- Diary 2008/03

2008/03/30/Sun.

京都に帰ってきた T です。こんばんは。

研究日記

11時頃起床。こんなに寝たのは久し振りだ。博多はあいにくの雨。Dr. ヒゲマンに最寄りの駅まで送ってもらう。お世話になりました。感謝!

京都でも様々な学会が開催されている。というわけで、皆様も京都に御用の際は御連絡下さい。我が家なら 2人くらいは余裕で泊められるし、京都大学にも京都国際会議場にもアクセスしやすい。遠慮なく御利用を。

2008/03/29/Sat.

学会で発表してきた T です。こんばんは。

研究日記

8時に起床。NHK の連続テレビ小説 (?) の最終回だか何だかを観る。微妙な関西弁だったことしか記憶にない。

Dr. ヒゲマンと共に出勤。氏はラボで実験だとか。頑張るなあ。私も学会場へ。午前中のセッションを聴講し、昼は会場に隣接する海浜公園のようなところをウロウロする。花粉症がヒドくて往生した。午後一番のセッションで発表。幾つかの discussion を交わしたが、1つだけよく聞き取れなかった (発表も質疑応答も英語) 質問があり、それには適当に答えてしまった。質問者の表情を見た限り、完全に的を外していたように思われる。

夕方から天神に移動。ラボの打ち上げ。M先生夫妻、大学院の K先生、ラボの OB の Y先生、研究員君とともに魚、活きイカ、モツ鍋などを食べる。ボスも来る予定だったのだが、体調不良で欠席。腹の調子が悪いとか何とか。また胃腸がやられているのか……。

打ち上げ終了後、Dr. ヒゲマンと合流し、適当なバーで少し飲む。24時に閉店。タクシーで帰宅。それから 2時半頃までアレコレと語る。

2008/03/28/Fri.

博多に行ってきた T です。こんばんは。

研究日記

博多で開かれる学会に参加するため、午前中に新幹線に乗り込む。学会で福岡に来るのは今回が初めてで、これは自分でも意外に思った。

博多駅で天麩羅を食べてから、シャトルバスで会場へ。登録を済ませ、口演発表を聴講。夕方からはポスターセッションに赴く。大学院の K先生の発表を聴いて、本日のプログラムは終了。

博多駅に戻り、地下鉄で天神へ。ブラブラと歩いて時間を潰す。先週、Dr. ヒゲマンが「博多には美人が多い」と言っていたが、確かにそのような気がする。博多の中心部は高度に都市化していおり、私が思っていた以上に垢抜けた感じだった。古代から海に面して開けているという、歴史的・地理的な要因が大きいのかもしれない。街の大きさはそれほどでもないが、それ故に住みやすそうな印象を持った。神戸に似ているかもしれない。

仕事が終わった Dr. ヒゲマンと合流。天神の魚屋に案内してもらった。肴をつつきながらアレコレと話す。私の学会発表が明日なので、今夜は 1軒でお開き。地下鉄で Dr. ヒゲマン邸へ。氏らしい、相変わらずの小綺麗な部屋だった。24時頃には就寝。

2008/03/27/Thu.

MHP2G を買ってきた T です。こんばんは。

研究日記

テクニシャン S嬢が本日をもって退職する。彼女は私と同じ 2005年度に雇用されたが、当初は大学で、留学された先生と仕事をしていた。彼女が大学から病院に移ってきたのは、病院のラボの立ち上げが一段落した 9月になってからのことだ。私とは 2年半、一緒に仕事をしたことになる。非常に実験が上手で、私も随分と助けてもらった。彼女との仕事は、彼女の退職前に論文としてまとめることができた。したがって心残りはないが、やっぱり寂しいものである。

テクニシャン K嬢、研究員嬢、大学院の K先生と一緒に、皆で最後の昼食を摂ってきた。ラボのメンバーに寄せ書きをしてもらった色紙も贈った。新しい土地、新しい職場でも頑張ってほしい。

お疲れ様でした。

2008/03/24/Mon.

今年も桜の写真を撮る予定の T です。こんばんは。

K先生の退官祝賀会の折りに撮影した桜の写真を 2枚。

桜

桜

あと、Dr. A と私の年齢差についての真相はリンクを参照。

2008/03/23/Sun.

