「
今日のランチは何にしようかと考えながら研究所を出た三分後にこのような人物に遭遇する。それが良いだとか悪いだとか以前に、やはり米国は凄いところだと素直に思う。何かよくわからないがスゴい。これは完全に価値観が凌駕されないと起こり得ない事態である。
「俺はノンケだが、いつも明るいお前たちは嫌いじゃないぜ」とクールに応えたいところだが、私の英語力では不可能であった。いや、英語云々ではなく、やはり私は面食らっていたのである。そして驚きが去ってから改めて気付くのは、私はゲイについて真面目に考えたことがなく、したがって何の意見も持っていないことである。日本人の大部分がそうであろう。私はそのことを正直に彼に伝えた。気の利いた嘘が吐けるほど英語に堪能ではない。
「オーケイ、
「日本人は優しいと聞いている」とも彼はいった。これは誤解である。日本人は身内に甘いが、そうと認めない者にはむしろ排他的である。そして平均的日本人にとってゲイは身内ではない。だから日本のゲイは本当の意味でマイノリティである。その存在について語る機会さえない。
定義にもよるが、米国人は日本人に劣らず優しい。例えば私の眼前の彼は、外国人の私にもわかる簡単な英語で熱心にゲイの実情について教えてくれる。それは彼がゲイだからではなく米国人だからである、というのが私の印象である。
ともあれ、これを機会にゲイについてよく考えよう。と改心するほど純朴ではない。ただ、このような体験をどう消化するのかという課題は残る。今日に限った話ではない。多くの宿題が山積している。それだけでも渡米した価値があると思う。