- 『奇偶』山口雅也

2006/10/14/Sat.『奇偶』山口雅也

「奇遇ですなあ」の「奇遇」ではない。「奇偶」である。

「偶然」をテーマにした、極めて複雑な小説である。舞台は、愚劣で悲惨な原発事故が起き、カルト宗教が現れ、社会に陰惨な事件が多発するという、何かが壊れてしまったような日本。アメリカ同時多発テロが起きた年のことである。

あらすじ

スランプ気味の推理作家・火渡雅は、取材で出かけたカジノで、奇跡的な出目で大勝負を繰り広げる男達と出会う。カジノからの帰路、火渡は偶然にも、先ほどのカジノで出会った男と再会する。ところが男は、火渡の目の前で奇妙な事故死を遂げる。その後、火渡は片目の視力を失い、徐々に精神の均衡を逸していく。同時に、彼の周囲で奇妙な「偶然」が重なるようになった。

極めて発生確率の低い事故で謎の男が倒れた、まさにその場所で、火渡はまたしてもあり得ないような事故に遭遇する。現場にはゾロ目に揃った 3個 1組のサイコロが 2組。それは、カジノの夜に見たゾロ目であり、また、最初の事故でも現れたゾロ目であった。奇妙な偶然に取り憑かれた火渡は、友人の精神科医、病院で同室となった老人と、「偶然」に関する形而上学的な議論を重ねる。そして、さらなる偶然が、彼を新興宗教「奇偶」へと導く。易をベースにしたその教団で、「偶然」に関する考察は続けられる。ついには教団内で不可解な密室殺人事件が起こるのだが……。

偶然

基本的な構成は火渡自身の手による手記、という体裁をとっている。探偵小説とも読めるが、事件の謎解きよりも、事件全体、あるいは火渡を包み込む「偶然」に関する議論が大変に多い。題材として、ゲーデルの不完全性定理、量子力学の不確定性原理、ユングのシンクロニシティ、中国の道教、ギャンブルにおける確率論などが引き合いに出される。ミステリーではよく採り上げられる小道具だが、これらを組み合わせ、登場人物達は「偶然」の正体へと迫っていく。

言われてみれば確かに、「偶然とは何か」を定義するのは困難である。同様に「必然とは」「因果とは」「運命とは」という問題も立ち上がる。果たして、事件を覆う偶然の正体とは。

小説としての手法も凝っている。火渡の手記と現実を行き来するあたりは、笠井潔の「天啓」シリーズを思わせるメタ・フィクションだし、不確定性原理による世界認識は竹本健治京極夏彦を彷彿とさせる。一つだけここに書くならば、「偶然」の解釈とは、他ならぬ「私」と「世界」の関わり方によって顕現する問題であり、これは小説、特に探偵小説における記述という課題と密接な関係がある。

このテーマに取り組み続けた山口雅也ならではの 1冊だと思う。傑作。