- 心血管幹細胞に関する覚書

2013/12/02/Mon.心血管幹細胞に関する覚書

骨格筋は再生するが心筋は再生しない。心疾患が重篤である理由はほぼこの事実に起因する。心機能が低下したとき、外部から心筋細胞を導入すればそれが回復するのではないかというのは素直な発想である。この観点から過去十年以上に渡り、無限に増殖する ES 細胞を心筋細胞に分化させる研究が行われてきた。移植に伴う免疫の問題は iPS 細胞の樹立によって解決される見通しが立った。さらには iPS 細胞を経ずに体細胞を心筋細胞へと直接形質転換direct-reprogramする方法も明らかになった。

しかし私はこの治療戦略に長らく疑問を抱いている。上でいうところの心筋細胞cardiomyocyteとは最終分化した細胞であり、これらを梗塞などで壊死した領域に移植したところで大して生着もせず、心機能が改善されるほどに組織が修復されるかは疑わしい。そもそも梗塞巣は血流が遮断されて生じるのであり、血液が循環していない環境に細胞を移植しようというのは筋が悪い。

私が欲しいと切実に願うのは強固robust幹細胞性stemnessを有した心血管幹細胞cardiovascular stem cellsである。それは心臓への移植後に分裂し増殖し分化し周囲の状態に応じた構造を形成し損傷した組織を置換し機能する可能性potencyを持つ。それは分化の段階で一過性transientに出現する不安定な前駆細胞precursorとは異なる。私がいう「強固な幹細胞性」とは、具体的には in vitro ないし ex vivo で幹細胞性を保持したまま維持・増殖ができ、培養条件の変更によって自発的な分化を誘導できることである。

骨格筋幹細胞(衛星細胞satellite cell)由来の筋芽細胞myoblastは「強固な幹細胞性」を持つ細胞の例のように私には思われる。少なくとも心臓にこのような細胞は存在しない(報告されていない)。筋芽細胞は高血清培地中では分化せずに増殖するが、低血清培地に変更すると筋細胞myocyteへと分化を始め、最終的には筋管myotubeを形成するに至る。筋芽細胞を骨格筋に移植すると、それらは自発的に分化し既存の筋管と融合する。また、それらのごく一部は自己複製self-renewalから未分化細胞reserve cellを経て幹細胞へと戻るとされる。この移植筋芽細胞由来幹細胞は、骨格筋が損傷したときに再び活性化され再生に貢献する。

さて、強固な幹細胞性を持つ心血管幹細胞をどのように作成するかであるが、大別して二通りの方針があると考える。一つは生体内からそのような性質を持つ細胞を発見することである。この課題は世界中で挑戦されており、私は魅力を感じない。もう一つは望む細胞を自ら樹立する方法である。その基礎となる細胞として筋芽細胞は有望であるように思われる。骨格筋と心筋は近しい。例えば既報の因子を導入したとき、線維芽細胞より筋芽細胞のほうが効率良く心筋に形質転換される可能性はある。この程度の研究は既に誰かが行っていると思われる。

心血管幹細胞を考えるときに加えて重要になるのは多分化能multipotencyである。心臓を構成する細胞のうち心筋が占める割合は半分に満たない。心筋だけではなく血管や線維芽細胞などの複数種の細胞が機能的な構造を形成することによって心臓は心臓となる。それが組織の定義でもある。単一細胞種がいくら集まったところでそれは細胞塊に過ぎない。損傷した組織を幹細胞によって再構築するというのであれば、その幹細胞は必要な場所に移動migrateし複数種の細胞に分化し得る多分化能を有しなければならない。あるいは、複数種の幹細胞を混合して移植することも考えられるが、この戦術を検証した実験は意外と少ない。

ところで、心筋への分化を促進することは、心筋以外の細胞への分化を抑制することに他ならない。したがって、転写因子のカクテルによる特定の細胞種への分化誘導は、幹細胞の多分化能を生かすという戦略と相性が悪いようにも思える。この問題を解決するアイデアは幾つかある。例えば、それぞれ異なる環境で活性化される複数のカクテルを導入する、などである。しかし系が人工的かつ複雑になり過ぎて私はやりたくない。