- 『仏教・神道・儒教集中講座』井沢元彦

2007/05/12/Sat.『仏教・神道・儒教集中講座』井沢元彦

歴史や文化を知るには、その当時の宗教がどうであったかを知らねばならない。日本は世界一早い段階で政教分離を実現した国であるが、それですら徳川幕府以降 (宗門改、檀家制度、鎖国) のことである。それ以前の歴史には密接に宗教が関係していたし、近年でも太平洋戦争時における国家神道という問題がある。宗教を抜きにして歴史は語れない。

というのが井沢元彦の年来の主張である。『逆説の日本史』などでも、折りに触れて各宗教について書いている (例えば第6巻の半分は仏教の解説である)。本書は、これまでの本で断片的に採り上げられた宗教論、宗教解説をまとめたような感じになっている。逆にいうと、どこかで読んだ話が多い。内容は 3部構成。題名の通り、各部で仏教、神道、儒教について述べられる。

仏教

仏教では、釈迦による原始仏教の誕生から、大乗仏教の成立、中国への伝播、日本への伝来と聖徳太子、最澄と空海、鎌倉仏教の開花、織田信長による比叡山の焼き打ち、徳川幕府による檀家制度の創設などなどが描かれる。登場する宗派の簡単な教義の解説と、近現代の仏教に対する若干の警鐘が付される。いつもの井沢節である。彼は仏教にやや優しい。

神道

神道には体系的な教義がない割に、日本人の深層心理に深く入り込んでいるので解説が難しい。いまだに神道といえば「国家神道」のイメージが強く、誤解や偏見も根強く生き残っている。

この部でも井沢節が炸裂する。聖徳太子の「和」、穢れ、怨霊、言霊、芥川龍之介『神神の微笑』などなど。同じ話といえば同じ話であるが、そんなことは本書を買う前からわかっている。最後は靖国神社について、若干の擁護をしている。彼は神道に優しい。

儒教

最後は儒教である。「儒教は宗教である」というのが彼の前提であり、それなりの論拠もある。儒教がいかにバカげたものか、それを語る井沢の口調は熱くなる。中国、韓国に苦言を呈するのも、いつものこと。彼は儒教には厳しい。

何だかんだと言いながら

何だかんだと言いながら、それでも井沢の本を手に取るのは、基本的に彼の主張に私が賛同しているからである。揚げ足を取るのは簡単なことで、実際に批判も多いようだが、毎度毎度、同じことを最初から説明しながら理論を補強している彼の主張にはやはり (議論としての) 説得力があるし、何より読んでいて面白い。

私は歴史を体系的に学んだわけではないので、井沢の文献学的・考古学的解釈が、専門家から見てどのようなレベルにあるのかを正確に判断できない。ところで私は、「歴史は過去から教訓を読み取るためのストーリーだから、リアリティさえあれば別に創作でも構わない」という、ある種の極論を持っている。もちろん文献学的・考古学的証拠 (リアル) との一致度が高いほどリアリティが増すわけだが、事実の集積と物語の構築はまた少し違う問題でもある。例えば文献という証拠、あれもまたストーリーに他ならない、という事実は忘れられがちだ。

井沢の本を読んだことがない人にとって、本書は色々と発見があって面白いと思う。