やりたいことは口にするタイプの T です。こんばんは。

書くのを忘れていた。昨日の K先生退官祝賀会で、N.N.嬢が結婚の報告をしていた。おめでとう。彼女は学生の頃から、「30歳までには結婚する」と呪文のように唱えていた。来週の誕生日 (彼女は私の 2歳上だから 29歳になるはず) に入籍するというから、めでたく希望が叶ったわけである。やはり自分の望みは言葉にするべきものだなあ。

あくまで印象だが、研究をしている人は口癖のように「研究、研究」と言っているように思う。俺もそうだし、周りの多くの人も同様だ。

昨日の話を続ける。私の後輩にあたるチェリー嬢は 4月から京都で大学院生となる (研究科が私と同じだからここでも後輩ということになる) わけだが、幹細胞の研究がしたいらしく、しきりにその話をしていた。こういう人は実際に行動を起こす。彼女の話はピントがズレている部分もあったが、それは大した問題ではない。まだ学部を卒業したばかりの彼女の視野は、これから知識と経験を積むことによって広がり、焦点は精度を増すだろう。重要なのは、見たいものを見ようとする姿勢である。鶏と卵のような話だが、望むものを見たいなら、まずは望まないといけない。最初は何でも漠然としているものだ。と、私自身への戒めとして書いておく。

就職する S君も引っ越しの話をしていた。今日だけでも、新大学生、新社会人の引っ越しを何件も見かけた。私の隣にも誰かが引っ越してきた。朝から大変だよなあと思っていたら、わざわざ引っ越しの挨拶に来てくれたので驚いた。自慢じゃないが、俺は引っ越しの挨拶をしたことがない。してもらったこともない。引っ越しの挨拶をしたという友人を見たこともない。学生や単身者のアパートでは、引っ越しの挨拶など無用の気遣いとして絶滅したものとばかり思っていた。4月から大学生になるという、その女の子から貰った洗剤を見ながら、次に引っ越したときは俺も挨拶をしようかな、と考えた。

以下は余談。隣人となる女の子はなかなか可愛かったのだが、かなりの確率でこの娘は平成生まれなんだよなあ、と思うと物凄い違和感を覚えた。

ところで、私の住まうアパートは、近くの大学生しか入居を認めないことになっている。就職のために京都に来た私がこのアパートに入居できたのは、仕事が研究だったからだ。大家が妙に喜んでいたのが不思議だった。勉強や学問ができるからといって、彼 (彼女) が良い居住者かどうかはわからない。しかし近似的には、恐らく知性とマナーは比例しているのだろう。それが大家の経験知に基づく臨床的知見であるのなら、私はその判断を尊重する。図らずも、今では私も学生となってしまった。大学院を修了するまではここで暮らそうと考えている。

2008/03/22/Sat.

学部・修士で御指導頂いた K先生の退官記念祝賀会に出席した T です。こんばんは。

早めに起きて京都駅へ。土産を買ってから新幹線に乗り込んだ。

私が 6年間を過ごした街は大きく変貌していた。前回の訪問は 2005年 12月だから、この街を歩くのは約2年ぶりである。町並みだけではなく、キャンパスも小綺麗になっていて、どこぞの私立大学かと思った。近年、どの街、どの大学も似たような貌になりつつある。「学舎」という古き良き単語は、その実態とともに急速に廃れつつあるなあと感じたが、これには多分に個人的な感傷が含まれている。もちろん、変貌もノスタルジーも否定はしない。ただ、やはり少し寂しいことには変わりない。

ラボには昼頃に着いた。同期の留学生 F氏改め Dr. F、幹事の S君、初対面となる学部生数人、そして K先生の姿があった。連れ立って生協で昼食を摂る。懐かしい味だ。既視感という言葉はあるが、既聴感、既味感、既嗅感、既触感という言葉はないなあ、などと考えながら食べた。

K先生の部屋でコーヒーを啜りながら雑談に花を咲かせる。先日お送りした私の論文を随分と褒めてくれたのが嬉しかった。就職をして、研究をして、論文をまとめて——、その過程で随分と私も変わった。学生の頃は生意気ばかりを言って御迷惑をおかけしたなあと、ただただ頭が下がるばかり。

