現するかが課題となる。だから推敲でも、書き加えるより削除する方が多い。今日だけで 2千字くらい減った。結構な量だが、それでも全体の 4% 程度である。

重複している箇所をバサバサと切り落としてから、abstract と introduction を決定稿に仕上げて帰宅。院試を受けるためには、報告書と計画書も書かねばならない。修士論文は早めに切り上げるつもり。

I Got Zero

論文では指数もよく使う。「0 って本当に便利だよな」と思う瞬間である。

ところで、「No difference was observed」などという英語の言い回しは、「事無きを得る」という類の漢文と、文法的に似ている。要するに「I got zero」なのだが、言語的にこういう発想ができるにも関わらず、ついに欧州や中国は「0」という数字に辿り着けなかった。「0」は、それだけ想像を絶するものだったのだろうか。それを見付けたインド人、やるじゃないか。

2005/01/18/Tue.

終日パソコンに向かっている T です。こんばんは。

Web 日記

進行中の「なんちゃって blog プロジェクト」だが、どのような形で進めるか迷っている。全てを CGI に置き換えることは原理的に可能だが、そんな時間はないし、するつもりもない。第一、スキルがない。

一番簡単そうなのは、既存の HTML 書類に様々な機能をモジュール式に埋め込んでいくという、段階的なアップデートである。ならば SSI で HTML の中から CGI を呼び出すのが効率的だ。そう思ったのだが、我がレンタルサーバでは SSI が使えないという。

仕方がないので抜け道を探していると、同じような悩みを持つ人はたくさんいるらしく、ある解決法が検索で多数ヒットした。何かの役に立つかもしれないので、ここに記録しておく。

JavaScript で CGI を呼び出す

原理は <img> タグで呼び出すカウンターと同じである。まずは <script> タグで、「JavaScript を吐き出す CGI」を HTML から呼び出す。

<script type="text/javascript" src="hoge.cgi"></script>

呼び出された CGI は、最終的に「HTML コードを書く JavaScript」を吐き出す。

my $hoge = "<p>hoge</p>";

print <<"EOM";
Content-type: text/plain

<!--
document.write('${hoge}');
//-->
EOM

Perl だとこんな感じ。全部を JavaScript で処理してしまうのに比べ、いくつかのメリットがある。

などなど。しばらく、この方法で色々と実験してみようと思う。あくまでネタなので、テスト用のページで動作を確認する予定。完成したものから、どしどし採用していこうと思っている。

研究日記

修士論文を書く > 飽きてきたら誰かとダベる > 修士論文を……の繰り返し。夕刻からはセミナー。1日を終える。

2005/01/17/Mon.

阪神大震災を身近で経験した T です。こんばんは。

阪神淡路大震災

阪神淡路大震災から、今日でちょうど 10年目。当時、俺も大好きな神戸の街は、いったいどうなってしまうのかと思うほどのダメージを受けていた。先月も神戸に行ったが、その傷跡を感じさせない復興ぶりは、見事というほかない。

あの震災で唯一幸いだったのは、発生時間が早朝であったことだ。三宮駅や国道 2号線がごった返している時刻に地震が起こったら、と考えるとゾッとする。物的被害が同等でも、復興に更なる時間が必要になったろう。武田信玄ではないが、「人は城 人は石垣 人は堀」なのだ。「人命は地球よりも重い」という言葉にはヘドが出そうだが、あのような天災を目の前にすると(少し違った意味で)しみじみと考えてしまう。

中越地震に襲われた新潟は、順調に復興が進んでいるだろうか。地域的に離れていることもあり、阪神大震災ほどの情報が俺の周囲にはない。遠くからではあるが、お見舞申し上げます。

Web 日記

数人から同じ御指摘を頂いたのだが、左上のバイクの画像は、上半分が「切れている」のではなく、俺が意識的に「切った」ものである。やはり違和感のある、変な趣向なのだろうか。反省。

デザインをパクるため、昨日は色んな blog を見て回った。「Blog のデザインはどこも同じだからイヤ」という意見がある。確かにそうなのだが、それは、結果的に画一的になってしまうほどの利便性がそのデザインにあるから、という見方もできる。既に完成の域にあるということ。「冷蔵庫のデザインが画一的」とは誰も言わないだろう。

スタイルシートが一般的に使われる以前はフレームでページを切っていたわけで、やっていることは同じなのである。それが全てとまでは言わないが、blog のデザインが一つの「典型」であることは間違いない。一から創造できない者にとって、借用に足る「典型」の存在はありがたいものだ。

さて、今日はサイトについてK君と話したのだが、いつの間にか「いかに blog に近付けるか」という課題を追及する雰囲気に。それってネタサイトじゃ……。とりあえず、HTML と CSS でできることはやり尽くしたようなので、あとはスクリプトに頼ることとなる。俺が使えるのは、JavaScript がそこそこと、Perl がほんの少し。

「まずはカレンダーやろ」「それより、更新情報の自動生成を」「JavaScript は切ってる人もいるから CGI の方が無難か」「日記のカテゴリー分類も」

Blog 使えよ、俺。まあ、ネタサイトだから。個人サイトの運営は、じっくりと巨大なオモチャ箱を作っていくような楽しみがある。これからもコソコソとパワーアップする予定。

研究日記

久し振りに朝食を吉野家で。今年 7回目。

修士論文を書いていたら 1日が終わってしまった。今日は共同研究で得られた結果をまとめていたのだが、自分が直接やった実験ではないので非常に書き辛い。そんなの修士論文に載せるなよ、という話になるのだが、二つの理由から書き加えることにした。

一つ目は、この修士論文は投稿論文の下書きになるであろうということ。投稿論文は連名で発表され、もちろん共同研究の結果も含まれる。いずれ書かねばならない(かもしれない)ので、それなら今の内に書いておこうというわけ。

二つ目は、修士論文(卒業論文あるいは博士論文)は自分のためというよりも、むしろ研究を引き継ぐ後輩のためのものであるということ。いずれ彼(彼女)は、関連する全てのデータを頭に叩き込んで研究を始めなければならない。そのとき、修士論文が原資料となる。できるだけ多くの実験結果を盛り込み、統一されたストーリーを持つ論文があれば理解もしやすいだろう。「散逸」という言葉がある。散らかっていると失せやすいのだ。

というわけで、まだ見ぬ後輩のことを考えながら執筆している。来年度、我がラボに新人が来るのか、という疑問はさておき。

2005/01/16/Sun.

