- 『昭和天皇 第三部』福田和也

2009/10/20/Tue.『昭和天皇 第三部』福田和也

副題に「金融恐慌と血盟団事件」とある。

摂政であった裕仁親王が昭和天皇として即位する場面から本巻は始まる。描写が徐々に小説めいてきて、ときにコミカルに感じられさえするシーンも散見される。本書は歴史書ではなく評伝であるから、それはそれで面白いのだが、どこまでが事実であるかわからぬ。わからぬのは史書でも同じであるが、「読み物」として面白くあろうとするような志向を本書からは覚える。

以下は三月事件において、清水行之助 (大川周明一派) が徳川義親 (松平春嶽第六子、尾張徳川侯爵) に金を無心する場面である。

さすがに殿様は、考え込んだ。悪いけれどもう一度来てくれ、という。

二日後、行くと殿様はニコニコして、金は出来たという。

事情を家令の鈴木信吉に話したら、そういう御用ならば、切腹覚悟で案配しましょう、と云って、同家秘蔵の金塊を処分して金を作ってくれたという。

切腹は可哀想だな、と清水は思った。

(「三月事件」)

このような叙述をどう受け取るかで本作の評価はわかれるのではないか。主題が主題であるだけに、なおさら。

以下、気になった逸話を紹介する。政治情勢については松本清張『昭和史発掘 2』同『3』などで書いたから省略する。

現皇后美智子陛下が宮中祭祀に熱心であることはよく知られるところである。「国母」として国民の尊敬を得るには、祭祀への寄与が不可欠である。そういう風潮がある。皇太子妃雅子殿下に一部の人間が不信を覚える原因の一つもここにある。

天皇のみならず、その妃にまで祭事が求められるようになったのはいつからだろう。本書では、大正天皇妃節子 (貞明皇后) が非常に信仰心に篤かった様子が描かれている。昭和帝も祭事に熱心ではあったが、貞明皇后から見れば「陛下は、形ばかりの敬神です。本当に、真実に神を敬わなければ必ず神罰を受けるでしょう」(「神ながらの道」) というのだから恐れ入る。神がかっていた方なのかもしれぬ。

さて、天皇の祭事で一般的に最も有名なのは、田植えと稲刈りであろう。ところが、これは昭和天皇に始まる、大変新しい行事なのであった。

昭和二年六月十四日の午後一時三十分、彼の人ははじめて田植えをした。

(中略)

天皇による田植えと稲刈りは、今日まで継続されている。いかにも瑞穂の国の大君にふさわしい行事であり、国民からも国柄を象徴する営為と捉えられている。そのため、太古から続く祭儀と捉えられがちだが、実は昭和の新儀なのである。皇室の長い歴史は、新しい発議を積極的に取り入れながら、時代時代に変わりつつ、変わったからこそ脈々と続いてきた。

(「女官制度の改革」)

前巻の感想で、皇室は「決して固陋ではない。むしろ革新的な面すらある」と感想を述べたが、それは本巻でも強く思うところである。

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