- 『山下奉文』福田和也

2008/09/21/Sun.『山下奉文』福田和也

副題に「昭和の悲劇」とある。前著となる『乃木希典』と対を成すものとして本書は著された。

乃木希典について小文を書いた後、山下奉文について書かなければなるまい、と思うようになった。

明治の、悲しみを背負っていても否むことのできない爽やかさを思うにつけ、昭和の重苦しさ、やりきれなさがこみ上げてくる。

(略)

乃木の殉死にたいする、山下の刑死という最期は、その激しいコントラストにおいて明治と昭和、それぞれの宿命を示している、そのように考えるようになった。

(「英雄」)

筆者は山下を「英雄」と規定する。

山下は、ヘーゲルがイエナ会戦で勝利したナポレオンのことを馬上の世界精神と呼んだような意味で、一つの時代を終焉に導き、新しい時代の幕開けを知らせた生ける稲妻であった。

その終末は、絞首刑だった。

勲しの輝かしさと末路の悲しさの、その双方の激しさによって、彼は、やはり英雄であった。セント・ヘレナのナポレオンとは異なっていても、ロス・バニョスの山下奉文は、悲劇的である。

(「英雄」)

さすがにこれは、ちょっと褒め過ぎではないのか。

山下は陸軍幼年学校、陸軍士官学校、陸軍大学校とエリート街道を驀進して軍人となるが、二・二六事件においてはエリート集団である統制派に与せず、青年将校を主体とする皇道派と交り、昭和天皇の不興を買う。

太平洋戦争では難攻不落と言われた英領シンガポール要塞を、持ち前の合理的精神から的確に分析・攻略し、電撃的な勝利を収める。しかし、兵員不足からシンガポール統治に不安を覚え、華僑の不当な殺害を部隊に許してしまう。これが山下刑死の原因となるのだが、兵員不足は大本営の無能によるものであり、一概に山下だけを責めるわけにはいかない。組織人としてのこのような山下の不幸——、これは本書の主題でもある。

シンガポール攻略後、山下は凱旋も許されずに満州に覆面将軍として飛ばされる。対ソ戦の準備を進めていたところ、またしても南方に飛ばされ、フィリピンでの指揮を委ねられる。帝国軍は既にミッドウェーで大敗しており、アメリカ軍の上陸が迫っていた。山下はルソンでの決戦を唱えるが、大本営はレイテで米軍を叩けと命令する。保阪正康『大本営発表という権力』でも触れたが、これは台湾沖航空戦の虚報を元に立てられた、根拠のない愚かな作戦である。神風特攻隊まで投入したレイテ決戦は、果たして惨敗に終わる。

山下はルソンに撤退し、山中での悲惨なゲリラ戦を展開する。アメリカ軍をフィリピンに釘付けにするためである。玉砕を禁じ、生き抜くことを命じた。

あくまで組織の人、帝国陸軍の人であった山下は、その組織に最期まで忠実であった。在フィリピンの将兵が玉砕するのではなく、組織だって降伏し、帰国すること、それが自分の責任であると考えた。

(「敗北」)

山下自身、自裁されよという部下からの進言を退けている。結果、山下は生き延びて杜撰な裁判にかけられ、異国の地に縊られた。これについては筆者の評価も揺れている。

自決することで、武人としての名誉を貫いた方が、千載の後に帝国陸軍の名誉を輝かせ、後世の日本人を鼓舞することになったのではないか、という思いもないではない。だがまた、山下が持っていた、軍事組織の長としての考え方には、共感できないこともない。

(「敗北」)

私が一番不思議なのは、このような「組織の人」が「英雄」であると指摘する筆者の論拠である。山下は合理的で優秀な将軍である、悪い人間でもない、部下に慕われ、魅力溢れる人間像だと思う。しかし果たして「大衆が己の夢を託し、ともに喜び、ともに悲しむ、輝ける偶像」(「英雄」) であったか。どうもそこが納得できない。

さて。

本書で最も感動的なのは、文庫版で増補された最終章であろう。山下の部下が筆者宛てにしたためた手紙が紹介されている。部下氏は、山下とともに絶望的なゲリラ戦を戦った人である。最悪の戦闘を経験してもなお衰えぬ山下への敬愛が、手紙には溢れている。特筆すべきことであろう。

少なくとも部隊の者にとって、山下は確かに英雄だったのかもしれぬ。