- DIO の世界(二)

2013/12/07/Sat.DIO の世界(二)

以前に「時間を止め、その世界で自分だけが動ける」という超能力について考察した。この能力を「自分を構成する以外の全ての粒子の運動を停止させる能力」と仮定する。すると光子フォトンが網膜に進入しなくなるので、超能力者は時を止めた瞬間に暗闇に包まれるはずである——。そういう議論であった。

ここでまず指摘せねばならぬのは、超能力者は時を止めても目が見えなくなるわけではない(そのような描写はない)ことである。これは上述した私の結論と矛盾する。

自然光・環境光は太陽由来である。したがって「自分を構成する以外の全ての粒子の運動を停止させる能力」の範囲を地球に留めるなら、超能力者は視力を保つことができる。問題は非太陽由来の光子である。地球由来の光子は運動を停止するので、時を止めると見えなくなる。炎や電灯、テレビや携帯電話などのディスプレイ、あらゆる発光体は時を止めた瞬間に一斉に消える(ように見える)。

同様に電子エレクトロンも止まる。時を止めた超能力者が電子取引でインチキをしようとキーボードを叩いてもその信号がコンピュータに伝達されることはない(先の議論によれば、それ以前にモニターが真っ暗に見えているはずである)。

音も聴こえなくなる。これは映画やアニメでも割合よく再現されている。時を止めた途端に無音となるのは常套的な演出である。しかしより重要なのは、時を止めている間は一切の音がしないことである。これは宇宙戦争モノと共通する話題といえる。

粒子の運動が止まると熱が生じなくなる。時を止めた超能力者の皮膚は熱を感知できず「寒さ」を覚える。また、呼吸ができるのかという疑問もある。DIO が「10秒」しか時を止められないのは、このようなヒトの肉体の限界に拠るのかもしれない。実際、DIO が吸血鬼として覚醒すると制限時間が伸びる。

よくわからないのが重力子グラヴィトンである。仮に重力子が相互作用し、自分を構成する以外の全ての地球の粒子の運動が停止するなら、時を止めた超能力者は、直近の大質量天体である太陽に引っ張られるのではないか。

そもそも地球は三〇キロメートル毎秒で公転しており、地球の粒子の運動を止めると超能力者は重力以前に慣性で吹っ飛ばされるかもしれない。また、太陽系は二四〇キロメートル毎秒で移動している。地球の運動だけを止めたらこの蒼い星は宇宙の孤児と化す。「超能力の範囲を地球に限る」という妥協案はやはり具合が悪い。

粒子の停止によって「時を止める能力」を説明することは無理なのだろうか。停止論と並ぶ有力な仮説は加速論、すなわち「実は時は止まっておらず、自分だけが高速運動をするので周囲が止まったように見えている」という理屈である。これは特殊相対性理論そのものでもある。私が加速論にくみしないのは、「自分だけが速く動く能力」は「粒子の運動を停止させる能力」に比べて超能力性が弱く思えるからである。

(DIO に話を限るなら、しかし加速論は依然有望である。DIO と似たスタンドを持つ承太郎は最終的に時を止められるようになるが、その彼の能力は「素早く正確に動く」である)