- キチガイカード

2004/12/05/Sun.キチガイカード

ようやく今月の文庫版『ゴルゴ13』を読んだ T です。こんばんは。

精神的な遺書

ドナーカードは一種の遺書である。また、安楽死先進国では、「植物状態になったら安楽死にしてくれ」という意思表明を、あらかじめしておくことができるという。これもまた一種の遺書である。このような肉体的な遺書があるのだから、精神的な遺書も作ったらどうだろうか。

そこで「キチガイカード」を提案する。ネーミングとしては大問題だが、まァそれは誰かに考えてもらうとしよう。要するに、「キチガイになったら殺してくれ」と表明するためのカードである。かなり過激だが、俺は大真面目である。もう少し詳しく書く。

キチガイカード

キチガイになったら即座に殺してほしいというのが俺の意見ではない(そうしてほしいという人もいるかもしれんが)。例えば現行法では、心神喪失者による犯罪は、容疑者に責任能力がないものとして罪に問われない。これはおかしいと俺は思う。が、「自分は絶対的に正常である」という立場からそのような主張をするのも趣味ではない。「まかり間違えば自分も殺人者になるかもしれない、という想像力を持つ者だけが犯罪を語り得る」という筒井康隆の言葉に従うならば、「いつ自分がキチガイとなって人を殺してもおかしくない」ということも考えなければならないだろう。

あくまで俺個人の考えだが、仮に自分がキチガイとなって犯罪を犯しても、心神喪失による無罪放免ではなく、キッチリと罰を与えてほしい。しかし実際、キチガイとなった俺は、そのように訴えることもできないわけで。そこで「キチガイカード」の登場だ。健康である内に臓器提供の意思を示すドナーカードのように、精神が正常である内に、キチガイとなったときの処遇を記しておくカードである。

もっとも、これは非常にデリケートな問題であり、俺の考え方も、捉えようによっては相当に危険な思想である。だからこそのカードなのだ。持ちたい人だけ持てば良い。ただ、こうでもしない限り、精神的な死を迎えるにあたっての不安は払拭できないのではないだろうか。

肉体的な安楽死の容認は、世界的な兆候である。いずれこの流れは、必ずや精神的な死にもやってくる。何もキチガイばかりではない。ボケもしかり。肉体的寿命が伸び続ける昨今、ボケ問題はこれからますます深刻になる。「ボケは精神的な死である」などと言うと、これはまた大問題なのだろうが、それはさておき、選択肢を用意する必要性は確実に出来するはずだ。

というわけで、「キチガイカード」を提案してみた。プリミティブゆえに、かなり過激な発案になってしまったが。