- お金では気持ちを表現できない、というのは嘘だ

2007/12/20/Thu.お金では気持ちを表現できない、というのは嘘だ

金銭で表現された気持ちを理解できない人間は、物心ともに貧しいと思う T です。こんばんは。

昨日の続きだが、ちょっと遠回りしながら書く。

私の実家は商売をやっている。個人経営、というよりは少し規模が大きくて、といっても 3店舗ほどの絵に描いたような小企業なのだが、ともかく、その長というのが祖父や父の仕事であった。このような環境で生まれ育ったこと、にも関わらず私が家業を継がずに研究という仕事をしていること、これらは私のアイデンティティの最も根幹を形成する要素なのだが、通り一遍以上の説明は誰にもしたことがないし、これからもするつもりはない。本当に個人的なことは語り得ぬものだし、そもそも語りたいという欲求も、理解されたいという願望もない。

さて、ラボの経営、統率、運営というのは小企業のそれに似ている。ラボのボスと小企業の社長はよく似ている。私にはこのことが比喩ではなく、実感というか皮膚感覚で理解できる (つもりでいる)。だから「給料の財源」「消耗品と人件費」という話は私にとってほとんど生理的な興味なのだが、こういう話を例えば研究員嬢にしても今一つピンと来ないようである。ボスあたりに話を振ると、「オオわかってくれるか」的な反応が返ってくるので、私の焦点はズレてはいないように思う。かといって、研究員嬢がボンヤリしているわけではない。私が特殊なだけである。

私は今、テクニシャン嬢達 2人と実験 + α に従事している。ボスは私に仕事の大まかな指針を与えるだけで細かいことは一々指図しない。当たり前といえば当たり前なのだが、これはなかなかできることではない、という気もする。私およびテクニシャン嬢達 2人の給料、そしてこの 3人が実験するための費用を考えると 100万円/月あたりが一つの目安となる。非常に極端な表現をすると、私はボスから月間 100万円を委託されて仕事をしているともいえる。外部の業者と 100万円/月の委託研究を契約することを想像すると、ボスの太っ腹がよくわかる。普通なら、もう少し口を挟みたくなるものではないだろうか。あるいは、私ではなくもう少し能力のある人間に任せたいと思うのではなかろうか。金が唸るほどあるというのならともかく、我がラボはそこまで裕福ではない。また、無料の労働力である大学院生が存在する大学のラボでもない。

ボスが私に寄せている信頼や期待がどれほどのものであるのか、本心のところはわからないが、少なくとも金額をベースに忖度することはできる (そして、ただ「雇われている」人間はこういう想像ができない)。したがって私はボスに感謝すると同時にボスを畏怖もする。仕事に責任を感じるとともに恐怖を覚える。とても恐ろしい。

そして、私が感じている以上の重圧を父やボスが背負っていることは間違いないわけで、その責に思いを馳せるだけで胃が痛くなってくる。だから私も頑張る、というのはもちろん論理の飛躍である。別に共感してほしいとは思わない。