- 『大本営発表という権力』保阪正康

2008/09/07/Sun.『大本営発表という権力』保阪正康

権力による情報統制・情報操作という意味で、現代でも「大本営」「大本営発表」という表現が使われる。しかして実際の大本営発表とはいかなるものであったか、これを正確に知っている人間は少ないのではないか。

大本営発表とは何か

そも大本営とは何であるか。法律では下のようになっている。

昭和に入って、日中戦争が始まってから四ヶ月後の昭和十二年十一月に前述の戦時大本営条例に代わって新たに大本営令(勅令第六百五十八号)が裁可された。「戦時又は事変に際し(大本営は)設ける」ことができることになったのである。この大本営令は三条から成っていて、第一条には「天皇ノ大纛下ニ最高ノ統帥部ヲ置キ之ヲ大本営ト称ス」とあり、天皇の大権である統帥権を戦時、あるいは事変時に陸軍と海軍が共通の組織(これが大本営というのだが)をもって戦略案や戦争遂行計画を練ることが明記される。

(第二章「大本営発表という組織」)

しかし、実態は望まれたものとは異なっていた。

大本営といってもその実体はあまりにも曖昧で、その内部には陸軍と海軍の日々の調整機関もなければ、統一した見解を打ち出す機関もなかった。参謀本部[陸軍]も軍令部[海軍]もそれぞれ別々に天皇に戦略や戦果を伝え、天皇が結果的に調整するケースもしばしば見られた。

(第二章「大本営発表という組織」、[]内引用者、以下同)

大本営発表を起草するのは大本営報道部であるが、これも陸軍報道部と海軍報道部に別れている。相互の発表は事前に回覧されるようになっているが、それも陸軍と海軍の対立抗争を煽っただけのようである。文言のささいな表現を巡って何時間も議論を重ねたり、あるいは相手より優位に立たんと戦果を過大に粉飾して報告するようなことが日常的に行われた。

ケッサクなのは、台湾沖航空戦の虚報である。昭和十九年十二月の台湾沖航空戦において、大本営海軍報道部は、日本海軍航空部隊がアメリカ海軍の「航空母艦十一隻」を「轟撃沈」したという発表を行った。これは虚報なのであるが、その頃にはもう天皇にすら正確な報告がなされていない。この嘘の戦果を喜んだ天皇は、軍に感謝の勅語を下賜してしまった。

富永書(『大本営発表の真相史』)には、さすがに大本営海軍報道部のなかでも「(真相がわかるにつれ)戦果訂正の意見も出たが、勅語も出ていることなので今更何ともならないことだった」とあるのだが、このことは図らずも天皇に真実を伝えていなかったことを裏づけている。

(第二章「大本営発表という組織」)

さらに問題なのは、

台湾沖航空戦の真実を、海軍側は陸軍側に伝えなかった。そのことを堀[栄三による『大本営参謀の情報戦記』]は、

「デタラメ大戦果発表を鵜呑みにした陸軍が、急遽作戦計画を変更して、レイテ決戦を行うハメに陥るのであるから、海軍航空戦の戦果の発表は、地獄への引導のようなものであった」

と怒りの筆調で書いている。虚構の大本営発表が、実は十万、二十万という単位で日本軍の将兵を死に至らしたという現実、それは大本営発表そのものの罪悪であるといってもいいわけである。

(第二章「大本営発表という組織」)

何のための大本営であるのか。そう思わざるを得ない。

大本営発表の虚構世界

しみじみ思うのだが、大本営発表は名文であり名調子である。以下、真珠湾攻撃(昭和十六年十二月八日)の大本営発表を追ってみる。

第一回 大本営陸海軍部発表(昭和十六年十二月八日午前六時) 帝国陸海軍は今八日未明西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり

第二回 大本営陸軍部発表(八日午前十時四十分) 我軍は本八日未明戦闘状態に入るや機を失せず香港の攻撃を開始せり

第三回 大本営陸海軍部発表(八日午前十一時五十分) 我軍は陸海緊密なる協力の下に本八日午前早朝マレー半島方面の奇襲上陸作戦を敢行し着々戦果を拡張中なり

第十回 大本営陸海軍部発表(八日午後九時) 帝国陸海軍航空部隊は本八日緊密なる協力のもとに比島敵航空兵力ならびに主要飛行場を急襲し、イバにおいて四十機、クラーク・フィールドにおいて五十乃至六十機を撃墜せり、わが方の損害二機

「抜刀隊の歌」(陸軍)や「軍艦マーチ」(海軍)のメロディとともに、こういった調子で続々と戦果が報告されるわけだ。

もし今「抜刀隊の歌」や「軍艦マーチ」の CD でもかけながら、発表文を読んでいくと、日本はなんと強い国だろうと昂奮を味わうことができるだろう。

(第三章「大本営発表の思想」)

その通りだと俺も感じた。また、大本営発表の本文自体は短いのだが、翌日に印刷される新聞が物凄い。大本営発表をコアとした虚構世界が、様々な粉飾(大本営報道部長談、大日本言論報国会[会長:徳富蘇峰]、外電、写真、庶民への取材などなど)を施され、異様な高揚感とともにリアルに立ち上がるように作られている。本書では当時の紙面も詳しく分析されているのだが、実に危険な内容であると言わざるを得ない。何が危険か。この新聞が魅力的に過ぎる(と思ってしまう)のが本当に危ないと思う。「人間は自分が信じたいことを喜んで信じる」(ユリウス・カエサル)その好例がここにある。

このような紙面ができたのは、大本営が言論の検閲権を握っていたからである。しかしそれに喜んで協力した言論人、ジャーナリストがいたこともまた事実である(もちろん弾圧を恐れずに反対した人間もいたが)。この面に関してはまだ充分な反省がなされていないのではないか。

長くなるのでこのあたりで止めるが、上記のような虚構世界に国ごと陥ってしまった心理過程、制度の問題、実際に招いてしまった事実の検証などなどが、本書では十全に行われている。特に、大本営発表の内容を時系列を追って分析することによって、当時の時間経過を顕にしている点が素晴らしい。

大本営発表に躍らされたくなければ、大本営発表について知悉しなければならぬ。大本営発表を立体的に把握する上で、本書は格好の一冊となるだろう。