- Book Review 2007/07

2007/07/25/Wed.

Web サイト「スタンダード 反社会学講座」が書籍化されたのが本書。単行本化は 2004年で、Web サイトの書籍化における早い例の 1つだったと記憶している。

本書には全20回の講座が収録されているが、そのほとんどがオリジナルのサイトで読めるので、詳しい説明は省略する。「世間では一般的にこう言われているが、実態は……」という視点は大して目新しくないけれど、とにかく文章が良い。パクりたいフレーズが幾つも出てくる。

著者が「しょせん遊び」というスタンスを貫いているのも良いな。上質の話芸が楽しめる 1冊。

2007/07/14/Sat.

副題に「ワンダフルな物理史」とある。原題は『Black Bodies and Quantum Cats』、副題が「Tales from The Annals of Physics」。全2巻で、第1巻が「古典篇」(尾之上俊彦、飯泉恵美子、福田実・訳)、第2巻が「現代篇」(金子浩、小野木明恵、大山晶子、野中香方子、水谷淳・訳) となっている。

気軽に読める科学コラム。科学的発見、発展、技術的応用に関するエピソードが 38個、年代順に並んでいる。タイトルの通り、話題は主に物理学である。一方で「絵画における遠近法の確立には光学的な機器の使用があった」「ジェットコースターの歴史」などという話も多分に含まれていて、むしろそちらの方が興味深かった。

科学的な概念の説明には、テレビや映画、小説の内容やキャラクターが比喩として使われる。このあたりを面白いと思うか思わないかは、好みがわかれるかもしれない (採り上げられる作品はアメリカのものが多いから、日本人にはピンと来ないものもある)。文章はユーモラスでキレが良い。複数の訳者による翻訳だが、全編を通じて文体は統一されている。

サイエンスものとしては物足りないが、逸話は面白い。上質のコラム。息抜きにはちょうど良い。

2007/07/13/Fri.

このシリーズは I〜III までの 3冊があるようだが、「I」と「II」しか見付けられなかった。本書は、少しく常軌を逸した女性をテーマにした短編集である。

収録作は「I」が、

  1. 『食べる女』
  2. 『しゃべる女』
  3. 『やさしい女』
  4. 『年上の女』
  5. 『痩せゆく女』
  6. 『自殺願望の女』
  7. 『強い男が好きな女』
  8. 『いじめる女』
  9. 『才たけた女』
  10. 『わがままな女』

で、「II」が、

  1. 『ママという女』
  2. 『家事好きの女』
  3. 『"社会進出" する女』
  4. 『長電話の女』
  5. 『同居願望の女』
  6. 『旅行好きの女』
  7. 『いつわりの女』
  8. 『考える女』
  9. 『まことの女』
  10. 『個性派の女』
  11. 『虫愛づる女』

となっている。タイトルを見ただけで「いるいる、こういう奴」と言ってしまいそうだ。実際、各作品に登場する女性は「ちょっと変わって」いるけれど、クラスに 1人くらいは存在するレベルのものとして (最初は) 描写される。少し冴えない男が、そんな彼女達の「ヘン」を許容して交際を始める。確かに一風変わっているけれど、個性と思えば愛せないこともない。

ところが、彼女達の「ヘン」は徐々にエスカレートしていき、最後には異常の域に達する。本性を見せた女と、それに翻弄される男。最終的に 2人の関係は崩壊するのだが、男が彼女達の異常性に呑み込まれるケースもあるし、我慢の限界に達した男が復讐するというパターンもある。どのような結末にせよ、物語はただ淡々と描かれる。これが良い。

本書を読めば、作者の御茶漬海苔が男性であることがよくわかる。何で女性だと思い込んでいたんだろうな。俺の目は節穴か。

2007/07/12/Thu.

ナンシー関が逝って (2002年 6月 12日) から早 5年。陸続と文庫化される未発表原稿を読むたびに、「もうこれが最後か」と思ってきたが、まだあるというのだから驚く。

内容はいつも通りなので特に触れない。10年も前のテレビについて書かれた文章 (と消しゴム版画) が、何故いまだに新鮮な面白さを保っているのだろう。凄いよなあ。

2007/07/11/Wed.

