- ノウハウ

2014/01/19/Sun.ノウハウ

私が一日の大半を費やすウェットな実験はノウハウの塊である。ノウハウは本質ではないからこそノウハウなのであり、そのことをよく理解する必要がある。現有のノウハウは、より簡便で、安価で、大規模に、高感度で実行可能な系が構築され普及した時点で用済みになる。私が膨大な時間や労力や金銭と引換えに獲得した智識や技術や経験や勘は不要となるのである。

とはいえ全く無駄になるわけではない——、という反論が挙がることは容易に予想できる。しかし誰もそんなことは言っていない。その大半が要らなくなるという事実を指摘しているだけである。「全く無駄になるわけではない」という反応は、「大半が要らなくなる」という現実が時に耐え難いものであることを代弁している。然り。これは実に辛いことである。だが、この葛藤を克服せねばいわゆるロートルに堕してしまう。

(初めて知ったが、ロートルは中国語であり老頭児と書く。字面を知ると多用したくなる言葉である)

また、研究者は自身が科学という本質に携わっていると信じているため、自分が多大な力を注ぐ実験も何か本質的な行為に違いないという錯覚を抱きがちである。この陥穽から脱出するには、何のために実験をするのかということをよく認識せねばならぬ。これが実のところ難しい。科学の現場では「客観視しろ」ということを喧しく言われるが、その最も重要な対象は己自身である。しかし己を客観視する具体的な訓練は科学教育のプログラムに含まれていないので、個人で努力して身に着けるしかない。

現在のノウハウが現時点で有用かつ貴重な煌めきであることは言うを俟たない。だがそれは金剛石のような永遠の輝きではなく、むしろ咲き誇る桜の美しさに似ている。季節が移ればまた別の花を活けて飾らねばならぬ。