- 『昭和天皇 第一部』福田和也

2008/09/18/Thu.『昭和天皇 第一部』福田和也

副題に「日露戦争と乃木希典の死」とある。

天皇、特に明治帝や昭和帝について語るという行為が、いきおい自分語りになってしまいがちなことについては、最近の日記で述べた。要点を述べると、超人的君主であることを求められた天皇、その心象風景の実際は誰にもわからない、したがって天皇を語る者がそれを忖度し代弁することによってしか天皇を語り得ない、そこに一種の、天皇とそれを語る者の同一化が生じる——。

本書では頻繁に、昭和天皇を指して「彼(か)の人」と記述される。この言葉に、筆者の昭和天皇に対する想いが簡潔に込められている。

とはいえ、彼の人の、その存在と心象は想像を絶しているというのも否定しようがない事実である。

(略)

だが、何よりも測りがたいのは、歴史の渦巻きのなかに立ち続けた、その姿である。

ときにひとり屹立し、ときに誰よりももみくちゃにされた、彼の人。

彼を、どのように語ればいいのだろう。

その姿は、ときに悲しいほどに小さく、ときに仰ぐように巨きい。

この齟齬は、錯覚によるものでもなく、矛盾ですらない。彼の宿命であり、つまるところ昭和という時代の宿命がもたらすものだ。

(「明治の精神」)

昭和天皇の心象について、筆者が想像を巡らすことはほぼ皆無である。ひたすら昭和天皇が歩いた道の風景を描写するのみである。この点、空海自身を書き尽くすこと能わぬため、その風景を述べることで存在を浮き彫りにするしかなかった司馬遼太郎『空海の風景』の手法と似ているかもしれない。

本書では、後に昭和天皇となる迪宮(みちのみや)裕仁の誕生から、明治帝の崩御と大正天皇の即位、立太子を経て皇太子として欧州に外遊するまでが描かれている。

迪宮は生後直後から里子に出され、厳しい帝王教育を受ける。それが当たり前であったからか、それとも天性の資質であったか、迪宮は不満を漏らすこともなく、忍耐強く、我慢強く、辛抱強く、その幼い日々を過ごした。迪宮を取り巻く状況——皇族、華族、元老、議会、宮城、そして日本社会のあらゆる階層——、そこに棲む様々な人物が、迪宮との関係を通じて活写される。幼き迪宮は当然、いまだ主体的に世界に干渉する存在ではない。この巻で述べられている世界は、まだ迪宮を育む背景としてのみ存在する。

彼が初めて世界と接触するのが欧州への外遊であり、世界に干渉するのは、帰国後、摂政となってからである。しかしそれらは「以後の話」ではなく、あくまで幼少時代の延長なのである。当たり前のことではあるが、その意味で、昭和天皇の幼年時代を精緻に叙述した本書の役割は、続巻においてますます重要性を増してくるだろう。

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