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2014/01/17/Fri.Documentation

米国の組織が文書化documentationに注ぐ情熱は膨大である。とにかく書類が充実している。

「米国の組織」と書いたのは、各々の米国人の文書化能力は日本人と変わらぬように観察されるからである。例えば米国人の研究ノートは乱雑で、実験プロトコルは曖昧で、サンプル管理は杜撰である。個人レベルでは日本人のほうが余程まともに思える。しかしなぜか、米国の組織は圧倒的な質と量の報告書、技術文書、契約書などを運用し提供することができる。不思議なことである。以心伝心を尊び、重要事項を口伝や秘術としがちな日本人は見習うべきだと考えるが、組織的に文書化を実現する仕組みが不明なので、具体的にどうすれば良いのかわからない。今後も探っていきたい課題である。

組織はともかく、個人での文書化はいつでも取り組める仕事である。

渡米してから、研究者としての個人サイトを運営し始めた。私の経歴や業績、研究や実験に関する文書を公開している。作成にあたって、日米多数の研究者や研究室のサイトを閲覧して参考にした。その過程で気付いたことを書く。

日本の研究者/室のサイトでは、彼/PI の思い出(主に学生時代や留学時)や信念(週末も休まず実験するべきなど)といった、極めて個人的な事柄を主観的に綴ったページが数多く見受けられる。このようなページは米国のサイトにはない。また、日本のサイトは日本語版と英語版の両方が作成されることも多いが、情緒的文章の英訳も見たことがない。つまりこれらの感傷文は日本人が日本人のために日本語で書いたものと判断できる。普遍性がないのである。普遍的でないものを公開するなとまでは主張しないが、深夜に DNA のバンドを検出して歓喜した昔話を書く時間があるなら、そのときに使ったプライマーの配列とアニーリング温度でも記載したほうが科学に貢献すると思われる。

この件に関しては中国や韓国のサイトを是非調べたいのだが、彼らの言語に疎くて不可能である。あるいは英語が公用語のインドなら面白い傾向を発見できるかもしれない。

話は飛ぶが、研究者の自分語りは興味深い文学史的テーマでもある。科学者による随筆は、漱石門下の物理学者・寺田寅彦と、破格の生物学者・南方熊楠を嚆矢とし、日本人初のノーベル賞受賞者として神のごとく扱われた湯川秀樹にその絶頂を見る。他にも、世界的に評価された数学者や物理学者には達意の文章をものにする人が多い。日本の学界には一門や学統といった意識が色濃く残っており、開祖の私的随筆が必読書として脈々と継承されていることもしばしばである。もちろん欧米にも、高名な研究者がエッセイを著す伝統は存在する。しかしその内容、筆致、対象は、日本のそれらと少なからず異なるように思われる。文学部の研究対象にもなり得るのではと考えている。