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2008/04/09/Wed.Holiday

労働は美徳でも罪悪でもないので、賛美したり否定するのは空しいと思う T です。こんばんは。

研究日記

研究費に不自由しているのでラボは奇妙にノンビリとしており、今年の GW はゆっくりしようか、などとガラにもないことを考えているが、特にやりたいこともなく、これは老化の第一歩ではないかと恐れたりもしている。

大学を卒業した妹が今春から大阪で働いており、一度その仕事ぶりと顔を覗きに行こうかなとは思っている。弟は 3年間の修業を終えて実家に戻っており、彼の顔を見に帰省するのも悪くない。しかし 2人とも商売をしているから、GW はまさに稼ぎ時であり忙しいかもしれない。

家が商売をしていたため、週末や祝祭日に休んでしかるべき・休まないのはおかしい、という意識が私には極めて希薄であり、これは弟や妹も多かれ少なかれ同じであろうと想像している。商いというのは右から仕入れた商品を左に流して利ざやを稼ぐ行為であり、収入の本質は手間賃である。だから商人という存在は歴史的に軽んじられてきた。現代の日本ではそういうこともなくなったが、色々と世の中が便利になり、手間賃を他人様から頂戴するにはよほどの便宜を計らなくてはならないようになった。皆様がお休みになられる日に店を開けて働くのは最も基本的な利便性の提供であり、商人が土日祝祭日に休むことなど許されない。

現代の研究は税金を初めとする他人様の金で行われることが一般的である。研究をして給料を貰うようになって 3年ほど経つが、いまだに私は、真っ当な資本主義経済に参加していないという劣等感から逃れられずにいるし、休日に羽を伸ばすことの罪悪感を拭うことができないでいる。損な性格だとは思うが、生まれ育つ過程で骨の髄まで染み込んだ労働観や金銭観を覆すことなど到底できそうにない。

「GW は○○へ遊びに行こう!」という惹句を見て私が想起するのは、GW 中に○○で働き、サービスを提供する側の人々のことである。少し前に「店員に『ありがとう』という人について」という話題が一部で盛り上がったが、私は必ず「ありがとう」「御馳走様」というタイプの人間であり、これまでそれが当たり前だと信じて疑ったことはなかった。この「ありがとう」議論については、そのような議論が成り立つこと自体に驚愕したものだった。私はそういう視点でしか社会を見ることができないのである。

理系 - 文系の間に横たわる大きな溝については様々なところで語られているが、商売 - 非商売の間にも巨大な隔壁が存在すると私は以前から思っている。なので、簡単に問題提起をしてみた。

以前にも少し書いたが、しかしこのことについては、これ以上話すことはないし、理解されたいとも思わない。また言うまでもないが、休日を楽しんでいる人を否定しているわけでもない。