この週末、ついに1行も修士論文を書かなかった T です。こんばんは。

Web 日記

最近、周囲の人間の blog 率が高まっている。何だか仲間外れにされているような感じなので、スタイルシートを blog 風に書き換えてみた。まだ左側のメニューがスカスカで blog っぽくないのだが、そのうちカレンダーの JavaScript でも搭載するつもり。

そこまでするなら素直に blog を始めれば良いのだが、得体の知れぬ抵抗感があって踏ん切りがつかない。畢竟、他人が構築したシステムの上に乗ってしまうというのが気持ち悪い。ブラックボックスの中に自分のものを放り投げることに対する違和感、これは研究者や職人ならば誰でも持っていると思う。

とはいえ、何も blog その他を否定しているわけではない。自分のサイトに関してまで同じ感覚を持ち続けている俺が、単に異常で病的なのだと思う。しかも blog システムは公開されており、それを捕まえて「ブラックボックス」というのは、俺の知識が足りないだけの話である。

ラボのデスクを引っ越してから、いつも自分のノートパソコンを持ち歩いているので、そもそも blog を始める意味すらなくなってしまった。このまま時代に取り残されるのであろうか。いや、別にそれを恐れているわけではないけれど。手書きは手書きで楽しいしなあ。

御成婚

……などと遊んでいたら、バイト友達のアキラメンより電話があった。同じくバイト友達のアラタが結婚するらしい。おめでとう。

それにしても、何てことだ。彼らは俺と同年であり、もちろん既に社会で働いている。俺だけ何をしているのか。焦る。サイトの更新なんてしてる場合じゃないよ。バカか、俺は。

2005/01/15/Sat.

散髪に行ってきた T です。こんばんは。

センター試験と受験戦争

今日と明日はセンター試験。「戦争が科学を前進させる」という言葉がある。では「受験戦争」には、サイエンスの発展を加速させるような何かがあるだろうか? センター試験は、一度に60万人もの人間が同じテストを受けるという、まさに情報処理技術の精華が求められる現象である。しかし現実にはマークシートというローテクに頼っており、自分の実力に無関係なところで涙を飲む人も少なからず現れる。センター試験のための情報処理研究、というのがあっても良いではないか。応用範囲は広いと思うが、いかが。

もう少しセンター試験について書く。「受験戦争」を、俺は一面で肯定している。全ての進歩・進化の源泉は「競争」であり、その条件が苛烈であるほど速度も増す。一方、現代において「戦争」とは、「正規兵を用いた武力による外交」という意味合いがある。「正規兵」とは「職業軍人」であり、自由主義社会であるならば、それはすなわち「志願兵」でもある。これはキレイゴトなのかもしれないが、受験戦争くらいはキレイに、つまり「志願兵」だけで繰り広げてほしいものだ。そうなれば、受験戦争に対する俺の肯定も全面的なものになるだろう。他の人も同様と思う。

1回の試験に毎年 60万人が駆り出されることの異常さは、自衛隊員の総数が 24万人であることを示せば充分証明できる。膨大な数の受験者の中には、社会的な無言の圧力から来る「赤紙」によって招集された者もいるはずだ。そこに「受験戦争」の悲劇がある。無辜の民を巻き込む戦争ほど愚かなことはない。いい加減、そんなバカなことはやめたらどうか。

一方で、60万人の中に大勢いるであろう「志願兵」の諸君には、大いに奮闘してもらいたい。そこで使われるエネルギーは、どこかで、必ずや何かを突き動かすはずだ。漠然としているけれど。でもそれが、エネルギー保存の法則というやつである。俺も頑張らねば。

新年会

今夜はこれからヒゲマン氏、N.N.嬢とともに新年会の予定。この面子で会談すると、いつも俺ばかり口を割るハメになる。何故だ。歳の差か。今日は何も喋らんぞ、と決意したところで出かけることにする。

2005/01/14/Fri.

足の皮に続き、手の皮も剥け出した T です。こんばんは。

ネクタイの洗い方

班会議公募の面接で着たものをクリーニング屋にブチ込んでからラボへ。Yシャツはクリーニングに出すとして、ネクタイは自分で洗濯して良いものなのだろうか(この 1年間、一度もネクタイを洗っていないのがバレバレである)。「洗濯表示を見ろ」とアドバイスされたが、象形文字が並んでいるだけで、それが何を意味するのかわからない。洗っても、我が豪邸にはアイロンがない。広辞苑の下に敷いておけば大丈夫な気もするが、これはきっといけないことなのだろう。不思議なことに、俺が善かれと思って実践する衣服の扱いは、必ず誰かに怒られる。

よっぽどネクタイもクリーニングに出そうかと考えたが、何だか恥をかきそうな予感がしてやめた。服のことは本当に何も知らない。実家に持ち帰り、母親に洗濯してもらうのが一番確実だと思うが、修士論文発表会までに帰省する機会があるだろうか。

研究日記

修士論文を書いたり、その合間に気分転換の雑用をこなしたり。昨日乗った新幹線の影響か、身体のあちこちが痛くなる。午後から。ジジくせえなあオイ。

年齢といえば、明日からセンター試験。我が大学も会場となるため、朝から高校生の大群が下見に訪れていた。彼らの多くは 18歳。俺とは六つも違うわけで、昭和61年、西暦1986年の生まれである。若い。「やり直したい」とは思わないが、彼らの若さは純粋に羨ましい。人生はゲームだという言葉があるが、そこで使われる共通の通貨があるとしたら、それは時間であろう。我々はこの通貨と引き換えに、様々なものを手に入れていく。しかし注意していないと、金銭の場合と同じく、「ドブに捨てる」ような浪費をしかねない。

研究、特にサイエンスの研究が素晴らしい(と同時に恐ろしい)点は、自分の出した結果がかなりハッキリとした形で残ることだと思う。それを如実に証明するのが修士論文、あるいは卒業論文である。論文を書くのは確かに面倒だが、自分のしたこと=使った時間を大切にしたいと思うなら、いくらか気力も湧いてこようというものだ。今の自分に可能な範囲で、できるだけ丹念に仕上げたい。

2005/01/13/Thu.