非常に読み応えのある力作。著者は科学史家ではなく、専門の宇宙物理学者である。

どのような科学の分野であれ、研究の最前線にあって、私たち研究者の大部分が共通に行っていることは、その分野の研究における進展に対する科学史的な分析であろう。といっても、これは大変に個人的なもので、その分析の結果は、おのおのの研究者によって、随分とちがっているものと思われる。

(「まえがき」)

著者のこの主張は、本書の構成に端的に現れている。本書では、20世紀以降の天文学に関する部分が、全体の半分を占めている。天文学の重要な進展が 20世紀以降に顕著であったこともるだろうが、と同時にこれは、研究者としての著者が認識する「重要性」の、各時代の比率の反映ともいえる。その証拠に、普通の科学史で見られるような、各研究者の伝記的なエピソードはほとんど記述されない。筆者の筆はもっぱら、彼らの科学的業績、その時代的な意味に費やされる。非常に硬派だ。

図版も豊富で、特に後半では数々のデータ、グラフ、写真が提示され、天文学史というよりはほとんど教科書のようだ。誰がどのような観測をし、どのような結果が得られ、そこからいかなる理論が導き出されたか、あるいは予測とどれほど一致していたか。これらの事柄が丹念に細かく辿られる。現代の科学が、どれほど多数の研究者の共通した認識と努力によって進展しているのかが、よくわかるだろう。「象牙の塔」に篭っている研究者など、少なくとも現在の自然科学の分野ではあり得ない (ましてや彼が「優秀」だなんて!)。

数学や理論物理学の分野では、1人の天才が革命的に世界観を変えてしまうこともあるだろう。幾つかの科学史を読んで、どの分野も同じかと思う人がいるかもしれない。しかし、実験科学ではそれはない。「星の数ほど」という表現があるが、天文学者達が研究しているのはまさしく「星」なのである。現在の天文学 = 宇宙物理学の理論は、気の遠くなるような数のデータによって支えられている。

本書は、その長大な事実の積み重ねを、読者の眼前に再現する。もちろん、近代以前の天文学の事跡についても、同様の手法が採られている。現代天文学の爆発的な拡大は、過去から延々と蓄積された、膨大な観測記録に負うところも大きい。

巻末には充実した文献リストと索引が付く。大変な労作。

2007/07/10/Tue.


文庫版全4巻。原作は山岡荘八。

先に紹介した『豊臣秀吉』同様、本書でも信長の青年期が緻密に描かれる。主な読者である少年達を物語へ感情移入させるには、このステップが不可欠なのであろう。また、いかに歴史上の人物といえど、その幼少期には詳細な記録が残されていない。すなわち、作家も自由に筆が奮えるわけである。

とにかく、信長の青年時代が面白い。そしてこの時期の話が、全体の約半分を占める。正妻である濃姫とのやりとりは特に秀逸だ。竹千代 (徳川家康) とのエピソード。父・信秀との対立と信頼。信長の孤独、苦悩。一方で、徐々に増えていく彼の理解者達。これは青春漫画である。桶狭間の合戦に勝利したところで終わっても良いのではないか。そう思うくらいに完成度が高い。

信長と勤王

『豊臣秀吉』でもそうであったが、本書でも信長の「勤王」が強調されている。これは少し意外だった。信長の志向の「正当性」がさりげなく述べられており、これは、横山光輝の歴史漫画が「教育漫画」として認知されていることと関係しているのかもしれない (そしてまた、彼の画風と不可分の問題でもある。これについてはまた詳しく論じたい)。

勤王の話だった。蜂須賀小六などの野武士は「南朝の末裔」であり、彼らもまた「勤王」である。戦乱を終わらせ、帝の宸襟を安んじ奉るため、彼らは勢力を蓄え雌伏している。とはいえ、さすがにこの設定は無理がある。南朝の正統が確立されたのは、明治天皇による裁定以後だ。原作者の山岡荘八はどのように考えていたののだろう。そこまでは、さすがに漫画からは読み取れない。

原作も読もうかなあ。何だか、ハメられている気もするが。

2007/07/09/Mon.



文庫版全7巻。原作はもちろん山岡荘八である。

横山光輝の歴史漫画については、また別個に論じたいのだが、とにかく『豊臣秀吉』である。副題に「異本太閤記」とあるように、本書は豊臣秀吉の正確な伝記、というわけではない。物語も山崎の戦いで終わる (その後に大坂築城、関白就任などがナレーション形式で入るが、朝鮮出兵には一言も触れられない)。

秀吉は歴史上の大英雄でありながら、これほど謎と俗説の多い人物もめずらしい。その時々に有ることないことつきまぜて、大きなホラを吹きまくったからだろう。

この原作も異説を随所に取り上げ「山岡太閤記」を作り出そうとしている。異本太閤記としてあるのもそのためである。それをご承知の上でお読みいただきたい。

(「はじめに」)

