- 『√2の不思議』足立恒雄

2007/03/01/Thu.『√2の不思議』足立恒雄

足立恒雄は、以前に紹介した『フェルマーの大定理』の著者でもある。本書で気付いたのだが、「恒雄」は「つねお」ではなく「のりお」と読む。読めんよ。

さて、√2 は無理数である。無理数であること (自然数の比、つまり分数によって表現できないこと) は早くから証明されていた。この事実は、自然数こそ万物の根元であると考え、信仰の対象にさえしていたピタゴラス教団にとっては堪え難いものであり、無理数の存在をひた隠しにしたという伝説も残っている。

無理数ばかりではない。0 も、負の数も、そして虚数も、その登場時には非常な批判にさらされた。「そんな数は実際に存在しない」。批判の要約は、この一語に尽きる。

ならば、と著者は問い掛ける。「自然数は実在するのか」。これはなかなか深甚な疑問である。例えば 2個のリンゴは実在する。2人の人間も実在する。そうやって「2つ」からなる事象を全部集めて抽象化したのが「2」という数字である。これが集合論的な考えである。この場合の「2」は基数 (個数) である。しかしそれは、「2」という数字が存在するということとは、微妙に意味が異なる。

数はまた序数 (順番) でもある。1番目、2番目、3番目……という数の数え方である。基数における 2 が two であるのに対し、序数における 2 は second である。この単語の違いは、基数と序数の起源の差異を暗示するものではないか、などという面白い論考もある。序数はまた位置関係を表す、という説も面白かった。京都に住んでいるので余計になるほどと思ったのだが、例えば一条、二条、三条……というのは、順番であると同時に位置関係、つまり幾何学的な関係でもある。昔は数直線というものがなかったらしい。数直線は負数の普及に大いに役立った。つまり、-2 という数字は、0 を原点として、2 と対称の位置にある数である、というイメージだ。確かに、基数として「-2」を理解するよりは、こちらの方がわかりやすい。

などなど、色々と興味深い話が満載である。

話を戻すが、個数にしろ序数にしろ、どちらにせよ自然数ですら抽象的な産物であることには違いない。抽象概念を操るのが人間の特性であるとするならば、恐らく最も早い段階で登場した「数」という概念こそ、人間の黎明を告げるに相応しいものではないか。作者のその想いは、「人間の条件は数学することである」という、第1章のタイトルによく現れている。

数とは何だろうか。たまにはそんなことを考えてみるのも良い。本書のタイトルではないが、もはや我々は「√2」を「不思議」だと思う感覚すら失っている。それは人類の進歩ではあるのだろうが、その過程を知ることで新たな不思議を見出すこともあるだろう。これを温故知新という。