K先生の退官に伴い、ラボは解散というか何というか、とにかく後から誰かが部屋を使う予定は今のところないという (人員削減のため新たな教官の着任はないらしい)。高価な実験機器、貴重なサンプル、汎用的な器具類、数々の事務用品——、1つの歴史あるラボを構成するこれらの物品はどうなるのだろう。来週には卒業式もあり、ラボのメンバーは新しい生活に向けて動き出す。現在の私の出発点がこのまま消失してまうのかと思うと、やはり色々と考えてしまう。このことについては後段で補足する。

Dr. A が奥様と娘さんを連れて来られた。中庭で逸早く咲いている桜を背景に記念写真を撮影。まったりとした中庭の雰囲気は変わっていない。

余談になるが、Dr. A の奥様は、私と Dr. A の年齢差が 2つくらいであると思ったらしい。どう計算しても 8つです。本当にありがとうございました。……いや、待て、逆に考えるんだ。それだけ Dr. A、つまり自分の旦那が若々しいと言いたかったのではないか? どう考えてもノロケです。本当に御馳走様でございました。

時間が来たので会場となるホテルへ移動。ロビーで K君と合流。彼が Dr. A のお嬢さんを眺める目付きを見て、社会の安寧のため、そして不肖の先輩として、いつか必ず彼には誅を下さねばならぬという決意を新たにする。

会場に続々と人が集まってくる。Dr. T、Oh!氏、お魚女史、Dr. ヒゲマン、N.N.嬢、O君などなどの一緒に研究をした面々。それから、かねてより噂を伺っていた先輩方。研究をしている、あるいは広い意味で研究と関係のある仕事に携わっている多くの方々を見て、改めてこのラボの濃さを感じた。

形式ばらない、和やかな雰囲気で会は進行した。参加者全員の近況報告の後で、K先生が最後のスピーチ。「ラボはなくなるが、これを『背水の陣』と思って、それぞれ独立して頑張って下さい」という言葉が身に沁みた。研究をしている面々には、特に重たい言葉である。

ホテルでのパーティを終え、二次会が開かれる居酒屋に移動。雑談を諸々。

初対面のチェリー嬢は、4月から京都で大学院生となるらしい。幹細胞をやりたいという彼女の引っ越し先は、我が家の目と鼻の先。確かに、大学に通おうと考えて下宿を探したらこの辺りになるよな。

O君は MHP2G を購入して Xlink Kai に接続したら私に連絡すること。

来週末、私は福岡の学会に参加するので、Dr. ヒゲマンは私を部屋に泊めてくれること。

その際は K君も博多に馳せ参じること。

Dr. A は教授になったら私を雇うこと。

——などなどを約束してもらった。とても嬉しい。これも全て K先生の人徳のなせる業である。

御退官おめでとうございます。

2008/03/21/Fri.

試行錯誤が系を最適化の方向へ導くのは何故だろうと不思議に思う T です。こんばんは。

よりメタに考えれば、試行錯誤というのも一つの「方法」にしか過ぎなくて、例えば「とにかく現状を保守しながら待ってみる」という選択肢もあり得る。

試行錯誤が最善ではないにしろ「良い」方法であるという判断は、どのような根拠から来るのだろう。また、試行錯誤した結果を検討して「良い」方向に漸進できるのは何故だろう。「良い」「悪い」の評価ができるのであれば、最初から最適な方法を選択できそうなものだが、それが難しいのはどうしてだろう。俺達は不完全にしろ枠組みを知覚している。そこから全貌を推測する、もっと優れた方法はないだろうか。

優秀な人間は、このあたりのステップをショートカットしているような気がする。

それから、俺達にとって時間が不可逆であるということ。

——ちょっと断片的に過ぎるな。

研究日記

若い人間で、テクニシャン S嬢と隣のバイト嬢の送別会。参加者はテクニシャン K嬢、研究員嬢、隣の研究員嬢、隣のバイト君。

2人の新しい生活に幸あれ。

Web 日記

ブックマーク (クリッピング) サービスを「お気に入りリスト」として使うか、あるいは「読んだページの履歴」として使うかは思案のしどころだ。今日は「履歴」を意識してブックマークしてみたが、何だか無駄な行為であるような感想を抱いた。それでは「お気に入り」としてはどうだろう。今度はクリップする・しないの線引きが難しくなる。点数で段階的な評価をするにしても、はてなブックマークでは rating ができない。しかしこれは、rate を示すタグを自作することで解決できる。

