- 保険と賭博

2010/04/12/Mon.保険と賭博

保険とはつまるところ賭博である。保険システムの発祥や、ロイズ保険の在り方を見ればわかる。保険者は親、保険契約者は子、保険会社は胴、保険勧誘員は呼び込みのチンピラである。

現代の保険が賭博と認識されていないのは、システムが洗練された結果、保険契約者にとって保険がローリスクになった = 賭博性が低くなったからである。

生命保険は「保険契約者の命がどのようにして尽きるか」を材に開かれた不謹慎な賭博である。しかし保険勧誘員にそのような認識はない。「保険に入りませんか = 博打しませんか」という勧誘ならまだしも、「保険に入らないなんてとんでもない! = 博打しろやコラ!」は言い過ぎである。そんなことはヤクザでも言わない。

保険に加入することが博打であるなら、「保険に加入しない」こともまた博打である、という奇妙な図式が成り立つ。保険に入らなければ、思わぬ事故により思わぬ重荷を背負うことになるかもしれないからだ。

つまり「加入しない」と判断している人間に対して加入を勧めるのは、賭博において、張った目を変えろと要請しているようなものである。やはりそんなことはヤクザでも言わない。

言うまでもないが「博打をする・しない」という判断は賭博ではない。「博打をしない」という選択はリスクを伴わないからである。

言うまでもないことを書くのは、「得な (になるかもしれない) ことをやらないのは損だ」という風潮が蔓延しているからである。「得なことをやらない」のは「損」ではなく「得ではない」だけである。どうして「損」になるのか。いったい誰が「損」をするのか。この手の言い種はバブル経済時の名残なのだろうか。

言葉の綾と笑うのは簡単だが、論理的なおかしさには注意するにしくはない。

読書日記