本書は漫画である。小説と同じで、異説が複数ある場面でも、とにかく 1つのストーリーを選んで話を進めなければならない。あれやこれやと「正しい」説を求めているわけではない。

秀吉の母の日輪受胎から物語は始まる。そしてホラ吹き秀吉 (日吉) の少年期が生き生きと描かれる。なかなか面白い。2巻の途中から織田信長に仕えるようになるが、ここで描かれる織田家の様子もまた面白い。柴田勝家や前田利家はかなりのヘタレだし、第六天魔王・信長もまた、秀吉の饒舌に翻弄されるという有り様である。秀吉が主人公だと、どうしても彼のサクセス・ストーリーが中心とるので致し方ない面もあるが、なかなかにユニークであり、愉快だった。

それにしても、話の噛み合わない、まだるっこしいやり取りを描かせたら、横山光輝は天下一である。前田利家の婚礼の経緯とか、秀吉が三郎左に垢掻きをさせる場面とか。そもそも、横山光輝の歴史漫画は異常に台詞が長い上、さらに秀吉は多弁のホラ吹きであるという設定だから、もうどうしようもない。以下に、比較的短いやりとりを引用する。少年・日吉と野武士の一団との問答である。

武士「やい小僧!」

日吉「黙れ! 大根は小さくとも小根とはいわず 大志ある人間をつかまえて 体が小さいから小僧とは無礼であろう」

武士「屁理屈はやめておけ うぬは まことに蜂須賀一家がこわくないのか」

日吉「何の 小六などはたかが野武士の頭ではないか この日吉の目から見れば 地中にわいたみみず同然のやからだ」

秀吉ウゼえ。こいつの台詞は、全編こんな具合である。だがそれが良い。

これからのレビューについて

漫画のレビューにおいて、画像の掲載なしで論じるのにも限界がある。かといって、気安くスキャンしてアップできる種類のものでもない。なので、当面は画像なしでレビューする。何か良いアイデアはないものか。

2007/07/07/Sat.

青木薫・訳。原題は『The Code Book』、副題に「How to Make It, Break It, Hack It, Crack It」とある。サイモン・シンの著書は、以前に『フェルマーの最終定理』を紹介したことがある。

暗号の歴史

本書では、暗号がどのような理論で成立しているのか、また暗号はどのように破られてきたのか、その発展が歴史とともに描かれる。暗号の基本は、文字の位置をスクランブルする転置式と、文字のキャラクターをスクランブルする換字式に大きく分けられるが、時代とともに進化したのは換字式である。

古典的な換字は、アルファベット abc... を、別のアルファベット (記号) XYZ... に置き換える単アルファベット暗号である。この暗号の具体的な解法は、例えばエドガー・ポーの『黄金虫』や、コナン・ドイルの『踊る人形』といった探偵小説でもお目にかかれる。逆にいえば、その程度の安全性しかない。

次に考案されたのが、多アルファベット暗号である。これは文中のある場所における a は B に置換されるが、別の場所における a は C に置換されるという暗号である。中世ヨーロッパで考案されたこの暗号が (幾つかの条件を満たせば) 解読不能であることは、数学的に証明されている。

では完全な暗号なのか。そうではない。暗号を復号するには「鍵」が必要になる。暗号の安全性 = 複雑性は鍵のそれに依存する。鍵は、暗号の送信者と受信者の双方が知っておかねばならない。つまり、安全な暗号通信を実現するには、その前に安全な鍵の通信が必要になるわけで、これでは鶏と卵である。

鍵の問題を解決したのは、公開鍵方式 (RSA) であった。これは、ある種の数学的テクニックを用いた方式であるが、本書ではその原理がわかりやすく説明されていている。このあたりは、さすが『フェルマーの最終定理』の著者といった感がある。

RSA は原理的に完全な暗号ではない。RSA の安全性は、「現在のコンピューターの計算能力では現実的には計算不可能」という事実に基づいている。したがって、コンピューターの計算速度が飛躍的に上昇すれば安全性は脅かされる。仮に量子コンピューターが実現すれば、RSA 暗号はすぐに破られるであろうというのが専門家の予測らしい。

では量子コンピューターとは何か。量子コンピューターにも解読されない暗号はあり得るのか。そういった、未来の暗号問題にまで本書の考察は及ぶ。実は、量子暗号というものが既に考案されている (実用化の目処は全く立っていないが)。