とはいえ、rating にしろ categorize にしろ tagging にしろ、必ず既存の線をまたがる灰色の存在が現れる。これをどうするかというのは、コンピュータ上の作業における永遠の課題だ。逆にいえば、この Gray Fox がいる限り人間の仕事はなくならない、ということでもある。

あらゆる線引きを必要としない思考は存在するだろうか? その答えは不明だが、少なくとも言語に依存した思考体系では無理な気がする。

宿題

「日記に愚痴は書くまい」とは何度も思った。が、「なぜ日記に愚痴を書いてはいけないのか」ということについては論理武装をしたことがない。「愚痴を書いた方が良いときもある」という反例が 1つでもあれば、この命題は否定される。恐らく反例は簡単に見付かるだろう。それでも書かない、というのであれば、それは倫理観や美学の問題となる。無論それでも構わないが、少なくとも自覚的ではあるべきだし、筋を通す必要もある。「とにかく〜なのだ」といって思考停止をするくらいなら、そもそも日記を書く意味がないわけだし。

2008/03/20/Thu.

散髪をしてきた T です。こんばんは。

研究日記

午前中に来週の学会の予演。来年度からの計画を少し。ボスは明日、研究費の申請で厚生労働省に行くらしい。

その後、ボスの希望で、京都駅にて昼食。ラボに戻って Western。結果は明日。再現性を取る実験だから、概ね予測はできるけれど。

2008/03/19/Wed.

話に付いていけない自分を楽しむことができる T です。こんばんは。

ここ数ヶ月は水曜日を『相棒』というテレビ番組の放映日として認識しているが、もちろん俺がこの番組を視聴しているわけではない。遠方から通勤しているテクニシャン K嬢が楽しみにしているのだ。水曜日はこの事実を心に留め置いて実験を組まねばならぬ。

「相棒」という単語は定期的にどこかで見かけるのだが……、と思ったら元部長氏の日記だった。氏の日記では相棒という単語が括弧でくくられていないことが多く、俺はずっと一般名詞として認識していたので、これまで出現の定期性と水曜日の『相棒』が結び付いていなかったのだ。もう惑わされないぞ!

余談になるが、氏の日記に登場する「相棒」を、俺は氏の友人だと思っていて、なるほど変わった人がいるものだと楽しみに読んでいたのだが、もうそのような愉快な誤読はできないのだな。何だか悲しい。

ちなみに『相棒』は今週が最終回らしい。

2008/03/18/Tue.

昨夜の焼き肉で胃がもたれている T です。こんばんは。

研究員嬢も同様の症状に見舞われているらしい。「年を感じます」と言っていた。同感である。

ゲーム日記

ゲームの定義に関する諸問題についてしつこく考えている。別にゲームを擁護するためではない。巷間のゲーム批判に見られるような、ロジカルではない言説が気持ち悪いだけである。

ところで、キーボードのキーやピアノの鍵盤って要するにボタンだよな。複数のボタンからなる入力インターフェイスという具合に考えると、楽器の演奏もゲーム (特にアクション・ゲーム) の操作もあまり変わらないような気がしてきた。以下はまたしても宿題。

蛇足になるが、私はゲームと演奏、あるいはゲームとスポーツを同じように扱いたいわけではない。分離したいわけでもないけれど。単に、言葉で差異を定義しようとすると意外なほど困難であるという確認をしている。

批評、特に批判的なそれをするときには、この作業が欠かせないと思っている。二次的な表現である批評に創造性があるとすれば、この点にこそであろう。

2008/03/17/Mon.

今週は宴ラッシュの T です。こんばんは。

研究日記

今月いっぱいで退職するテクニシャン S嬢の送別会。肉好きの彼女のリクエストで、焼き肉にて開催。参加者はボス、大学院の K先生、研究員嬢、テクニシャン K嬢。

S嬢の引っ越し先は関東なのだが、食事が口に合わなかったらどうしよう、というのが大半の人間 (K先生以外は関西人) の心配事であった。それこそ肉一つにしても、関東の「〜〜牛」なんて聞いたことがない。麺などもドス黒い汁に浸っているんだろうなあ。おおイヤだ。

2008/03/16/Sun.

