- 快感としての排泄

2008/04/18/Fri.快感としての排泄

下品な話が好きな T です。こんばんは。

散漫に尾篭な話を書く。

風邪の症状は治まらず。鼻水をパタパタと垂らしながらデスク・ワークをする。辞書を引くと "deskwork" と "desk work"、2種類の記述が出てくる。Google で検索してみると "desk work" の方が圧倒的にヒットが多い。使用頻度を量的に把握する目的で検索サイトを使っているのは俺だけではないはずだ。

「白痴的である」ことを示す漫画的な記号として、「鼻水を垂らしている」という表現がある。あれの原典は何だろう。赤塚不二夫のハタ坊あたりだろうか。しかし改めてハタ坊の画像を見てみると、彼は鼻水を垂らしてはいない。鼻と唇を結ぶ 2本の線は鼻水ではなく、どう見ても人中である。記憶だけで適当なことを書いてはいけない。調べてみるものだ。

年少の頃はいわゆる青っ洟で、鼻水にもやたらと粘性があったが、最近は水っ洟になってしまい、タラタラと流れるように垂れてくる。白血球が減ったからか。これは一般的な現象なんだろうか。「精液と一緒だな」というオヤジ・ギャグを思い付いたが、あまりにも下品なので中高年の方々に贈呈することにしておく。

「鼻をかんだ後でティッシュに出した鼻水を確認するか否か」についてはいずれアンケートを取ろうと思っている。俺は確認する。テクニシャン嬢達も確認するらしい。普通は確認すると思うのだが、どうだろう。「尻を拭いた後でトイレット・ペーパーに付着した便を確認するか否か」についても調査したいが、これはさすがに気が引ける。

肛門期という言葉があるように、排泄は基本的に快感である。少年達が熱心に鼻クソや耳クソをほじるのは、それが小児的快感と直結しているからだ。デカい鼻クソが取れたり、大きな耳クソを壊さずに取り出せたりしたときは達成感もある。排泄量と快感の強さには恐らく正の相関がある。大小便、目クソ鼻クソ耳クソ、鼻汁、精液、皆しかり。酒を飲む人ならば、盛大に嘔吐したときの奇妙な清々しさも知っているはずだ。胃液しか出ないような吐瀉に快感はなく、ただ苦痛なだけである。

店を閉めていた職場近くの飲み屋が、来週に新装開店するらしい。来週末には一度行ってみようということになった。

夜は O君と、1時間ほど Skype/Kai で MHP2G を遊んだ