就職活動で関東に行ってきた T です。こんばんは。

東海道新幹線の白眉は、やはり本朝の霊峰・富士である。あの山の見物料と考えると、特急券も安いものだ。この 1年間で何度も富士山を眺めたが、今日はこれまでで一番の景色だった。

研究と報酬

青色発光ダイオードを開発した中村教授が、発明対価 6億円を日亜化学工業から受け取ることで和解した。東京地裁の 1審判決(200億円)からは大幅の減額である。教授は「日本の司法制度は腐ってる」と会見で話した。

「和解していて文句を言うな、腐ってると思うのなら徹底的に闘えば良い」という感想をあちこちで聞く。それに関しては議論しない。ここでは、研究に対する報酬という観点から少し考えてみたい。今回の裁判の焦点は、研究成果の金銭的価値の査定、これに尽きる。どうして査定が難しいのかというと、そもそも研究は金銭に置換することができない、という思想が歴史的にあるからだ。

古代ギリシアにおいて、オリンピックの優勝者には充分な報酬が贈られたが、アリストテレスを含む学者達には決して与えられなかった。「知識に対して報酬を与えるということは、すなわち知識よりも金銭の方が価値が高いことを認めたことになる。ゆえに我々は知識に金銭で報いることはない」という考え方がギリシア市民にあったためである。

清教徒的というか牧歌的というか、しかし一片の真実ではあろう。もちろん、この思想がそのまま現代に通じるとは俺も思わない。中村教授が発明対価を要求するのも、自然なことだと思う。が、その正確な査定が困難を極めるのは今でも同じだ。果たして 200億円(あるいは 6億円)が高いか安いか? これは誰にもわからない。個人に対する報酬としては 6億円で充分という意見もある。一方で、今冬、青色ダイオードを用いたクリスマスツリーが癒した人の数を考えると、200億円でもまだ安いとすら言える。

中村教授の研究は優れたものであったと思う。それゆえ、その金銭的価値の算出は不可能なのだ。アインシュタインの相対性理論やダーウィンの進化論に値段をつけることを考えれば、いかにそれが無理な問題かがわかる。いずれどこかで折り合いをつけねばならない。「腐っている」かどうかはともかく、これからも司法の試行錯誤は続くだろう。

就職活動日記

……中村教授について熱く語ってしまった。今日は気になる公募の面接を受けてきたのだが、それはすなわち、「自分の研究能力には金銭的価値がある」とアピールしてきたのと同意である。これまでに受験してきた面接でもそうだが、いつもここが引っ掛かる。金銭的価値? 学会発表なら、自分の研究内容をプレゼンテーションするだけで良いのだがなあ。

そんなことを考えているから笑えないのだろうか。実は前日、「お前はいつも難しい顔をしているから、面接では意識的に笑え」とK先生に言われたのだ。「面接は 5分間。採用されたら、その 5分で何百万円も儲かるわけだ。そう考えれば笑いが止まらない」とも言われた。ナルホドと思ったものの、やはり笑えない。逆に萎縮してしまう。仮に「1分 100万円」と聞いたところで、笑える奴の方がどうかしているんじゃなかろうか。

2005/01/12/Wed.

今朝は吉野家に行かなかった T です。こんばんは。

就職活動日記

気になる公募のプレゼンテーション資料を作成。OHPシートには裏表があるのか。間違えて印刷したら、インクが垂れ流されたシートが出てきて驚いた。壊れた MO ディスクを修復したりと、ロクでもないことをしている内に、今日も1日が終わってしまう。

面接は明日。12分間の試問を受けるため、往復で 8時間以上を移動に費やす予定。泊まりがけにならないだけマシか。ブロードバンドなどによって情報格差がなくなるというのは一面の真理だが、意思決定や情報伝達においては、まだまだ人間どうしの対面が最上とされており、なかなか地域格差は埋まらない。地方で就職活動をしている人なら、よくわかるはずだ。その善悪について議論するつもりはないが、いずれ「対面」と同等以上の質を持つ情報伝達手段が求められるようになるだろう。それは果たしていかなるものか。想像するのもまた楽しい。

2005/01/11/Tue.

日記を書くために勉強をすることもある T です。こんばんは。

研究日記

吉野家にて朝食。今年 6回目。

気になる公募の面接準備をしたり、修士論文を書いたり、それらに飽きてパソコンで遊んだりしていたら、夕刻からはセミナー。何もせぬまま 1日が終わる。そのくせに眠い。たるんどるなあ。

面接では、OHPによるプレゼンテーションを行わなければならない。OHPシートが切れていたので生協に買いに行ったのだが、予想以上に高価でビビる。30枚で 4千円。思わず「校費で」と言ってしまった。っていうか、プロジェクター使えよ。かの研究所でプロジェクターが使えないとは考えられないのだが、何か理由でもあるのだろうか。

キラル錯体

B氏と交わしたバカ話について書く。

2001年にノーベル化学賞を受賞した野依博士の研究は、「キラル錯体」に関するものであった。キラル (chiral) は「不斉」と訳され、実像と鏡像が重ね合わせられないことを意味する。このような性質 (chirality; キラリティ) を持つ分子をキラル分子、あるいは光学活性分子という。簡単な例を挙げると、四面体構造を持つ炭素原子、その四つの共有結合が別々の原子・分子によって占められるとき、その物質はキラリティを示す。中でもアミノ酸は、生物学徒に馴染みの深い光学活性分子である。

