- どうでもいい

2010/04/10/Sat.どうでもいい

散髪に行きたい T です。こんばんは。

「どうでもいいこと」に対して、「どうでもいい」という態度すら取らない、というのはなかなか精神力の要ることである。

「本当にどうでもいいこと」には「どうでもいい」という感想すら湧いてこないし、そもそも関わる機会すらなかったり、目にしても意識に上ってこなかったりする。「どうでもいい」と思っている時点で、実は何らかの興味・関心があるわけだ。「"どうでもいい" と思いたい」というのが精確だろうか。この想いを誰かと共有したいという願望があるとき、その感情は「俺はどうでもいいんだけど」という表現になって顕れる。格好の悪いことである。

我慢が、我慢し続けることによってのみ我慢として成立するように、「どうでもいい」も、表現することを抛棄することによってのみ成立し得る感情なのかもしれぬ。他者を希求しないという点で、孤独といえば孤独である。

以前、創作物中の孤独について書いたことがあったが、このときは「他者 (鑑賞者を含む) による忖度」という方向性を考えていなかった。「ひょっとしたら彼は孤独なのではないか」「もしかして彼女は我慢しているのではないか」、そういう可能性の内にこそ、孤独や我慢、あるいは絶望といったものが存在するのかもしれぬ。

この解釈を拡大すれば、「本人が自覚していない孤独」などを考えることもできる。「忖度」が誤っている可能性も排除できないが、しかし「本人が自覚していない孤独」とはなんと哀しい状況か。未開の地の人間が、「オラの村の技術はなかなかのもんだべ」と疑っていないようなものか。違うか。よくわからん。「思い込み」とも関係ありそうだよな。

そんなことを言い出したら、全ての思考や感情を「思い違い」として片付けることもできるわけだが、実のところそうなのかもしれぬ。