- 15ヶ月ぶりに料理をした

2007/05/08/Tue.15ヶ月ぶりに料理をした

台所の水道から土色の水が出てきて往生した T です。こんばんは。

GW は帰省していたという研究員嬢から、お土産に讃岐うどんを頂戴した。彼女の故郷は香川県ではなかったはずだが、どういうことだろう。昨夜、早速頂いた。料理をするのは 2006年 1月 24日以来である。うどんを茹でるのが料理かといわれれば微妙だが、とにかく自炊は 1年以上やっていない。

仮説とストーリー

仮説とは全て独自的先行である、と言ったのは誰だったか。

仮説にも色々とレベルがある。「こういう実験をすればこういう結果が出るだろう」という目先の予測も仮説であれば、「〜という現象の機序は……であろうから、——すれば XX になるだろう」というグランド・デザインも仮説である。

論文を書くときのことを考えてみよう。仮説としてのグランド・デザインが最初にあり、それを証明するべく証拠を集めるという演繹的なやり方がある。あるいは、様々な事実が集まった挙げ句、ある仮説が浮かび上がってくるという帰納的なやり方もある。現実には両者が混交することが多いと思うが、最終的には何らかのストーリーに帰結する。

この「ストーリー」というのが曲者である。事実が集積すればストーリーになるということを、いったい何が担保しているのか。人間がその思考様式において「理解」するための方便とも思える。その意味で、全ての理解は誤解である。でも、もしそうなら、客観的な事実というものを (それがあったとして) 誤解としてしか理解できないのだから、誤解が誤解であるということもまた理解できないわけなのだが。

認識や意識というものは非常に茫洋としている。このことについては、また書いてみたい。

研究日記

月末に締め切りが迫った学会の抄録について、ボスとディスカッション。ディスカッションは大抵ボスの部屋で行われる。8畳ほどの広さだが、非常に散らかっているので、文字通り座る場所もない。ディスカッションのとき、私はいつも立ちっぱなしである。いささか疲れる。

しかし驚くべきことに、プレジデントの部屋は更に乱雑である。入口からデスクまで、獣道のように床が露出している以外は、ありとあらゆる空間に書類が山積みされ、さながら古紙再生工場のようである。この事実はあまり知られていない。プレジデントがまた穏和な紳士であるため、彼の部屋を覗いた者は、その人柄とのギャップにも驚愕を覚える。

私のデスクもかなり乱雑である。明日、覚えていたら携帯電話のカメラで写真を撮ってみようか。