面白いことに、生体内で用いられるアミノ酸は全て L型である(側鎖が H のグリシンを除く)。H を手前にして炭素中心(不斉中心)を上から見たとき、時計回りに COOH、側鎖、NH2 と並ぶアミノ酸が、L-アミノ酸である。L型の鏡像異性体 (enantiomer) は D型と呼ばれる。

アミノ酸がペプチド結合によってつながったものがタンパク質である。タンパク質は、20種類のアミノ酸の配列によって特定の立体構造を示し、その構造がタンパク質の性質・機能を決定する。さて、ここからは妄想である。タンパク質を構成する全てのアミノ酸を D型に置換した場合、そのタンパク質は元のタンパク質の鏡像異性体となるのだろうか? そしてそのタンパク質は生体内で機能するのだろうか?

ちょっと考えれば、転写酵素など(これらもタンパク質である)が正しく DNA を認識しないだろうから、二つ目の質問の答えは、細胞レベルでは「No」であることが推測できる。D-アミノ酸のみを含む培地で大腸菌をカルチャーしても、恐らく生育しないだろう。しかし、一つ目の質問の答えはどうか。何となく「Yes」のような気がするのだが。仮にそうだとして、鏡像異性体どうしのタンパク質間相互作用は成立するのだろうか。つまり、4次構造においても光学活性を示すのか? さらなる高次構造、例えば筋肉繊維の鏡像とかは作れないのだろうか?

そんなことを調べても役に立たないのはわかっているけれど、興味はある。生物や細胞は、色々な意味で「方向性」を持っているが、ひょっとしたらそれは、単なる化学結合の角度によって決まっていたりするんじゃないの、とか。

2005/01/10/Mon.

初夢をまだ見ていない T です。こんばんは。

外食日記

班会議も終わったので、新しくできた(と思われる)R という居酒屋に行ってきた。街頭でクーポンが配られていたから立ち寄ったのだが、料理が非常に美味かった。やや高かったけど、それだけの価値はある。美味いものは高い、当然のことだ。

これだけ美味いのだから、看板から「創作料理」の文字を消せば、と思う。新興の居酒屋でよく見られるように、居酒屋R も「創作料理」を謳っている。しかし食ったものといえば、玉子焼きに揚げ出し豆腐、雑炊にサラダに鳥の唐揚げと、いったい何が「創作」なのか、俺にはわからない。もちろん独自の工夫が随所に施されているわけだが、いずれも「創作」を標榜できるものとは思えなかった。

もっとも、「創作か否か」は料理の味とは本質的に無関係であるし、「創作料理」と銘打つ行為は、むしろマーケティングの問題だということもわかっている。しかし本物の店を目指すなら、こういう軽薄な言葉を看板に書き込んではいけない。言葉はすぐに古くなる。そして、古くなってなお生き残る言葉は、驚くほど少ない。

古びゆく言葉

これは他の分野にも当てはまる。昨今流行の「J文学」や「ライトノベル」という言葉が、果たして5年後に残っているだろうか(繰り返し述べるが、この言葉と、この言葉が指す個々の小説の中身は関係ない。小説自体は、それが優れたものならば残り続けるだろう)。大学もまたしかり。少子化によって減り続ける学生を確保するため、「環境なんたら学部」や「バイオほにゃらら学科」などが、全国の大学で新設・改組され続けている。生物学に関わる者にとって、「バイオ」というカタカナは、顔から火が出るくらいに恥ずかしいんだけどな。それもこれも、「創作料理」と同程度のコピー効果を期待してのことだろうか。情けない。

……とか言いながら、俺も自分の看板に対しては後悔したこともあった。この「修羅場、どっと混む」というサイト名は、開設当時よく耳にした「.com」をもじったものだが、すぐ手垢にまみれてしまった。ドメインを取得する以前は、(ここがまたいい加減なのだが)URL が「.com」ですらなかったので、サイト名を変えることもできたのだが、やはり看板というものは、なかなか取り下げることができない。個人サイト名ですらこうなのだ。安易に暖簾を作ってはいけない、という教訓である。

今は「修羅場、どっと混む」というサイト名にも愛着が湧いて、ドメインを取るときも迷わず「shuraba.com」で申請したけれど、組織の看板は一人だけのものじゃないからなあ。

2005/01/09/Sun.

干しっぱなしだった洗濯物をようやく回収した T です。こんばんは。

研究日記

大阪で開かれた研究班会議に参加してきた。久し振りの口頭発表(2002年 11月以来)で、非常に緊張する。練習不足で、というか 1回もリハーサルをしていなかったのだが、質疑応答の時間をほとんど食い潰すハメになってしまった。反省。でも、ほとんどの人が規定時間以内に終わっていなかったぞ。これはプログラムに問題があったというよりも、活気の現れとして捉えるべきだろう。

実際、K先生も「良い発表だった」と褒めてくれたわけで。いつも何かといちゃもん御指摘頂く K先生にしては、大変珍しいことである。気持ち悪いな、年明けから。懇親会で M先生に御挨拶できたりと、研究以外の収穫にも恵まれた、実りある会議であった。

定量化への道

「タンパク質は化学物質」の話でも少し書いたが、物理化学をやっている人は、物凄く「定量化」あるいは「定量的であること」にこだわる。そしてよく、「生物の人には定量性がない。定性的だ」と言う。これは相対的な傾向としては事実である。

定量化を実現する唯一の方法は、測定の精度を上げることだ。精度を高めるためには、ノイズを除去し、感度を上げれば良い。しかし、実験してみればわかることだが、この両者は互いに背反である。ノイズを除去するには感度を下げねばならず、感度を上げるとノイズを拾ってしまう。このパラドックスは、実験系をシンプルにすることによって一応の解決をみる。むしろ物理学の場合、問題をシンプルにした方が本質をつかみやすい。

