- 『生命とは何か』エルヴィン・シュレーディンガー

2008/07/28/Mon.『生命とは何か』エルヴィン・シュレーディンガー

岡小天、鎮目恭夫・訳。副題に「物理的にみた生細胞」とある。原題は "What Is Life?"、原副題は 'The Physical Aspect of the Living Cell'。

著書名と著者名の乖離にまずは驚く。シュレーディンガーといえば量子力学を創始した理論物理学者である。門外漢の私でも知っている。しかしそのシュレーディンガーが、分子生物学という学問分野ができたかできていないかという時期 (本書の出版は 1944年) に、早くも分子遺伝学的な講演を行っていたことは全く知らなかった。

生きている生物体の空間的境界の内部で起こる時間・空間的事象は、物理学と化学によってどのように説明されるか?

(第1章「この問題に対して古典物理学者はどう近づくか?」)

これが本書の主題である。

時代の限界はある。例えば「遺伝子はおそらく一個の大きなタンパク分子であり」などという記述も見かけられる。とはいえ、分子遺伝学という概念的な構築に、遺伝子の本体がタンパク質であるか核酸であるかは本質的に影響しない。現在から見れば不十分と思われる知識も、本書で展開される議論を妨げるものではない。このあたりは、理論物理学者であるシュレーディンガーの面目躍如といったところか。学ぶべきところは多い。

物理化学的な視点

まずは、下の問題設定をどう思われるだろうか。

われわれの身体は原子にくらべて、なぜ、そんなに大きくなければならないのでしょうか?

(第1章「この問題に対して古典物理学者はどう近づくか?」)

「構造屋は『細胞はデカ過ぎる』と言う」——随分と以前に書いた日記を思い出した。確かに、原子・分子単位での物理的・化学的な動向を追うには、細胞は複雑にして大き過ぎる。その細胞が 60兆も集まった人体などは、もはや物理化学的な解析の対象とはならないだろう。(古典的な) 物理学者や化学者がそう思う気持ちはよくわかる。

この問題に対する量子力学的な回答は次の通りである。

原子はすべて、絶えずまったく無秩序な運動をしており、この運動が、いわば原子自身が秩序正しく整然と行動することを妨げ、少数個の原子間に起こる事象が何らかの判然と認められうる法則に従って行われることを許さないからなのです。莫大な数の原子が互いに一緒になった行動する場合にはじめて、統計的な法則が生まれて、これらの原子「集団」の行動を支配するようになり、その法則の精度は関係する原子の数が増せば増すほど増大します。

(第1章「この問題に対して古典物理学者はどう近づくか?」)

細胞が必要とする生命反応の「精度」を得るためには、それだけの数の原子が必要である。非常にシンプルだし、直感的にわかりやすい。これまで、少なくとも私は、このような感覚で細胞その他をスケーリングしたことはなかった。

遺伝とは

第2章、第3章はそれぞれ「遺伝のしくみ」「突然変異」と題され、その機序が説明される。このあたりは高校の教科書の知識を出るものではない。現在からすれば、ひどくまだるっこしい議論のようにも思える。しかし、「突然変異は、遺伝子という分子の中で起こる量子飛躍によるのです」といった素敵な一文も見えるので、流し読みするのは勿体ない。

変異前の遺伝子と変異後の遺伝子は異なるエネルギー準位を持つ異性体である。——これは考えてみれば当たり前のことなのだが、ゲノムの配列が明らかになった今、私達がこのような見方をする機会は稀である。こういう視点の再発見が面白い。

染色体が細胞に一つであるということ

上に、「細胞が必要とする生命反応の『精度』を得るためには、それだけの数の原子が必要である」と書いたが、唯一、染色体 (本当は DNA だが、本書が出版された時点ではまだそのことは明らかになっていない) だけは細胞にただ 1分子のみしか存在しない。

もちろん、それは情報の一意性を担保するためである。しかしそのために染色体は、熱力学の法則 (エントロピーの拡大) に抵抗し得る、(抽象的な意味で) 堅牢な構造を保持しなければならない。この点にジレンマがある。

高度の秩序をもつ原子結合体で、その秩序を永続的に維持するに足る十分な抵抗性を具えたもののみが、考えられる唯一の物質構造のようであって、そのようなものならば、小さな空間的境界の内部で複雑な体系をなす「決定要素」を体現しうるような、さまざまな (異性体的) 原子配列を可能にします。

(第5章「デルブリュックの模型の検討と吟味」)

いささか歯切れが悪い。分子の安定度を熱力学的に説明するくだりは非常に興味深いが、第57節「生物体は『負エントロピー』を食べて生きている」のあたりから、少し雲行きが怪しくなってくる。

(もっとも、やや誤解を受けやすいこの説明は、本書に課された「一般向け」という足枷によるものであり、シュレーディンガー自身も長い「註」を付けて詳細な解説をしている。また訳者も、「21世紀前半の読者にとっての本書の意義——岩波文庫への収録 (二〇〇八年) に際しての訳者あとがき」の「註」で弁護している)

最後に、生物体 (の根幹をなす染色体を初めとする部品) は、時計仕掛けに例えられる。

量子力学によりネルンストの経験的法則の合理的な基礎が与えられ、一つの系が近似的に「力学的」な行動を演ずるためには絶対零度にどの程度まで近づかなければならいかを算定することもできるようになりました。何か特定の場合をとるとき、どの程度の温度なら実際上零度に等しいと見なすことができるでしょうか?

ところが、これは必ずきわめて低い温度でなければならないというように考えてはなりません。事実、ネルンストの発見は、室温でさえも多くの化学反応においてエントロピーの演ずる役割は驚くほどわずかであるという事実から導き出されたものです。

(中略)

この個体がすなわち遺伝物質を形づくっている非周期性結晶であり、熱運動の無秩序から十分に保護されています。

(第7章「生命は物理学の法則に支配されているか?」)

したがって細胞の中でも、意外にエントロピーのことを無視できるのではないか、ということである。しかし現在、染色体を初めとする細胞内部の動きは、分解と生成、エラーとリペア、ブラウン運動を基調とした最終的な秩序、などなどを繰り返す非常にダイナミックな系であることが明らかになり、静的な細胞像というイメージは棄却されつつある。とはいえ、問題設定自体は間違ったものではない。非常に鋭いと思う。

生命とエントロピーの問題に対する理解は、カオスや複雑系といった、新しい科学の知見に依る部分も少なからずある。そして無論、この領域においても量子力学は重要な貢献をしている。

科学の脈々としたつながりと広大さ、そして歴史を学べる 1冊。