暗号のドラマ

本書は、暗号の仕組みを解説しているばかりではない。暗号の歴史には多数の人間が関わり、様々なドラマが生まれた。スコットランド女王メアリーがエリザベスに処刑されたのは、彼女の使用していた暗号が解読され、弁明のしようがない証拠を突きつけられたからだ。アメリカのどこかに巨額の埋蔵金を埋めたビールは、その在処を暗号にして秘匿した。この暗号はいまだに解かれていない。第一次大戦で暗号を解読されたドイツ軍は、第二次大戦ではエニグマという強力な自動暗号機を採用したが、これもまた敵側の必死の努力で解読されてしまった。エニグマを破ったイギリスの暗号解読者の中には、アラン・チューリングの姿もあった。

遺跡から発掘された古代文字もまた、暗号の変種であるともいえる。ロゼッタストーンを用いた古代エジプト文字の解読は有名な話だ。その他にも、暗号解読に通じるテクニックを駆使して解明された言語はたくさんある。そして、いまだ解かれていない古代言語も。

近代以降、暗号の作成と解読には強力な数学が必要とされた。多数の数学者が軍や政府に雇われ、暗号の仕事に携わった。暗号の研究が学問を発達させることもあったし、その逆もあった。暗号関係者の存在は、政治的理由によって隠蔽されることも少なくなかった。

暗号の歴史は、秘密を守りたい人間と秘密を暴きたい人間の葛藤のドラマでもある。本書で生き生きと描かれた数多のエピソードは、暗号が人間の営みに欠くべからざるものであることを教えてくれる。

2007/07/05/Thu.

釜江常好/大貫昌子・訳。副題に「私の量子電磁力学」とある。原題は『QED The Strange Theory of Light and Matter』。

本書は、ファインマンの講演を本にまとめたものである。アリックス・モートナー記念講演は、「科学に興味をよせる一般知識人を対象とし、科学の精神と成果を伝える」ことを目的として企画されたもので、その第1回講演が、ファインマンによる量子電磁力学の解説であった。

本書は 4部に分かれている。

「はじめに」では、量子電磁力学の基本的な考え方が説明される。講演の性格上、数式は一切出てこない (ベクトルすら「ストップウォッチの針」として説明される)。ファインマンが語るのは、量子論の「イメージ」であって、その比喩が物理学的にどの程度正確なのか、私には判断が付かない部分もある。しかし、「わかった気」にはさせてくれる。門外漢には、そこが重要なんじゃないか。凡人が抽象的な理解に進むには、何らかの具体的なイメージが足がかりとして必要になる。本書は、量子力学に関する素晴らしい足がかりを我々に提供してくれる。読了するまでに、目から鱗が何度も落ちた。

「光の粒子」では、光子の量子力学が説かれる。量子レベルでは「光は直進しない」が、なぜそうなのかが、やはり直感的にイメージできるように構成されている (実際、この講演のためにファインマンはかなりの準備をしたという)。レーザーはどのように生成されるか、光が屈折するとはどういうことか。これまで何となく知った気になっていた事柄のイメージが、本書で一気に明瞭になった。イメージが明確になっただけで、説明しろと言われてもできないが。しかし、これから物理学の本を読むときは、以前よりはっきりと頭の中でこれらの現象がイメージできるであろうという確信はある。

「電子とその相互作用」では、反電子とはどういうものか、なぜ電子と反電子が衝突すると消滅してしまうのかが語られる。光が波のように見えたり粒子のように見えたりするのは何故か。干渉とはどういうことか。反射とは何か。粒子が確率的に振る舞うとはどういうことか。豊饒なイメージの連続である。

「未解決の部分」では、それまでの講演を踏まえ、話がやや専門的になる。クォーク、ニュートリノ、強い力、弱い力とは何か。これほど「わかった気」にさせてくれる本は珍しい。この気分を味わうだけでも価値はある。読後には、幾つかの量子レベルの現象に対して、何らかのイメージが残るだろう。それらは、より詳しいことを学ぼうとしたときの助けになるに違いない。

イメージって、かなり大事だと思う。私だっていまだに、遺伝子の発現を考えるときは、波線 (DNA, RNA) と丸 (タンパク質) の絵を描くもんなあ。それが方便であるということを自覚していれば、イメージは強い威力を発揮する。

延べ 93 を数える挿図が、読者の理解をサポートする。良質の教養書。

2007/07/03/Tue.