ひるがえって生物学の場合、ことはそう単純ではない。何故ならば生命の特質の一つに、「ある程度以上の複雑さ」というものがあるからだ。生物学における実験系の簡略化は、問題の本質から遠ざかる運命にある。要するに、探求の対象が「生物」でなくなってしまうのだ。実にこの点が、物理学とは根本的に異なる。だから生物学には、in vivoin vitroin silico などという用語がある。「vivo でどうなってるかはわかりませんが」というのは、生化学者の常套句だ。理論物理学が、まだ測定されていない実験結果をドンピシャに予言するのとは大違いである。

俺は何も、「定量的であれ」と言う物理化学者に憤っているわけでも、なかなか定量的になれない生物学者を嘆いているわけでもない。問題となるところがわかれば答えも簡単で、生物学が、その尊厳を保ちつつ定量化への脱皮を果たすには、生体内での観測精度を上げれば良い。これが昨今、1分子イメージングなどが大いに流行している原因なのだろう。というか、「流行している原因を考えたらこのようなストーリーに辿り着いた」が真相なんだけど。

班会議に出席しながら、そんなことをボンヤリと考えていたわけで。

読書日記

デイヴィッド・アチソン『数学はインドのロープ魔術を解く 楽しさ本位の数学世界ガイド』を読了。これもハヤカワ文庫<数理を愉しむ>シリーズの1冊。かなり平易で、いわゆる数学パズルの本に近い。写真や挿し絵も豊富でサクサク読める。何よりも良いのは、この本が横書きで構成されている点だ。これは是非、他の<数理を愉しむ>シリーズでも採用してほしい。専門書でないとはいえ、やはり縦書きの数式を読むのは苦痛である。

目下、E・T・ベル『数学は科学の女王にして奴隷』を読書中。これは読破後、「Book Review」にて御紹介する予定。昨年後半から、頻繁に数学・物理学の本を読むようになった。今年は他分野にも触手を伸ばしたい。化学関係で、何か良書はないだろうか。

2005/01/06/Thu.

洗濯した日に限って雨に見舞われる T です。こんばんは。

研究日記

吉野家にて朝食。5日連続。外が激烈に寒いので、熱いお茶が異様に旨い。

研究班会議のプレゼンテーション書類を作成。発表時間が 7分と短いため、これまでのスライドの単純な使い回しでは対応できないかも、ということに気付く。もっと早く気付け、俺。新しいデータもあるので、完全新作のスライドも数枚作った。まァ何とかなるだろ。班会議は大阪にて明日 7日から 9日まで。俺の発表は 8日の午後。

スイスロール

……というわけで、今夜は発泡酒を飲んで早めに寝ようと冷蔵庫を開けたのだが、ああ何ということだ。そこには年末に買ったスイスロールが鎮座しているではないか。しかも 2本。バニラとモカ。すっかり忘れていた。スイスロールは俺が唯一自発的に購入する甘いものであり、冷蔵庫で冷やすことによって少し硬くなったクリームが旨いのである。そんなことはどうでも良い。賞味期限は 1月 4日。俺の感覚ではまだまだ大丈夫だが、折り悪く明日から留守の予定なのだ。今から食えというのか、スイスロールを。しかも 2本。バニラとモカ。晩飯を済ましたばかりなのに。

2005/01/05/Wed.

日記に特筆することもない T です。こんばんは。

それにしても寒い。外、ラボ、家、どこにいても寒い。バイクなど考えられない。煙草を吸いに、屋外へ行くだけでも凍えそうになる。

研究日記

吉野家にて朝食。4日連続。

一昨日の実験結果を整理。7〜9日に開かれる研究班会議のプレゼンテーション資料を作る。時間が押しているが、13日には気になる公募の面接もある。その後は月末までの2週間で修士論文を書き終えねばならず、2月には公示、発表。公募の面接結果がいつ出るかはわからないが、仮に合格していた場合、あるいは合否が不明である場合は、博士課程の入試も受けねばならない。これも 2月上旬。定員割れなんだから、無試験で入学させろよ。とはいうものの、面接に落ちた場合は入試どころの騒ぎではない。どうなることやら。

とまあ、これから 1ヶ月の予定を書き連ねてみたが、なかなかに忙しくて良い感じだ。俺は頭デッカチだから、何かあるとつい考え込んでしまって、あれこれと小理屈をこねる悪癖がある。考える暇がないほど、春までは転がり続けたい。どうなることやら……というか、どうにかしないといけないのだがな、自分で。

2005/01/04/Tue.

T です。こんばんは。

眠い。年が変わってから、また少し不眠症気味なのである。3時間か 4時間も寝ると、すぐに目が覚める。恐らく寒さが原因だと思うのだが、もうどうしようもない。暖房を入れっぱなしにしていても寒いんだもの。春はまだか。

研究日記

今日も朝食は吉野家。これで 3日連続。他の店が開いてないのだから仕方がない。

毎度のことながら、学会や卒論・修論の時期にはラボのパソコンとスペースが不足する。少しでもそれが解消されればと思い、今日は自前のノートパソコンを持参した。Dr. A の栄転により空席となったデスクへと席を移し、これまで使っていたパソコンから、約 2 GB のデータを移植。使い慣れた環境で修士論文を書けるから、非常に効率も良い……だろうと期待している。

2005/01/03/Mon.

