- 『狂気という隣人』岩波明

2007/05/24/Thu.『狂気という隣人』岩波明

「精神科医の現場報告」と副題にある。

著者は長年、東京都立松沢病院に勤務した精神科医。松沢病院の前身は上野の癲狂院であり、小石川癲狂院、巣鴨病院と移転を繰り返した後、世田谷にて松沢病院となる。日本最大の精神病院である。かの芦原将軍もこの病院の患者だった。

松沢病院は東京の精神科救急医療を担当する施設でもある。夜間休日にも診療を行っているわけだが、精神科に「救急」とは不思議な感じがする。そもそもそのような制度があること自体、私は知らなかった。

精神科救急に回される患者の多くは、警察に逮捕・保護された「触法精神障害者」である。確保された容疑者が、精神に異常があり治療が必要と判断された場合、彼・彼女は精神科救急に回される。「要治療」の判断は警察が、つまり精神医学の素人が行う。そして病院はこれを (事実上) 拒否できない。警察の任務は容疑者を病院に搬送した時点で終了する。ここでは医療と刑事、司法が解離している。法の整備も徐々に進んでいるようだが、まだまだ不充分なようである。

このような現場報告がされた後、著者が実際に治療に当たった患者 (多くの犯罪者を含む) のケースが紹介される。日本の場合、殺人などの重罪を犯す精神病患者の多くは統合失調症 (精神分裂病) である。これは病気であり、裁判では「犯行時の責任能力」が云々される。本文では宮崎勤についても触れられる。彼の事件が示す通り、精神病の正確な診断は困難を極める場合が多々ある。

ところで、いわゆるシリアル・キラー、快楽殺人者などは精神病質 (サイコパス) であり、統合失調症とは事情が異なる。精神病質が病気であるかどうかは曖昧な点が残るようだ。精神病質は基本的に改善されることはなく、殺人者は殺人者として生涯を終える (だから連続殺人になってしまう)。サイコパスに関しては、ロバート・D・ヘア『診断名サイコパス』に詳しい。

保安病棟

統合失調症は治療の対象ではあるが、完治が難しいことに変わりはなく、「治療を終えた」患者が再び犯罪を重ねることも珍しくない。そのたびに世間は、この病人を社会に受け入れるかどうかで紛糾する。著者が提案するのは、欧州で発達している「保安病棟」の導入である。本書で報告されている英国の制度を以下に抜粋する。

英国内務省および特殊病院行政管理局が管轄する「保安病棟」は、ベスレムの敷地の中で最も奥まった場所にありました。英国における触法精神障害者を対象とした施設には、二種類あります。一つは巨大な収容施設である「特殊病院 (special hospital)」であり、もう一つがこの「保安病棟」です。

保安病棟とは地域保険局が運営する小規模な病棟で、重大な犯罪を犯した精神病患者と精神病質者を収容、治療するための専門施設の一つです。正式な名称は、「地域保安病棟 (regional secure units)」と言います。

特殊病棟は再考の保安施設であり、周囲を高い塀で囲まれ、警備には万全の措置がとられています。特殊病院の機能を地域に分散する目的で、小規模の治療施設である保安病棟が設立されました。

英国においては、精神医療と司法の間に古くから密接な関係がみられ、十九世紀初めより触法精神障害者の処遇は、最終的な決定権を司法的、行政的判断に委ねるという枠組みの中で発展してきました。

英国の精神保健法は一九八三年に大幅改正されました。しかし依然としてこの法においても、二百年前からのその流れは変わっていません。犯罪を犯した精神障害者の強制入院は裁判所の命令で行われ、重大な犯罪に関しては、退院の決定についても司法機関が強い権限を有しています。

(第八章「保安病棟」)

本書では、精神医学 (特に刑事事件と深い関わりのあるそれ) の現場報告、問題点の指摘、改善のための提案がなされている。私が「精神科救急」を知らなかったように、日本でこの種の啓蒙・議論が活発だとは思われない。この問題を考える上で、本書は良い契機となるだろう。