- 『ペンローズの<量子脳>理論』ロジャー・ペンローズ

2006/10/26/Thu.『ペンローズの<量子脳>理論』ロジャー・ペンローズ

竹内薫茂木健一郎・訳。副題に「心と意識の科学的基礎をもとめて」とある。原題は『Beyond the Doubting of a Shadow』。

トンデモ本なのかどうか、どうにも判断がつきかねる。

ペンローズの「心」「意識」

ロジャー・ペンローズは一流の数理物理学者である。ホーキングとともに、ブラック・ホールの特異点定理を証明したり、「ペンローズ・タイル」として有名な非周期的な幾何学の研究でも功績がある。そのペンローズが、「心」や「意識」に「革命的な」科学的方法でアプローチする。彼は「心」や「意識」は物質的基盤を持つ、というスタンスを堅持する。精神を神秘的なものとは捉えていない。機械論的な立場といって良い。

まず大前提として、物理学に「革命」が必要だと彼は説く。マクロな相対性理論と、ミクロな量子論はいまだに融合していない。世界を正しく理解するには統一された理論が必要である。それは我々にとって「革命的」であるだろう、と彼は予想する。俺もそう思う。

理論物理学の基盤は数学である。ところが数学 (を含むあらゆる論理体系) にはゲーデルの不完全性定理が成立する。つまり、どのような系にも証明不可能な命題が存在するわけだ。そこでじっくりと考えてもらいたいのだが、我々はゲーデルの不完全性定理が「正しい」ことを知っている。奇妙な話である。もちろんこの記述にはトリックがあるのだが、どちらにせよ我々の精神は、また一段とメタなところにあるらしい、という想像はつく。

このような精神活動を記述する系が存在するのか。「革命」が必要なくらいだから、そんなものはないわけであるが、候補となる理論は存在する。それが量子力学である。量子力学において、粒子の性質は観測した瞬間に決定する (観測問題)。問題なのは、粒子の振る舞いは観測するまで収縮しないのか、それとも観測するしないに関わらず勝手に収縮するのか、ということである。これは世界観の問題である (だって観測できない!) が、現在主流となっているのは前者 (コペンハーゲン解釈) である。

アインシュタインが量子力学に今一つ良い顔をしなかったのは、その世界観が彼の美学に反したからであろうといわれている。彼が相対論で宇宙定数を導入してしまったのも、その美学ゆえ、という面もある。そしてペンローズも、アインシュタイン型の世界観の持ち主だった。彼は、量子は観測に関わらず収縮する (客観的収縮) というスタンスをとる。

意識はマイクロチューブルで生起する?

さて、どうも「心」と「量子」の結びつきが怪しい。三段論法で書くと、

という、やや我田引水な印象がある。かといって、心の理論的根拠を相対論に、ましてやニュートン力学に求めるわけにはいかないのだが。だから、「心の理論となるべき物理理論は量子論」という主張に対して、明解に反論はできない。

ここまでは、まだ良い。では、具体的に生命のどこで、そのような量子効果を元にした「精神」が発露しているのか。それに答えたのが、『意識は、マイクロチューブルにおける波動関数の収縮として起こる』という論文である。タイトルを見ただけで、醸し出される物議が想像できる。実際、相当コテンパンに叩かれたらしい。

マイクロチューブル (microtuble) は細胞骨格を形成しているタンパク質複合体である。チューブリンというタンパク質が重合し、中空のパイプ状になったものがマイクロチューブルだ。細胞質の支持・伸長、あるいは細胞内輸送のための構造である、というのが生物学的な理解である。

この中空のマイクロチューブルの中で、量子効果による「意識」が発生する、というのがペンローズの主張である。訳者の茂木 (脳科学者) も解説で書いているが、さすがにこの主張はムリがある。反論点としては、

ペンローズには悪いが、意識がマイクロチューブルで発現することはなかろう。

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感心した点もある。「生物学は量子効果が出るようなスケールの研究を行っていない」という指摘がそれである。確かにそうだ。生物学を擁護するならば、「そんな効果を見るには、細胞は複雑過ぎる」といえる。ただ、そんなことは誰も考えていない、というのが本当のところではないか。

生命現象に量子レベルの現象が関わっているか? これはまだ、誰にもわからない。「意識の生成には量子効果が関わっている」という主張自体は否定できない。しかし仮にそうだとしても、具体的なイメージが湧いてこない。

また、意識を「計算可能性」から論じた部分は面白かった。コンピュータに人間がやっているような判断をさせようとすると、至るところで計算爆発が起こる。さらに、人間の思考は、チューリング・マシンの停止問題を難なく回避しているようにも思える (つまり、コンピュータとは異なる原理で動いている可能性)。ここにもやっぱり、無限やゲーデル問題が関わってくる。それからクオリアの問題。「赤の『赤らしさ』とは何か?」。ニューロンの配線をチップ上で再現したとして、これらの課題がクリアされるだろうか。これも、誰にもわからないことだが。

結論はちょっと怪しいかもしれないけれど、鋭い問題提起に溢れた 1冊と読めば面白い。