たまには人の顔を見ながらゆっくりと飯が食いたいと思う T です。こんばんは。
そんなことをこぼしていたら、「ボスや先生とよく食べに行ってるじゃないですか」と言われた。違うんだ。あいつらは人じゃない。鬼なんだ。
今夜のセミナーは大荒れ。わっしょい。
何をバカなと思われるかもしれないが、俺はロマンチストである。この 21世紀に 26歳を迎えようとしている今なお、「偶然への期待」というものを抱きつつ生きている。本を買うときは本屋に足を運ぶし、ものを調べるときはできるだけ書物の辞書を引くようにしている。全て「偶然の出会い」を期待してのことだ。無論、いつもそんなことを考えているわけではないが。
計算機と偶然は非常に相性が悪い。というか、計算機において「偶然」は「あってはならない」ものである。ネット上の情報はよく整理されており、あるいは何らかの「たまたま」が存在することもあるが、それはあくまで「たまたま」であって、俺のいう「偶然」とは少し意味が違う。例えば、検索したときに自分の思っていたのとは違うページが見付かるかもしれない。そこから思いも寄らなかった邂逅もあり得るけれど、検索結果自体は常にアルゴリズムの産物であって、そこに「偶然」はない。
(そんなことをいえば、本屋で「偶然に」出会う本の総体は「本屋」の品揃えを越えない、ということにもなる。だから本好きは最終的に古本へと走っていくんじゃなかろうか。また、「掲示板」はネット上で最も人気のあるコンテンツの一つだが、その理由もこの辺りにある気がする)
考え方によっては全ての事象が偶然であるともいえるし、必然であるともいえる。東洋的・西洋的と分けるのは乱暴過ぎるにしても、古来、人々は「可能性」について偶然と必然を考えてきた。自分の可能性を広げてくれる「可能性」へのアプローチ。
まあ、そんなことを考えているのだが、考えてしまったら「偶然」でなくなってしまうんだよなあ。