賃金は、雇用者と被雇用者の間に存在する唯一の真実だと思う T です。こんばんは。

派遣労働の問題は、その安定性云々よりも、この真実への到達が間接的にならざるを得ない部分にあると思うのだが、まァそれは別の話。今日はボランティアについて書く。

病院には「ボランティア職員」という制度 (?) がある。近隣在住と思われる老年の方が「ボランティア」の腕章を付け、外来患者の案内だとか、ロビーで暇を持て余している入院患者の話し相手などをしている。ボランティアというからには無償なのだろう。それでも老人達は嬉々として働いている。長い人生を過ごしただけあって、人間のあしらい方は若者の及ぶところではない。貴重な人材だと思う。

以下は私の妄想である。ボランティアに来ている老人達は、経済的にはまずまず裕福なのであろう。また、毎日元気に動き回れるほどには健康である。病院を訪れる人間のかなりの部分が、彼らと同年代の老年である。患者だから、アチラの具合が悪かったり、コチラの調子が良くなかったりする。この状況は、ボランティア老人の優越感をくすぐるだろう。この病院が名の知れた施設であるという事実が、その優越感を助長する。老人はこの種の権威に弱い。病院側もそのことを知っているからこそ、ボランティア制度を始めたのだろう。悪いことだとは思わない。誰も損をしていないのだから。

本当だろうか? ボランティア制度がなかったら、あるいは誰もボランティアに来なかったら、病院はロビーの案内役を、給料を払って雇わなければならないはずだ。一人の老人のボランティアが、一人分の雇用を消滅させたわけである。極端な話、余裕ある老人が無償の (あるいは低価格の) 労働力を提供することは、技術も経験もない若者の雇用に対するダンピング行為であると言えはしないか。この仮説については、もう少し考えられても良いと思うのだが、あまり話題にならない。

老人は働くな、と主張しているわけではない。彼らは私達とは比べ物にならないほどの経験と見識を持っている。だからこそ高給で雇うべきであるし、老人達もまた、自分を安売りせずに報酬を主張するべきだ。そして、人材を望み、それに見合う対価を支払える組織が彼らを雇用すれば良い。これならば (成長可能性と低賃金をアピールできる) 若者との競争が成立する。

ボランティアは美徳であるが、隠居もまた美徳である。どうも最近、前者ばかりが持ち上げられているような気がするんだよね。昔の大人は、優秀な若者が現れると、若くても隠棲して跡を譲ったものだ。ボランティアをする余裕があるのなら、隠居もまたできるはずだ。あるいは、競争原理が働かない分野でのボランティアというのもあり得る。難しい問題だとは思うけどね。

2008/03/14/Fri.

好きなサイトが更新されていないと寂しくなるので、せめて自分の日記はできるだけ更新しようと心がけている T です。こんばんは。

俺がいつも日記を「こんばんは」で始めているのは、俺の好きだったサイトがそうしていたからだ。夜を待ってそのサイトにアクセスしてみると、必ず最初に「こんばんは」とあり、その下に新しい、しかも愉快な日記が続いているのだ。有名でも何でもないサイトだった。ネタがあり、論考があり、日常生活があり、ときに愚痴があるという、ネット上に腐るほど存在するありふれた日記だったが、俺には妙に面白く思えた。長らく読み続けていると、自分もその場その場の出来事に居合わせていたような気持ちになってくるから不思議なものだ。もちろん、俺が勝手に親近感を抱いていただけなのだが。俺はその日記にコメント一つしたことすらない。

随分と以前の話である。今はこのサイトはない。もう少し積極的にコンタクトを取っておけばなあ、と後悔しても全ては後の祭り。かの筆者が今どこで何をしているのか、俺には知る由もない。知ってどうするというわけでもないが、自分を楽しませてくれた文章を書く人間がどのような日々を送っているのか、やはり興味がある。そこに得るものがあるだろうという予感は拭い難い。