日本語、特に敬語は難しいと思う T です。こんばんは。

トイレを上品に「おトイレ」ともいう。しかし何故か、おキッチン、おリビング、おダイニング、おエントランスとはいわない。日本語にすると、お便所、お台所、お居間、お食堂、お玄関であり、少なくとも「お台所」と「お玄関」はよく使われる。ゆえに「お便所=おトイレ」同様、これからは「おキッチン」「おエントランス」というのが、正しいセレブの有り方ではないか。俺はセレブじゃないから使わないけれど。

日本人が英語を使わない理由

それにしても「便所」を表す日本語の多さには圧倒される。便所、御手洗い、御不浄、厠。「トイレ」も既に日本語だろう。どうしてこんなに語彙が豊富なのかといえば、日本語には、言い換えることによってタブーを回避しようとする強い傾向があるからだ。そういう意味では「寝室」もそうである。褥(しとね)や閨(ねや)など、音声的にもエロティックな言葉がたくさんある。この法則を逆にとれば、「代替語が多くある言葉はタブーである(あった)」という推論が立てられる。

卑近な例では性器がそうであるし、人の名前も同様である。近世まで、本名は諱であり、それを口にすることは許されなかった。そのため、言い換えが発達する。織田信長の幼名は「吉法師」であり、通称は「三郎」である。彼の家臣達は「上様」「お館様」と呼んだだろうし、信長が入京してからは、市井の人々は「天下様」と彼のことを言った。武家や公家の間では官職名が通用しただろう。いわく、上総介、弾正忠、右大臣。日本語は、自分の国の最高指導者を「ジョージ」とファースト・ネームで呼べる言語ではないのである。

実にこの点が、日本人が英語を使いたがらない理由なのではないか。密かに俺はそう考えている。端的に言えば、自分が務める会社の社長に対して「You」と呼べない、呼びたくないのが日本人なのである。先進国にしては、韓国人もあまり英語が得意でないと聞く。あそこは儒教の国だから、やはり年長者に「You」と言いたくないのだろう。これだけ難しい日本語を操る日本人が、純粋に言語学的な理由だけから英語が苦手とは考えられない。

研究日記

今朝も吉野家。午前中は修士論文を少し書いて、午後からは、昨日処理したサンプルを検鏡。初めて使う抗体で染色したのだが、うまく染まってくれた。サンプル数が多いため、検鏡・撮影に 3時間半ほど費やしたが、非常にクリアな結果が得られて満足。これで週末の研究班会議も安泰だろうか。

外食日記

接客業における言葉の乱れが指摘され始めて久しい。今夜も、俺が訪れた飯屋で世にも珍妙な台詞を耳にした。飯を食い終わった俺が煙草をふかしていると、従業員が寄ってきて、

「食べ終わったお皿をお下げしてもよろしいでしょうか」

とヌカしやがる。何だソレ。彼の表現は二重の意味で間違えている。

  1. 俺は皿を食ってない。
  2. 仮に皿を食ったとしよう。しかし「食い終わった皿」は下げられない。

「毒食わば皿まで」という。お前の店では客に毒を盛っているのか。ふざけるな。

2005/01/02/Sun.

日本の男性の理想像……にはほど遠い T です。こんばんは。

初詣で

大晦日の夜は一人で酒を飲みながら、去年の日記を読み返したりしつつ、静かに過ごした。新年を迎えて風呂に入った後、初詣でへ。雪は止んでいたが、溶けた水が凍結し、道はツルツルと滑る。あんまり寒いので、近所のお稲荷様でお茶を濁すことにした。果たして稲荷大明神が、正月に参る神様として適当なものなのか判断がつきかねたが、ナニ、参らぬよりは良かろうと思い直して参拝する。

この稲荷神社は地元で祀られているもので、神社とも言えないくらいの小さな規模である。鳥居と百葉箱ほどの大きさのお社があるだけだ。小銭を賽銭箱に投げ入れたが、鈴もない。二礼二拍手一礼……で良いのかなあ、と悩みつつ、とりあえず祈願した。

信仰と形式は、常に微妙な関係にある。フォーマット通りに行うことが、すなわち深い信仰を示すとは限らない。しかし、ある行為が「型」として形式化されたのには、必然性もあるはずなのだ。それをないがしろにしていては、信仰を軽んじていることの裏返しになったりもする。なかなか難しい。

我は播州男児

さて、心身を改めたところで今年の目標を定めようかと考えたが、まだ春からの身の振り方が決まっていないので、予定もクソも立てられたものではない。1年を見通そうとしても、すぐに先が見通せない壁にブチ当たる。もうこれは、1日 1日をしのいでいくしかない。とはいえ、それも盲目的だなあ。単なる思考停止ではないのか。とまれ、いくら卓上の人生ゲームで難儀な局面を迎えていたとしても、テーブルから離れることは許されない。

……とまあ、正月から辛気臭いことばかり考えているのだが、司馬遼太郎の『播州人』という短いエッセイには励まされた。

播州出身の英雄豪傑を思いつくままにあげると、別所長治、黒田如水、後藤又兵衛、母里太兵衛、宮本武蔵、大石内蔵助ほか赤穂浪士、といったぐあいで、極端にいえば、かれら播州人が、日本の男性の理想像を作ってきたようなものであった。