まったくもって恥ずかしい話であるが、本書の解説 (北川玲子) で、御茶漬海苔が男であることを初めて知った。ずっと女性だと思い込んでいたよ。

収録作は、

の 5作。

御茶漬海苔のホラーは、スプラッターでもグロテスクでもない。絵柄は無機的だ。恐怖を煽るための線の描き込みやベタの塗りつぶしは少なく、使われているトーンもほぼ 1種類のみである。効果音も描き文字ではなく写植で表現され、極めて印象深い効果を発揮する。このような固い筆致で、キャラクターの心理が淡々と、しかし執拗に追いかけられる。それが怖い。

絵そのものは怖くないが、絵の意味するところが怖いのである。オドロオドロしくない絵柄が、だからこそ際立つ。また、コマ割りや間の取り方が絶妙なのだ。

特に本書では、『桜子』が秀逸。これはスゴい。

2007/07/02/Mon.



文庫版全9巻。『デビルマン』の続編という理解で良いと思う。少なくとも、『デビルマン』→『レディー』の順番で読むべきだ。

ヒロインの不動ジュンがデビルマンレディーに変身し、人間のために (というほど単純ではないが) ビーストと戦うという設定は、『デビルマン』とほぼ同じ。主人公が若い女性であり、また連載媒体が「週間モーニング」ということもあって、少年マガジンで連載された『デビルマン』よりも、格段にセックスとバイオレンスがパワーアップしている。

序盤は、ビーストを倒していくレディーというエピソードの積み重ね。『デビルマン』の人気にあやかりつつ、そこに色を付けただけの作品かと思いながら読み進めると、良い意味で期待は裏切られる。中盤から物語は急激に展開する。『デビルマン』の主人公・不動明が再登場し、『デビルマン』における最終決戦のその後が語られる。ダンテの『神曲』をモチーフにした地獄巡りの下りは圧巻だ。絵も凄みがある。

そして徐々に、『レディー』が『デビルマン』を下敷きにして、しっかりと構想された作品であることがわかってくる。そのコンセプトを最初に出さないところが凄い。こういうのって、どうしても冒頭にチラッと見せたくなるもんだけどね。大家の余裕だろうか。

それにしてもエロい (こればっかだな)。特に後半の扉絵のエロさは尋常ではない。興奮するとかそういう類ではなく、しみじみとエロい。女性にはわからないと思うが、オッサンにはわかるはずだ。男でも、若い人にはわからないかもしれない。手塚治虫の女性も相当にエロいが、それと同じ意味である。例えば手塚治虫永井豪の絵柄でエロ漫画を描いても売れないだろう。ちょっと違うのである。

それにしても永井豪は、作品全体に巨大な伏線を張るのが上手い。連載漫画でこういうのは難しいと思うのだが。短いエピソードの中でミステリー的な仕掛けをするのはそれほど難しくないけれど (『ジョジョ』がその典型)、長期に及ぶ連載ではなかなか見受けられない。特に『デビルマン』や『レディー』は、物語のドライブが命の作品だから、チマチマやると世界が小さくなってしまう。それを回避しつつ、怒濤のようにストーリーを流しながら、きっちりと伏線を回収していく技術は剛腕といっても良い。

2007/07/01/Sun.


文庫版全5巻。ストーリーの解説は不要だろう。

永井豪はやっぱり天才だ。『ベルセルク』に登場する使徒も蝕も、金子一馬が描く悪魔も、『寄生獣』における「人間の天敵」というコンセプトも、全部この『デビルマン』の中にある。

悪魔と神の関係における解釈、ボーダーラインに立った主人公の葛藤、重要登場人物の正体に対する伏線の張り方など、ゲームもモロに『デビルマン』の影響を受けていることがよくわかる。そしてエロい。こればっかりは永井豪の筆そのものによってしか再現できないだろうけれど。

とにかくスゴ過ぎる。

怒濤のように突き進む後半のストーリーには圧倒される。所々で効果的に挿入される抽象的なシーン (絵柄も変わる) も印象深い。キャラクターのタッチは独特だが、そんなことよりも構図の取り方がムチャクチャに上手い。特に中盤、蜘蛛型のデーモンが校舎に結界を張るシーンは圧巻だった。

映画にならないかなあ、デビルマン。と思ったが、既に作られていたようだ。ところが。

「映画を作ろうとする者全てにこの映画を観せるべきである、なぜなら映画を作るに当って決してやってはいけない事がよく理解できるから」という批評さえある。

(Wikipedia - デビルマン (映画))

アホか。

ところで、第1巻の巻末に、永井豪による「デビルマン黙示録」という文章が掲載されている。実はここで、『デビルマン』における重要なストーリー展開と結末が暴露されている (ネタばらしをしているのが作者自身なので怒るに怒れない)。『デビルマン』を未読の方は、この文章は全巻読破後に読んだ方が良いだろう。