特に高名ではないサイト、自分が見付けて面白いと思った日記——、こういった存在に遭遇して自分だけの密かな付き合いを始め、続けるという行為は年々少なくなっている。Blog が普及してから、サイトはエントリー単位で評価されることが多くなった。ここ数年で閲覧者の平均的な情報収集能力は飛躍的に高まり、独自の境地を開拓している秘境のようなサイトも瞬時かつ広範囲に知られるようになった。自覚的に遮断しなければならないほどに流れ込んでくる断片的な情報の中で、細長い糸のような可能性を俺達は見失いがちだ。自分が面白いと思えるものを自分で発見するのはとても難しい。

頭や眼が濁ってくると、とんでもない錯覚に襲われる。本当にそれを面白いと思っているのかな? それは本当に自分で考えたことかね? 自分の妄想が自分にとって一番面白いのは当然のことのようだが、この桃源郷を維持するのは意外と難しい。ましてや他人に提供できるものなんて、とてもとても。

2008/03/13/Thu.

いつものごとく下らないことを妄想している T です。こんばんは。

「この事件の解決に有益な情報を提供した方には懸賞金!」みたいな張り紙を見ながら考えたこと。

  1. 犯人がこの張り紙を見て自首する。
  2. 犯人「私がやりました」
  3. この情報は事件を解決する。
  4. この情報を提供したのは犯人である。
  5. 犯人「懸賞金を下さい」

2008/03/11/Tue.

スチュアート・カウフマン『自己組織化と進化の理論』を読んでいる T です。こんばんは。

まだ 4割ほどしか読み進めていないのだけど、忘れない内にメモ。

ここから誰もが考えつくことは (俺がまだ読んでいない部分で既にカウフマンが言及しているかもしれないが)、

で、1つのキャッチーな仮説として、

2008/03/09/Sun.

MHP2 を再開したい衝動に襲われている T です。こんばんは。

研究日記

病院で実験。

今日も少し進展があった。嬉しい。

今も世界のどこかで小さな (あるいは巨大な!) 発見があったであろう、という妄想はいつも俺を励ましてくれる。人類って偉大だよなあ。そう思わずにはいられない。俺達の知見は大腸菌のコロニーのようにゾワゾワと増殖し続ける。頼もしい限りだ。

抽象的な話になるが、buffering や冗長性というものは、要するに「余裕」のことであろう。例えば、俺が死んだところで、その事実が社会に与える影響はゼロである。俺の死によって、ラボの仕事は支障を来すかもしれない、研究所の担当箇所には若干の迷惑がかかるかもしれない、しかし学会には何の損失もないだろう。なぜなら、世界には数多の研究施設があり、その中に沢山の研究室があり、そこで数多くの研究者が働いているからである。そういう余裕が社会にはある (今の日本からは失われつつあるが)。

自分は交換可能な歯車に過ぎないのだ、といって嘆くメンタリティは俺にはない。俺達の自由を担保しているのは、まさにその交換可能性なのだ。「君のことなんてどうでも良い。だから好きにしたまえ」。かくも自由とは無惨で冷酷である。それとも、「君が居てくれないと困るのだ」——そう言われて縛り付けられることを望むのか。無論、それはそれで素敵なことである。

話が逸れた。一所懸命に働いているアリは、働きアリ全体の 20% ほどであるという。これは一種の buffering に他ならない。全員が全員、しゃかりきになって働かなければ立ち行かないという社会には余裕がない。僅かな損害で一気に崩壊する恐れがある。

Buffer の量が大きければ大きいほど、系の安定性は増す。しかし buffering にはコストもかかる。また、安定性が高いということは、反応性が低いという意味でもある。

段々と意味不明になってきたので止める。とまれ、「自分はこの世界において何者かであらねばならぬ」という使命感と、「自分はこの世界において何者でもない」という安心感は、奇妙な形で俺の内に共存する。それは、意図的な視野の混同による欺瞞ではないのか。そういう危惧を覚えないでもないが、今は気にしないことにする。

2008/03/08/Sat.

