- 『ユダヤ・キリスト・イスラム集中講座』井沢元彦

2007/05/13/Sun.『ユダヤ・キリスト・イスラム集中講座』井沢元彦

本書は『仏教・神道・儒教集中講座』の前作に当たる。

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教はその源流を一にしながら、似て非なる面も多い。だからといって、それらを比較するときに、対応表のようなものを作って、受験勉強よろしく相違点を暗記したところで理解は難しい。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は時系列的に発生したものであり、その「発生史」を追う方が、歴史的にも易しく実感できる。

本書の第1部では、ユダヤ教、イエス (ユダヤ人) とキリスト教、ムハンマドとイスラム教の誕生、が時代順に記述される。この順番が、それぞれの宗教の主張に重要な意味を持つ。例えばキリスト教には、それより「古い」ユダヤ教と「新しい」イスラム教に対して、という形で何らかの主張がある。ユダヤ教、イスラム教においても同じである。

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の言い分

第2部が興味深かった。井沢元彦が各宗教の代弁者と対談し、例えばキリスト教徒に、ユダヤ教やイスラム教をどう考えるか、などの突っ込んだ質問をする。それぞれの宗教の代弁者は以下の通り。

現在の (米国の) キリスト教は親イスラエル的である。キリスト教徒のロバートソンは、現実にイスラエルへの多大の援助を実行している。彼は言う。

ユダヤ人とクリスチャンは本来、同じ「アブラハムの子孫」であり、互いに「兄弟」なのだと私たちは思っているのです。だから「アブラハムの子孫」であるユダヤ人を、私たちは彼ら個人の思想や宗教にかかわらず祝福する。親切にしていきたいのです。

(「キリスト教の言い分」)

これらキリスト教徒の「祝福」「親切」を、ユダヤ教徒はどう思っているのか。

イエスの再臨は、すべてのユダヤ人がイスラエルに帰還を果たしたあとである。また彼らユダヤ人がみなクリスチャンに改宗したときであるという。

そういう予言が新約聖書にあるから、クリスチャンたちはユダヤ人に親切をし、キリスト教に改宗するように手助けをしなければならない。そういう動機がある。

私がイスラエルに行くと言えば、彼らは航空券を五分で用意してくれます。あっという間。なぜなら、こうした親切が新約聖書の予言の成就を早めることになると、彼らは理解しているからです。つまりそれはキリスト教徒のため。私を愛するというよりは、キリスト教を愛するがゆえなのです。

(「ユダヤ教の言い分」)

これだけで、もう日本人は頭が痛くなる。宗教の対立とはかくも根深いものか。ところが、イスラム教徒は「宗教対立などない」という。パレスチナ問題も、あれは政治や文化、経済の問題であって、宗教はダシに使われているだけで別に対立はない、と。

今、世界で起きている対立には、宗教は関係ないわけなんです。

よく見ると、その当時の権力者の欲望が、宗教より上なんです。だから戦争を起こしている。宗教対立で戦争が起こるはずがないんです。

十字軍はどうして起こったのか。当時は、ローマ法王の力が非常に弱っていたということがある、さらには、ヨーロッパにはたくさんの兵隊がいたが、何も仕事がなかった。だから、ローマ法王が、自分の力をもう一度取り戻すために、スペインやヨーロッパ全土に呼びかけたんです。パレスチナへ行こうと。あそこには天国みたいにいろいろなものがあるとか、扇動するようなことをあれこれ言ったわけ。結局、本当の原因が宗教かということは、私はいまだに疑問です。

これは楽観的な考え方かもしれないけれども、宗教戦争というのは、もう少し頭を冷やして考えると、戦争が起こるはずがない。やっぱり必ず裏に絡みがある。

とにかく、宗教へ持ってきても話にならないです。要は、誰の利益になるのかなのです。今、世界は、考え方が全部ブッシュ的。政治以外は、もうどうでもいいんです。でも、宗教を利用する人がいるんです。それを忘れてはいけません。

(「イスラム教の言い分」)

対談なので、短い引用で論旨を明確にはできないが、大体こんな感じである。もちろん、各発言者にはそれぞれの公的な立場があり、どこまでが本音なのかはわからない。しかしそれぞれの主張を並列してみると非常に面白い。

キリスト教は基本的に博愛精神であり、非常にものわかりが良いように語っているが、聖書の記述は絶対である。一方、ユダヤ教は現実的でしたたかな面が強いが、聖書 (ユダヤ教の聖書は旧約のみだが) の解釈は柔軟である。意外にイスラム教がクレバーだったのが印象的だった。もちろん、本書に登場した対談相手が各宗教の「一般的」教徒であるという保証はない。高度の教育を受けてきた人達であることは間違いなく、語られている意見は非常に穏健な部類であろう。それでも日本人を考え込ませるには充分である。

アメリカのキリスト教

「後書きにかえて」と題された文章が巻末にある。これは、米国中西部に住む民主党支持者 (日本人) が、友人である著者に送ったメールの抜粋で、ブッシュとケリーの大統領選挙 (2004年) の頃のものである。米国の宗教事情がつぶさに報告されていて面白い。

我々日本人が「アメリカ人」と聞いて反射的に思い起こすのは恐らく、東海岸、西海岸、あるいは五大湖周辺の大都市に住むデモクラットである。しかし、この種のアメリカ人は全体の半数に過ぎない。中西部および南部の主流はリパブリカンであり、彼らの多くは原理主義的なキリスト教徒でもある。2004年の大統領選挙の結果を地図で見ると、そのあまりの明確な塗り分けに驚く。

アメリカがそういう国である、ということは頭では知っているが、生々しいメールを読んでみると、実際に報道されていることの少なさに気付く。