うほっ、てなもんである。かくいう俺も播州男児なのだ。上で述べられた男達については、よく知っている。彼らがどういう人物であったかを書いてみよう。

別所長治(べっしょ・ながはる)
1558〜1580年。室町時代、播磨で権勢を誇り、時の将軍足利義教を暗殺(嘉吉の乱)までした赤松氏の一族。戦国時代を遠因となった張本人の子孫である。戦国時代には、三木城(兵庫県三木市)を中心に東播磨に勢力を拡大。信長が中国遠征を始める前、すでに羽柴秀吉を通じて帰順の意志を示していたが、名門の誇りと長治自身の潔癖症的性格から、信長・秀吉を信用できず、兵を交えることになる。2年に及んだ三木城の籠城戦では、秀吉の兵糧作戦が功を奏し、長治は自身の命を引き換えに、将兵の助命を嘆願することになる。備中高松城の清水宗治に事情が似ているが、もちろん秀吉の備中攻めは、これよりも後のことである。長治の意見は受諾され、彼は切腹、三木城は開城した。誇り高い男であった。
黒田如水(くろだ・じょすい)
1546〜1604。勘兵衛孝高。洗礼名はシメオン。筑前黒田藩の開祖として名高いが、播磨は姫路の人である。父・職高は小寺家(これも赤松氏の一族)に仕え、親子2代で家老を務めることになる。秀吉の中国進出の際、主家を説き伏せて織田家と結ばせる。この頃から秀吉と通じ、姫路城を提供。主君・小寺政職は織田家を裏切ったが、このとき勘兵衛は秀吉の家臣となる。秀吉の参謀として「二兵衛」と並び称された竹中半兵衛重治と黒田勘兵衛孝高だが、清廉短命で諸葛孔明的イメージのある半兵衛と違い、どうしても勘兵衛は「策士」の印象が強い。しかしそれは彼の一面でしかなく、気骨のある人でもあった。摂津伊丹で荒木村重が信長に反旗を翻したとき、同じ切支丹であり茶人でもあった勘兵衛が説得に向かった。しかし村重は勘兵衛を牢に捕らえ、彼との共闘を持ちかけたが、勘兵衛は首を縦に振らなかった。10ヶ月後に救出されたが、長い牢獄生活で片足が不自由となる。いたわる秀吉に対し、彼は村重説得の失敗を詫びたという。1582年、備中高松城で毛利軍と対陣中、本能寺の変の報が秀吉、勘兵衛に届く。一説では、呆然とした秀吉を勘兵衛が焚き付け、「天下取りに千載一遇の機会」と諭したとされる。秀吉が天下を平定後、巨大な軍功に比しては過小ともいえる、豊前中津川12万石を与えられた。秀吉が勘兵衛の才能を恐れたゆえの措置ともいわれる。これを察した勘兵衛は、隠居して息子・長政に家督を譲った。関ヶ原でも自分は九州に留守居し、長政を東軍として派遣。しかしそれで終わらないのが勘兵衛である。関ヶ原の合戦が長引くと予想した彼は、軍勢を率いて真空地帯の九州を席巻、天下取りの野望をあらわにする。ところが皮肉にも、長政らの活躍により関ヶ原の戦いは1日で終結。意気揚々と帰城した息子を、勘兵衛は「大馬鹿者」と叱り飛ばしたという。何とも不敵な男であった。
後藤又兵衛(ごとう・またべえ)
1558〜1615。基次。黒田勘兵衛に養育され、長政の代には黒田二十四騎に数えられる。朝鮮出兵、関ヶ原で大功があり、長政から1万2千石という大名並の俸禄を得る。しかし後に長政と対立し、出奔。後年、浪人として大坂冬の陣で豊臣側に参陣、五人衆の一となる。夏の陣では真田幸村らと共に奮戦。が、又兵衛は道明寺に突出してしまい、少数の手勢で大軍を相手に孤軍奮戦したが、衆寡敵せず討ち死に。根っからの武人であった。
母里太兵衛(もり・たへえ)
1556〜1615。友信。黒田勘兵衛に仕え、各地を転戦。6千石の録を得る。長政の代には、後藤又兵衛とともに黒田二十四騎に数えられる。彼の豪勇は諸大名にも知れ渡り、福島正則からは名槍・日本号(元は秀吉が正則に与えたもの)を贈られた。このとき、正則から巨大な杯に酒をなみなみと注がれ、「これを飲み干せば日本号をやろう」と言われた太兵衛が、衆目の中で一気に呑み干したという伝説がある。これは創作らしいのだが、この逸話は広く知られるところとなり、筑前黒田藩に伝わる黒田節を産んだという(酒は飲め飲め 飲むならば 日の本一の この槍を 飲み取るほどに 飲むならば これぞまことの黒田武士)。豪快な男であった。

宮本武蔵と赤穂浪士は説明不要だろう。ところで、上で述べた彼らが「日本の男性の理想像」かどうかは、また紛糾しそうな問題である。確かに素晴らしい男達だが、薩摩隼人や三河武士、坂東武者もまたそうである。しかし、同郷の俺が密かに誇るくらいは許されるだろう。

播磨という土地は、実に面白い。「播磨風土記」が現存し、伝説・伝承も豊富である。古来から地味豊かで、交通の要所でもあった。だが何故か、これまで一度も日本の中心となったことがない。その点、尾張に似ている(尾張が開けたのはかなり後世だが)。一度だけ、播磨が本朝のヘソとなった時期があった。平清盛による福原遷都である。この時期、確実に御座は播磨にあった。が、光秀の三日天下のようなもので、歴史的実体はない。

俺が播磨人であると書いたのは、今日が初めてのはずである。またいずれ、播磨について詳しく書いてみたい。

読書日記

筒井康隆『文学外への飛翔』を読了。演劇青年でもあった筒井康隆。俳優としての彼は、テレビ、映画、芝居などで知られている。特に断筆宣言中の筒井は、精力的に俳優活動を行った。本書はその頃に書かれた日記やエッセイをまとめたもの。脚本や原作を文学者として解釈しつつ、それを演技者としてどう生かすかなど、普段目にすることのないアプローチが面白い。また、観賞側に回ったときのテキストもあり、批評家・筒井康隆にも出会うことができる。

研究日記

吉野家で朝食を摂ってからラボへ。さっさと実験を終わらせ、夕方には帰宅。今日は簡単なサンプル処理だけで、蛍光顕微鏡による観察は明日行う。サンプルが 10種類もあり、検鏡に何時間かかるかを考えるとゲンナリする。が、年末はよく遊んだので、せいぜい年始は働くつもり。

2005/01/01/Sat.