欠けた歯が気になって舐め回していたら舌がズタボロになった T です。こんばんは。

研究日記

病院。

実験で良い結果を得る。土日に進捗があると嬉しい。世の優秀な人達は、このような秘密の愉悦とともに先頭を走っているのだと思われる。私も努めなければ。日本人は「人知れぬ努力」が好きだが、その裏にある隠微な快楽についてはあまり語らない (あるいは知らないだけなのかもしれないが)。確かに、このニヤリ感を大っぴらにするのは日本人の美風から外れる行為ではある。

少し話は変わる。「発見」が持つ麻薬的魅力についてもあまり触れられることはない。偉人伝に書かれる発見の物語は、大いなる感動、驚嘆、歓喜を活写するが、その背後にある恍惚的な感情は表に出してこない。だが、発見の本当の魅力 (と少ない経験で私が思うもの) は、「このことを知っているのは世界にこれまで存在した人間の中で俺だけなのだ」という、強烈に満たされた独占欲である。その瞬間に限っては、その発見が重要であるかどうかは副次的な要素に成り下がる。で、ニヤリとする。

Negative data も、「それが negative であること」を誰も知らない、という意味では発見である。そう考えると幾分救われる。否定的な条件を潰すことによって positive な結果、いわゆるところの「発見」に辿り着くわけだが、positive data はいずれ発表されて誰もが知るところとなる。逆に、negative data は墓場まで自分だけのものだ。表には出てこないが、私達全ての愛すべき友である。

2008/03/06/Thu.

これが自分の専門、といえるものをまだ持っていない T です。こんばんは。

「好きな女優は蒼井そら!」と電車の中で宣言している男子高校生を見た。いや、それは公衆の前で、しかも大声で言うことじゃないから。「蒼井優」の間違いなんだとは思うが、それにしても。

書斎

研究日記

昨夜のセミナーは development に関する研究発表だったのだが、「だから何?」みたいな反応があって面白かった。医者が相手をするのは "developed" な個体である。患者の失われた function をどう補填するか、あるいは恢復するかが重要なのであって、dysfunction の原因はもちろん大切なのだけれど、それが必ずしも治療に役立つとは限らない。例えば、development の過程にのみ現れる遺伝子を医療の標的とすることはできない。

話を変える。「専門バカ」は、少なくとも専門領域に関しては professional である。専門バカになるのも大変なのだ。専門バカを批判する人というのは何者なのだろう。専門家ですらないのか。それは単なるバカだ。

ところで、"generalist" は「専門バカ」の対義語ではない。「複数の専門領域に深い造詣を持つ者」のことである。したがって generalist も、少なくとも一度は専門バカの道を辿っているはずである。

これまた話は逸れるが、中島敦『名人伝』に登場する弓の名手は、また別の意味で専門バカといえる。

「ああ、夫子が、——古今無双の射の名人たる夫子が、弓を忘れ果てられたとや? ああ、弓という名も、その使い途も!」

その後当分の間、邯鄲の都では、画家は絵筆を隠し、楽人は瑟の絃を断ち、工匠は規矩を手にするのを恥じたということである。

(中島敦『名人伝』)

これはこれで困る。

2008/03/03/Mon.

「常に何かの論文にタッチしている状態じゃないと」という言葉が身に沁みる T です。こんばんは。

研究日記

夜はセミナーで発表。ES 細胞のプロジェクト 2件について。

特に newie のない、ある意味では堅い話が 1つと、面白い現象なんだけど、その機序を説明するのが難しくて行き詰まっている話が 1つ。どちらも微妙といえば微妙なんだが、これ以上労力をかけても収穫に乏しそうなので、短くまとめて投稿しようという結論に至った。

全ての仕事が思ったような形で仕上がるわけではない。厳しい。まことに厳しい。しかしクサることなく、微妙だったならば「微妙でした」と報告すれば良い。というか、そうするしかない。いつか他の人が別のアプローチで切り込むかもしれない。いつか技術の進歩が問題点を突破するかもしれない。"On the shoulders of giants"。我々には報告の義務がある。

セミナー後、ボス、秘書女史、大学院の K先生と焼鳥屋へ。ボスは「鶏の皮はコレステロールが高い」と言いながら、皮の唐揚げを貪っていた。身体に悪いものほど旨いんだよなあ。

2008/03/02/Sun.

一度で良いから、「あまり私を怒らせないほうがいい」と言ってみたい T です。こんばんは。

以前に、プーチン大統領と、麻生太郎外務大臣の「あまり私を怒らせないほうがいい」の画像を紹介した。今日は、石破茂防衛大臣バージョンを 2点。

石破茂「あまり私を怒らせないほうがいい」

石破茂「あまり私を怒らせないほうがいい」

shuraba.com は石破茂防衛大臣を応援します。いやマジで。