- Game Review 2015/07

2015/07/09/Thu.

駒の動かし方だけを知っていた三ヶ月前の私は、いざ将棋を指さんと盤面に向かった瞬間、途方に暮れてしまった。何をどうすれば良いのか、皆目わからなかったのである。

駒の移動は目的を達成する手段であり、したがって目的が明確でなければ指し手は見付からない。目的を実現する、あるいは問題を解決するべく駒を動かすには、可能な指し手の一つ以上が解となる設問をせねばならない。何か良い手はないかと探すのではなく、何が問題となっているのかを局面から読み取ることで、具体的な一手の探索が可能となる。

将棋の勝利条件

将棋を指す目的は相手に勝利することである。そして将棋の勝利条件は、自玉が詰む前に相手玉を詰ますことである。この条件を満足するために様々な戦略・戦術・戦法が考案され、それらを具現する手段として一手一手がある。

駒の初期配置
△後手
 






▲先手
 






上図は駒の初期配置である。将棋は二人零和有限確定完全情報ゲームであると述べたが、この説明ではまだ不充分である。あまりに自然なことなので誰も触れないが、対局者の初期状態が互角であることは重要だと私は考える。現実には手番があり、先手やや有利という臨床的な統計結果はあるが、少なくとも駒の数と配置という資源は両者均等に配分されている。

(棋理には関係ないが、持ち時間も先手後手で等しい。また、ゼロから石を置いていく囲碁では先手が明確に有利であり、数目のコミというハンディキャップが先手に課される)

自玉が詰む前に相手玉を詰ますには、相手の攻撃力を上回る守備力で自玉を守りつつ、相手の守備力を上回る攻撃力で相手玉を攻めねばならない。しかるに初期の駒数と配置は平等である。そこで、駒得をする、あるいは駒の位置関係で優勢を築くために、駒を動かす必然性が生じる。

2015/07/08/Wed.

三ヶ月ほど前から将棋を始め、最近ようやくハム将棋に勝てるようになった。

将棋は二人零和有限確定完全情報ゲームなので、最善手を数学的に求めることができる。これを棋理という。一方で将棋はその複雑さゆえ、完全解析は計算機を使ってすら現時点では容易でなく、実戦では臨床的な経験智に頼る部分が大きい。これは棋風と関係する。将棋に勝利するための最適なアルゴリズムが棋理ならば、そこに棋風など存在し得ないはずである。しかし現実には両者が並存しており、将棋の奥深さを示すとともに大きな魅力となっている。

多くの人にとって将棋は、ゲーム理論的な「ゲーム」である以前に抜き差しならぬ「勝負」に他ならない。だが個人的には、棋理の探求に深い関心がある。また実際的な問題として、三十歳を超えて将棋を始めるとなると、指し手を一々論理的に咀嚼したほうが棋力の向上に繋がるという実感もある。駒を繰り返し並べて定跡手順を感覚的に把握するといった類の能力を、既に私は失っている。

これから、将棋というゲームについての私的な理解を記述する。コンピュータ将棋プログラム Bonanza の開発は、棋力が棋理の構築には必須でないことを証明した心強い一例である。臆せず、自分が考えたことを書いていこうと思う。