- 『暗号解読』サイモン・シン

2007/07/07/Sat.『暗号解読』サイモン・シン

青木薫・訳。原題は『The Code Book』、副題に「How to Make It, Break It, Hack It, Crack It」とある。サイモン・シンの著書は、以前に『フェルマーの最終定理』を紹介したことがある。

暗号の歴史

本書では、暗号がどのような理論で成立しているのか、また暗号はどのように破られてきたのか、その発展が歴史とともに描かれる。暗号の基本は、文字の位置をスクランブルする転置式と、文字のキャラクターをスクランブルする換字式に大きく分けられるが、時代とともに進化したのは換字式である。

古典的な換字は、アルファベット abc... を、別のアルファベット (記号) XYZ... に置き換える単アルファベット暗号である。この暗号の具体的な解法は、例えばエドガー・ポーの『黄金虫』や、コナン・ドイルの『踊る人形』といった探偵小説でもお目にかかれる。逆にいえば、その程度の安全性しかない。

次に考案されたのが、多アルファベット暗号である。これは文中のある場所における a は B に置換されるが、別の場所における a は C に置換されるという暗号である。中世ヨーロッパで考案されたこの暗号が (幾つかの条件を満たせば) 解読不能であることは、数学的に証明されている。

では完全な暗号なのか。そうではない。暗号を復号するには「鍵」が必要になる。暗号の安全性 = 複雑性は鍵のそれに依存する。鍵は、暗号の送信者と受信者の双方が知っておかねばならない。つまり、安全な暗号通信を実現するには、その前に安全な鍵の通信が必要になるわけで、これでは鶏と卵である。

鍵の問題を解決したのは、公開鍵方式 (RSA) であった。これは、ある種の数学的テクニックを用いた方式であるが、本書ではその原理がわかりやすく説明されていている。このあたりは、さすが『フェルマーの最終定理』の著者といった感がある。

RSA は原理的に完全な暗号ではない。RSA の安全性は、「現在のコンピューターの計算能力では現実的には計算不可能」という事実に基づいている。したがって、コンピューターの計算速度が飛躍的に上昇すれば安全性は脅かされる。仮に量子コンピューターが実現すれば、RSA 暗号はすぐに破られるであろうというのが専門家の予測らしい。

では量子コンピューターとは何か。量子コンピューターにも解読されない暗号はあり得るのか。そういった、未来の暗号問題にまで本書の考察は及ぶ。実は、量子暗号というものが既に考案されている (実用化の目処は全く立っていないが)。

暗号のドラマ

本書は、暗号の仕組みを解説しているばかりではない。暗号の歴史には多数の人間が関わり、様々なドラマが生まれた。スコットランド女王メアリーがエリザベスに処刑されたのは、彼女の使用していた暗号が解読され、弁明のしようがない証拠を突きつけられたからだ。アメリカのどこかに巨額の埋蔵金を埋めたビールは、その在処を暗号にして秘匿した。この暗号はいまだに解かれていない。第一次大戦で暗号を解読されたドイツ軍は、第二次大戦ではエニグマという強力な自動暗号機を採用したが、これもまた敵側の必死の努力で解読されてしまった。エニグマを破ったイギリスの暗号解読者の中には、アラン・チューリングの姿もあった。

遺跡から発掘された古代文字もまた、暗号の変種であるともいえる。ロゼッタストーンを用いた古代エジプト文字の解読は有名な話だ。その他にも、暗号解読に通じるテクニックを駆使して解明された言語はたくさんある。そして、いまだ解かれていない古代言語も。

近代以降、暗号の作成と解読には強力な数学が必要とされた。多数の数学者が軍や政府に雇われ、暗号の仕事に携わった。暗号の研究が学問を発達させることもあったし、その逆もあった。暗号関係者の存在は、政治的理由によって隠蔽されることも少なくなかった。

暗号の歴史は、秘密を守りたい人間と秘密を暴きたい人間の葛藤のドラマでもある。本書で生き生きと描かれた数多のエピソードは、暗号が人間の営みに欠くべからざるものであることを教えてくれる。