下宿で新年を迎えた T です。明けましておめでとうございます。

年賀状

高校生の頃からほとんど出していなかった年賀状だが、大学生になって完全にやめた。「やめた」というほどの決意があるわけではなく、要するに面倒臭いから出していないだけなんだが。それでも、俺宛に届いた年賀状には返していた。

しかしここ2、3年、店舗や企業からの DM 年賀状を除き、友人知人からは 1枚も年賀状が来ないようになっている。全てメールに取って代わられてしまったわけで、こうなると、いわゆる年賀状ソフトの存在意義がわからなくなる。名前と住所を打ち込んで、文章や絵をちょこちょこと選んだり作ったりするわけだが、それって年賀メールを同じような気がするんだが。手間が等しい分、印刷や送付にコストがかかる年賀状の方が非合理的である。

非合理であるから悪いとは限らない。そこに価値を見出すのが「文化」の神髄である。では年賀状文化の本質とは何か。年賀状ソフトによって作製された「文面」は、もはやメールのそれと相違はない(手書きだから良い、という議論は成り立たない)。最終的に違いが残るのは、年賀状という紙 1枚、極論すれば物質的実体である。これを有り難がるのは、要するにアニミズムであろう。

山川草木悉皆成仏、雑草や石ころにまで八百万の神様がおわす我が日本。年賀状は、その最もハレの日たる正月に相応しい慣習であると思うのだ。俺は年賀状を書かないが、別に年賀状をバカにしているわけではないし、完全に消滅してしまえば、それはそれで残念な気もする。

アニミズム

アニミズムという感覚は非常に興味深い。あまりにも適用できる心理が広過ぎて、どこまでがアニミズムの所産なのかもわからないくらいだ。アニミズムの定義はさておき、それではデジタル時代のアニミズムはどこに向かうのかについて考えてみたい。

貴方がどういう信仰を持っていようと、人間の根源的な宗教心に関わるアニミズムは、必ず胸の内にあるはずだ。例えば聖書(仏典でもコーランでも良い)を踏みつけることができる人でも、家族や愛する人の写真を足蹴にする人は、まずいないだろう。聖典といえどもただの紙束、そう思える人でも、印画紙1枚を粗略には扱えない。その印画紙に、ある種の感情(この場合は愛情)を喚起する霊的なものを感じているからだ。その感覚を励起しているのが、このケースでは印画紙上の画像である。

この感覚が鋭敏になると、引き金となる刺激がなくとも、モノに霊的な感覚を抱くようになる。果たしてこの感覚が原始的なのか、それとも高尚な精神の発露なのかは議論の別れるところだが、今はその問題を不問とする。とにかくこれが、アニミズムが発動するまでのアウトラインである(専門家ではないので間違っているかもしれないが)。

重要なのは、霊的なものの依代となる「物質」がアニミズムの触媒となっているということだ。では、モノをどんどんと排除していくデジタル時代、この感覚はどこに向かうのだろう。

手紙を大事に取っている人は多いだろう。そして、「手紙」というモノ自体に愛情を向けることは可能である。では、メールはどうだろうか。大事な人からのメールを大切に保存したとする。この「メール」に感情を抱くことはできるだろうか。これは難しい。「メール」の物質的実体は、メモリやハードディスクにある。携帯電話やパソコンからそれらの部品を取り出し、「この中に大事なメールが入っていますよ」と言われたところで、我々は「手紙」のように、モノとしてのそれらを愛することはできるだろうか。できない、と思う。

デジタル時代のポスト・アニミズム

別に必ずアニミズムを持つ必要はない。だから無理矢理に「メール」を愛することもないわけだが、人間というものは、そう単純ではない。本当に好きなものに対しては、「愛情を注ぎたい」という「欲求」が沸き起こる。モノがある時代、その欲求は容易にアニミズムとして昇華させることができた。しかしモノがないとき、我々はいかにして欲求を満たせば良いのだろうか。方法は二つある。一つは、モノを手に入れてアニミズムを発動させること。もう一つは、アニミズムに代わる方法を選択すること。

一つ目の方法は、それほど難しくはない。メールならプリントアウトすれば良い。例えば K先生は、大事なメールは印刷してファイリングする。俺は当初その行為を、パソコンに疎い老人の非合理的な行動としてしか解釈していなかった。が、どうもそれだけではない。というのも、実は俺も同種の行為をしているからである。大事な実験データなどは、CD-ROM などの外部メディアに保存して、大切に保管する。原理的にはバックアップなのだが、しかしやはり感情が入り込んでいる。大切なデータは、20枚入りの安売り CD-ROM にコピーする気がしない。ちゃんとしたケースに入っている、1枚売りの CD-ROM をわざわざ買ってきてコピーする。凡百のデータとは、モノとしての差別化を無意識に行っているのである。こんな例は、探せばもっと例が出てきそうだ。

さて、実体を手に入れる > アニミズムを発動させる、という方程式の究極のパターンは、「本物」を手に入れることである。ここまで来れば、それはもうアニミズムではないのだが、これについて少し書く。というのも、「出会い系サイト」や「メル友」がしばしば引き起こす、まるでストッパーが外れたような事件と大きく関わっている気がするからだ。逆に言えば、「手紙」というモノがあればアニミズムが発動し、それで欲求不満をある程度は解消できるはずだが、それがないために、一気に「本物」に走ってしまうのではないか。「本物」に触れた途端、それまで抑圧されていた欲求が、刹那的に解放されてしまうのではないか。そんな推論が立てられる。確証はないが。

話が逸れた。欲求を満たす二つ目の方法について考察……したいのだが、果たしてアニミズムに代わる方法が実際にあるのか、俺にはわからない。これはデジタル時代に乗り越えなければならない壁だと認識しているが、どうも上手い具体案が見られない。

それは市販ソフトウェアのパッケージにも現れている。デジタルデータは、その知的財産や所有権に本当の価値がある。しかしそれはなかなか認知されない。というか、認知が拒まれている。そこにモノがないため、人間は価値を「認めたがらない」からだ。だからソフトウェア会社は、たった 1枚の CD-ROM に収まるソフトウェアを、あんなバカみたいにデカいパッケージに梱包する。これは実話だが、立派な箱に入れて陳列しないと、どんなに優れたソフトウェアでも「売れない」という。このエピソード一つ取っても、いかに我々がアニミズムに縛られ、真のデジタル時代へと飛翔できていないかは明白である。

困ったものだ。だから、まだまだ年賀状は必要なのである。

謹賀新年

……などと、年賀状について思いを巡らしていたら、とんでもない長さになってしまった。正月の様子とか、今年の目標などについては、明日の日記で書こうと思う。それでは、良いお正月を。