- 最近のあれこれ

2009/06/11/Thu.最近のあれこれ

「無印良品」は「インドに良品なし」とも読めるな、と思った T です。こんばんは。

研究日記

仕事の方はしばらく休むことになった。たまには良いだろう。疲れた。京都に来てから、モノになったかどうかはともかく、随分と働いた。

世には学術雑誌が満ち溢れている。文部科学省のレポートを見ると、国際的な学術雑誌の数は < 105 のオーダーであると推察される。医学・生物学に限っても、数千タイトルは存在するだろう。それでも創刊が止むことはない。不思議な話だが、商業雑誌とはまた異なった出版のカラクリ (学界における自国の地位向上、など) があるのだろう。

近々、エジプトで幹細胞の雑誌が創刊されるという。イスラエルが典型例だが、中近東の諸国は幹細胞の研究に熱心である。イスラム圏の倫理と、幹細胞研究 (特に、受精卵を要するヒト ES 細胞) の軋轢については知らぬ。興味深い話題だと思うが、その種の噂は聞いたことがない。アジアではあまりやかましいことは言われぬ。中韓、シンガポールでも幹細胞研究が盛んである。そんなことをいえば、世界中で幹細胞の研究が花盛りなのだが、ここでいう「盛ん」とは、他の分野に比べて、という意味である。幹細胞研究が活発な科学的中堅国で、日米欧と同程度に物理学・化学等も発展しているだろうか。どうもそういう感じではない。突出している。iPS 細胞の出現で、良くも悪くもこの流れは加速するだろう。

インド、ロシアにおける幹細胞研究の話はあまり耳にしない。両国、特にインドは数学の印象が強い。生物学は、この宇宙における普遍性という観点からすれば、科学の中で最も数学から遠い分野である。数学的才能のある人は、生物学的志向が少ないように観察される。ロシアの生物学は「遅れている」というイメージがある。ソ連時代の遅れが足を引っ張っているのかもしれない。これは妄想だが、寒冷で多様な生物の存在が認められぬ地では、そも生物に対する興味が育ちにくいのかもしれぬ。

話が逸れた。エジプトで創刊される雑誌の editor が、論文を集めるためだろうが、ボスに invitation of submission のメールを送ってきた。海のものとも山のものともわからぬ journal だが、せっかくの機会なので review を書いてみないか、という話が俺に回ってきた。簡単ではなかろうが、publish されなくとも困るものではない。勉強と思って取り組んでみることに決めた。重圧がないだけ気楽ではある。

Review といわれても書き方がよくわからぬ。強いていえば、一般的な論文の introduction が延々と続き、それに discussion が加わるような形か。論文を書くときに一番大変なのが discussion であり、次が introduction であるから、難儀なことである。参考に、近い分野の review を幾つか読んでみた。これは相当勉強しないと書けたものではない。自分が執筆しようと思って読むと、それがよくわかる。引用論文数は 100 本が一つの目安であるようだ。

Research article における引用論文が大体 30〜50 本である。そのために 100 本ほどの論文を真面目に読む。論文を書くたびに、50 枚綴りのクリアファイルがいっぱいになる (1 枚のファイルに 2 本の論文を表裏にして入れる) ので、それくらいになるはずである。Abstract や figure にだけ目を通して、最終的には読まない、使わない (今の仕事にはすぐさま関係しない) 論文もかなりある。実際に引用される論文の背景には、それに数倍する、これら引用されぬ論文が存在する。Positive な data が negative なそれの山の上に築かれるのと似ている。

読書日記

書評が随分と滞っている。最近は以下の本を読んだ。いずれ書評を書くつもりではいるが、忘れぬためにメモしておく。これら以前に読んだ本は、今は思い出せぬ。

以前から思っていたが、塩野七生は複文の受け係りがおかしい。

湯川秀樹が多くの日本人に受け容れられたのは、彼が日本人最初のノーベル賞受賞者であるからだが、その人文学的性質に根ざした活動の寄与も見逃せない。昨今のノーベル賞の報道でもわかるように、その科学的業績など一般人は誰も理解しておらぬ。日本において科学者が広く受容されるには、人文的な言葉で語りかける要がある。またそのような科学者を日本人はよしとする。その風潮については云々しない。俺が考えているのは、日本が理想とする科学者像の原形は寺田寅彦にあるのではないか、というアイデアである。漱石門下であった寺田もまた文筆をよくした。優れた弟子を多数育てたという点も湯川と共通している。文学や歴史に通じ、また良き教師でもなければ、科学者として日本の記憶に残らない。

レゴ日記

週末は人形サイズの家具などを作って遊んでいたが、それでは物足りなくなって "Transport Ferry" を買ってきた。これくらいのサイズになると作り甲斐がある。

前回の垂水に続き、今度は八尾の LEGO 屋に行ってきた。LEGO は絶版や輸入品が多いので、専門店でも店舗ごとに品揃えが微妙に異なる。八尾には 1 m に達するエッフェル塔のモデル (3 万円!) が置いてあった。他の店にも行ってみよう。

ゲーム日記

長らく Game Review も書いていないが、『無双 OROCHI Z』『真・三國無双 5 Empires』をともに PS3 で遊んだ。『OROCHI』はボリュームもあり、スピード、爽快感ともに充分で楽しめた。無双系は定期的にプレイしたくなるので、これを決定版として保持している。『三国 5 Emp』は内政編が微妙ですぐに飽きた。『三国 5』のアクションもやはり好きになれない。他に『真・三國無双 MULTI RAID』(PSP) も買ったが、これも肌に合わずに売ってしまった。

久し振りに SLG がしたくなったので、『信長の野望 烈風伝 with パワーアップキット』『萌え萌え2次大戦(略)デラックス』(ともに PSP) を買ってきた。『信長』シリーズとはもう 20 年の付き合いになる。『烈風伝』は Mac 版が出たとき (2000 年頃か) に随分と遊んだ。『信長』は SLG であると同時に RPG でもある。これに気付くと様々な遊び方ができるので、これもまた定期的にプレイしたくなる。

『萌え萌え〜』はそのタイトルとパッケージに躊躇したが、ヘックス型の SLG が他になかったので仕方ない。ベースは『大戦略』なので大丈夫だろうと信じて購入した。女の子があれこれと喋り倒すアドベンチャー・パートはダルい……かと思ったが、なかなか面白かった。これがギャルゲーの魔力か (この分野に疎いのでタームに誤用があれば御容赦願いたい)。シミュレーション・パートは基本を押さえているが、やや物足りない。メイン・ユニットのカスタマイズくらいはしたかった。また、命中率がいい加減で、SLG の醍醐味である、計算された殲滅戦を樹立できない。PSP で FM が出れば最高なのだが、新作 "Front Mission Evolved" では AC のような TPS なってしまった。

私見だが、SLG の全要素は二次元に縛り付けられている。『信長』でも FM でも何でもそうだが、例えば「高度」は升目やユニットの属性として与えられ、「時間」はターンとして表現される。それが SLG だと定義するなら話は終わるが、もう少し工夫の余地はないか。現状式の SLG において、アイデアはもう出尽くした感がある。かといって——、空間にこだわるとパズルになり、時間に追われるとアクションになる。誰も SLG にそんなことを求めていない。難しいところだが、画期的なブレークスルーを期待している。

そう考えると、"SimCity" って希有なゲームだよな。PSP で出ないかなと思ったら、既に DS で出ていた。なんだ。いや、iPod touch 版もあるらしい。今からダウンロードしてくる。